毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

左翼全体主義考(3)左翼は全体主義である(最終版)

2019-07-25 16:05:44 | 共産主義

(3)-1 戦後の共産主義

 戦後日本の共産主義は、政府がGHQに抑え込まれたことにより、拡大した。一つは無力だった刑務所にいた共産主義者の釈放による登場と、戦前の潜伏共産主義者や偽装転向者との合流による共産党と社会党という共産主義政党の結成。二つ目は共産主義学者やジャーナリストの復活である。学者の中には家永三郎のように、戦前は皇道主義を唱えていたものが、時局に乗って、共産主義的言動をするようになった者も少なからずいた。朝日新聞などのジャーナリズムは、元々いた隠れ共産主義者が復活すると同時に、GHQの弾圧によって朝日新聞のみならず、一般スコミは左傾化していったのは、時勢に阿っていたのだが、世代が変わると左傾言論は「社是」となっていった。

 三つめは共産主義系労働組合である。共産主義労働組合の主力は、国鉄、国家機関、公教育者の労働組合である。これらを官公労とすれば、民間会社は自社が潰れたては困るから過激な左翼運動はあまり出来ず、官公労が主体となったのは自然な成り行きである。こうしてGHQによる自虐史観が、マスコミや政党に跋扈し、公然とした言論は自虐史観しかなかった。子供の頃の小生の周囲は、残虐な日本軍のイメージとは程遠い人たちばかりであったから、自虐史観にあまりの不自然さを感じていて、戦前の日本人の行動の弁明を求めた。

 従って、自虐史観しかなかったとしても、常に疑問を持つことが多かったため、自虐史観にどっぷり浸かることはなかったと思う。しかし、維新以後の戦前日本の行動を具体的事実を持って、肯定的に評価するには二十年は要したと思う。大平洋戦争という、教科書の用語から脱したのも時間はかかった。父母が決して「太平洋戦争」とは言わず大東亜戦争、と言っていたのを子供心に不可解に思っていた。

小生は「大東亜戦争」が自然と言えるように、逆洗脳を自らかけていたのである。従って、今では「太平洋戦争」と言うか「大東亜戦争」と言うかを、ある人物の歴史観を判定するリトマス試験紙にしている。いかに立派な論を説こうとも、太平洋戦争と表記する限り、GHQの洗脳の呪縛から解けきれていないと判定する

閑話休題。敗戦から長い間、マスコミもジャーナリズムも公に出るものは左翼的であったにも拘わらず、保守と目された保守合同後の自民党政権が、共産党や社会党などの官公労の共産主義の者の支持する政党に政権を譲ることはなかった。戦前の事情を知っていた日本人が、大勢を占めていた時代には、表面に現れていた左翼的思潮に騙されることはなかった。時に自民党が腐敗すると社会党に票が流れることがあっても、国民の投票結果は、共産主義政党に政権を渡そうとはしなかったのである。ただし西尾幹二氏によれば、自民党は保守主義者だけの政党ではなく、自民党議員の思想の配分が、国民全体の思想配分に等しいから、大勢として結果的に保守政党であった、という。これは正しい分析だと思われる。自民党にも加藤紘一のような共産主義もいたのである。

その後、昭和四〇年代頃からであろうか、「諸君」などの雑誌等によって、戦前の日本に対する弁明が始まるようになって、小生は貪るように読んだものであったが、世間の表層に現れた思潮は相変わらずであった。しかも徒弟制度で凝り固まった日本の学会は、自虐史観に席巻されていたと見え、一方で学問の府である大学は左翼思想で非ずんば、人に非ずという風潮であったろう。

 政界の決定的な転機はやはり、ベルリンの壁の崩壊に続く、ソ連の崩壊であろう。ここで思潮の流れをはやまって読んだ、重要な転機をもたらす人物がいた。小沢一郎である。今でも小沢の行動を軽視する傾向が強いが、現在に至る日本の政界を混乱に陥れている、という意味で小沢の存在と罪は大きい。自民党の一党政権を一党独裁と批判する輩には、自民党に対抗できる保守政党は必要不可欠である。

ソ連の崩壊とともに、共産主義は死んだに等しいと小沢は思ったのである。共産主義が死んだということになれば、共産主義政党はいずれ消滅する。とすれば自民党に類した保守政党による二大政党政治の実現が現実になる、と踏んだのだ。そこで、自民党が共産主義政党を圧する前に、自民党を割って、保守政党を作って政権の受け皿にすることにした。

ところがどっこい、共産主義政党は消滅しなかった。小沢は見切りが早過ぎたのだ。国民一般は共産主義は間違いであることを実感したのだが、共産主義政党の支持基盤である、官公労は健在であった。社会党はほとんど崩壊したが、共産党は健在で官公労の票を集めた。官公労の票の受け皿は、民主党、民進党、立憲民主党などと名前が変わっても、官公労が堅固な支持基盤であるのに変わりはない。

看板だけ自由主義で、支持組織は共産主義であった民主党は、一時国民の眼を欺いて、政権を獲得するに至ったが、あまりの拙劣さで失敗し、自民党以外の健全な保守政党を求めた無党派層国民は離れていって現在に経っている。結局立憲民主党は、官公労などの共産主義の支持に等しいだけの勢力しか得られないのである。小沢は今や、選挙に強いという都市伝説の主となって、反自民の頼みの綱になっているに過ぎない。政治生命は終えたし、政治信念は何も残っていない。

ところが変わらないのは新聞マスコミである。相変わらず朝日新聞は自虐さを増した。それどころではない。新たなマスコミの旗手となったテレビは、反権力を装った、共産主義者の牙城になったのに等しい。例えば意味のないモリカケ問題では、地デジ全局が何の根拠もないのに「安倍夫妻疑惑」を垂れ流した。一方で、テレビ離れした層のメディアである、インターネットの世界でも左翼的言論が拡散した。ネトウヨと呼ばれる層も根強いが、ヤフーニュースは徐々に左翼的傾向を増しているように思われる。また学者層では、公的に登場する憲法学者は全員が、自衛隊違憲論者である、というように学問の徒弟制度から、左翼の牙城となっている。

 

(3)-2 左翼全体主義による言論弾圧

さて本論である。マルクス主義の前提のひとつは、共産主義に至る道は普遍的な歴史的経過であって、共産主義社会は必ず到来し、そこで歴史は終わる、ということである。それから類推して、「ソ連」を成立させたマルクス・レーニン主義は科学的社会主義であると言った。その意味は、科学だから「絶対的に正しい」ということである。これは20世紀初頭の誤謬である。科学だから「絶対的に正しい」とは限らないことは、現代の科学者なら誰でも知っている。ニュートン力学は相対性理論から見れば、近似解を与えるに過ぎないことが分かっているのである。

しかしマルクス主義においては、そのことが勝手に独り歩きしていった。ソ連ではマルクス・レーニン主義以外の思想は禁じられた。唯一全体正義のマルクス・レーニン主義以外の思想を信じることは、罪であるとされた。コミンテルンの支部として作られた各国共産党においてもマルクス・レーニン主義だけが正しい思想だとして、それ以外は排除された。ソ連においては、非マルクス・レーニン主義は弾圧された。内心の自由はないのである。

日本でも同様であった。宮本顕治は仲間とともに裏切り者を粛清した。これがマルクス・レーニン主義における正義である。テレビのインタビューで、共産主義の日本の泰斗である故向坂逸郎は、共産主義政権が出来たら共産主義思想以外の思想の者をどうしますか、と聞かれた。向坂は「弾圧する」と断定した。向坂は正直で共産主義に忠実だったのに過ぎない。共産主義すなわち極左思想を持つ者は異論を許さない全体主義者である。

 

①  戦前の状況

 戦前は自由主義的思想が弾圧された、とされている。天皇機関説や自由主義者の河合榮治郎らの大学からの排除である。この厳しさは安政の大獄以来のことで、日本で苛烈に思想によって弾圧するのは例外であったように思われる。中川八洋氏によれば、戦前に弾圧に回った側は、実は多くが共産主義者である。ゾルゲ事件はスパイ事件であって、思想弾圧ではない。

 しかもゾルゲや尾崎秀実に連なるはずの多くの人々、すなわち共産主義の群れは、逮捕されずに闇に消えた。ゾルゲ事件の全貌は明かされていない。キーマンであった近衛文麿は自殺して、全てを隠して死んだ。しかし、これは共産主義ネットワークによる隠ぺいのための殺害であると言う説がある。これらを要するに、戦前の極端な思想弾圧は、実は右翼に偽装した共産主義者の仕業ではないか、という仮説に小生はたどりついた。

 思想的に比較的寛容な日本人による、苛烈な弾圧は他に説明がつかないのである。安政の大獄は攘夷派と佐幕派のテロルの応酬であり、権力闘争であって思想弾圧ではない。信長の宗教弾圧も思想問題ではなく、武装仏教の解体による政教分離であった。これらすら欧米や中国の宗教弾圧や権力闘争に比べれば可愛いものである。これに比べ、戦前の極端な思想弾圧は、非日本的な匂いがする。そこで現代に移る。

 

②  現代の左翼全体主義

①  では戦前の思想弾圧が、右翼に偽装した共産主義者の仕業ではないか、という仮説をたてた。マルクスは愛国心を肯定した国際的労働組合、すなわち第二インターナショナルの綱領作成に関与したと言われている。従って、必ずしもマルクス自身は当面は国家を否定してはいなかった。しかし、マルクスの共産主義と労働者の国際的連帯と言う発想は、元々世界はひとつである、という夢想的アナーキズムにつながってしまう要因があったのではなかろうか、と思う。

 それはソ連による第三インターナショナル、すなわちコミンテルンとして利用されてしまった。世界の労働者は各国において、ソ連を祖国とする共産主義に忠誠を誓うと言うものである。つまり各国の共産主義者と労働者は、ソ連に利用されることとなった。ソ連が崩壊した結果、忠誠を誓うべき祖国はなくなったのである。恐らく日本の共産主義者に支配される労働組合はとりあえず、中共に忠誠を誓うことにしたのではなかろうか。

 日本を否定する以上、ソ連に代わる国外で従うべき国家権力が必要となったからである。反日である以上、帰属する国家権力が必要なのである。マルクス主義に胚胎していた、共産主義絶対視の傾向は、マルクス・レーニン主義により確固たるものとなった。小生の知己のある共産主義者は、若い頃雑談で、「俺達は正しいのだから、手段は悪であっても良い」、という意味のことを言ったので唖然としたことがある。ところが昨今のジャーナリズムやインターネットの状況を見ると、この言葉は真実味を帯びてきたのである。

 例えば杉田水脈氏は、ある雑誌でLGBTは生産性がない、という意味のことを書いてバッシングされ、その雑誌が翌月号でその特集を組むと、雑誌もバッシングを受け廃刊を余儀なくされた。ひどいことに例の菅直人氏は似たような発言を何年も前にしたのに、何の問題にもされなかったのである。杉田氏は保守で菅氏は左翼と看做されたからである。ジャーナリストや学者、政治家などで保守ゆえに左翼からバッシングを受けてひどい目にあった、例はいくらでもある。小川榮太郎氏などは、新聞社から、言論ではなく言論機関にあるまじき、裁判という報復を受けている。

 かつては改憲をいうだけで非難される状況があったが、さすがにそのような状況はなくなった。しかし、左翼による言葉狩りのような傾向は、特にテレビマスコミにおいてひどくなっているように思われる。繰り返すが、マルクス・レーニン主義に淵源を持つ日本の左翼は本質的に、言論の自由を認めない全体主義的傾向が強い。彼らの言う言論の自由とは、左翼思想の範囲内での言論の自由なのである。

 百田直樹氏や櫻井よしこ氏などが講演をキャンセルされたことがあり、そのような例はいくらでもある。ところが、左翼論者が同じような目に遭ったことは極めて少ないし、そんなことがあれば、テレビマスコミが一斉に唱和して思想弾圧だと騒ぐから、できないのである。令和元年の参議院選挙の際には安倍首相の演説の際に集団でやじを飛ばし、演説を聞かせなかった。警察も止めないので、ある人がスマホで動画を撮ったら、集団の一人が、携帯を奪って壊した。ここに至って、初めて警察は動いたのである。その後の安倍首相の演説でも集団がヤジで妨害したので、警察が排除した。前回の件で学習したのである。ところが、朝日新聞はこのことを「警察による言論弾圧」と記事にした。朝日新聞も、ヤジ集団も左翼である。自分たちは悪い安部の言動を阻止した正義の行動をしたのである。選挙妨害ではなく「絶対正義」なのである。

何度でも言う。左翼・共産主義者は思想統制を是とする、全体主義者である。そのことは、実は戦前から続いているのである。インターネットは大丈夫と言うなかれ。中共の例でわかるように、インターネットは、言論の自由にも寄与するが、全体主義の思想統制には最適な道具なのである。

自由主義者は言う。「君たちの言論は間違っている、しかし君たちの言論の自由は生命を賭して守る。」と。共産主義物は言う。「君たちの言論は間違っている、だから君たちの言論を弾圧する。」と。

尼港事件の犠牲者は壁に共産主義は我らの敵と血書して絶命した。その叫びを今聞くべき時である。

このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧ください。

 


左翼全体主義考(2)日本の共産主義

2019-07-25 16:05:27 | 共産主義

左翼全体主義考(2)日本の共産主義

(2)日本の共産主義

(2)-1 共産主義と社会主義

ここで、便宜上共産主義と社会主義の概念の相違について書く。本稿全てにおいてそうであるように、これらの定義は全て小生によるものである。皆さんは既にご存知と思うが、後の議論のためと、小生の頭の整理のために書くのである。

社会主義とは、共産主義と比較すれば、広い概念である。現実に存在する共産主義国家から、共産主義のうち計画経済と私有財産の否定を基準として考えると分かりやすい。社会主義の最も左翼を、計画経済と私有財産の否定と考えれば、共産主義は社会主義の一部に含まれる。現在の資本主義社会では、全く国家統制のない自由勝手な経済政策はあり得ない。例えば賃金においては最低賃金制度があり、国家が推奨する分野においては補助金を出したりする経済政策も、一歩計画経済に近づいたという意味においては、社会主義的であるといえる。

私有財産の否定の中間はないかといえばそうではない。高額の相続税や固定資産税である。資産家から取ったこれらの税金は福祉などという形で低所得者に配分される。資産家の財産は、相続税として奪われるのである。税率が高くなればなるほど共産主義的であると言える。要するに共産主義に近ければ左翼的ないし、より社会主義的となる。

だから社会主義とは相対的な概念である。だから資本主義国家においても民主社会主義、というような理念を党是とした社会主義政党が存在するのは、そのような理由である。自由主義とも言われる資本主義と共産主義を除いた社会主義とは何か、である。上記の説明と共産主義の定義を比較すれば分かるであろう。信教の自由と思想の自由というふたつの「自由」があるのが、共産主義を除いた社会主義である。思想の自由からは、結社の自由が導かれ、結社の自由からは政党の自由が生まれる。

政党の自由からは議会制民主主義が生まれる。こうして、資本主義国家においては、議会制民主主義国家が生まれる。ところが、運営の実態上からは、ロシアは本当に資本主義国家なのか、という疑念がある。民主的な手続きを経てエリツィンから権力を得たプーチンは、長期間権力を維持し続けているばかりではない。私有財産保有の自由はあるものの、建前上言論統制がなく議会はあるものの、ジャーナリストの暗殺という形で、実質的に言論の自由が奪われているに等しい。つまり資本主義ではあるものの自由主義とは言えない。

ここに、資本主義と自由主義の乖離する例がみられる。このような例は、発展途上国では多く見られる。ロシアは科学技術はともかくとして、政治的には前近代的な要素の残滓が多い例である。結局国家体制と言うものは、支配民族の性格のくびきから逃れられないものであるとだけ言っておこう。中共についてはさらにややこしいが、深入りの必要がないので、やはり支配民族の性格によるものとだけ言っておこう。

 

(2)-2 戦前まで

 日本の共産主義はもちろん、欧米の思潮の影響を受けたものである。概括的に述べれば、マルクスの著作が日本に入ってきたのが、共産主義の始まりだと言える。日本においては共産主義は、皇室を否定する危険思想として、政府は一貫して排除する姿勢をとってきた。検閲や、かの治安維持法である。こうして共産主義は危険思想として禁止された、ということになっている。

ところが不可解なことに、日本人による社会主義色の濃い、あるいは共産主義に基づく出版物は、共産主義と名を付けない限り、ほとんど野放しにされたに等しい。例えば「改造」などという雑誌がそうである。改造はマルクス主義思想家の巣窟となり、廃刊させられたのは、なんと終戦直前であった位、野放しにされていた。輪をかけて不可解なのは、マルクスの著作が堂々と出版されていたことである。コミンテルンの地下活動と相まってマルクスなどの著作を読んだ帝大生などのエリート層にも共産主義しそうははびこっていった。

この乖離は不可解と言うよりは、大間抜けに等しい。アメリカが言論思想の自由の建前から、共産主義者が跋扈していたのは理解できない訳ではないが、国策として日独防共協定まで結んで、共産主義を天敵扱いしていた日本では、矛盾の極致である。しかもゾルゲ事件という大事件を経た後でも、軍や政治家、思想家の中には、共産主義者が残ったのである。米国がレッドパージ後、政治における共産主義者が徹底排除されたのとは著しい違いである。

ここで特筆すべきは、北一輝である。彼は大川周明とともに、民間右翼のボスと言われた存在である。これはかの中川八洋氏の示唆と小生の読書の結果から言う。大川はいざ知らす、北は共産主義者だったのである。書架に見当たらないので記憶で書くが、「日本改造法大綱」によれば、骨子はふたつ、「国民の天皇」と「私有財産の上限を何万円(現在なら数億円)かにする」というものである。

国民の天皇ということは、カモフラージュである。よく考えれば天皇は国民のものだと言うのだから、国民が廃止しようとすればできるのである。現代の日本共産党と変わりはない。私有財産の上限と言うのは、私有財産の禁止を合理的に実施する手段である。前述のように完全な私有財産の廃止と言うのは、日常の生活を考えれば不可能だから、制限すれば生活に支障のない範囲で私有財産が禁止できる、という訳である。

北は軍人の一部と組んで統制経済を推進すべきと主張していた。しかも統帥権の干犯などという統制的言辞を発明して、政党を持って政党を弾圧せんとしたのである。これらを総合すると北は「天皇制廃止」「私有財産の禁止」「言論弾圧」「計画経済」と言うソ連の真似事を日本に導入しようとしたのが本質と言わざるを得ない。北は共産主義者である

 

北ばかりではない。スパイ尾崎秀実ばかりではなく、陸海軍の幹部にもソ連の計画経済のインチキな成果に魅惑されて、統制経済を推進する者は多かった。統制経済とは、ソ連の計画経済と同じではまずいと思ったカモフラージュであろう。そして言論統制が強まった。不思議なことに言論統制は、自由主義者である、河合榮次郎にも及んだのである。国体明朝として行われた言論弾圧には、結果からすれば共産主義者よりも、河合榮次郎のような天皇の崇敬者の方が被害が大きかったのではなかろうかと疑う。

つまり計画経済をベースに陸軍の一部の地下にも潜った、共産主義者の活動家に都合のよい言論弾圧ではなかろうかと疑うのである。ゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実らのソ連のスパイは人身御供であって、親ソ共産主義の御本尊は政治家や軍人の中に公然と残されていたのである。徳田球一らの共産党員ら幹部は、根こそぎ逮捕されて、皆が戦地で戦死傷する中、刑務所で不自由なく暮らしていた。実は「転向者」とされる人物の多くは公然と社会に出て活動をした。

ここで整理すると、戦前の共産主義者には、三種類の系統があったように思われる。ひとつめは、コミンテルン日本支部として創設された共産党だが、逮捕拘留されて戦後GHQが釈放するまで実質的に活動はできなかった。ただし、逮捕されたが転向を誓約して、釈放されたもののうちの一部が隠れ共産主義者として活動している。

ふたつめは、尾崎秀実らゾルゲなどのコミンテルンの指示を受けて活動をしていたグループで、政権中枢に食い込んで支那事変を煽動するなどしていたグループである。三つめはソ連の計画経済にあこがれた軍人グループや、民間浪人や学者などのグループである。このグループには、第二のグループと連携をしていたものとそうではないものがいたであろう。例えば米内光政は、陸軍の大勢が支那事変拡大反対であったにもかかわらず、突如強硬意見を主張して、支那事変を拡大した。彼はロシア通であったために、ハニートラップにかかって籠絡されていた、という説さえある。

第二のグループは、特に近衛内閣の中枢に食い込んでいて、支那事変から対米戦争へと誘導したとみられている。しかし、ゾルゲ事件で一部が逮捕処刑されたものの、戦後、近衛が自殺したために全貌は明らかになっていない。そのため近衛は殺害説すら出ている始末である。

戦前の厳しかったと言われる思想統制の大本は共産主義者で、思想統制の対象は巧妙に自由主義者に対して行われていたのではないか、という仮説を小生は持つに至った。これについては最後に述べたい。

このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧ください。


左翼全体主義考(1)共産主義とは

2019-07-25 16:04:26 | 共産主義

このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧ください。

左翼全体主義考(1)共産主義とは

(1)-1 共産主義とは

 日本における左翼の全体主義的傾向と、それに起因する言論の抑圧の甚だしさについて、共産主義とはいかなるものか、ということから始めて、言論抑圧の必然性を考えてみよう。特に近年、日本において左翼による言論抑圧の傾向が強まっているように感じられるからである。まずは共産主義とはいかなるものか、である。

 日本の左翼とは、共産主義者ないし、そのシンパである、と定義する。共産主義とは何か。この点に関してはソ連と言う「共産主義全体主義国家」が崩壊した今となっては、原点にかえって考えるしかない。というのは、ソ連はマルクス(マルクスとエンゲルス:以下省略)の共産主義を現実化するために、マルクス・レーニン主義という理論を考え、実践した。これは政権奪取においては暴力革命を、暴力革命の実施にあたっては、プロレタリアートは共産主義の前衛たる共産党の指導を仰ぐ、というものである。

国家の運営に当たっては、共産党一党独裁体制における、宗教の否定、私有財産制の否定と計画経済によることとした。これがソ連およびその「衛星国家」と言われる東欧諸国の基本原則であった。アジアにおいては、中共その他の「共産主義国家」が誕生したが、元々はソ連の傀儡政権であったが、誕生以降はアジアにおける古代からの専制王朝の様相を呈して現在に至っている。そしてソ連が崩壊して以来、日本の左翼が故郷と仰いだ、共産主義の御本尊が消え、一般大衆からも共産主義に対する幻想が崩壊したから、左翼も崩壊したはずであるが、そうはならなかったのである。

マルクス・レーニン主義とは、マルクスのいう共産主義国家を実現するために、マルクスから逸脱したものである。マルクスは革命とは言ったが、合法ではないにしても必ずしもレーニンが行ったような殺戮をも当然とする革命とは明言はしてはいなかった。マルクスは共産主義者がプロレタリア階級を指導することを示唆したが、労働者を愚民扱いするに等しい「前衛」などという言葉は使ってはいない。

確かにマルクスは、私有財産制度と宗教を否定した。この点は明らかである。しかし、共産党一党独裁については、論理的必然性からしてそうなることは明らかだが、共産党一党独裁についても明言はしてはいない。まして計画経済だとか、統制経済など言うものについては、マルクスはむしろ否定的であるとさえ思える。労働者「階級」が、生産用の資材を保有し、自由に働くことを求めていたようでさえある。

結局のところ、現実の共産主義国家、ソ連邦を実現するために、レーニンはマルクスにはない発明をしたのである。しかし、現実の共産主義国家を実現運営するには暴力革命も、共産党一党独裁も、計画経済も必然となった、と考えざるを得ない。たとえマルクスが生きていてそれらを否定しようが、これらの悲惨な現実は実にマルクス自身が考えたことに淵源を有すると言わざるを得ないのである。

唐突だが、後々のため、皇室と共産主義体制の関係について一言する。天皇は権力を分離して、権威として存在するようになった。だから武家政治でも明治の中央集権的国家体制にも矛盾なく適合した。維新国家は事実上立憲君主制となったが、それとも矛盾はしない。その意味で天皇をいただいた共産主義体制は天皇の側からはあり得る

しかし、共産主義は、絶対君主を否定する。従って、共産主義者から見れば、天皇は認められないのである。マルクスの理論の帰結は、権威と権力の分離などということは認められない。マルクス主義が科学的社会主義として、宗教を否定したから、宗教と同じく権威の源泉である天皇は認められないのである。結局のところ共産主義体制は、天皇制を否定しなければならないのである。たとえ天皇の側から共産主義を受け入れられても、共産主義者は、それを認めない

 

(1)-2 マルクスの理論

 順は逆になってしまったが、なぜマルクスは私有財産の否定などに至ったかを示したい。マルクスの共産主義への道や共産主義について考えていた事は、端的に「賃労働と資本」と「共産党宣言」の二著がもっとも理解に適切であろう。資本論は、英国の資本主義社会の悲惨を描いたものであって、共産主義の理論を書いたものではないからである。

マルクス主義理論のエッセンスは「賃労働と資本」に書かれている。それは剰余価値説である。その理論は単純なもので、全ての工場生産品の価値は、労働者による労働のみによってだけ生まれる、というのが理論の絶対的前提である。価値が労働だけからしか生まれないとすれば、それによって収入を得る、資本家は労働者が生み出した価値を搾取している、ということになる。

労働者の生み出した価値とは何か。価値とは、労働に要した時間に相当する労働者の生活費である。マルクスの理論からは、資本家は労働者の生み出した価値の全てを労働者に分配すべきであるが、資本家が雇用しているために、そうとはならない。しかも労働者は生活のために、より低い賃金でも雇用されることを求める。あくまでも資本家の地位は揺るがないので、搾取はより多くなるようにしかならない。

労働者の窮乏は激しくなる一方である窮乏が際限なくひどくなって、頂点に達すると革命が起き、労働者が権力を奪取する。従って、革命は資本主義が高度に発展した社会においてだけ起きる。それを媒介するのが共産主義者である。あけすけに言えばマルクスの考えた理論の根幹はこれだけの事なのである。

このことからマルクスはいくつかの事を敷衍する。革命は歴史的必然から生まれるものである。従って、この歩みは絶対的真理である。このことを後の共産革命の実践者は科学的社会主義であると呼んだ。科学のように普遍的真実だ、というわけである。これを否定する者を弾圧する、という考え方はここに起因する。また宗教は労働者の窮乏を、精神的に救済するものである。だからマルクスは宗教をアヘンに等しいものである、と言った。宗教は否定された。

資本家は資産によって工場を経営し、労働者を搾取するから、私有財産は搾取の手段である。従って財産の私有は禁止し、労働者の共有であるものとする。注意を有するのは価値を生むのは、工場の労働者によってのみ生まれるから、マルクスの言う労働者とは、一般に言うところの工場労働者だけである。農民も商人も価値を生み出さないから、マルクス理論においては労働者ではないという帰結となる。ソ連において、医師や技術者が低賃金におかれたのは、その実践である。レーニンはマルクスの理論に現実を合わせようとしたのである。

 

(1)-3 マルクスの理論の現実との乖離

 これだけシンプルにマルクスの理論を見ると、今の目で見ると現実と甚だしく乖離しているのは分かるであろう。明瞭なのは、労働者には工場労働者以外の、農民、商人などは労働者としてカウントされない、ということである。現代の共産主義者はそのことは語らない。現実と乖離しているから都合が悪いからである。農民はや商人は労働者ではなく中産階級であると、マルクスは明言している

 このことをレーニンは徹底して悪用した。ソ連は西欧諸国より工業部門で立ち遅れた。近代兵器生産ができないのである。そこで行われたのが飢餓輸出である。重化学工業に投入する資本を得るために、農民から農産物を奪って資金を得て、あたかも計画経済が大躍進したように宣伝した。しかし、そのために農村では餓死者が出たのである。

 マルクスの言う資本家とは、自ら資本を持ち工場を経営する者のことである。現実にはこのような者が大勢を占めたのは資本主義社会においては、ごく初期の段階だけであった。その後の大資本においては、経営者自身が工場などの資産を自ら保有することなど不可能な規模に発達したのである。現在社会で経営者が自ら資産を持って工員を雇う、などというのは規模の小さい町工場でしかない。

 現在の日本の共産主義者が応援する中小企業とは、マルクスの言う、労働者を搾取する資本家そのものである。マルクスが見た当時の英国での資本家とは、その程度の発展段階のものでしかなかった。マルクスは、それが全てである、として理論を組み立てたからこのようになってしまったのである。そして科学的社会主義として、宗教を否定したから、このような矛盾はなきものとされた。

 共産主義社会の最も不可解なのは、私有財産の否定である。私有財産とは何か、を考えれば分かる。金銭、不動産、その他の資産である。金も家もなければ、人間はどうやって生活すればいいのだろうか。食料を買うのにすら金が要る。金がなくて生活できる、近代社会とは何であろうか。どんなに単細胞が考えても不可解極まりない。現にソ連にも金銭はあったのである。

 このようにマルクスの理論ですら、普通に考えるだけで、現実に適合しない事ばかりである。ところがこれを多くの学識あるはずの人が大真面目に信じたのである。否、ソ連が崩壊した今でも信じている人がいる。マルクス主義批判をする人ですら、マルクスの理論は巧妙精緻であるという。どうしたことだろう。それは数学を考えてみればわかる。

数学とは現実を数量化した普遍的なものである、と考えがちだがそうではない。数学とはいくつかの仮説(公理)を立てて、仮説を論理的に展開して、公理系を作る。公理系の中で矛盾が生じなければ、その公理系は成立することになる。

例えば、負の数の二乗は必ず正の数になる。これが一般的常識である。ところが数学者は二乗すると、負の数となる「虚数」という概念を発明した。これを加減乗除した数学を展開しても、矛盾が生じないことを発見した。これが虚数の世界である。現実から直観すると奇異だが、このような数学の世界は存在する。しかも、虚数を使った数学は、流体力学や伝熱工学といった現実を理論的に解析するのに有効なのである。

マルクス主義批判をする人ですら、マルクスの理論は巧妙精緻であるといったのは、このようなことではなかろうか。理論の中では矛盾のない体系が構築できるのである。しかし、  虚数を使った数学が、流体力学や伝熱工学といった現実を理論的に解析するのに有効なのに対して、マルクスの作った理論体系は、現実世界に適用は出来なかった、それだけのことではなかろうか、と思うのである。それで現代のマルクス主義者は、マルクスの作った架空の世界に生きているのであろう。それどころか、日本のマルクス主義者は現実をマルクス理論に合わせることを夢見ているのではなかろうか。その一端が言論抑圧という形で露呈しているのだと小生は思う。