毎日のできごとの反省

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書評・日本兵を殺した父・デール・マハリッジ・原書房

2019-07-20 14:09:07 | 大東亜戦争

 太平洋戦線で戦った、元海兵隊の息子が書いたもので、父の部隊の戦友たちにインタビューなどしてまとめたものである。公式文書は残っていないものの、多くの図書でも明らかにされているように、太平洋戦線で米軍は、上官から捕虜をとるなと命令され実行している。特に海兵隊は徹底していたと言われている。しかし、著者の父は戦闘でただ一人の日本兵を射殺しただけである。読後の全般の印象だが圧倒的戦力で日本軍を蹴散らしたと考えられている、ガダルカナル、グァム、沖縄などの戦闘で米地上軍は苦しい戦いを強いられていたということである。

海兵隊には日本女性を強姦する癖のあるものがいる。(P62)強姦は2人が証言しているが、ばれても絞首刑にもならず、上官の教唆などにより足を撃って病院送りになって刑を免れている。12人の証言者のほとんどが、投降した日本兵を殺害したり、負傷して息のある日本兵を撃ったりナイフでとどめをさしたことを証言している。「アメリカ軍は日本兵が最後のひとりまで闘ったと宣伝し、多くの歴史家もそれを信じている。」(P87)というのが嘘なのだ。日本兵にも白旗や手を挙げて投降したものが多くいたが、皆殺してしまった。それが知れ渡ると当然投降者は減って死に物狂いで闘うしか無くなる。

捕虜の殺害には、皆で石をぶつけて殺したと言う非道なものさえある。誤解による殺人もある。陰部を切り取られて胸の上に置かれている海兵隊員を発見した。近くにいた日本兵を犯人として撃ち殺した。(P106)同様な事件が起こったが、調査隊が調べると海兵隊員は手劉弾で死んだこと、陰部は手榴弾で吹き飛ばされたことが分かった。(P122)日本人には死体の陰部を切り取る趣味はない

人種偏見も露骨である。「捕虜が極端に少ないのは、こちらが生きのびるにはそうするしかなかったからだ。敵は確実に殺せと部下に教えこむ必要があった-やつらは異教徒みたいなものだ。ジャップを殺すのは、油断のならないガラガラ蛇を退治するのと同じだった。ヨーロッパではこんな気持ちにはならなかった。ドイツ兵でも、こいつにも家族がいるんだと思ったよ。だけどジャップは別だ。ガラガラ蛇を殺すような気持だった。」(P143)というのだから日本人は獣扱いである。そもそも「アメリカ軍のほうも捕虜を連れて移動する体制をとっていなかった。」(P144)のだからバターン死の行進どころではない、移動させするのが面倒で殺してしまったのだ。

反対に日本人に好意的な見方をする兵士もいた。中国の青島に行って、日本兵の降伏に立ち会うとホフマンという兵士は、「中国人は泥棒や詐欺師の集団だった。だが日本人はひたすら礼儀正しく、私たちが正式に引き継ぐまで秩序をしっかり維持していた。」(P256)前に紹介したのは黄色人種に対する、あらかじめ刷りこまれた偏見であり、後者は現実の中国人と日本人に相対したときの感想であるから当然であろう。

アメリカ兵士の多くがしている不可解な行動がある。既に知られているが、米兵は日本兵の死体から、金歯を抜いて集める者が多いのだ。酷いのは、生きているものから抜く場合もたまにある。いずれにしても、偶然ではなく多くの兵士が、このような行動をとるのは理解不能である。また死体から耳を削ぎ取るのも例外ではないようだ。これはベトナム戦争でも行われたが、自分の戦果を誇示するための様である。戦後欧米の行動の間違いに気付く者もいる。「アメリカ、ヨーロッパ諸国、イギリスがみんな中国を狙っていて、ジャップをのけ者にしようとした。日本人はこう言いたかったんだ-おい、なんで俺たちを締め出すんだ?パイのひと切れをもらったっていいだろう?資源の取り合い、要するにそういうことだ。戦争はそこから始まるんだよ。」(P268)と戦後勉強したブラザーズという元兵士の言葉である。

沖縄で闘った米兵は、ワセリンではないと消せない白燐手劉弾を使った。「燐の炎は衣服を燃やし、肉を焼いて骨に達した。その苦しみようはすさまじく、とくに子供は見ていられない。二人の海兵隊員が大声で笑っていた。極限の恐怖に耐えきれず、残忍さをむき出しにしている。」(P210)これが人道的な米兵の姿である。消す手段がない、燐という「科学的」兵器で合理的に残虐行為を行うのが米軍の特色である。

著者はアメリカの過去の批判も厳しい。グアムを征服すると、ある上院議員は「我々は世界の交易を手中に収めてしかるべきでありましょう・・・これはアメリカが果たすべき神聖な使命であり、我々に利益をもたらし、人間に許される最大の栄光と幸福を実現するものであります。」(P82)と演説した。すなわち世界征服宣言を公然と行ったのである。白人のマジョリティーの精神とは、今もかくのごときものである。

米西戦争でフィリピンを騙して奪うと「アメリカ支配を良しとしない人びとが反乱を起こしたが、アメリカ軍兵士は彼らを虐殺し、囚人を処刑し、水責めの拷問で何千人も死に至らしめた。」(P82)イラク戦争でも米軍は水責めの拷問をした。水責めはアメリカ人の得意技であるようだ。「この国は戦争が好きなんだ・・・土地を手に入れるためにインディアンと闘った。カリフォルニア欲しさにメキシコを敵に回して、まんまとものにした。」(P182)と著者がインタビューした元海兵隊員が語っている。

これらの米兵の残虐行為に対して、沖縄の日本人の証言は全く異なる。アメリカ兵に連れられて行った日本人は応急措置を受けたことを感謝して「これが日本兵だったら、殺されるか、放置されて死ぬかどっちかだったな。」(P315)というのだ。どの日本人の証言も似たようなものである。この日米の認識の落差が沖縄の反戦運動の淵源である。だが矛盾であろう。米兵は人道的であり、日本兵が非人道的であるのなら、なぜ反米基地闘争をするのであろう。もちろん中国の謀略に踊らされている面もあろう。だが本当は米軍も残忍に日本の民間人を殺したことを心底のどこかに、記憶しているのではなかろうか。

筆者はある沖縄女性のインタビューに関して「直接会って話を聞いたときにはあえて反論しなかったが、アメリカが近代戦で民間人に配慮していたという大西正子の主張は誤りだ。大国アメリカの歴史を振りかえると、軍部も市民も民間人の犠牲は看過してきた。沖縄でもそうだったし、いまも変らない。」(P363)という。これが事実である。だからこそ、多数の父と同じ部隊の元海兵隊員をインタビューしたなかから信憑性のおける12人の証言だけをセレクトしたと言う、検証をおろそかにしないはずの著者が、でたらめな、アイリス・チャンの本を読んで、南京大虐殺について疑いもしないのだ(P364)。つまり、米軍だってグアムで、沖縄で、イラクで民間人を虐殺した。だから日本軍だって同じなのだと思うのだ。筆者はアイリス・チャンの友人だったそうである。ピューリッツアー賞を受けたほどのジャーナリストで、本書の証言に慎重にチェックをしたものを選んだほどの著者ですら、彼女のでたらめを信じている。まして他の米国人一般は推して知るべしであろう。