伊藤博文などの明治の元勲と言われる人たちの多くは下級武士の出身である。ふと下級武士上がりの明治の元勲は、どうやって誇りを維持していたのか、という疑問を抱いた。そう思っていたら、たまたま読んでいた会田雄次氏の「勝者の条件」(中公文庫)にひとつの答えがあった。
「優越感こそ成功者の倫理」というのである。人間は幼児の時から、自分で変えられない出自などの環境に優越感がないと成功者にはなれない、というのである(P212)。「むかしから成功した人間-これは立身出世という狭い意味でなく、革命家でも宗教家でも何でもよい、とにかく人々の真の指導者になった人という意味だが-の出身は、伝説的に下層とはいわれていても、そのほとんどが、実はそうでなかったことが明らかにされる傾向にある。」
ヨーロッパやアメリカは日本より遥かに階層社会である、と言われているが、最下層の人間でも成功者は、その階層における指導的地位にあったというのである。要するに何らかの優越感が必要で、劣等感だけの人間は成功できない、というのである。その例は豊臣秀吉で、出身は最下層の百姓であっても、名主百姓の出身で、百姓仲間でなら村の支配層であった、ということである。
そのプライドを持っていたことが秀吉の幸運である。そして秀吉が真に天才的なのは、与えられた階層のトップに安住せずに、さらに上の武士の世界に飛び込む挑戦をしたことである。そう考えると、明治の元勲は下級武士と言われても、百姓より上の武士である、という優越感が彼等を支えていた、という結論になる。単に劣等感だけでは、成功者になれない、というのは本当であろう。成功者になると言わずとも、そもそも人間がまともに生きるには、劣等感だけではだめだ、というのも本当であろう、と思うのである。