毎日のできごとの反省

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伝統継承のふたつの意味

2016-08-14 15:19:38 | 文化

 日本画の大御所の伊東深水は、鏑木清方らに続く、浮世絵の歌川派の系統の美人画の正統な後継だと言われる。一方で歌舞伎は日本の伝統芸能の正統な伝承である。果たしてこの二つの正統な後継や伝承の意味は全く異なる

 まず、歌舞伎である。絵画や映画と違い歌舞伎は、音楽と同様に今再現しなければ、かつて演じられていた歌舞伎の演目を見ることはできない。これは絵画が完成してニ百年前の作品であろうと、眼前に常に同じものが存在することが出来るのと全く状況が異なる。

 歌舞伎の伝統の正統な伝承とは、江戸時代に演じられていた歌舞伎の忠実な再現である。極論を言えば、生きた人間を使って江戸時代に演じられていた演目を極力忠実に再現する人間テープレコーダである。実際には役者の個性や伝承の間に微妙な変化が生まれて、当時のものとは実際には異なるのも当然である。

 歌舞伎の新作が作られて同じ役者が演じていた時代ですら、役者の技量や解釈の微妙な変化で、全く同じように演じること自体があり得ない。これは現代の舞台劇でも同様であろう。しかし、歌舞伎が昔演じられていた当時のものの、極力忠実な再現が基本的目的である、ということに変わりはない。

 まれに新作の歌舞伎として、現代の世相を歌舞伎の手法で演ずるものもある。それは例外であって、おそらく永遠に主流とはならない。歌舞伎は江戸時代のある時期までの世相を反映することが出来たが、その後の変化に歌舞伎と言う演劇形式が追従するのに限界が生じた。歌舞伎は古典芸能として固定化したものの再現が常態となったのである。

 絵画の世界はそうではない。保存状態の良し悪しで、完璧とは言えないにしても、広重でも写楽でも彼らの作品を当時の彼らの作品そのものを見ることができる。では、伊東深水が歌川の美人画の正統な後継と言われるのは何か。歌川国芳などの浮世絵の技法の基本を使って、新作を作り出したことである。歌舞伎のように基本が古典のコピーなのではなく、あくまでも現代に新作を描いていることに本質がある。

 だがここには大いなる落とし穴がある。歌川国芳らの当時の浮世絵師は、自らの生きている時代を活写したのである。伊東は明治の中期以降に生まれ、大東亜戦争から30年近く生きている。なるほど初期には伊藤の描く和服美人と風景もあったろう。しかし実際には、それを活写したのではなく、美人にしても風景にしても浮世絵の全盛期を想起させるものを描いている。

 これは浮世絵師が同時代を描いていたのとは異なる、一種の懐古趣味である。伊東の時代はまだ、市井には、和服美人が多くいた。だから単なる懐古趣味には見えなかったが、伊東の作品が好まれたのは、あくまでも現代の描写ではなく懐古趣味の部分であった。だから伊東が歌川派から伝承したのは肉筆浮世絵の画材と技法の部分であって、同時代を活写する、という根本の精神ではない。

 それは伊東の責任ではない。伝統的日本画という技法が、既に伊東の生きた時代を活写するのには限界に達してしまったのである。まして技法を忠実に継承しようとすればするほど限界がある。日本画に近いと言う意味では、現代日本で可能性を秘めているのは、恐ろしく未熟と言われようとアニメとコミックであろう。だがこれらは、歌川派が存在した絵画と言う分野からは外れている、新しい分野である。そもそも現代日本どころか、世界中にも古典的な意味での絵画と言う分野の存在価値は極めて少なくなっている。

 伊東は辛うじて存在意義が認められる最後の時代に生きていただけ、幸せだったといえよう。伝統芸能としての歌舞伎は、現代と言う時代に適合することはできなくなっているものの、芸術の再現、つまり保存の必要性からの存在価値は充分にある。しかし、伝統的日本画は、同時代を表現することができない以上存在価値はない。ただし、日本画の応用で時代を表現することが可能となり、社会のニーズを見つければ再び存在価値が出る。最大の難関は後者である。社会的ニーズとは展覧会に出品することでは絶対にない。



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