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毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

大和級主砲弾Nの謎

2019-09-04 17:50:27 | 軍事技術

 

              愛知県護国神社の大和の砲弾の写真

世界一の口径の戦艦大和級主砲弾で、小生が実物を見たのは3カ所ある。名古屋の愛知県護国神社、江田島の旧海軍兵学校と靖國神社の遊就館である。愛知県護国神社は参拝した際に、清掃のボランティアの方から、これにはリングにMの刻印があるから本物だ、と言われた。ところが現物を確かめると、実際には「N」だった。そこで現在、日本で唯一大口径戦車砲を製造できる、日本製鋼所のことではないかと信じたのである。

 ところが、「続・海軍製鋼技術物語」というやっかいな本を調べたら、日本海軍の主砲と砲弾は原則、呉海軍工廠の砲填部と砲填部製造で、一部が海軍の指導で設立した、日本製鋼所によったとあった。別資料によれば、大和級主砲砲身18本は全て呉工廠によるもので、残された陸奥の主砲が日本製鋼所とあった。そして前掲書によれば、砲弾の鋼塊(インゴット)には分数が附けてあり、2/6ならば、一回の溶解から6個のインゴットを鋳込んで、その二番目の意味だそうである。

 ちなみに、平成元年頃呉工廠の後継たるIHI呉工場を訪れたが、砲填部と製鋼部の設備はなかった。これらに相当する設備は北海道の日本製鋼所で現在も稼働しているようである。

 閑話休題。手持ちの写真をよく見ると確かに「9/16」の刻印がある。護国神社の砲弾には、このようなリアリティーがある。ところが江田島と遊就館の砲弾を見学したときに銅系の金属製の磨かれたリングを見ても、刻印など一切なかった。さらに奇妙なのは遊就館の砲弾である。どうも口径が小さいように見えたから、通りかかった宮司さんに話した。そして今年の八月に遊就館に行って、砲弾の口径を測らせてくれと受付嬢に言うと、担当者を連れてきた。担当者は慌てた様子で、大和の砲弾は信ぴょう性に疑義があるので、撤去したというのには驚いた。展示されている「武蔵の砲弾」というのを測ったら、18inはあるようであったので狐につままれたような気分がした。

 このように、愛知県護国神社のものにだけに刻印があるのは奇妙である。呉工廠製のものであっても何らかの製造記録の刻印があるのではなかろうか。さらに奇妙なのは写真に愛知県護国神社と遊就館の大和級砲弾の写真を比較すると、遊就館のものは、弾体全体に対する風帽(上の円錐形の部分)の長さが大きすぎる気がする。撮影のアングルもあるのだが。なお、愛知県護国神社のものと江田島のものは、このプロポーションがよく似ている。遊就館のものだけが変なのである。まさかわざわざ偽砲弾は作るまいし、と思うのである。

 このように三カ所の大和級の砲弾には、いくつかの疑問がある。ブログの読者にご存知の方があれば、教えてほしいとお願いするために、この駄文を綴った次第である。

 

出典:続・海軍製鋼技術物語

 副題*米海軍「日本技術調査報告書」を読む

 堀川一男著・アグネ技術センター刊

 日本海軍の装甲鈑のや砲弾の欧米のものとの性能比較が興味深い。ついでに航空機用防弾鋼板の性能もある。単なる金属材料学の知識では読み解けないものが多いが、装甲鈑の知識のある者にとっては宝の山だろう。わずか100頁ながら1600円は専門書である。

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遅働信管の罪

2019-09-03 16:25:09 | 軍事技術

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 兵頭二十八氏の「日本海軍の爆弾」によれば、米海軍の使用した艦爆の信管は遅延時間0.01秒という極めて短いものを多用していたのは、米海軍は空母による攻撃に、敵艦の撃沈を期待していなかったからだと推定している。これは爆弾が命中してすぐに爆発するので破壊効果は大きいが、逆に艦底深くまで到達することはないから、沈没させることは困難であろうと言うのである。

 日本海軍は、0.03秒、0.1秒、0.2秒の三種類の信管を持っていたが、最も遅い0.2秒のものを好んで使用していた。これは米海軍とは逆に艦船の撃沈を期待したからだと言う。しかも装甲貫徹を期待して炸薬量を減らして弾体を厚くしたと言う。そのため、米海軍の1,000ポンド(約450kg)爆弾の炸薬量は、日本海軍の250kg爆弾の2~4倍はある、というのだ。その反面、米軍の爆弾の弾体は強度の高い鋼材を使っていたと言うから、装甲貫徹効果もどちらが優れているかは判然としない。

 そもそも、戦艦の主要装甲が撃速が遅い急降下爆撃で貫徹されるはずもない。真珠湾攻撃で戦艦の装甲を貫徹させるために日本海軍は40cm砲弾を800kg爆弾に改造したものを、中高度からの水平爆撃に使用した。ここまでは兵頭氏の説を紹介しただけである。私には兵頭氏の示した爆弾の遅延時間の数値で、以前から想像していたことが間違っていなかったことが分かったのである。

 例えば以前書評で紹介した「我敵艦ニ突入ス」の記述である。零戦が体当たりしたときに、衝突する側の舷側にいた駆逐艦の乗組員の中には爆発を避けるために反対側に走っていったら、爆弾が船体を突き破ってから爆発したために、かえって被害を受けてしまった、というのである。

 特攻の記録を読むと、このように爆弾が船体を貫通して船体の外で爆発したと言う記録がかなりある。このことを、徹甲爆弾を使用したために、薄い装甲の駆逐艦では、すぐに爆発しなかった、と説明したものを見たことがある。この説明はおかしいのである。装甲が薄いから信管が作動しなかった、という説明なら分かる。だが装甲が薄かろうと、爆発した以上は信管は衝突時に起動したのである。起動した以上は、爆発のタイミングは信管の遅延時間で決まる。

 例えば速度300km/hで爆弾が進むと、0.2秒の間には約16.7mも進む。駆逐艦の船体幅は10m程度だから、船体内で爆発しなくて当然なのである。ちなみに米軍の0.01秒の遅延時間なら、わずか80cm程度で爆発する。桜花が撃沈した、駆逐艦マナート・L・エベールの場合は、機関部などの鉄の塊の多い部分を貫通したために爆弾が減速されたのであろう。

 このことから分かるのは、信管の遅延時間が長いために、せっかく体当たりに成功しても効果が少なかった例がかなりあったと思われるのである。特攻機は戦艦や巡洋艦に体当たりできた例は少なく、ほとんどがレーダーピケットの駆逐艦であった。空母にもかなりの数が体当たりに成功して戦果を上げている。レーダーピケットは特攻機を吸収する目的で配置されていたから当然であるが、空母への体当たりに成功したのは、目標としていたばかりではなく、対空火器が戦艦に比べやや貧弱だったのも原因しているように思われる。

 特攻隊員の心情からすれば、駆逐艦などではなく、戦艦や空母などの大きな相手と刺し違えたい、というのは当然であろう。だが結果論ではあるが、遅延時間の短い信管と炸薬量の多い爆弾を使用した方が効果があったと言わざるを得ない。米軍は艦船の沈没よりも兵士の損耗を恐れていたから、殺傷効果が大きいことが効果的であったから、なおさらであろう。

 ちなみに、戦艦に突入した場合、分厚い装甲に阻まれて爆弾が跳ね返されている場合が多い。現に保存されている米戦艦で特攻機で凹んだ装甲の痕跡を残しているものさえある。戦艦の装甲を想定して遅動信管を用意しながら、そもそも装甲を貫徹できなかった。薄ぺらな装甲の駆逐艦に体当たりした場合には、装甲を貫徹しながら、遅動信管のゆえに船外で爆発したものが多かったのだから、矛盾している。

 特攻は大西瀧治郎のいうように、統帥の外道であり、使うべきではなかった。たとえ通常爆撃しても、どうせ戦果を挙げるためには、撃墜されるとしてもである。決死と必死とは違うのである。もちろん特攻戦士の決意には敬意を払うべきである。大戦末期にあって、特攻のキルレシオは何と1:1という驚異的なものである。つまり1人の犠牲で1人の米兵を倒している。しかし統帥の外道である。それでも使うなら、より確実に戦果を挙げる手法を講じてほしいのは特攻隊員の心情でもあろう。回天が意外に戦果が少ないのは、補給航路の艦戦を攻撃せず、軍港泊地の攻撃に上層部が拘ったせいでもある。兵器の性能と使用法は重要なのである。


航空ガソリンのオクタン価

2019-08-13 07:32:41 | 軍事技術

 ある記事で、大東亜戦争中、日本海軍は92オクタンで陸軍は87オクタンのガソリンを使っていたと書かれていた。だから同一エンジンを使った隼が零戦より最大速度が遅かったのは、これが原因であるというのだが、オクタン価の差があるなら可能性はある。

 しかし誉エンジンは100オクタンを前提に設計されていたとされる。誉を搭載した疾風にも、87オクタンの燃料を使ったのであろうか。そうならブースト圧なり回転数に大幅な制限が加えられていたはずである。するとエンジンの性能は大幅に低下するのは当然である。このことを論じた記事を見ないから小生には実態は不明である。

既にご存じだと思うが、一部の人に誤解があるかも知れないので再度言うが、87オクタン用に設計したエンジンに、100オクタンのハイオクガソリンを使っても、性能が良くなることは一般的にはあり得ない。100オクタン用に設計したエンジンでなければ100オクタンのガソリンを使っても無駄なのである。100オクタンでも87オクタンでも、ガソリンの単位重量当たりの発熱量は同じだから、低オクタンでもハイオクでも、発生エネルギー量自体は変わらないからである。逆に100オクタンで設計されたエンジンに、87オクタンのガソリンを使用すると、前述のように使用制限をしなければならず、本来の性能を発揮できない。こんなことは、今のカーマニアなら当然知っている。レギュラーガソリン用の車に、ガソリンスタンドでハイオクを入れる馬鹿はいないのである。

 オクタン価とは、燃料のアンチノック性能、すなわちノッキングを起こしにくい程度をいう。ある燃料のノッキングを起こす圧縮比が同一の、ノルマル・ヘプタンとイソ・オクタンの混合比燃料の、イソ・オクタンの比率である。87オクタンと言えば、イソ・オクタンが87%の燃料と同じ、アンチノック性能を持つ燃料を言う。細かい説明は省きごく単純化して言えば、オクタン価が高ければ、例えば高圧縮比のエンジンを設計できるから、小型で高馬力を発揮できるのである。

 戦後米軍が、140オクタンのガソリンで日本の軍用機をテストした、という記事が散見されるが、先のオクタン価の定義からすれば、厳密には140オクタンと言うガソリンは存在しない。正確には、パーフォーマンスナンバーと言うが、慣例的にオクタン価と言っているのである。前述のように誉が100オクタンで設計されているとすれば、100オクタンをどれほど超えた燃料を使っても、性能は基本的には、100オクタンの場合と変わらない。ちなみに、同じレシプロエンジンでも、オクタン価はガソリンエンジンにしか適用されず、ディーゼルエンジンはセタン価を使う。

 ちなみに、兵頭二十八氏は「技術戦としての第二次大戦」で自信無げに、レシプロエンジンにはオクタン価が重要なようです、と書いている。カーマニア程度の知識もなく、航空エンジンの優劣を論じているから驚きである。同氏は内燃機関工学のイロハも知らずに、液冷エンジンの空冷エンジンに対する優位性を論じているから、大した度胸というよりは、無知も甚だしい。

 冒頭に簡単に海軍92オクタン、陸軍87オクタンという記事を紹介したが、これは正確ではないのに違いない。時期による変化もあろうし、いくら、補給を単純にするといっても、戦闘機と練習機に同じオクタン価のガソリンを使うのは、コスト面でよろしくないだろう。戦闘機のうちでも誉と栄エンジンでは燃料に要求されるオクタン価が異なる。この辺り陸海軍の運用の実態を正確に示した資料を入手したいと思う次第である。

 ひとつだけ見つけたのが、林譲治氏の「太平洋戦争のロジスティクス」である。P109には、海軍の昭和13年から昭和16年までの各年ごとの「航空燃料所要量」と「航空機と使用燃料」が掲載されており、これが旧日本軍の航空燃料に関して、小生が知る最も詳しいものである。燃料の種類は100オクタン、95~92オクタン、87~85オクタンに分けられている。そして各年ごとに「航空燃料所要量」には燃料の量が「航空機と使用燃料」には各オクタン価ごとに、使用機種として陸攻、艦戦、飛行艇、などと機種ごとに使用区分が示されている貴重なものである。意外だったのが100オクタン燃料があることである。

残念ながら開戦後のデータと陸軍のデータがない。所要量は年を追うごとに高オクタン燃料の比率が増えているから、これは生産量ではなく文字通り必要量なのかも知れない。また同じ機種でも、同一オクタン価だけとは限らないから、エンジンの設計に合わせているのだろう。例えば、榮エンジンは92オクタンで設計されているとみられるが、零戦のほとんどと、九七艦攻の後期型に使われている。

ちなみに、ドイツ空軍は、戦闘用航空機エンジンのほとんどを、87オクタンと比較的低オクタンで統一しているのは、補給の困難さを予見して、100オクタンなどという無理をせずに高性能エンジンをも開発する、という思想をとっていて、日本のように無理をしていない(一部100オクタン用のエンジンも開発されたが大量生産には至らなかった)。このことはイギリスが、機体設計で鋼管溶接羽布張りや木製機など保守的なものを、ジュラルミンのセミモノコックという最新構造設計と併用しているのと相通ずる思想を感じる。

このため、大戦末期に日本が、ジュラルミンの不足から木製に切り替えようとして失敗したという悲劇(喜劇?)を演ずることになる。堀越二郎氏の嘆いた、日本の基礎工業技術の底辺の浅さ狭さというのは紛れもない事実である。

*主な資料:内燃機関工学・粟野誠一・・・今は無き、山海堂の本です。ちなみに、山海堂は、専務が山田さんで、社長が海野さんでした。海山堂では語呂が悪かったのでしょう。山田専務が自ら校正に出向いてくれたのには恐れ入ったことがあります。小生も売れない本の出版をお願いして、山海堂の倒産をはやめた一部を担っていたと思うと反省です(;^_^A

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航研長距離新記録樹立記録・解読

2019-08-05 15:01:25 | 軍事技術

 さすが国会図書館である。昭和二十年十一月号の「A二六長距離機・設計より記録飛行まで」として、木村秀政氏の論文があった。14ページほどのものだが、興味あるところだけ読み解いてみたい。項目は記事のものを採用した。全て旧かな遣いなので改めた。

 

●計画の発端

 まず驚いたのは「大東亜戦争」と書かれていることである。検閲によく引っかからなかったものである。この年位になると、あらゆるジャーナリズムが検閲されなくても、自己検閲で「太平洋戦争」と記していたからである。航研機と略称するが、陸軍と組んで朝日新聞が紀元二六〇〇年記念事業として、長距離飛行記録樹立を目指したものである。今の朝日新聞は頬かむりしているが、こんな計画をしていたのである。

 

●大きさの決定

エンジン出力は公表値、離昇1,170馬力はあてにならず、計画段階で1,100馬力とした。これは、公表値とは最良の条件下で得られるものだから、という考え方である。一体、研究畑の木村氏は、案外正直なのである。すると予想離陸重量15tから逆算して翼面積80㎡が決まる、という当時の標準的プロセスを踏んでいる。

 

●主翼の平面形に関する諸問題

大きな揚力係数を取るためには、全抵抗の3分の1が誘導抵抗となり、高速の戦闘機が10%程度であるのに比べ、著しく大きくなる。最近の旅客機にはやっている、ウィングレットは誘導抵抗減少の手法だとすると納得がいく。当時は縦横比増大しか手段はなかったのである。

縦横比の変化と、それによる構造重量の変化による航続距離の変化値の試算のグラフでは、最適が12.5となるのだが、木村氏は11で妥協した。構造上の自信がないため、と説明している。ちなみにB-24とB-29は、アスペクト比11.5を超えているので、研究機たる日本の研究機よりも米国の実用長距離機の方が理想的であった。そのことは次項の翼厚に関係する。

 

●層流翼の採用

層流翼は表面の平滑度が必要だが、研究機のため職人仕事を期待したのだが、戦時に作られたので目算が外れ、パテ埋めして重量が増えるはめになったが、それでも計算値以上の揚抗比が得られたのである。翼厚は付中心で16%、翼端で9%というのは、日本機としては大きい値なのだが、米独が18%は当たり前でB-24では22%だったことを考慮すると、構造重量では不利となる。これを鳥養鶴雄氏は、軍が高速性能を要求したため薄翼にしたため、としているが、当時の日本では一般的傾向であったのだろう。

興味深いのは、翼端にいくにしたがって、カンバー値が減るので、零揚力角が自然と減少するので、幾何学的に捩じり下げをつけなくても、空力的に捩り下げがついている、という記述である。製造上の手間を惜しまない研究機にしては、生産性上に合理的構造である。

 

●ナセル・胴体

前抵抗に占めるナセルの抵抗が大きいことと、失速特性が悪くなりやすいのに、既存の研究成果には、双発機のナセルに関する研究がない、と嘆いているが、風洞実験の段階でこれに気づいているのは流石である。川崎航空機の双発機は、ことごとく実用段階でナセルストールに悩まされているからである。何とキ-102では、尾脚の長さを増やして迎え角の低下を図ると言う姑息な手法をとっている。本機のようにナセル上下面の形状に工夫をこらしているのが正解である。

英米独では、この問題についてよく研究されている。ひとつはP-38のツインブームである。これではナセルストールは起きようがない。

 

●安定性・操縦性

最大の疑問がこの点である。木村氏は縦安定の良好な重心の許容範囲は相当翼弦の25から30%の範囲だと言うが、小生が習ったのは空力中心である25%相当翼弦を重心の標準として、安定をより良くするには重心がそれより前方で、後方では悪化するが操縦性の感度は良くなるが、30%が限界である、と言うものであった何と本機では38%にとったというのである。

一式陸攻は最終型で後方重量増加により、32%相当翼弦まで重心が後退したために縦安定対策を取った。小生の常識と一致する。それを考慮すると長距離飛行するだけなのだから、本機では縦安定の良さは必須と思われるのに、38%に置いたというのは意外である。ちなみに本論文で、縦安定の改善には、水平尾翼の上反角を増やして、主翼やナセルの後流の影響から除く、と書かれていて、一式陸攻が縦安定対策で水平尾翼に上反角をつけた理由が、ようやく理解できた。小生の不勉強も甚だしい。しかし本機の重心位置の疑問は解けない。

風洞実験では重心位置35ないし38%までは縦安定が非常に良い、と書かれている。確かに本機のテールボリュームは大きそうだが、主翼面積と弦長が大きいので、それほどでもないだろう。機体に燃料を満載した対策が必要と考えられるが、それにしても38%は常識的に後ろすぎているのに、理由が書かれていないのは、小生の理解力不足であるとしか考えにくい。読者の意見をお聞きしたい次第である。

一応の小生の答えを書こう。安定を得るためにはテールボリューム計算の一部の、(テールアーム長×水平尾翼面積)のうち、抵抗減少のため水平尾翼を小さくすれば、テールアームを長くしなければならないが、一面で縦の静安定は変わらないが動安定は改善される。静安定が悪くても操縦でカバーできるが、動安定は発散する可能性があるので操縦ではカバーできない。

ところが、テールアームを長くすると重心が後退するので、38%まで許容することにしたのだ。すると静安定が悪くなる、という悪循環となるように思われるのだが、当初の設定からの、設定を変更する、といういたちごっこになるのだが、これは設計の宿命ではなかろうか、と思うのである。結局鶏と卵とどちらが先か、という話となる。どうしても小生には、長距離機であることが直接的空力的に重心位置を標準よりかなり後退させる、という理屈は考えられない。

垂直尾翼の翼面積不足対策の背びれの効果は教えられた。垂直尾翼の製作治具ができてから垂直尾翼面積の不足を発見し、上方に延長するとともに、背びれを付加することにした。その効果は、①横滑り時の垂直尾翼失速防止②小横滑り角時の垂直尾翼の効きが良くなる、という二点だそうである。九九艦爆は不意自転対策で背びれを付加したのとは違い、とにかく背びれはあった方が悪いことはない、ということになる。自身が飛行機マニアの木村氏は、その結果美しい機体となった、手放しで喜んでいる。

 

●ナセル計画の失敗

前述のようにナセルの設計には苦労しているが、「・・・コマンドの設計を表面的に模倣したための失敗である。」と正直に言っている。

<所管>F-2の設計物語も読んだが、A-26の時代は、設計主任が細部に渡って目配りができる、おおらわかな時代であったことを痛感する。現代はシステムが複雑になり過ぎているのだ。


世界初のステルス兵器

2019-08-02 15:34:44 | 軍事技術

 日本ではステルス戦闘機F-35を導入した。世界初のステルス軍用機と言えば、あの奇怪な形のF-117が有名である。しかし上の模型写真を見ていただきたい。昭和19年に建造された丁型潜水艦、イ-370のプラモである。艦橋を見ていただきたい。逆台形の奇妙な形をしている。これはレーダーに悩まされた海軍が設計変更した新しい、潜水艦の艦橋である。すなわち軍用として開発された飛行機、軍艦などは、今やステルスが常識である。その世界初は何と日本だったのである。必要は発明の母である。この形態は長い間後継者がいなかった。ところが下の写真のように最新のボイレ型ロシア原潜はやはり逆台形を採用している。

 レーダーアンテナとして八木アンテナを採用したのは、日本ではなく、英米であった。日本で発明され世界で実用化された技術は少なくないのである。しかし悲しいことに、その有用性を認識したのは欧米であることが多い。

 


零戦はギリギリに設計されているため発展性がなかったという神話

2019-07-23 21:00:13 | 軍事技術

 一般に、第二次大戦当時の日本の軍用機、特に戦闘機はぎりぎりまで切り詰めて設計されて余裕がないため、改良発展の余地がなかったと言われる。例えば零戦が十二試艦戦の時の瑞星を除き、栄系統のエンジンで通し、沢山の型を生産した割にはエンジン出力も最大速度もたいして向上していないことについて、多くの本が、ギリギリに設計されているので発展性がなかったからだ、とコメントしている。それは本当のことだろうか。

 飛行機の機体は、空気力学上の要素を除けば設計上は構造物である。ギリギリに設計されていた、と言うのはどういう意味だろうか。構造設計の考え方のうち応力について概観してみよう。構造物は、発生する応力が許容応力以下であることが必要である。応力とは、荷重により物体内部に発生する力を単位面積当たりの力(N/m2)で表わしたものである。許容応力とは、材料が設計上許容できる応力(厳密な表現ではないがお許し願いたい)だから、計算上発生する応力は許容応力以下でなければならない。許容応力は材料の種類と設計対象の構造物の種類によって技術基準等によって決められている。

 最も良い構造設計は、発生する最大の応力が許容応力に等しいことであると考えられるが、構造物は複雑な構造をしていることや、他の要素もあるので、全ての部材をそのようにすることは現実的には不可能である。しかし一般的にギリギリの構造設計をする、というのは応力の観点からいえば、できるだけ多くの部材の応力を許容応力に近くする、と言うことである。構造設計上の応力の観点からは、できるだけ多くの部材の応力を許容応力に近くする、と言う努力をしない設計者、というのはありえない。与えられたエンジンと設計仕様に対して、構造設計上ギリギリの設計をするのは当然のことなのである。

 零戦より何年も設計が古く、最後まで改良され続けたドイツのMe109や英国のスピットファイアは構造上ギリギリの設計をしていなかったから、改良が続けられたのであろうか。もちろんそうではない。改良によって重量が増加すれば、それに見合った強度となるように部材の厚さを増やすなどの設計変更をしているのである。両機とも、将来の改良をみこんで、計算上の応力が許容応力を大きく下回るような「ゆとりのある」設計をするはずがない。そんな者は設計者失格である。

 機体設計上のゆとりのもう一点はエンジン出力に対する機体のサイズ、と言うものがある。簡単に言えば、重量と寸法の小さい機体に過大な出力のエンジンを積めば、トルクにより機体が振り回されてしまう。十二試艦戦は全幅12m、全長8.79m、自重1.65t、全備重量2.34tである。Me109の試作一号機は全幅9.87m、全長8.58m、自重1.5t、全備重量1.9tである。寸法も重量も零戦の方が大きいのである。Me109はエンジントルクの影響を解消するために、垂直尾翼の断面を非対称にさえしている。他にもそのような例はあるが、Me109の場合は高性能をねらってエンジンサイズに比べ機体サイズを切り詰めた結果によるものであると考えられる。つまり機体の大きさから言えば、Me109は零戦よりゆとりがないギリギリの設計なのである。それにも拘わらず、原型1号機から最終型に至るまで、大幅なパワーアップをしている。

 著書による限り、設計者の堀越技師自身は零戦はギリギリに設計されていたため発展性がなかったとは言ってはいない。それどころか「零戦」(朝日ソノラマ昭和五十年版)で「・・・最後型となった五四型丙は二年も早く生まれ、恐らくはその後もさらに改良されて、零戦は依然としてその高性能を誇っていたかもしれない。」(P262)と書いている。これは昭和十七年に海軍に金星エンジンへの換装の指摘打診を受けた際に応じていれば、五二型が登場したのと同じ昭和十八年に大幅に出力向上した高性能の機体が出来ていたはずだと言っているのである。

 同じ著書で「・・・たとえば金星換装などは外国人、特にスピードの速いアメリカ人には余りにも遅かったように見えたようであるが、これを、日本は外国の模倣ばかりしていたから戦争のために外国の資料が入らなくなるとよい知恵が出ない、とするには当たらない。・・・これを一口にいえば、日本の産業の規模が全般的には世界一流の水準からは遠い状態にあったということである。・・・経験ある技術者の過小とも重なって、着想から実験、設計、試作、実用に至るまで非常に時間がかかった。」と言っている。機体がギリギリに設計されていたから改良できる余地がない、とは設計者自身が考えてはいなかったのである。

 海軍の早期の私的打診応じることができなかったのは、堀越技師が過労で倒れる位忙しかったからである。ちなみに役所というものは、事前に「私的打診」をして可能性を見極めてから公式指示することが多いから私的打診と軽視はできないことは一言しておく。堀越が応じられなかったのは日本航空工業一般の基盤の貧弱さによることがあるかもしれないが、三菱の設計体制の非効率によるものである、という説もある。いずれにしても種々の要因が重なったのであろう。

 今となっては判然としないが、昔の雑誌で、零戦に誉エンジンを積むことはできなかったのですか、という質問に、堀越技師が、できた、と答えたのを読んだ記憶がある。これが小生の記憶違いであるにしても設計上は可能だったのである。もちろん翼断面の再設計まですることになったのかも知れないが、誉がまともなエンジンであれば大幅な性能向上が期待できたであろう。現実には烈風にさえ零戦五二型丙なみの低い翼面荷重を要求する海軍は受け入れなかったのに違いはないのだが。

なお、陸軍では隼にさえ、誉搭載の試算を行っていた(雑誌丸2019.6月号)とされている。この記事で筆者は、隼の機体に誉を積んで、再設計をするなら、新設計のほうが早かった、と書くがこれは一面の事実に過ぎない。誉換装で、最低限の設計変更したほうが、機体の特性は分かっているし、生産用の治具も極力流用すれば、生産の遅滞は新設計より少なく、現実的である。新設計では絶対的に時間がかかる。このような発想が、現在の自衛隊に至るまで、既存設計装備の活用を妨げている。ソ連のT-64,72戦車シリーズを見よ。1964年の設計が現在まで改良され続けている。車体規模は小さいし、ディーゼルエンジンをガスタービンに積みかえたものすらある。

 余談になるが、日本の発動機技術は決定的に遅れていた。そして機体設計においてもセミモノコック構造のの中で、既存の設計手法の範囲内で多くの努力を費やしていた。従って開戦前に輸入したDC-4にさえ、同じセミモノコック構造ながら、新しい設計手法を学ぶことが大きかったのである。最も得意であったはずの空力設計においてさえ、米国が直面していた急降下時に生ずる遷亜音速領域の現象など、至るべくもなかった。これらのことについて、当時の日本人技術者から素直に語られることはなく、抽象的に工業基礎構造の遅れとしてでしか語られないのは残念である。今でも最先端技術分野においては、類似のことが見られるからである。

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再び、零戦の堀越技師について

2019-07-12 23:29:13 | 軍事技術

 以前、有名な零戦の設計者、堀越二郎技師について、飛行機設計技術者の見識について疑義を呈した。その第二段である。左は昔作ったプラモの写真である。パイロットの座席を覆う部分をキャノピー、あるいは風防(と天蓋)という。このHe112は現在の戦闘機にも広く使われている、バブルキャノピーを世界で最初に採用した実用戦闘機である。He112は旧式なオープンコクピットから始まって、さまざまなキャノピーを模索試験して、ようやく写真のようなバブルキャノピーに到達した。

He112は本国ドイツでは、不採用扱いだったが、輸出されて実用もされているので、実用機といっていい。一見して日本の零戦が、非常に良く似た形のキャノピーをしているのは分かると思う。Fw190が後方まで透明でも胴体と直線的に接続しているのと違い、機体ラインから突出しているのが特異である。

 バブルキャノピーは機体の外に飛び出しているので、特にパイロットの後方の視界が良く、戦闘機に適している。このドイツ製の戦闘機を日本が輸入して、それを見た、堀越技師は当時設計を始めたばかりの零戦の試作機に急遽採用したのに違いない。この点を指摘した航空機評論家を寡聞にして知らない。零戦の場合、旧式なレザーバックキャノピーを採用した風洞模型の写真も残っているから、間違いなかろうと推定する。

 零戦は日本で始めて引込み脚を採用した、実用戦闘機であるが、これも輸入した米戦闘機の機構を真似た。こちらは現在では定説である。技術は模倣から始まるから、そのこと自体は恥ずべきことではない。問題は、堀越技師がバブルキャノピーや引込み脚の採用の経緯を隠していることである。しかも、これらの模倣を戦後、米軍の事情聴取に堀越は、ことごとく正直に語ったというから、欧米コンプレックスがあったのである。

 技術者の将来への糧として、この経緯を残すのは貴重なことなのに、である。堀越技術は、著書「零戦」で技術上の特筆事項を得意げにいくつも挙げているのに、引込み脚とバブルキャノピーについては、全く言及しない。あたかも物まねを恥じているかのようである。そこまでは日本の技術史にありがちな隠蔽である。

 そこから事態は意外な展開をする。開戦の翌年の、昭和17年の6月、アリューシャン列島で米軍は飛行可能な零戦を手に入れた。零戦などの日本の戦闘機に手を焼いていた、米軍は徹底的に調査して、長所短所を発見した。バブルキャノピーが戦闘機に極めて有効だと判断して、以後同盟国の英国ともども、戦闘機にはバブルキャノピーを採用した。

 有名なマスタングやスピットファイアなどの既成の戦闘機も、ことごとく、バブルキャノピーに改造してしまった。だが、これが零戦の物まねである事は、堀越技師と同じく、英米の技術者も語らない。だからこれは、私の新説である。本家本元ののドイツでは、かなり遅くまで、本格的なバブルキャノピーは採用しなかった。だから英米が零戦を真似たのは事実であろうと思う。

 米国が、こういうことに関してフランクだと言うのは嘘である。実質はともかく、日本の大和級戦艦が、世界で最大の主砲と装甲を持っていたのは事実である。ところが当時のアメリカは、世界一を自称していたために、そのことが気に入らなかった。そこで何をしたか。戦後、大和級戦艦の砲塔の装甲板を手に入れて、米国最大の戦艦の主砲で砲撃した。

 みごとに米戦艦の大砲は、大和級の戦艦の装甲を打ち抜いた。世界一の戦艦は米国のものである、というわけだ。ところがわずか、数百メートルに置いた装甲板を撃ったのだ。インチキである。これでは打ち抜けるのは当然である。実際には想定する戦闘は、10kmとか30kmで行われる。それを誤魔化したのである。

 米海軍ですら、世界一を自負したいために、かくのごとき嘘をつく者たちなのである。だから、英米が零戦を模倣したなどと言うはずがない。堀越技師と同じく皆うそつきである。アリューシャンで回収した零戦の試験結果はことごとく零戦の欠点を強調して、零戦対策に資している。実は日本で実用機に最初にバブルキャノピーを採用したのは、陸軍の97式戦闘機である。設計者の小山技師は、試行錯誤をして、ようやくバブルキャノピーにたどりついたのは、ドイツのHe112と同じであるのは、技術史を考えると素晴らしい事実である。

 しかし小山技師のオリジナルは、完全なバブルキャノピーの寸前であった。設計の時期から考えて、97式戦闘機が、最後に完全なバブルキャノピーに脱皮したのは、He112の実物を見てからだと考えられる。それでも、オリジナルで直前までたどりついた小山技師のオリジナリティーは、真似をして語らない、堀越技師とは比べ物にならないと思われる。結論から言えば、零戦の最大の遺産は、後世の戦闘機をことごとくバブルキャノピーにした実績である。


F-2後継機の開発

2019-07-01 23:55:43 | 軍事技術

 現在の防衛政策の課題のひとつが、国産戦闘機開発である。政府は、共同開発であっても、日本が主導となる開発をすることを発表した。しかし、実験機「心神」を実物大の実用機にするには、途方もない予算がいるから無理である。イギリスのテンペスト計画に乗るのでは、日本が主とはなり得ないから、日本の戦闘機技術の継承には無理がある。その後、F-35の追加購入が決まったから、F-35と競合する、主力戦闘機の新規開発は無理だろう。

 軍事研究2018年11月号に「日の丸F-35のお供に中国産JF-17はいかが」という文章が載った。JF-17を輸入するか、同程度の安ものを新造して数を揃え、ハイローミックスにするというのである。これは実現できれば妙案である。航空自衛隊は、旧式化した戦闘機やF-1などと同時に、最新の米空軍機を導入してハイローミックスをしてきたのである。しかも敵対するロシアや中共の戦闘機はF-35ですら、高度に過ぎる。ただし、JF-7の輸入は無理だから自主開発しかない。

 ところで先日初めて株主総会なるものに行った。IHIである。パンフレットにジェットエンジンのプロトタイプの自衛隊納入があったので、開発の段階と実用機搭載の見通しを聞いた。すると、2030年頃、F-2後継機に搭載予定と答えた。なるほどF-2後継機なら言われているし、2030年頃なら遅くても新戦闘機の試作機が完成していなければならない時期だろう。

 調べてみたら試作エンジンXF9-1は推力が、F-2の搭載エンジンより、ほんのわずか大きい。最初からF-2クラス用エンジンを狙っていたのである。F-2は結局、F-15並の高価なものになってしまった。前述のハイローミックスまでとはいくまい。しかし、心神の実用化型は最新ステルス機を狙っているので、F-35の輸入型よりはるかに高くなるだろう。

政府はすでに、F-35輸入とは別に新戦闘機の自主開発、ないし日本主導の国際共同開発を公表している。そこで「主任設計者が明かすF-2戦闘機開発」と雑誌「JWings」令和元年8月号の日本の将来戦闘機特集を参考に、新戦闘機開発について考えてみたい。国際共同開発は、開発相手方が問題である。必要条件は中共やロシアのように敵対する可能性のある国ではないことである。また共同開発したものを相手国でも導入使用することである。この両者を満たすのは難しい。後者には、それなりの技術力と資金力が必要である。

パキスタン、台湾やイスラエルは技術的可能性はあっても政治的に無理だろう。ヨーロッパでは英仏独伊は除かれる。各々独自開発やヨーロッパ域内共同開発があるからである。すると、スェーデンが残る。グリッベンはあくまでも第4世代だから、第5世代機は必要と考えられる。非西欧国家で航空機開発の実績があるのは、ブラジルくらいのものだが、実力は怪しい。

米空軍は無理でも、F-35を導入せず、F/A-18を使い続けている米海軍があるが、艦上機である、という特殊性と、独自に飛躍的なものを考えているだろうから無理である。結局残ったのは、神田氏がF-2開発で述べているように、独自開発を模索することだろう。小生には共同開発の相手としては、独自開発を理想としながら結果的には米英の技術に依存しているスェーデン位しか考えられない。神田氏によれば、共同開発には言語の問題が相当なものであると言う。結局は英語を使うしかないのだろう。またスェーデンの場合、高速道路からの発進や山岳地への格納など運用上の特殊性がある、という日本とは相反する条件があるから、設計条件が具体的になると難点が現れると思われる。

共同開発を諦めて自主開発にするなら、調達機数の不足も含めて、恐らくF-35の直接購入より高くても、能力はより低いところを狙わざるを得ない。共同開発にしても自主開発にしても、これまでの経緯から、エンジンはIHIが開発中のXF9の実用型を使いたいだろう。すると、機体規模はF-2と大差ないものとなる。盛り込むべき新技術については、JWingsの特集号に書かれているので省略するが、あくまでもF-35を補完するものとして、コストの削減を考慮すべきと思う。

小生は、工学の最低限の素養はあっても、軍事や航空工学については専門外なので、ここではF-2後継機の内容よりも、気になる米国の圧力について考えてみた。F-2は政治的圧力によりF-16ベースとなった。F-2後継機についても同様なことが考えられる。最近になって、F-35はノックダウンすらやめて、直接輸入にしたことと、F-35の購入機数も増加したことが気になる。これは単に安倍政権が、トランプ大統領に阿って赤字削減策としただけなのだろうか、ということである。

希望的観測をする。何回も言うがその少し前から政府は新戦闘機は国内開発ないし、日本の主導による国際共同開発、ということを発表した。しかし、それに対するアメリカの風当たりがあまり強くないように思われるのである。これは新戦闘機の開発方針が、F-35の購入とセットになっているのではなかろうか、と想像する。つまり、F-35の輸入拡大の見返りとして、米国に日本主導の新戦闘機開発を許容させたのではないか、ということである。

このような取引はまともに考えれば屈辱的であろうが、世界の軍用機開発の現状や日本の戦闘機開発の技術力の維持と言ったことを、長期的総合的に考えれば、許容すべきものではなかろうかと思う次第である。新戦闘機開発の方針は令和二年に決定される予定である。小生の希望的観測が当たることを願う。もっとも小生の希望は滅多に実現しないと言うジンクスがあるのだが。

 


書評・主任設計者が明かすF-2戦闘機開発 神田國一

2019-06-28 22:16:49 | 軍事技術

 本書は最新の技術開発がいかに行われるかに興味があって読んだが、結果的に裏切られないどころか、近世以来の日本人による技術開発についての本質をついた記述があったのは貴重であった。

 F-2は日本独自開発を米側の要求に屈して、米空軍のF-16をベースに改造することで開発されることになったのだが、本書によれば、そんな単純なものではなかった。F-16の初期のデータはもらえたが、肝心の技術情報やその後の試験等の技術データは開示されなかった、というのだ。要するに姿・形は教えてもらったのだが、それを裏付ける技術データは非開示であった、ということである。その逆に日本で独自開発された複合素材などの新しい本機への適用技術は全て米国に提供された

 冒頭の近世以来の日本人の技術開発についての本質は、筆者の次の言葉が的確に言い表している。

 「不遜な言い方かもしれないが欧米で実現している技術は、技術資料はなくても、必要な資金と『できたという正しい情報』があればすくなくとも類似の技術はできる。(P196)」

 まさにその通りである。だから技術情報の開示はなくても、どんな技術が盛り込まれているかという答えだけ、を知ることが出来れば、同技術レベルのものは開発できるのだ。だからF-16のそっくりさんであっても、中身は独自開発と同じことなのである。

 それで思いつくことがある。戦後自衛隊が開発した最新技術の飛行機には、常にそっくりさんがいることである。付言するが、レシプロ機からジェット機に移行したことによって、戦闘機などの外観形式の自由度は大幅に拡大した。同じ要求仕様でも、外観形式にはかなり選択の幅が大きくなったのである。そのことを前提に以下を読んでいただきたい。

T-1練習機はF-86の、T-2はジャギュアの、T-4はアルファジェットのそっくりさんなのである。これは悪く言えば、開発側の自信のなさの現れとも言えるが、同時に技術水準の高さをも表している。

多くの日本の専門家は、これらの日本製の機体が、外国製の同時代機のそっくりさんであることを認めない。果ては、同じ要求使用に基づけば、同じような外観になるのは当然とすら言い切る。これが間違いであることは事実が証明している。例えば同じ要求仕様に基づいて作られた、YF-22とYF-23は全く外見の配置形状が全く違う。似ても似つかないのである。YF-22が採用されたのは、必ずしもその相違に拠るものばかりではなく、出来上がった試験機のテストの総合結果の優劣に拠るものであったろう。しかし、両機とも同じ要求使用に基づいていたのである。

 日本ですらT-1開発の際に各社が応募した設計の概観は各社全く異なるものだった。しかし、採用されたのは、F-86に似ているが、後退角を少なくしてリスクを減らしたものだったのである。これならば後退翼と言う新技術を無難に習得できるからである。脱線したが、多くの自由度があるなかで、過去にある外国機の概観を真似るのは、技術的にはコピーではないが、その方が日本国内での説明が容易なのである。

 その点で、最初からF-16改造、という条件が与えられた方が、設計者の心理的負担は少ない。どういう外観形式を選択するか悩む必要はなく、似ていて当然だからというわけである。だからといって、設計者の労力負担が少しでも減るわけではない。そっくりでも技術資料がなく、同等のものを作るには、結局自前の技術がなければならないからである。コピーと簡単に言うが、実物だけ与えられて同等のものを作れるのは、同等の技術が必要となる。

幕末に黒船が来ると、いくつかの藩で独自に工夫して蒸気船を作った。製鉄のために反射炉も作った。しかし、そこまで到達するには、欧米の技術にキャッチアップする自前の努力があったのである。その点当時の清国は違った。定遠などの巨艦に見られるように、いきなり外国製のものを買ってきて、自前の技術の涵養に努めなかった。日本は、日露戦争当時、最新式の軍艦は輸入に頼ったが、、二線級の軍艦は、自前の技術水準で追いつくことができる国産としたのである。

その後金剛級を、英国製と日本製のものに作り分けることによって、国内技術を涵養した。タービン技術はかなり後期まで、外国製の技術に依存することが多かったようであるが。これらの国内技術の育成が、大戦末期に設計ノウハウもない図面だけで、自前のターボジェットを製造するに至ったのである。清国の安易な輸入方式は現在までも、中共の製造業の特質を現している。中共は自前の技術の養成に努めないから、現在に至るまで、製造の基礎技術は低い

F-2はそれまで培った技術の蓄積があったからこそ、F-16のろくな技術資料の提供も受けずに「F-16改造」と言われるF-2を完成できたのである。

かの零戦も同様である。米国の事情聴取に対して、設計主務の堀越二郎氏は、外国製のものから多くのものを得たことを告白している(前間孝則氏による)。しかし、堀越氏の著書では一切触れない。しかし、たとえ外国製のコピーに等しいと言われようと恥ずべきことではない。それだけの技術の素地があったからこそ「コピー」できたのである。零戦の榮エンジンも同様である。英国のジュピターの国産化から始まって、米国エンジンの技術も取り入れながら熟成していったのが、榮エンジンであった。

ここに日本の技術開発の欠点と言うべきものが垣間見える。本書の著者が言うように、新しい技術の「できたという技術情報」は必要なのである。換言すれば、新開発する戦闘機に盛り込むべき技術は、米国の技術動向の情報が必要なのである。この点に関しては、次期戦闘機に盛り込むべき技術の研究が、防衛省の指導の下に研究されていると伝え聞く。技術の素地はあるのである。だがそれらは、現在の欧米の技術動向の応用の範囲であって、全くの先鞭をつけるものではない。

F-2の場合は、日本でも複合素材の使用などいくつかの、新技術があったことは明るい情報である。複合材料技術は日本の技術開発の成果が、米国に移転することによって世界に普及し、いまや民間旅客機の技術としては当たり前のように普及しているのである。

余談だが、スウェーデンのグリッペンは意外なしろものだったことを本書で知った。姿形こそ独自であるが、実はスウェーデンは細部設計と主翼の開発は、イギリスのエアロスペースへ外注し、米国のリア・シーグラー社に飛行制御コンピュータソフトを委託し、アビオニクス等は多くが米国製品の輸入だそうである。外見だけF-16のそっくりさんのF-2が、中身が日本の自前であるのに対して、独自のスタイルをしているグリッぺンが、そのほとんどの技術を米英に頼っていたのである。

レシプロ戦闘機の時代から、ジェット機まで数々の戦闘機を国産開発してきたスェーデンが、いつの前こんな仕儀になってしまったのであろうか。恐らくは費用の問題が最大のものであろう。ハイテクの塊の新鋭戦闘機の開発を現在まで自前で行ってるのは、ロシアだけであろう。それも実用化に達しているのは、一世代前のSu-27系列のものまでであり、他の国はほとんどが国際共同開発である。

スェーデンが独自の国内開発をしていると思ったら、何と自前なのは外観だけだったのである。フランスのラファールについては情報がない。スェーデンのやり方では、飛行制御に不具合が起きたり、今後の性能向上等を行う場合には、大いに支障が出るに違いない。日本の新戦闘機の開発に当たっては、様々な困難が予想されると著者が考えるのは当然である。困難には、著者が再三述べる技術の継承の問題も大きいことも付言する。本当に肝心なことは防衛機密だから書かれていないのだが、航空技術や軍事に興味のある人ばかりではなく、技術者一般にも一読の価値がある、と考える。

 本書を読まれるに当たっては、工学の素養があることが必要であることを一言したい。例えば説明なしに、何気に書かれている「安全率」という言葉は工学のテクニカルタームだからである。インターネットを調べれば分かるはずだが、そう簡単でもないのである。工学の素養とは必ずしも工業高専や工学部系の大学を出ていることではない。独学でもよいから、工学の基礎を系統的に習得したことを言う。

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複製第二次大戦機はエンジンのコピーはできない

2019-06-10 14:43:03 | 軍事技術

 今、日米露の三国で、商業ベースで第二次大戦機のコピーがさかんに行われている。米英機は、実物のレストアがあるから、対象となっているのはあまり聞かない。そこで対象となるのは、日独露の第二次大戦機が多い。手法としては、実物を分解して、内部構造まで寸法を測って再現するリバースエンジニヤリングというものが使われているものが多い。しかも本物のエンジンを積んで飛行可能なのが原則である。

 中には、ほとんど壊れている機体の一部を流用しているものさえある。特にロシアの場合は、販売目的でコピー機を造っているから趣味の領域ではない。何年もかけてコピーしては売るのだが、計器などの小物部品を別として、絶対コピーできないものがある。それはエンジンである。

 機体は、相当精密にコピーしているにも拘わらず、エンジンはコピーできないのである。そこで使われるのは、米国製エンジンで大量にレストアされているエンジンである。Me-262のようなジェットエンジン機などは、新しいエンジンでも現在でも生産されているから、寸法さえ合えば使える。当時のエンジンより小型、大推力だから外形にフィットできる。

 問題はレシプロエンジンで、レストアされているものから、寸法の合うものを使うしかない。現在では小型機用のレシプロエンジンは作られていても、大馬力の空冷星形や液冷のV12エンジンは作られていないのである。

 零戦のエンジンはP&W R-1830が使われている。大東亜戦争末、零戦に金星エンジンを搭載する際に、直径が大きいことやエンジン袈の寸法構造が違うことが問題にされたごとく書く記事を見かけるが、R-1830は金星より直径は大きく、エンジン袈の寸法構造が全く異なる。

 それを米国人は何の問題にもせず、平気で取り付けている。零戦の榮エンジンは、馬力向上後も、直径は変わらないので、幅に関しては二一型でも五二型でも直径は同じであるが、側面形は大分異なっているから面倒そうであるが、再生機は二一型でも五二型でも同じR-1830をつけて、直径の差はカウリングの形状処理で誤魔化してしまい、あまり違和感なく、済ませている。零戦の金星エンジン換装には、その程度の困難さもなかったのである。

 問題は、エンジンのコピーの困難さである。メカニズムのコピーができないのである。機体のメカニズムの部分とは何か。要するに動く部分の事である。機体で動くものと言えば、風防と舵とフラップ、引込み脚位である。この四つの要素はシンプルかつ相互に関係がない。舵やフラップはヒンジとピンで回転し、それをワイヤで引っ張って動かすだけである。スライド風防は、レール上を動きぴたりと閉じれば良い。サッシの窓枠と変わることはない。

 これらは、概ね寸法さえ大差なければ機能する。一発勝負で作っても、調整が可能である。実機でも試作機をいじくり回すことが多いから、一機の機体で調整が可能である。引込み脚は、それよりずっと精度が高いだけで、同様であろう。脚カバーがぴたりと主翼にフィットするかが問題だが、想像するに外板の厚みの3分の1程度以下にフィットすれば機能上支障ないと思う。正確にコピーしてうまくいかなければ、ボスあたりを削って調整し、ダメなら一部部品を作り直せばいいのである。

 ところがエンジンはそうはいかない。飛行可能にしなければならない。シリンダとピストンの嵌合は、数値で正確に表せない、経験的なものがある。その他の多くのパーツがそうである。そうしなければ、エンジンの外観だけは再現できても、エンジンとしての性能を発揮できない。それは、経験に基づく工作精度が必要だが、コピーではその経験の積み重ねがない。実機のエンジンは何台も試作して、各種の運転をして、ようやく実用化に至る。開発と言う過程が必要で、一台限りというわけにはいかないのである。

それには素人集団の集まりではできない。一台のコピーエンジンを作るのに、エンジン開発を行っていては、技術の習得から始めなければならないから、コストも時間もべらぼうになる。ラジコン用模型エンジンですら、うまく動かすには、そうは簡単にいかないのである。ましてや現在製造されていない、大馬力の空冷星形エンジンには、多くの設計製造ノウハウが必要である。ところが、ノウハウは既に失われている。図面や実物だけでは実用エンジンは作れない。機体の複製はできても、複製第二次大戦機のエンジンのコピーはできない、という次第である。

小生の経験をしよう。河川流水で水車を廻し、コンプレッサで圧縮空気を発生させて、水中に気泡を発生させて、河川水の浄化をしようというプロジェクトがあった。ある企業が新発明の特殊コンプレッサを使うことを提案したが、問題はその会社がコンプレッサの製造経験がないのである。しかもクランク機構が新発明である。

担当者が小生にアドバイスを求めてきたので、コンプレッサの製造経験のない会社が新規開発するには、何台か試作機を作って試験しなければ実用機は出来ないから、コストがかかり過ぎる。失敗するから、汎用のコンプレッサを買ってきて使えと言ったが聞かなかった。強引に試作機を現場に持ち込んで使ったら、横置きしたピストンの重みでピストンリングが片減りしてすぐ交換する羽目になったのと、圧縮空気が高熱を発して漏れて、コンプレッサ室に充満し、火災を起こす寸前で発見されて止まった。それで交換部品もなかったことから、その設備の開発は放棄された。たかがコンプレッサでさえ製造ノウハウが必要である。まして大型星形エンジンにおいておや、である。

ついでに補助機器類の話をしよう。機体にもエンジンに計器などの各種補助機器類という汎用品がある。これらの補器類は精密機器で到底コピーできる代物ではないし、当時のものはない。だから複製機では現代の類似品を流用していることを付記する。

複製第二次大戦機はエンジンのコピーはできない

 今、日米露の三国で、商業ベースで第二次大戦機のコピーがさかんに行われている。米英機は、実物のレストアがあるから、対象となっているのはあまり聞かない。そこで対象となるのは、日独露の第二次大戦機が多い。手法としては、実物を分解して、内部構造まで寸法を測って再現するリバースエンジニヤリングというものが使われているものが多い。しかも本物のエンジンを積んで飛行可能なのが原則である。

 中には、ほとんど壊れている機体の一部を流用しているものさえある。特にロシアの場合は、販売目的でコピー機を造っているから趣味の領域ではない。何年もかけてコピーしては売るのだが、計器などの小物部品を別として、絶対コピーできないものがある。それはエンジンである。

 機体は、相当精密にコピーしているにも拘わらず、エンジンはコピーできないのである。そこで使われるのは、米国製エンジンで大量にレストアされているエンジンである。Me-262のようなジェットエンジン機などは、新しいエンジンでも現在でも生産されているから、寸法さえ合えば使える。当時のエンジンより小型、大推力だから外形にフィットできる。

 問題はレシプロエンジンで、レストアされているものから、寸法の合うものを使うしかない。現在では小型機用のレシプロエンジンは作られていても、大馬力の空冷星形や液冷のV12エンジンは作られていないのである。

 零戦のエンジンはP&W R-1830が使われている。大東亜戦争末、零戦に金星エンジンを搭載する際に、直径が大きいことやエンジン袈の寸法構造が違うことが問題にされたごとく書く記事を見かけるが、R-1830は金星より直径は大きく、エンジン袈の寸法構造が全く異なる。

 それを米国人は何の問題にもせず、平気で取り付けている。零戦の榮エンジンは、馬力向上後も、直径は変わらないので、幅に関しては二一型でも五二型でも直径は同じであるが、側面形は大分異なっているから面倒そうであるが、再生機は二一型でも五二型でも同じR-1830をつけて、直径の差はカウリングの形状処理で誤魔化してしまい、あまり違和感なく、済ませている。零戦の金星エンジン換装には、その程度の困難さもなかったのである。

 問題は、エンジンのコピーの困難さである。メカニズムのコピーができないのである。機体のメカニズムの部分とは何か。要するに動く部分の事である。機体で動くものと言えば、風防と舵とフラップ、引込み脚位である。この四つの要素はシンプルかつ相互に関係がない。舵やフラップはヒンジとピンで回転し、それをワイヤで引っ張って動かすだけである。スライド風防は、レール上を動きぴたりと閉じれば良い。サッシの窓枠と変わることはない。

 これらは、概ね寸法さえ大差なければ機能する。一発勝負で作っても、調整が可能である。実機でも試作機をいじくり回すことが多いから、一機の機体で調整が可能である。引込み脚は、それよりずっと精度が高いだけで、同様であろう。脚カバーがぴたりと主翼にフィットするかが問題だが、想像するに外板の厚みの3分の1程度以下にフィットすれば機能上支障ないと思う。正確にコピーしてうまくいかなければ、ボスあたりを削って調整し、ダメなら一部部品を作り直せばいいのである。

 ところがエンジンはそうはいかない。飛行可能にしなければならない。シリンダとピストンの嵌合は、数値で正確に表せない、経験的なものがある。その他の多くのパーツがそうである。そうしなければ、エンジンの外観だけは再現できても、エンジンとしての性能を発揮できない。それは、経験に基づく工作精度が必要だが、コピーではその経験の積み重ねがない。実機のエンジンは何台も試作して、各種の運転をして、ようやく実用化に至る。開発と言う過程が必要で、一台限りというわけにはいかないのである。

それには素人集団の集まりではできない。一台のコピーエンジンを作るのに、エンジン開発を行っていては、技術の習得から始めなければならないから、コストも時間もべらぼうになる。ラジコン用模型エンジンですら、うまく動かすには、そうは簡単にいかないのである。ましてや現在製造されていない、大馬力の空冷星形エンジンには、多くの設計製造ノウハウが必要である。ところが、ノウハウは既に失われている。図面や実物だけでは実用エンジンは作れない。機体の複製はできても、複製第二次大戦機のエンジンのコピーはできない、という次第である。

小生の経験をしよう。河川流水で水車を廻し、コンプレッサで圧縮空気を発生させて、水中に気泡を発生させて、河川水の浄化をしようというプロジェクトがあった。ある企業が新発明の特殊コンプレッサを使うことを提案したが、問題はその会社がコンプレッサの製造経験がないのである。しかもクランク機構が新発明である。

担当者が小生にアドバイスを求めてきたので、コンプレッサの製造経験のない会社が新規開発するには、何台か試作機を作って試験しなければ実用機は出来ないから、コストがかかり過ぎる。失敗するから、汎用のコンプレッサを買ってきて使えと言ったが聞かなかった。強引に試作機を現場に持ち込んで使ったら、横置きしたピストンの重みでピストンリングが片減りしてすぐ交換する羽目になったのと、圧縮空気が高熱を発して漏れて、コンプレッサ室に充満し、火災を起こす寸前で発見されて止まった。それで交換部品もなかったことから、その設備の開発は放棄された。たかがコンプレッサでさえ製造ノウハウが必要である。まして大型星形エンジンにおいておや、である。

ついでに補助機器類の話をしよう。機体にもエンジンに計器などの各種補助機器類という汎用品がある。これらの補器類は精密機器で到底コピーできる代物ではないし、当時のものはない。だから複製機では現代の類似品を流用していることを付記する。

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