愛知県護国神社の大和の砲弾の写真
世界一の口径の戦艦大和級主砲弾で、小生が実物を見たのは3カ所ある。名古屋の愛知県護国神社、江田島の旧海軍兵学校と靖國神社の遊就館である。愛知県護国神社は参拝した際に、清掃のボランティアの方から、これにはリングにMの刻印があるから本物だ、と言われた。ところが現物を確かめると、実際には「N」だった。そこで現在、日本で唯一大口径戦車砲を製造できる、日本製鋼所のことではないかと信じたのである。
ところが、「続・海軍製鋼技術物語」というやっかいな本を調べたら、日本海軍の主砲と砲弾は原則、呉海軍工廠の砲填部と砲填部製造で、一部が海軍の指導で設立した、日本製鋼所によったとあった。別資料によれば、大和級主砲砲身18本は全て呉工廠によるもので、残された陸奥の主砲が日本製鋼所とあった。そして前掲書によれば、砲弾の鋼塊(インゴット)には分数が附けてあり、2/6ならば、一回の溶解から6個のインゴットを鋳込んで、その二番目の意味だそうである。
ちなみに、平成元年頃呉工廠の後継たるIHI呉工場を訪れたが、砲填部と製鋼部の設備はなかった。これらに相当する設備は北海道の日本製鋼所で現在も稼働しているようである。
閑話休題。手持ちの写真をよく見ると確かに「9/16」の刻印がある。護国神社の砲弾には、このようなリアリティーがある。ところが江田島と遊就館の砲弾を見学したときに銅系の金属製の磨かれたリングを見ても、刻印など一切なかった。さらに奇妙なのは遊就館の砲弾である。どうも口径が小さいように見えたから、通りかかった宮司さんに話した。そして今年の八月に遊就館に行って、砲弾の口径を測らせてくれと受付嬢に言うと、担当者を連れてきた。担当者は慌てた様子で、大和の砲弾は信ぴょう性に疑義があるので、撤去したというのには驚いた。展示されている「武蔵の砲弾」というのを測ったら、18inはあるようであったので狐につままれたような気分がした。
このように、愛知県護国神社のものにだけに刻印があるのは奇妙である。呉工廠製のものであっても何らかの製造記録の刻印があるのではなかろうか。さらに奇妙なのは写真に愛知県護国神社と遊就館の大和級砲弾の写真を比較すると、遊就館のものは、弾体全体に対する風帽(上の円錐形の部分)の長さが大きすぎる気がする。撮影のアングルもあるのだが。なお、愛知県護国神社のものと江田島のものは、このプロポーションがよく似ている。遊就館のものだけが変なのである。まさかわざわざ偽砲弾は作るまいし、と思うのである。
このように三カ所の大和級の砲弾には、いくつかの疑問がある。ブログの読者にご存知の方があれば、教えてほしいとお願いするために、この駄文を綴った次第である。
出典:続・海軍製鋼技術物語
副題*米海軍「日本技術調査報告書」を読む
堀川一男著・アグネ技術センター刊
日本海軍の装甲鈑のや砲弾の欧米のものとの性能比較が興味深い。ついでに航空機用防弾鋼板の性能もある。単なる金属材料学の知識では読み解けないものが多いが、装甲鈑の知識のある者にとっては宝の山だろう。わずか100頁ながら1600円は専門書である。
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写真の砲弾には下部のリング部分に「Oリング状の膨らみ」が有りますが、上部には有りません。つまり、砲筒に装てんした時には傾きます。若しかすると、発射時に分離するのでしょうか?
今までは「砲弾と発射火薬は別々に装てん」していると思っていました。
戦艦の主砲弾は、薬嚢に入れた装薬(火薬)と砲弾とを分けた分離弾薬です。通常は数個の薬嚢に分けており、薬嚢の数で発射速度を調整することもできます。