毎日のできごとの反省

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池上彰氏の民主主義危機論

2015-10-10 16:05:06 | Weblog

 平成27年9月28日の日経新聞に池上氏が、安保法案の採決について、60年安保との比較論を書いていた。事実関係に誤りはないのだが、都合のよい部分だけ取り上げている。60年安保は、一方的なものだったのを改正する良いものだったから、当初は一般市民は反対しなかったのだが、衆議院で座り込む反対派議員をごぼう抜きにして強行採決したから、民主主義の危機だと怒った学生や市民が国会を取り囲んだ、という。強行採決したのは、米大統領の訪日に合わせて条約の批准書を交換するため、急いだからである、というのだ。

 ここに書かれたことに間違いはない。ところが、結果ばかりで原因が書かれてないのである。強行採決しなければならなかったのは、急いだせいばかりではない。反対派議員が物理的に採決できないように妨害したからである。良き改定である、というのなら、何故反対派議員はそこまでしたのだろうか、という疑問を持たないのだろうか。

 当時は冷戦の時代である。反対の理由のひとつは戦争に巻き込まれる、というものであり、強行採決以前から、いわゆる市民にも反対運動はあった。今では、ソ連が日米同盟を阻止するために、社会党、共産党、総評などに指示と援助を与えて、反対させたことが明らかにらされている。この中には、事実上のソ連のスパイである、誓約帰国者も含まれている。

 国会周辺のデモの学生にも、多数の過激派が含まれている。デモは単に民主主義を守る、というのに限られず、反米闘争の様相を帯びていたのである。つまり根本的には、米ソの冷戦に巻き込まれたのであるが、池上氏は語らない。

 池上氏が60年安保闘争を持ち出したのは、今回の安保法制のデモとのアナロジーを言いたかったのである。自民党が今回も衆議院で強行採決した結果、若者たちが民主主義の危機だ、と感じてデモに集まった、というのである。その上安倍総理は米国議会で、夏までに安保関連法案を成立させると演説したから採決を急いだ、という類似点もあるという。

 この経緯にも、池上氏が書かないことがある。衆議院での審議の際に、民主党は自民党の渡辺衆議院議員への妨害作戦計画のメモまで作って妨害し、怪我までさせたのである。強行採決が民主主義の危機だ、というが、事前に審議妨害計画まで立てて、賛成派議員に怪我をさせることが、民主主義の危機でなくて、何だろう。

 参議院でも、反対派議員は自民党の女性議員を投げ飛ばし、怪我をさせている。混乱の中で自民党議員も暴力をふるったとされるが、程度は遥かに軽い。国会の中であろうと外であろうと、人に暴力をふるって怪我をさせるのは、明白な犯罪である。まして、法律を作る国会議員が犯罪を公然と犯すのは、それこそ民主主義の破壊である。民主党は、国会の中での暴力行為は犯罪ではない、という法律でも作るが良かろう

 採決を急いだ、というが今回の国会は戦後最長で、いくつかの法案の審議も止めたのであるから、短期の審議ではないどころか、充分時間はかけている。しかし野党は、戦争法案だとか徴兵制になる、とかレッテル貼りや虚偽で混乱させるだけで、内容の実質審議は極めて少ないものになった。議会の機能を著しく低下させる行為である。強行採決が民主主義の危機だと言うが、そもそも法的手続きに則って審議可決するのを、物理的に阻止することこそ、議会制民主主義の破壊であろう。

 60年安保の際には、良き改定だったから市民の反対は盛り上がらなかったが、強行採決したから、デモが広がったと池上氏は言う。ところが当時デモに参加した人たちは、良い改定であった、などというものはなかったのである。池上氏が良い改定だったと言うのは、現時点だから言える言葉である。

 それならば、池上氏は安保関連法は良いものなのに、強行採決したからデモが広がった、とでも言うのだろうか。そうではない。このコラムでは60年安保では良否の評価をしたのに、今回の件では評価をしないのである。池上氏はこのコラムでは、評価していないが、別のところでは評価を下しているのに違いないのであるのに。

 また、安保改定が終わると、国民の政治への関心は急速に薄れ、高度経済成長に国民の関心が移ったと言って、同様に「今後はアベノミクスを前面に出せば、国民は政治を忘れ、経済に関心を移す」と安倍首相はきっとこう思っていると断言する。総理を馬鹿にした話だが、結局は国民も馬鹿にしている。日本国民は経済に目を奪われて、政治を忘れた、という愚かな行為をした実績がある、と言っているのである。