中島飛行機のプロペラ後流影響思想について
世界の傑作機シリーズNo.108艦上偵察機「彩雲」に尊敬する航空技術者の鳥養鶴雄氏が、中島飛行機の設計思想について次のように述べている。
中島の技術者は「・・・プロペラの後方にあるナセルや単発機の胴体は、プロペラを通過する空気流が、前面と比べると、後方では圧縮されて、流速が速くなり、流れの断面積が小さくなる収縮流の中にあるから、エンジン後方の胴体は絞った方がいいと考えていた。それを実行したのが陸軍の九七式戦闘機、「隼」、「鍾馗」だった。「彩雲」は三座機だったから絞り込むことは出来ないが、最小断面の平行部のある細い胴体を目指した。」
とまあ、こんな記述である。航空機設計のプロであった鳥養氏には申し訳ないが、この中島の設計思想には、事実関係にいくつか疑念がある。まず、九七戦の胴体形状である。確かに平面形を見ると、エンジン最大径部分からカウルフラップ後端までかなり急激にしぼられていて、後方の胴体と、折れ曲がるように接続している、流体力学の単純な常識的には不利な形状をしている。しかし、側面形はそうはなっていないのである。前方視界の関係からカウリング上面は直線的であるのは分かるが、下面は絞ることができるのに、そのようにはしてはいないのであるのが、整合がとれていない。
実は、九七戦のカウリング設計は、NACAカウリングの過渡期として説明できる。NACAカウリングが、低抵抗の空冷エンジン用カウリングとして普及するまでは、空冷エンジンの単発機は、九試単や九六式一号艦戦のように、細い胴体の先端に大直系のカウリングをつけて、冷却空気がスムーズに流れるようにするタウネンドカウリングを採用していた。その場合の胴体断面の寸法はパイロットの居住空間、燃料や搭載機材の必要寸法から、狭くされていても支障がなかったのである。ただし、冷却空気の流量を制御できないから、過冷などになる不具合もあったのである。
後年の液冷エンジンを積んだ飛燕は、液冷エンジンの幅ぎりぎりにに合わせて、840mmという最小幅としていても、胴体幅としては足りていたのである。諸外国の液冷エンジン搭載機も似たり寄ったりであった。つまり初期にNACAカウリングを採用した九七戦は、エンジン直径と関係なく、最小の胴体必要幅を採用したから、平面形が急に絞られているようになったのに過ぎない。実は、意外な類似思想の機体が米国に存在した。カーチスP-36である。この機体も平面形は頭でっかちで、胴体は細い。
つまり、P-36も同じように初期のNACAカウリング採用の過渡的な存在なのである。世界の傑作機No.23の陸軍5式戦闘機に、これに関連する記述がある(P55)。細い飛燕の胴体に、空冷エンジンを搭載しようとしたら、直径が大き過ぎて胴体寸法と合わなくて、空気抵抗の増大が懸念されたのである。高さの方は、胴体下面に膨らみを付けることで簡単に片付いたが、平面形がどうにもならない。そこで風洞実験をしたが、そのひとつに九七戦のようにしたものがあった。
すると、絞った部分に渦流が発生して、使い物にならないと判断されて、小規模ながら胴体の幅を膨らませ、不足分は胴体側面に推力式排気管を配置して対策した、と言うのである。鳥養氏のいうように九七戦がプロペラ後流の影響で胴体を絞ったと言うのなら、キ-100の場合も問題はなかったであろう。風洞実験ではプロペラ後流の影響は試験できない。それなら風洞実験の結果はどうあれ、プロペラをつけた実機では問題ないはずだ、と判断されたはずだが川崎航空機と陸軍の技術者はそう判断しなかった。結局は九七戦方式は採用されなかったのである。現に、タウネンドカウリングからNACAカウリングに変更した、九六式二号二型艦戦以降では、胴体を全面設計変更して太くし、カウリングと胴体の段差を最小となるようにしているのも、川崎航空機の判断と一致している。
そうすると逆の疑問が生じる。九七戦は問題なかったではないか、と。世界の傑作機の筆者はこのことに言及していないので、小生の推定を紹介する。キ-100に比べると九七戦の主翼はかなり、カウリングに食い込む前方にある。つまり、カウリングが絞られたあたりに、主翼があることによって、トータルとして断面積の減少を補正できる。完全にではないにしても、実用上支障ない程度に過流の発生は少なかったのだろうと推定する。
なお、遷音速域では、胴体と主翼を含めた断面積の変化を少なくすると抵抗が少なくなる、というエリアルールがある。遷音速に至らなくても飛行機の抵抗増大などの空力的不具合は、やはり機体や主翼の断面変化の影響がいくらかはあるのではなかろうか。現にホンダジェットでは主翼上面にパイロンを設置して、エンジンを取り付けているにもかかわらず、配置の検討の結果、わざわざパイロンを後方に張り出して、エンジンが主翼直上にこないように配置している。これもエンジンと主翼の干渉を避けたのであろう。
そうすると、P-36の場合はどうなのだ、と。実はある本(*)に、P-36の輸出型であるカーチスホーク75Aの初期型の平面図(P65)があるのを見つけた。これを見て驚いた。何と主翼と胴体の平面形が配置も含めて、九七戦と瓜二つなのである。もちろん、風防と尾翼は全く違うがそれ以外はそっくりなのである。わずかな違いは、主翼のアスペクト比と、主翼前縁が九七戦が全く後退角がないのに比べ、75Aはほんのわずかに後退角がついていること位である。
例によって、九七戦は、この機体を参考にしたのではないかと疑ったが、どちらの原型機も完成時期が近いので、断定はしない。いずれにしても、この時期のNACAカウリング採用単発機は、いずれもカウリング平面形を後方でやや絞っている、という共通点があるから、やはり設計者に共通の迷いがあったものと想像する。なお、P-36の原型機と初期の75Aは、空冷単列星形の大直径エンジンを採用しているが、P-36の実用機と後期の75Aは、二重星型でより直径が小さいものに換装しているから、カウリングの絞り込みの空力的影響が少ないものと考えられる。九七戦の練習機で小直径エンジンを採用したものも同じことになっている。
以上のように、鳥養氏の言う、中島飛行機のプロペラ後流の収縮流の影響、というのには、疑義を持たざるを得ない。もっとも鳥養氏は中島の設計思想を淡々と述べているだけで、正しいとは判定はしてはいない。エンジンがなくプロペラだけが空気流れの中で回転していることを仮想すると、空気流の最高速度はプロペラ断面通過位置となる。すると流体力学の原理により、空気の流れの断面積は、プロペラ断面位置で最少となるから、プロペラより後ろで空気の流れが絞られる、ということは考えられない。
実はこのことが、プロペラによる収縮流の影響と言う考え方(俗に日本の飛行機マニアの間で「縮流理論」ともいう)に疑問を持ったきっかけである。さらに鳥養氏は、彩雲は三座機であるため、「最小断面の平行部のある」長い胴体となっていると書いておられるのは、実は正確ではない。実際には世界の傑作機No.108の断面図のように、エンジン防火壁直後から、徐々に幅が絞られて、厳密には平面図で見た胴体幅の平行部分というのはない。これは揚げ足取りではない。
他の偵察機の例を見ても、当時の偵察要員や機材などを搭載する必要幅は、誉エンジンの幅よりずっと少ないのである。それでも、彩雲の胴体の幅がかなり後方まで絞られ方が少ないのは、別の意味で「三座機」だったからである。彩雲は艦上機であり、偵察機であるため、視界確保を重視した。そのため、風防幅が大きい。幅の大きい風防を操縦員から、最後席まで長い区間を「平行」にして幅を確保している。そのために後方胴体を急に絞ることが出来なかったのである。
ちなみにP-36に戻ると、液冷エンジンに容易に換装でき、P-40となったのは、元々胴体幅が狭かったから液冷エンジンにすると丁度良かったのであって、偶然に運が良かったのである。キ-100のために弁ずれば、土井技師が空冷換装に苦労したのはエンジン寸法の違いばかりではない。エンジンなしで生産されてしまった多数の機体を、最小限の改造で金星エンジンを装着しなければならなかったからである。むしろ全て新造なら九六式二号二型艦戦のように、胴体の全面設計変更した方が設計の苦労は少なかったのである。土井技師たちの苦労は想像以上だったと思う。
また、通説では、鍾馗の胴体は「縮流理論」によって、エンジン後方の胴体が、急に細く絞られている、とされている。ハセガワの1/48のキットがこの通説に従っている。しかし、平面形を上空から写したものや、真後ろから撮影されている写真をいくらみても、胴体が絞られて凹んでいるようには見えず、単にほぼ直線的に成形されているようにしか見えない。この胴体形状はFw190のAシリーズとそっくりである。それでは直線的に成形するメリットは何か。鳥養氏の説明のように、胴体表面積が最小になって、摩擦抵抗を最小にできるのである。
ハセガワの鍾馗のような胴体形状は、渦流の発生や表面積を大きくする、という二点で流体力学的にはあまり好ましくはないのである。雷電や烈風のように、最大断面積を全長の40%位置にするために、わざわざ胴体幅をエンジン最大断面積より大きくするのは、摩擦抵抗が増えて好ましくはない、と鳥養氏が言うのは流石にプロだと思う。
通説では、海軍航空技術廠の権威は大きく、それで堀越技師は雷電や烈風の設計で、空技廠の最大断面積を全長の40%位置説に従ったとする説があるが、彩雲の例はそれを否定している。要するに堀越技師は自信がないので空技廠説を採用したのである。堀越技師の見識を疑うひとつの例である。
ちなみに、Fw190D9あたりの胴体断面積がエンジン最大断面積より大きくなっているのは、空冷エンジンの胴体設計を極力流用した結果に過ぎない。前のタイプの設計の流用は、設計の手間ばかりではなく、製作治具の共用などの、生産上のメリットも大きいことを付言しておく。
*COMBAT COLOURS Number4という大東亜戦争初期の日本機と連合軍機の塗装図集
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