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書評・世界史から見た大東亜戦争_アジアに与えた大東亜戦争の衝撃・吉本貞昭

2016-04-02 14:57:45 | 大東亜戦争

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 副題から分かるように、大東亜戦争が、アジア各国に独立ばかりではなく、その後の国家にも与えた影響を各国ごとに詳しく述べている。類書もあるが比較的丁寧に書かれた方であり、辞書的に読むこともできるだろう。西欧列強の世界侵略のスタートから初めて、幕末から日露戦争までが、前史として書かれているのは、一見蛇足だが、全体の流れを考えると納得できる。

 そのなかで、いくつか初めて知ったことを紹介する。マゼランは太平洋を横断しフィリピンに達して、セブ島のマクタン島で原住民と戦って死ぬが、日露戦争以前で白人に有色人種が勝った、最初の戦いなのだそうである。そこでセブ島では、この日を記念して毎年「・・・マゼラン撃退の記念式典や模擬戦闘を行っているという。(P22)」いつから始まったか書かれていないが、アメリカ大陸「発見」などという言葉に最近異議が唱えられているのと同様、よい傾向である。

 日本は清国と朝鮮の独立と改革について争ったのだが、欧米列国の公使に対して、朝鮮の中立化のための国際会議を提案していたが、清国から琉球問題を持ち出されて、頓挫した(P84)というのだが、いい発想である。ただ、当時は清国の力が大きいとみなされていたから失敗したのであろう。日清戦争に勝ったから、この構想は現実化しそうだが、清国弱しとみたロシアが南下して来たのだから、日清間の調整がうまくいっても結局はダメになったのであろう。

 日清戦争の日本の勝利は、フィリピンの独立の闘士のアギナルドにも刺激を与え、日本の国旗や連隊旗を真似た革命軍旗を作って戦った(P97)のだが、日露戦争以前に日本の勝利に勇気づけられたアジア人はいたのである。

 司馬遼太郎が、乃木大将を無能よばわりしていたことが間違いであった、という説は最近定着しつつある様に思われるが、本書でも「第三軍が強襲法」をしたことで、無駄な戦死者を出したと批判する司馬に対して、乃木が坑道戦術に切り替えたのは、ヨーロッパで同じ戦術が広く使われるようになったのは、10年後の第一次大戦中盤からであったから、乃木の戦術転換は「かなり先進的なものであった(P112)」のだそうである。二百三高地などの映画でも、坑道戦術が描かれているが、画期的なものとしては描かれていないが、やはり戦史を確認しなければならないのだろう。

 シンガポールのファラパークで、五万人のインド兵に対して、F機関の藤原機関長がインドの解放と独立を呼び掛ける演説をしたが、INAを裁くデリーの軍事法廷で、弁護側が最も活用したのが、このファラパーク・スピーチであった(P244)のだが、インパール作戦とともに、インド独立にいかに日本が貢献したか、の証左である。インパール作戦が悲惨な面ばかりではなく、インド独立に貢献したこと大である、と日本で公然と語られるようになったのは、そんなに昔からではない。

 南機関はビルマ独立義勇軍(BIA)を編成して、日本軍とは別行動でビルマ領内に入ることを、第十五軍に協議したのだが、機関長はビルマで徴兵、徴税、徴発をしながら進むと主張した。軍はこれらは住民に迷惑をかけるからと反対した。BIAがビルマに入れば徴兵しなくてもどんどん人は集まると説得したが、徴発に対してはあくまで反対で、軍票をやるから勝手に徴発するな(P324)と言った。誠に日本軍は軍規厳正だったのである。

 大東亜会議は重光葵が東條首相に提案した、という事になっていると思う。少なくとも日本人自身の提案だったと考えられている。ところが本書によれば「・・・この国際会議は、東條首相がフィリピンを訪問したときに面会したマニュエル・ロハスの発案によるものであった。(P511)」というのである。これはチェックしてみたい。

 ちなみに不思議なミスが1か所ある。山下奉文将軍の名に「ともふみ」とルビをふってある。「ともゆき」と読むのであることは、大東亜戦史を少しでもかじったことがあれば知っている。だから筆者のミスではないかも知れない。ちなみに歴史書で、最近西郷従道の名前を「つぐみち」とルビをふってあるのを見て意外に思ったのと同じである。もちろん「じゅうどう」である。

 谷干城にも似たような話がある。戸籍上の名前は「たてき」なのだが、本人も国家干城の意味から「かんじょう」の読みを好み、子孫もそう読みならわしている(谷干城・小林和幸)そうである。もっとも西郷は名前の読み方に無頓着で、どう呼ばれても間違っているなどと言いもしなかったそうだから、うんちくを述べる小生の方がせこいのである。だから本書のミスも本質的なものではないから、どうでもよい。 



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