JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

『ちぐさ』もまた

2006年12月08日 | a-c

昨日、どうしても時間がとれずに持って行けなかった「孤軍」を、今日マスターに届けてきました。
「バブさん、そういえばこの前話してた『ちぐさ』が閉店になるみたいだよ」
「えっ!ほんとに?」
帰ってさっそく調べてみると「ジャズ育んだ横浜の「ちぐさ」、来月閉店へ」の記事を発見、ガセネタではありませんでした。

横浜野毛の『ちぐさ』といえば、誰もが知る『ジャズ喫茶』の老舗中の老舗。
私も、横浜在住時代には幾度となく利用させていただきました。

昭和8年、二十歳の吉田衛(よしだ まもる)氏は美術輸出品の荷造り業をしていた父親から、当時では大金だったでしょう、千円をもらい、純喫茶『ちぐさ』を居抜きのまま650円で買い取り、SP盤千枚で営業を始めたのでした。
その後、吉田氏は出征、昭和21年6月に復員しますが、店もレコード・コレクションも焼失しておりました。途方にくれたでしょうね。
しかし、焼け野原に流れる進駐軍放送のジャズを聴いて、ジャズ喫茶『ちぐさ』の復活を決意、以後亡くなる平成6年10月30日まで、頑なな彼のポリシーのもと店を守り通してこられたのです。その後は妹さん、孝子さんが店を続けておられましたが、店を含む一帯のビル建築計画が持ち上がり、閉店を決断されたのだそうです。

メニューにアルコール類は存在せず、窓際と壁際に客が一列に並んで座り、真ん中に並ぶJBLのスピーカーから流れ出るジャズをひたすらに聴く、琺瑯びきの灰皿に揺らぐ煙草の煙が、ただただ懐かしく思い出されます。
私が幸せだったのは、あの頑固親父が健在なうちにこのお店を利用できたことでしょうか。

私がえらい落ち込んでいたときに、お付き合いをしていた彼女ではないのですが、私の様子を心配してくれた女性(ひと)がいて、
「今日は、私が付き合ってあげるから、好きなとこに行きましょう。」(変な意味じゃなくてですよ・・・笑)
中華街で食事をして、飲みにでも行こうかとも思ったのですが、無性にジャズが聴きたくなって、ジャズにまったく興味のない彼女を『ちぐさ』に連れて行ったことがありました。
3時間もの間、一言も発せずジャズに聴き入り、彼女のこともほったらかし、店を出ると
「少しは気が晴れた?」と彼女、その後も私にしっかりお付き合いをしてくれましたっけ。
どうして私は彼女といっしょにならなかったんでしょう?、今思えば、とても素敵な女性だったのに・・・・・・M美さん、どうしてるかなぁ・・・・・・・って、
それはさておき、『ちぐさ』はそんな青春の良き思い出も残るお店なのです。

また一つ、老舗の『ジャズ喫茶』が消えてしまうことは、「ジャズは『ジャズ喫茶』で聴くもんだぁ!」世代の一人として、とても残念でなりません。しかし、何十年も行っていない私が、「なんで、やめちゃうのぉ~~」と言える義理もなく、横浜の思い出とともに私の宝箱にしまい置きましょう。

ちなみに、貴重なレコード・コレクションをどうするかに関しては、現在、孝子さんや常連客で話し合いが続いているそうであります。できればパブリックな形で利用されることを期待したいと思います。

さて、今日の一枚ですけど、M美さんはほったらかしだったくせに、吉田氏に手渡されたリクエスト・カードで、その時しっかりリクエストしたのが、このアルバムのA面だったと思います。(よく憶えてるでしょ)
たぶん、落ち込んでいたので少し陽気になろうと思ったのでしょうね。「THIS HERE」が終わって、テケテケテーテーテーってサム・ジョーンズのベースが鳴り始め、ドコドンってルイ・ヘイスが加わって、ジャジャってティモンズのピアノが重なり、パッパーラララってアダレイ兄弟がはいってきた頃には、私のうつ状態もかなり改善されていたのを憶えています。(いやはや単純)

ともかく、今でも楽しく聴けるアルバムです。

THE CANNONBALL ADDERLEY QUINTET IN SAN FRANCISCO
1959年10月18,20日録音
CANNONBALL ADDERLEY(as) NAT ADDERLEY(cor) BOBBY TIMMONS(p) SAM JONES(b) LOUIS HAYES(ds)
1.THIS HERE
2.SPONTANEOUS COMBUSTION
3.HI-FLY
4.YOU GOT IT !
5.BOHEMIA AFTER DARK

追伸、
私も閉店前に一度おじゃましたいと思うのですが、現実は難しい状況です。お近くにお住まいの方で、行く機会がありましたら、その時のお話しをお聞かせいただければと思います。よろしくお願いします。