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日本人に「宗教」は要らない・ネルケ無方・ベスト新書

2014-05-17 13:05:11 | 文化

 日本人には「宗教心」がないのではなくて、キリスト教のような教義がなくても、自然に宗教心を体現しているのだと自然に語っている。キリスト教をよく知っている元プロテスタントの言うことだから、真実味がある。そしてキリスト教やイスラム教は他の宗教や神を否定し、争うが日本人は寛容であるという。

 平易に説明しており一読の価値はあり、具体的な説明は必要はない。日本人よりも日本の宗教心を理解している、とは言えるが、ドイツ人らしい残滓はある。ヒトラーを徹底して否定して、ドイツ民族を擁護する。ドイツの移民問題も、極めて軽く扱っているのは故意が感じられる。

 人生の苦しみを受け入れよ、とか独善を否定しているが、この手の立派んな人格の宗教人に共通する疑問がある。道徳心や正義感に基づく怒りをどうしたらいいのか、ということである。例えば「『大心』とは、海のような深い心、山のような大きな心のこと。海が、『綺麗な川だけ流れてきてほしい。汚い川はこないで!』と選り好みしたら、大きな海にはならない。海は、すべての川を自分の中に受け入れている。」(P208)と書くが、これを実践できるのだろうか。

 ここには汚れの原因は書いていない。従ってネルケ氏は違法な廃液を工場が垂れ流しても受け入れろ、といっているに等しい。そんなことは寛容な日本ですらしてこなかったし、対策をしたのは正しい。もし、違法でないにしても健康上の限度というものがあるから、法律で規制するように運動するであろう。それには、正義感による怒りも後押ししているであろう。そうでなければ、昭和40年代の公害はなくならずに健康被害はなくならない。人間にはこうした最低限の正義感というものは必要なのである。

しかし、確かに正義というものは相対的なものである。ある人には正しく、あるものには正しくない、ということはある。相対的なものだから諦めよ、というわけにはいかない。現実には怒りもある。それを貫徹したことが日本の公害を減らし、暮らしやすい日本を作ったのも事実である。

例に挙げたメルケ氏の言葉では、これにどう対処したら分からないのである。実は多くの仏教関係の本を読んでも、この点に言及しないので役に立たない。むしろ過激かも知れないが、キリスト教の方が神の名のもとにおける正義を認めるから、行動規範となれると言えないこともないのである。


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