毎日のできごとの反省

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現場からの中国論・大西広著

2019-07-05 21:38:25 | 支那大陸論

 

 

 結論から言うと、見方を間違えれば、ここまで誤った認識が生じる、と言うことの典型である。そして野蛮な中共政府が日本人にとって、素晴らしい政権という真逆に見えるという錯誤が起きるかという見本である。筆者は何度も中共にいき、民衆にもインタビューしているらしい(タイトルの「現場からの」はその意味だろう)のに、何と堂々たる騙され方をするのである。

 

 例えばチベットに関する見方である。著者はチベットへの中共軍の侵略を中共政府が言う通り、農奴制からの解放という理由を素直に信じているから恐ろしい。

 

 解放前のチベットがいかに野蛮な社会経済システムをもっていたかは、この農奴制からの解放をチベット人民が当時確かに歓迎したことによって確認できる。(P68)

 

のだそうである。セブンイヤーズインチベット、という映画はチベットに突然入りこんできた人民解放軍が、狡猾な手段と暴力でチベットを占領したことを当時チベットに住んでいた西洋人の目で語った映画である。それにもかかわらず、この映画を見たある女優は、、中国の田舎を描いた素晴らしい映画だと評している。思い込みによってここまで目が曇ることがあるのだ。著者がチベット人民が人民解放軍を歓迎したというのは、チベットの民衆から聞き取ったものであろう。著者はこっそり聞きとったのではなく、中共政府が派遣した通訳を通して聞いたのであろう。著者は中共が徹底した言論統制の厳しい国であり、もし民衆が人民解放軍は恐ろしかった、などと言えば拘束されて拷問されるか殺される、などと言う事には思い至らないのである。何せ

 

 日本ではあまり気楽に「中国の言論統制はけしからん」と言うが、その言論統制によってわれわれ日本人への反感が抑えられているという現実も知らなければならない。(P126)

 

 と言うのだから。西欧の植民地支配は今表だって語られるより遥かに過酷なものであった。それが反西欧感情として表れないのと比べると、中国だけ何故現在でも反日感情が強いのであろうか。それは中国の若者の反日感情なるものが中共政府の教育と言論統制によって作られたものだからである。過去の暴虐の記憶による他民族への怨恨感情は時間がたつと潜伏し鎮静化する事はあっても突如過激になることは少ない。例外はミャンマーである。かつてミャンマー政府は英国の統治が過酷であったことを国際社会に訴えた。すると英国はミャンマーを軍事政権として制裁を始めた。そしてアウンサンスー・チー氏を送り込んで「軍事政権」を倒した。こうして英国の植民地支配の声は抑えられたのである。用無しになったアウンサンスーチー氏は、今ロヒンギャ問題で悩まされている。これとて英国の支配がもたらしたものである。

 

著者には、このような事情を理解しようとさえしない。中国における反日感情なるものは、支配者の都合で作られたものである。それが過大になるとかえって反政府感情のはけ口になるために、言論統制で適度に抑えるのである。つまりマッチポンプである。著者の認識は、言論の自由は都合によって弾圧してもかまわない、と言っているのに等しい恐ろしいものである。言論統制によってわれわれ日本人への反感が抑えられているという現実、とは何たる言い草か。言論統制により反日が抑えられてもありがたくはない。中共政府は、反日が過激になると反中共政府運動になるから押さえているのをご存じないのか

 

また、この農奴制で存在した野蛮な拷問や刑罰も批判の対象となっている。これは「農奴の怒り」と入れてネットを検索すれば誰でも見られることであるが、生きた人間の皮を剥いだり、目を刳り抜いたりといった身の毛もよだつ野蛮なものであった。・・・また「人権」を主張する者が人民解放軍による「解放」を非難できないことも確認しておきたい。(P68)というのだ。

確かにホームページには「塑像群《農奴の怒り》」[北京 外文出版社(1977年)と言うのが載っていてまえがきがあり、中に虐殺の犠牲者の人骨や手を切られた人の骨とか、生きたままはぎ取られた人の皮の展示写真がある。これが本物だという証拠はどこにあるのだろうか。本当にチベット人が行ったものであろうか。参考になるのが「図説 中国酷刑史」である。昔の中国での残虐な刑罰が数々示されていて見るに堪えないほどである。それには眼えぐり、と言うのがある。凌遅と言う簡単に殺さずに苦痛を長引かせる恐ろしい刑罰がある。手を切断したり、体中の表面の肉を切り削いだりしているものがあり、西洋人が撮った写真による絵葉書さえ載せられている。

これらを行ったのは漢民族であってチベット人ではない。人は自らの行為でしか想像できない。例えばロボコップ、と言う映画で主人公の警官を足を撃って動けなくして苦痛を与えた挙句とどめをさす、と言う場面がある。これは単なる空想の話ではない。アメリカ人は昔フィリピンの独立の闘士を同じようにして惨殺しているのだ。しかも何日も生かして苦しめてである。つまり中共政府は自分たちがした酷刑をチベット人に投射したのである。著者はチベットで中共政府が弾圧拷問を繰り返し、大量殺人を行っている事には言及しない。それは過去のことではない。現在進行中のことである。残虐なダライラマ支配を倒すために人民解放軍が侵攻したのなら、中共政府の主張するのと同じ残虐行為を今行っているのは何故だろうか。中共政府に比べればダライ・ラマ亡命政府などはごくごく弱い存在に過ぎない。その弱い存在の主張に耳を傾けず、強い中共政府の主張ばかりなぜよく聞くのだろうか。

ダライ・ラマについても

彼についての批判は別に私が始めたわけではない。ダライ・ラマはオウム真理教指導者と何度も会ったり、一億円もの支援金を受け取ったり、合同供養を行ったりして、最後にはオウム真理教の宗教法人としての登録に推薦状を書いているから、日本での「オウム事件」にも責任がある。・・・またCIAから一七〇億ドルもの資金提供を受けていたのも、本人が認めている。このように、とても褒められない残念な経歴をもっている。(P72)

確かに褒められない経歴である。宗教法人になるのを助けたために、オウム事件に責任がある、と言うのなら、そもそも宗教法人として登録させた日本政府に責任がある、と言う馬鹿な事になる。オウムとの関連は、いかにダライ・ラマがおおらかで騙されやすい性格であったことを証明しているのに過ぎない。CIAからの資金提供を受けたのは、亡命政府の困窮からしたことであって好ましいことではなくても止むを得ざることであったと思う。日露戦争の牽制のために、明石元二郎は革命運動家に莫大な資金提供を行っていてロシア革命成功の一助となった。だがその革命運動家たちを今日批判する者がいるであろうか。チャンドラボースは日本が負けると独立運動のためにソ連に亡命しようとした。悪魔に魂を売っても独立を達成しようとしたのである。誰が避難できようか。ダライラマが中共に対抗するためになりふりかまわずアメリカの謀略にのったのは同情してあまりある。ダライ・ラマの亡命政府を悪だと考えて、中共のチベット侵略を擁護する立場だからこのような批判になるのだ。

その後ラサ暴動についてダライラマが関与したとして批判していることなどは中共政府の主張を丸のみしていることの証明でしかない。何故か弱いチベット人が暴動を起こさなければならなかったのか。チベット僧がいかに多く抗議の焼身自殺をしたかしらぬのであろうか。その結果チベット人が過酷な弾圧を受けたのかには想像も至らないのである。そして「暴徒」が寺院に大量に武器を隠していた、と批判する。中共政府にとっては暴徒である。しかし武器があったとしても、政府軍の武器に比べればおもちゃに過ぎない。暴動は止むを得ざる暴発であって、独立運動ですらない。それならば日本支配下の朝鮮における反乱を暴徒のしわざと言うのだろうか。ソ連支配下の国々、あるいはソ連国内でも暴動が起きた。しかし当時のマスコミや知識人はそれに対して批判的であった。そしてソ連崩壊後の現在では収容所群島ソ連と東欧の民主化運動弾圧の真実が明るみに出つつある。当時ソ連を擁護した知識人は、自らの間違いを黙して語らない。そして著者は現在の中共政府の圧政と言論統制には批判の目を向けないのである。

著者は善意の人なのであろう。だが善意で行ったことが必ずしもいい結果を生むとは限らない。まして他国の圧政に利用されればなおさらである。私がソ連が素晴らしい国である、ということを信じなかったのは簡単なことであった。鉄のカーテンと言われるように国内を閉ざし、外国人が自由に出入りてきない国であったからである。ソ連は素晴らしいと言っているが、それならば素晴らしい国をどうして隠す必要があるのか、という単純なことだった。アメリカなら自由に旅行が出来る。その結果悪い所も見ることができる。だから見聞きしたこと自体にそれほど間違いはない。だがソ連は外国人をいいところだけ見せるようにコントロールしていたのである。その極端な例が北朝鮮である。外国人が旅行をできる範囲を限定して、そこを映画のセットのようにすばらしい街を作ってすばらしい人民を演じる役者を配置しているのだ。

だからそこにいる限り、訪問者は北朝鮮を素晴らしい、この世の天国だと誤認する。そのような認識で書かれた日本人学者の本を昔読んだことがある。それによれば飢餓も言論統制も強制収容所も公開処刑もない、それどころか犯罪も起きない国であった。中共のような独裁国家はそのような統制が容易にできる国である。しかもソ連や北朝鮮の嘘がばれているから、やり方は巧妙になっている。まして改革開放などといって外国資本がどんどん入ってくると本当に自由な国なのではないかと錯覚するのである。私は中国に一度も行ったことはない。著者は何度も何度も行って見聞が広いのであろう。だがそれが巧妙にコントロールされたものだから、自由に見聞した結果であると確信しているのであろう。

このように無条件に中共政府の言う事を信じる人たちに共通していることがある。彼らは、毛沢東が行った粛清の何千万ともいわれる大量虐殺やチベット、ウイグルなどの「少数民族」への弾圧拷問虐殺などの非難に対して反論するどころか、そもそも全く言及しないことである。著者は毛沢東について言及していないのではない。毛沢東と「社会主義」と言う章さえ設けているのである。そして次のように説明する。

しかし、こうして建国以前の毛沢東が素晴らしければ素晴らしいほど、それがどうして(一九五七年からの大躍進期と)文化大革命期にあのような「ひどい」指導者となったのか、と多くの人々は疑問に思うだろう。

著者は「ひどい」とはどういうことかその後全く書かないのである。いや書いていないのではない、著者は大躍進や文化大革命についてちゃんと言及している。いずれについても現在考えられる最大限肯定的な評価をしているのである。人民公社はその後の経済成長の基盤を形成したし、文化大革命は権力闘争ではなく「正真正銘の階級闘争であった」と言うのだ。彼にとっては毛沢東による粛清や飢餓による何千万と言う犠牲者はなかったかのようである。著者のいう「ひどい」指導者の毛沢東とはあくまでも「」付きであって本当にひどいとは思っていないのである。中国情報がこれだけ明らかになった現在でも、かつて北京は清潔でハエ一匹いない、と書いた大新聞の幻想と変わらない認識ができる、と言う事実は、人間の先入観はどんな情報を以てしても覆せないことがあることを示している。まして収容所に隔離された千人余の日本人捕虜を洗脳することなど容易な事であったろう。

その後のトランプ政権は、ウイグルに何と100万人の強制収容所があり、民族浄化が行われていると糾弾声明し、これまでの中国幻想と決別し、対決することを明確にした。おそらくこの本著者は、まだ目覚めないのであろう。

 

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