毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

ゴッホは素人画家である

2019-06-21 19:54:21 | 芸術

 ゴッホは素人画家である、と言ったらすべての人怒るか、あるいは笑い転げるだろう。だが考えてみるがよい。玄人すなわちプロとは何か。プロとは自らの技芸で生計を立てている、というのが最低限の条件であろう。必ずしもその人の技芸の質が高いか否かは問われないのである。

 例えば歌手を考えてみよう。素人にもプロの歌手顔負けのうまい人はいくらでもいる。だがそれでもプロの歌手とは誰も呼ぶまい。下手くそと言われようが、可愛いだけが取り柄のアイドル歌手であろうが、どさまわりしかなかろうが、それで生活費を稼いでいる以上は立派なプロであろう。場合によっては生活費が足らずに困って副業をしている場合もあろう。それでも収入の多くを歌で稼げばプロ歌手である。

 逆にサラリーマンが副業に歌を歌って稼いでも、生活の補助にしかならなければプロとは言うまい。歌手志望のサラリーマンが、生活の安定を捨てプロの歌手になるのに不安を感じる、と言うのは生計を歌の道で稼ぐプロの生活への不安である。

 さてゴッホである。ゴッホは生前売れた絵はたった1枚しかなかったというのは有名な話である。その他の絵には人にあげても見向きもされなかったものさえあるという。彼の生活を支えていたのは弟であった。親が子供を養うように、弟に養われていたのである。これでゴッホはプロの画家ではなかったという意味は理解いただけたと思う。

ゴッホの絵は現代では真筆であれば、億単位で取引されている。このことを不思議に思うわないのだろうか。ゴッホが現在取引されている価格の何百分の一でもいいから、生前のゴッホの手に入れば、彼は生活に困窮することはなかったのである。それでは売れなかったのはなぜか。要するに社会の人々にニーズがなかったら売れなかったのである。売れない以上はプロではない。趣味の絵かきは今でもいくらでもいる。その中にはとびきり上手な人もいる。それはあくまでも趣味の人であつて、プロではない。
 
さてこの屁理屈は単なる思い付きではない。私は芸術とは、ある意味で社会に役に立つものだと言う芸術論を信じている。あまりに奇異だと思われる人、興味のある人はこのブログの下記のURLのホームページにアクセスしていただきたい。

このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧下さい。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿