JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

お月さんと乾杯

2005年09月18日 | d-f

今、まさにお月さんが窓から私をのぞき込んでいます。
ススキや団子もあきたでしょうから、バーボンなどいかがですか?

台風の風の影響だと思いますが、我が家のBSの映りがしばらく前から悪く、はやく診るようにせかされておりました。
何とも面倒だったのですが、今日しぶしぶ屋根の上へ

「いいかぁ、画面の棒の数と隣の数字、大声で言えよ!」
「どうだぁ?」
「何も映んない」

「ン~ン、角度は38度ちょっとだよなぁ....方向は、ブツブツブツ」独り言を言いながら動かしていると
「ちょっと映った」
「棒は?数字は?」と汗だくになりながらも、なんとか調整が終わり、屋根の上で深呼吸。
「ハーーー けもちええ」何ともいえないいい気持ち
「オーイ、缶ビールと灰皿」
「何考えてんの」と言いながら、念願のものが手元に届きました。
「カーッ!うめーーー!!!」
最高!秋万歳!屋根の上万歳!

ひょんな事で秋を満喫したひとときでした。

さて、風呂も済ませましたし、お月さんバーボンでも飲みながらジャズ談義でもいたしましょうか?
「音楽は何がよろしいでしょう?」
「えっ?マイルスですか、よろしがす、それではマイルスを」

THE NEW MILES DAVIS QUINTET
1955年11月16日録音
MILES DAVIS(tp) JOHN COLTRANE(ts) RED GARLAND(p) PAUL CHAMBERS(b) PHILLY JOE JONES(ds)
1.JUST SQUEEZE ME
2.THERE IS NO GREATER LOVE
3.HOW AM I TO KNOW ?
4.S'POSIN'
5.THE THEME
6.STABLEMATES

マイルス「黄金のクインテット」が残した6回の録音のうち、このアルバムは、2回目の演奏を収録したものです。プレステッジの同クインテット演奏というと、どうしてもマラソン・セッションが頭に浮かびますが、このアルバムもまたなかなかのものであります。
ところで、今度発売になった「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」のスペシャル・エディションには、コロンビア移籍を決定的にさせたニューポートでのライブ演奏や「黄金のクインテット」のライブ録音などが収録されているとか、私、本日注文してまいりました。

頭は刺激がお好き

2005年09月17日 | j-l

本当に秋らしくなりました。真っ青でぬけるような空に高い雲、心地よい爽やかな風、明日は名月をめでることにしましょう。

74才になる私の母は、ときおり子供のような疑問を口にします。
先日も母の大好きな大河ドラマ「義経」を見ていて
「なんで義経は御曹子なんだろうね?」と聞くではないですか
「えぇ いいとこの子供だからだろ」と適当に答えると
「他の人(平家)は、御曹子って呼ばれないぞ」
「ん~~~~」(めんどうくせぇなあ)

ところが、この母の素朴な疑問、ある種私にとってとても良い刺激になったりするのです。

母に質問され、答えがわからないとどうしても気になってしまい、結局は調べることになります。ネットを利用したり、昔読んだ本をひっくり返したり、ets.ets...
これがけっこうな頭の体操になったりして

「御曹子」の話も、貴族の住む贅沢な部屋を「曹子」といい、ここから部屋住みの貴族の子弟を「御曹子」と呼ぶ習慣ができたらしいので、いいとこの子供を「御曹子」と呼ぶのはここから来ています。
ただ、母の言うとおり平氏の子弟は、「御曹子」とは呼ばれなかったことがわかりました。平氏と源氏お互いが張り合っていたことから別々の呼称が用いられたそうで、源義家(八幡太郎義家ですね)が幼少時に「御曹子」と呼ばれたために、源氏の若君は「御曹子」、それに対して平氏の若君は「公達(さんだち)」と呼ばれたそうです。

ほらね、母のおかげで1つ物知りになりました。

ジャズのアルバムでも素朴な疑問につながるものが幾つかありますが、ブルーノートの1509番「MILT JACKSON」もそんな一枚です。
このアルバムは、ジャケットに添えてある「and the THELONIOUS MONK QUINTET」の一文が問題になります。
この後の1510,1511番「GENIUS OF MODERN MUSIC VOL.1,VOL2」、この2枚はモンクがリーダーになっていますが、モンクに惚れ込んでいたアルフレッド・ライオンは、この1509番~1511番までをモンクの3部作として考えていたのでは無いかと何を読んでも書いてあります。じゃあどうして1509番は、ミルト・ジャクソンの名前にしたのでしょうか?
私の素朴な疑問です。やっぱりモンクじゃ売れないと思ったんですかね?

ともかく、このアルバムの演奏でM.J.Qの骨格が作られ、ドラマーがコニー・ケイに代わるもものミルト・ジャクソンが理想とするリーダーのないグループの歴史が始まりました。

MILT JACKSON
1948年7月2日録音,1951年7月23日,1952年4月7日録音
MILT JACKSON(vib)
1~5,11 JOHN LEWIS(p) PERCY HEATHI(b) KENNY CLARKE(ds) LOU DONALDSON(as)
6~8,12 SAHIB SHIHAB(as) THELONIOUS MONK(p) AL McKIBBON(b) ART BLAKEY(ds)
9~10 THELONIOUS MONK(p) JOHN SIMMONS(b) SHADOW WILSON(ds)
1.LILLIE
2.TAHITI
3.WHAT'S NEW
4.BAGS' GROOVE
5.ON THE SCENE
6.WILLOW WEEP FOR ME
7.CRISS CROSS
8.ERONEL
9.MISTERIOSO
10.EVIDENCE
11.LILLIE(alternate takes)
12.FOUR IN ONE


おやじの自覚

2005年09月16日 | a-c

今朝は、20度きるどころか16.6度とかなり涼しくなり、薄手の掛け布団だけでは寒いような朝でした。

半分寝ぼけ状態で歯を磨き、眼鏡を外して顔を洗い、ふと鏡を見ると胸のあたりに白い何かが付いています。(眼鏡を外していたためよく見えませんでしたが)
手で払ってみたもののとれず、それどころか刺さっている感じ
男性というものは、歳をとるといろんな所からいろんなものが生えてきたりしちゃったりするものですから
「ん?一晩で胸から何かが生えたのか?」(コワ~~~!!!)
眼鏡をかけてあらためてのぞき込むと、
「アンダヨォ~~~」
掛け布団から飛び出た羽毛がTシャツに刺さっていたのでありました。それにしても歳はとりたくないものです。

今日の昼食は、ラーメン屋さんで担々麺を1人寂しくいただきましたが、カウンターで食べていると、私の隣におじさんが座ってきました。
すると、担々麺の香りの向こうからいやーな臭いが、
そう、おやじの整髪料の臭いです。私は、おやじのくせにこの臭いが大嫌い、
(「勘弁してくれよ、飯の時にこの臭いはきついよなぁ」)
おもわず心の中でつぶやき、彼をにらんだようなきがします。
食べ終わって、そうそうに代金を払っていると、後で会計を待っていた二人ずれのお客さんが小声で
「まったく、臭いわよねぇ 自分じゃわかんないのかしら」
「ああいうおやじは、おやじ臭を消そうとしてんじゃないの。おばさんの香水みたいなもんだよ、くせえよなぁ」
臭かったのは、私だけでは無かったようです。

私を含めたおやじよ、加齢臭もいろんな所から生えてくるものも、全て仕方のないもの。だからといって他人に迷惑になるような「ゴマカシ」は、やめようではありませんか.....ね。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の監督、ロバート・ワイズ氏がお亡くなりになりました。享年91才大往生であります。
「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌をやっぱり聴くことにしましょう。
カミナリに怖がる子供達が、ジュリ・アンドリュース扮するマリア先生の寝室に集まってきて、この歌を歌いながら怖さを吹き飛ばし、子供達とマリア先生が心をかよわすシーンでした。

MY FAVORITE THINGS / JOHN COLTRANE
1960年10月21,24,26日録音
JOHN COLTRANE(ts,ss) McCOY TYNER(p) STEVE DAVIS(b) ELVIN JONES(ds)
1.MY FAVORITE THINGS
2.EVERYTIME WE SAY GOODBYE
3.SUMMERTIME
4.BUT NOT FOR ME

引っ越し五段

2005年09月15日 | s-u
突然、涼しくなってしまいました。私の住んでいるここでは、明日の朝はついに20度をきる最低気温との予報、今夜は窓を閉めて寝ないと風邪をひいてしまいそうです。

飲み友達のMさんから19日敬老の日に手伝って欲しいとの連絡が入りました。聞けば学生時代Mさんのところでアルバイトをしていた独身高校教師の引っ越し手伝いらしいのです。(Mさんは、某コンビニの経営者で、特にかわいがっていたアルバイト生だったそうです。)
「もちろん、ご苦労さん会つきだから」
ただ酒が飲めるとあれば、断る理由もなくすぐに承諾をしました。

「引っ越し」私は今まで何回経験しているでしょうか。
父が転勤族だったこともあり、小学校入学前に2回、小学校で2回、中学で1回、ここまでは父について行きましたが、高校で下宿生活(もちろんこの時に1回)、
大学に入って3回、社会人になって・・・・ともかく数えるのがいやになるくらい経験しています。
そんなこともあって他人の引っ越し手伝いには、わりと重宝がられていました。

「引っ越し」がたいへんかそうじゃないかって荷物の多さじゃないんですよね、ようは「段取り」一番!(引っ越しに限ったことではありませんが)
昔、いわゆる「かたづけられない男」の引っ越し手伝いに行ったとき、これが最悪でした。予想はできたので前日から手伝いに行きましたが、荷造りをしていないのは当然、どう荷造りしていいものやらサッパリわからない状態でした。

「お~い、勘弁してよぉ、これじゃあ明日引っ越しできないよ」
「何言っての、荷造りはできてるよ、ほら」
ふと見ると、荷造りとはとても呼べないまとめ方でしたが、部屋の片隅に荷物らしいものが、
「えっ?持ってくのは、あれだけ?」
「うん、あとは捨てるやつ」
っておまえ、ゴミ捨てにトラックが必要じゃねぇかよ!!!!
結局、徹夜でゴミの片づけと荷造りのし直しをした経験があります。
「頼むから、きちんと、段取りしとけよ.....はぁ」

みなさん、人にものを頼むときは、それなりの段取りをお忘れ無く

ところで、蛇足ですが、「段取り」の段は、なんの段だかご存じでしょうか?
じつは「階段の段」のことであります。今では階段を作るとき、建築学やら人間工学やらできっちり計算をして図面を引いて作りますが、昔はそうはいかない、職人の経験と勘で段数を割り出していたそうで、これを「段取り」といったそうです。つまりは「段取り」が悪いと危険で上りにくい階段ができてしまったというわけ。

ともかく、19日は「段取り」がしっかりできた引っ越しであることを祈っております。

先日、ちょっとお話しした、コルトレーン脱退後のマイルス・グループのサックス奏者ですが、結果ウェイン・ショーターを迎え、ここに「新黄金のクインテット」が完成するわけですけど、ジャズ・メッセンジャーズ脱退後、マイルス・グループに参加する直前のウェイン・ショーターのリーダー・アルバムが今日の一枚です。
この頃は、コルトレーン派の若手第一人者などと言われた彼ですが、この後マイルス・グループで大きく飛躍をとげることとなります。

NIGHT DREAMER / WAYNE SHORTER
1964年4月29日録音
LEE MORGAN(tp) WAYNE SHORTER(ts) McCOY TYNER(p) REGINALD WORKMAN(b) ELVIN JONES(ds)
1.NIGHT DREAMER
2.ORIENTAL FOLK SONG
3.VIRGO
4.BLACK NILE
5.CHARCOAL BLUES
6.ARMAGEDDON

美容師おやじの教訓

2005年09月14日 | m-o

昨日は、めずらしく仕事が9時過ぎまでかかり、そのままいつものバーへ1人で寄り道してしまいました。

いつものようにママと話ながら飲んでいると、私より幾分年上だと思われる男性客が1人入ってきました。
ジン・ロックを飲み始めた彼にママが
「こちらの方もジャズが好きなのよ」とのふり

若干趣味は私とは違うようでしたが、ジャコパスやウエザーリポートの話をひとみ輝かせ話し始めました。そしてふとこんな話をしだしたのです。

「私、もう10年近く単身赴任なんですよ、21の娘がいましてね、離れているせいかちっとも相手にしてくれなかったんですが、先日ジャズに興味が出てきたからお父さんのCD貸してって言うんですよ。なんか嬉しくなっちゃって、今CD-Rでベスト盤作ってるんですがね」

私は、ふと知り合いの美容師の話を思い出していました。
その美容師さんは50代のおやじなんですが、とんでもないロック・マニアで、1000枚以上のレコード・CDを持っている方です。やはり娘さんがいらして、ある日ギターを始められたそうです。そこで喜んだおやじは、自分が好きなギター演奏を何巻ものカセット・テープに録音して「聴いてみな」と贈ったそうなんです。
「バブさん、あんたもね、娘さんがサックス始めたからといって、「これもいいあれもいい」とか言いながら、押しつけちゃあダメだよ。逆効果だから、おかげでうちの娘なんかあんた、ロックのロの字も今は聴きゃあしないんだから」
大喜びではしゃいでテープを作った自分がバカみたいだったとおやじは話してくれました。
じっさい、私の娘がアルト・サックスを始めたとき、ベスト盤を作って聴かせようなんてふと思ったりもしましたが、美容師おやじの教訓を胸にじっとこらえました。

さて、バーに話を戻しますが、この「美容師おやじの教訓」を話すべきか、私はふと迷いました。こんな嬉しそうに単身赴任の彼が話しているのに.....
「それでも教訓は教訓だ、彼のためにもお話ししよう!!」

とても良い方で、真面目に教訓をお聞きいただき
「それじゃあ、娘が「これがいい」っていうのを貸してやればいいんですね」
「そうだと思います」

娘がアルト・サックスを始めたとき、ベスト盤を贈ったとしたら、きっとこのアルバムの1曲「I LOVE YOU」も入っていたでしょう。

SWING,SWANG,SWINGIN' / JACKIE McLEAN
1959年10月2日録音
JAKIE McLEAN(as) WALTER BISHOP Jr.(p) JIMMY GARRISON(b) ART TAYLOR(ds)
1.WHAT'S NEW
2.LET'S FACE THE MUSIC AND DANCE
3.STABLEMATES
4.I REMEMBER YOU
5.I LOVE YOU
6.I'LL TAKE ROMANCE
7.116th AND LENOX

おまけ、
マクリーンといえば、泣きのアルトというか、ひたむきでうら哀しいというか、そういったイメージがあります。
15才だった彼は、テナー・サックスをかついでバド・パウエルのアパートに通い続けました。ある日、チャーリー・パーカーを聴いた彼は、アルト・サックスに転向します。
17歳の時、パウエルが出演中の「バードランド」で客席で聴いていた彼にパウエルが「ジャッキー、サックスを持っているならステージに上がったらどうだ。」ジャッキー・マクリーン、デビューの瞬間でした。
初レコーディングは、マイルスの「DIG」彼は19才でした。

別の道

2005年09月12日 | d-f

今日は、ちょっと真面目にジャズ話をひとつ

1959年12月に恒例だったマイルス・グループのシカゴ・ツアーが行われました。コルトレーンは、すでに独立を心に決めていましたが、ツアーを終えニューヨークに帰るとマイルスに話す前に、後任を頼むためウェイン・ショーターに連絡を取ります。
このことを知ったマイルスは
「(バカヤロウ!)必要なときには、自分が連絡をする!!」
と激怒しました。

ところが、翌年3月からのJ.A.T.P.ヨーロッパ公演はすでに契約済み、コルトレーンに代わるサックス奏者がすぐに見つかるわけもなく、コルトレーに同行を求めます。
コルトレーンは渋りましたが、帰国後の脱退を条件に同行を承諾しました。

公演を終え、帰国した彼らはフィラデルフィアでコルトレーンが加わったグループ最後の演奏を行いました。
マイルスは、
「この演奏を最後にコルトレーンは、このグループを離れます。」とリスナーに告げたのでした。

コルトレーの代わりは、なかなかみつからず、約1年間マイルス・グループのレコーディングは行われませんでした。
ウェイン・ショーターは、ジャズ・メッセンジャーズに在籍していたため、参加を断り、ジミー・ヒース、ソニー・スティットを一時迎えた後、とりあえずハンク・モブレーで落ち着きました。
しかし、モブレーもショーターを迎えるまでのピンチヒッターにすぎなかったのかも知れません、1年ぶりのレコーディングには、二曲ではありますがコルトレーンに参加を求めました。

J.A.T.P.ヨーロッパ公演での演奏は、3月22日のストックホルム、3月24日のコペンハーゲン、そして4月9日のオランダでの演奏をアルバムで聴くことができます。
今日ご紹介するのは、オランダでの録音アルバムです、録音状態は最悪、ただこの時のマイルスとコルトレーンの演奏を聴くと、「二人が間違いなく別の道へ進み始めている」その事を感じることができます。

MILES DAVIS & JOHN COLTRANE / SO WHAT
1960年4月9日録音
MILES DAVIS(tp) JOHN COLTRANE(ts) WYNTON KELLY(p) PAUL CHAMBERS(b) JIMMY COBB(ds)
1.SO WHAT
2.ROUND MIDNIGHT
3.ON GREEN DOLPHIN STREET
4.WALKIN~THEME
注)ここでの紹介アルバムはCD盤です、オリジナルLPは「MILES DAVIS QUINTET LIVE IN HOLAND」もしくは「MILES AND COLTRANE QUINTET LIVE」で、ジャケット、曲順が微妙に異なります。

追伸、
いつもの記事とは、ちょっと雰囲気が違うきがしますが、じつは本日、中学時代の同級生が亡くなりました。いつものふざけた内容をどうしても書けず.....
いかにおやじの歳とはいえ、まだ死ぬにははやい。ご冥福を心よりお祈りします。

同居人の死

2005年09月11日 | m-o

投票も済ませ、コーヒーを飲みながらゆっくりジャズを聴いています。

以前ご紹介しましたが、我が家には「カメ太」というカメが同居しています。
10年ほど前までは、とても多くの同居人がいたのですが、現在は彼だけになってしまいました。

熱帯魚の60㎝水槽が3槽、ウーパールーパーの「ウパちゃん」、みどりガメの「亀太郎」と「亀次郎」、インコの「小太郎」と「花子」、養子に出した猫の「幸之助」いろんな同居人と過ごしてきましたが、私が最もきにいっていたのは、プレコという南米原産の熱帯魚でした。

写真のプレコは「オレンジエッジ・ロイヤルプレコ」といって、私の同居人とは若干、色が違うのですが、私の同居人も流線型の間延びした顔が何ともいえない雰囲気をかもし出していました。

彼の寿命はとても永く、うまく飼ってやれば何十年も生きる個体もいるそうです。6~7㎝で我が家にやってきた彼は、15~20㎝まで成長し、毎日、食事以外は流木にただただへばり付いてじっとしている、シャイなやつでした。(最大で30~40㎝まで成長する魚ですが、成長スピードはとても遅い魚でもあります。)
当時、帰宅時間が遅かった私は、入浴後、グラスを片手にヘッドホンを付け、彼をじっと見ている時が至福のひとときでありました。(とっても暗~い、年寄りじみた趣味ですが....)

そんなある日、帰宅すると
(「あれ?水槽が......ゲッゲッ、プレコの水槽が無い」)
「おい、おーい、俺のプレコちゃんをどぅしたんだ?」
すでに高いびきの愚妻を起こすと、いかにも「まったくうるさいわねぇ」という寝ぼけ顔で
「今日ね、○×が、手を突っ込んで出しちゃったのよ、きがついた時は、もう死んじゃってた」
○×とは、我が娘であります、当時まだ小さかった娘が、水槽から彼を連れ出し、「可愛いね」とながめていたそうで........
以来、私が熱帯魚を我が家に連れ帰ることはありませんでした。

まったく、別れというのは突然やってくるものであります。

友を亡くしたベニー・ゴルゾンは、友に捧げる曲を作ろうと決意しました。「書いているときは暗い気分だった。音符を書くたびに大切な友人を失ってしまったことを実感しないではいられない。」書き上げるのに3週間かかったそうです。
「アイ・リメンバー・クリフォード」はこうして出来上がりました。

ブルーノート、一作目1538番では2曲、二作目1541番では4曲、この三作目では全曲、ゴルゾンの曲が使われました。
しかも、彼自身がメンバーに加わって、ブラウニーよりもはるかに若い19才のリー・モーガンにおもいをこめたこの曲を吹かせたのです。録音はワン・テイクだったそうです。

LEE MORGAN Vol.3
1957年3月24日録音
LEE MORGAN(tp) GIGI GRYCE(as) BENNY GOLSON(ts) WYNTON KELLY(p) PAUL CHAMBERS(b) CHARLIE PERSIP(ds)
Compositions and arrangements by BENNY GOLSON
1.HASAAN'S DREAM
2.DOMINGO
3.I REMEMBER CLIFFORD
4.MESABI CHANT
5.TIP TOEING

得な人

2005年09月10日 | j-l

昨晩は、ビール→日本酒→スコッチ→焼酎?→バーボンとフルコースでありました。
一件目は、ちょっとした料理屋でしたが、我々に付いた仲居さんがちょっと面白いお嬢さんで、とても表情が豊というか、すぐ顔に出るというか、見ていてみょうにほほえましい人でした。

「ホタルイカの沖漬けと天ぷら盛り合わせ、メヒカリ唐揚げ、それにお刺身の盛り合わせでよろしいですか?」
「うん、それと浦霞の純米2本ね」
「ハイかしこまりました」
と立った瞬間、顔がクシャクシャとなりました。座り直して、
「申し訳ありません、何人前お持ちしましょうか?」
まだなれていないのか、その後も何度かクシャクシャ顔を見ることができました。

このクシャクシャがとても愛嬌がある顔で可愛らしいのです。申し訳ないけれど美人とは言い難いのですが、憎めない素敵な方でした。

たまにこうした「得な人」という方に巡り会います。わかりやすく言えば長島茂雄さんのような、失敗も失敗に見えない素敵な方。
「なにやってんだ! ホニョホニョホニョ....」と力が抜けてしまうというか、どうにもこうにも憎めない、
天性なのでしょうか?努力や演技でかもし出せるものではありません。
皆さんの隣にもいらっしゃいませんか「得な人」?

まぁともかく、その店を皮切りに3軒ほどはしごをし、高校時代からの友人と楽しい夜を過ごしました。

今日の一枚は、ブッカー・リトルです。
「ジャズを聴きながら"これはミストーンだ"と指摘する人がある。僕にはどんな音もミスとか悪い音とは聞こえない。そういう人は音楽をエモーショナルな面から見ようとせず月並みにテクニックだけとりあげようとしている」
1961年10月5日尿毒症でこの世を去った彼のラスト・レコーディングとされる一枚です。

BOOKER LITTLE AND FRIEND
1961年8~9月録音
BOOKER LITTLE(tp) JULIAN PRIESTER(tb) GEORGE COLEMAN(ts) DONALD FRIEDMAN(p) REGGIE WORKMAN(b) PETE LaROCCA(ds)
1.VICTORY AND SORROW
2.FORWARD FLIGHT
3.LOOKING AHEAD
4.IF I SHOULD LOSE YOU
5.CALLING SOFTLY
6.BOOKER'S BLUES
7.MATILDE
4曲目以外は、すべてリトルののオリジナルです。最後の「MATILDE」は、自分自身への鎮魂歌のように聞こえてしまいます。


到達を目指す75才

2005年09月09日 | p-r

今日は、隣組で御不幸があったので、午後からお手伝い、今戻ってきました。

今日の朝日新聞文化面に「ジャズは抵抗そのもの」と題されたソニー・ロリンズのインタビュー記事が掲載されていましたので、紹介させて下さい。

--ジャズの神髄は、いつも新しく、いつも変わっていることだ。空を見上げれば雲がある。どれも同じ形はない。常に変わっているけど、いつもそこにある。--

そうなんですよね、私みたいに50年代60年代に固執するジャズ好きは、本当のジャズ好きとはいえないのかも知れません。バードがそれまでとは全く違う演奏を始めると、「これは、ジャズではない」との批判が飛び交いました。ジャズとは、常にそういった批判のなかから生まれ出てくる新しいものなのかも知れません。

--自分にとってジャズとは、人間が神に近づこうとする仕業だ。新鮮で心が弾む曲を即興で創造する。ルイ・アームストロング、マイルス・ディビス、ジョン・コルトレーン・・・・。彼らは演奏しながらひらめきを感じていた。自分も同じだ。「なぁソニー、音楽がなかったら、面白いことなんかあるか」とセロニアス・モンクは、よく話しかけてきた。「そうだよ。その通りだ」と答えていた。--

演奏はできないけど、私も音楽がなかったら、面白いことなんてなんもありませんもん。それにしても、新鮮で心が弾む曲を即興で演奏できたら、どんなに素敵でしょうか。

--振り返れば、ジャズは抗議運動そのものだった。第2次世界大戦から帰国した黒人兵は、米国での自分たちの待遇が捕虜のドイツ兵以下だと気づいたんだ。黒人音楽も「見せ物」扱いだった。--

ジャズが「見せ物」から脱却したのは、そんなに昔の話ではないのですね。いまだにくすぶり続ける人種問題、ニューオリンズの惨事を見るにつけ、考えさせられます。
日本好きのロリンズですが、亡くなった奥さんと「長旅はもうおしまいにしよう」と約束をしたそうで、10月11月の来日が最後になるそうです。

--サックスを吹くのは今は1日2時間くらい。アルバムはたくさん出したが完璧だと思ったことはないね。到達したい演奏を目指してまだ練習している段階だ。人生と同じで、できるかどうかわからないが、精いっぱいやってみることだ。--

と締めくくっていました。「できるかどうかわからないけど、精いっぱいやってみる」これが一番難しいことなんですよね。
75才ソニー・ロリンズ、彼はやっぱり素敵なジャズ・ヒーローでした。

今日の一枚は、「サキコロ」ではなく、「ウエイ・アウト・ウエスト」を選ばせていただきました。I'MAN OLD COWHAND の「テケタカ、テケタカ」という出だしが、なんとも私は好きなのですが

WAY OUT WEST / SONNY ROLLINS
1957年3月7日録音
SONNY ROLLINS(ts) RAY BROWN(b) SHELLY MANNE(ds)
1.I'M AN OLD COWHAND
2.SOLITUDE
3.COME,GONE
4.WAGON WHEELS
5.THERE IS NO GREATER LOVE
6.WAY OUT WEST

追伸、
先週はおとなしくしていた金曜日ですが、今日は高校時代からの友人2人と飲みに出かけてきます。「我が酒道に、今だ到達点は見えず」といったところです。

堪忍は無事長久の基

2005年09月08日 | g-i

最近、仕事先でも飲み屋さんでも、さすがに選挙の話が話題によくあがります。
今日は、選挙の話から政治の話に、政治の話から政治家の話に、政治家の話から何故か天下人の話へと話題が進みました。

「小泉さんが、織田信長にたとえられてこの前話されてましたね。」
「器はそうとう違うと思うけどね。」
「ところで、バブさんは、信長と秀吉と家康、誰が好きですか?」
じつによく聞かれる質問です。

こんなとき、私は徳川家康の「御遺訓」の話をします。

「人の一生は重荷を負いて 遠き道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもえば不足無し
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基
いかりは敵とおもえ
勝つことばかり知りて負けることをしらざれば害その身にいたる
おのれを責めて人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり」

「遺訓にこんな戒めを残す家康には、やはりとうていかなわないんじゃないかなぁ、なんて俺は思ってるけどね」

目の前の天下取りに目的を置かず、死後、数百年の長い世界に目的を定める、だから「堪忍は無事長久の基」なのでしょう。
過激な改革を推し進めた信長、工夫に重きを置いた秀吉、遠くへ視線を見据えた家康、あなたは、どの天下人が好きでしょうか?

今、私たちが生きているのは、戦国時代ではありませんが、今度の選挙も、私は遠くを見定める家康のような目も持ちながら投票へ出かけたいと思っています。

今度の選挙でどうも腑に落ちないことがあります、サマワへ派兵されている自衛隊員の方々が投票できないという事実です。彼らの問題も大変大きな問題だと思うのですが、当事者の彼らが投票できないというのはどうにも納得がいきません。
まぁ、私が怒ってもしょうがないのかも知れませんが

駐留軍つながりで
今日は、米軍兵として日本に駐留していたハンプトン・ホースの一枚です。
駐留中、ジャム・セッションを通して日本のミュージシャンとも多く交流をしていたハンプトン・ホースは、「馬さん」と呼ばれ、日本ジャズの急激な進歩に貢献しました。

HAMPTON HAWES, VOL.1 : THE TRIO
1955年6月28日録音
HAMPTON HAWES(p) RED MITCHELL(b) CHUCK THOMPSON(ds)
1.I GOT RHYTHM
2.WHAT IS THIS THING CALLED LOVE
3.BLUES THE MOST
4.SO IN LOVE
5.FEELIN' FINE
6.HAMP'S BLUES
7.EASY LIVING
8.ALL THE THINGS YOU ARE
9.THESE FOOLISH THINGS
10.CARIOCA

追伸、
1.自衛隊のサマワへの派兵と表現しましたが、派遣が正しいとおしかりを受けそうです、この表現は、個人的見解です。
2.家康の遺訓としてご紹介した一文ですが、じつは、水戸光圀が書いたものを後に家康の遺訓としたという説もあります。