この本は話題になった原田伊織氏の「明治維新という過ち」のシリーズに対する回答のように思われる。原田氏のシリーズに対する小生の疑問をかなり解いてくれているからである。副題は「江戸の発展と維新成功の謎を『経済の掟』で解明する」である。この副題は反面でかのシリーズの真逆になる。
江戸時代は通説と従来の評価とは異なり、案外明るい良い時代であった、というのは定説になりつつあるように思われるが、それを経済学の立場からきちんと説明しているのが面白い。原田氏の著作では不明瞭だった、こうすれば江戸幕府が改革を達成して日本政府に脱皮して、列強に伍していく可能性があった、という点を説明している。
江戸幕府が変革に失敗したのは、成長していった日本の身体(経済)に、幕府という衣服が合わなくなったので、脱ぎ捨てて新しい衣服(明治新政府)に着替えた(P101)というたとえは絶妙である。実質的に貨幣経済に移行しているのに、税は年貢米という金本位制ならぬ米本位制を維持し、徴税権もほとんどが各藩が持ち、幕府はわずかしか持たないために、政府としての事業を行おうとする時に、各藩に強制せざるを得ない、という歪が拡大していったのである。
田沼意次のように、これらの改革を行おうとする幕閣は失脚させられる、という始末で、討幕と言う大変革なしには、江戸幕府の政治的欠陥を修正することはできなかったのである。この本は「経済で読み解く大東亜戦争」の続編であるが、繰り返すが原田氏の維新否定説に対する回答でもあるように思われる。
それは「・・・公武合体では、結局揺り戻しのリスクは排除できない。長州は直観的にそれに気づき『気合(狂気)』で国を変えようとし、薩摩は持ち前の『リアリズム』によって途中でそれに気づき、一桑会から寝返ったと私は推測します。(P273)」と書いているからである。原田氏は維新政府を薩摩と長州の藩閥に過ぎないと批判し、特に長州のテロの狂気を問題にしているのである。