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書評・主任設計者が明かすF-2戦闘機開発 神田國一

2019-06-28 22:16:49 | 軍事技術

 本書は最新の技術開発がいかに行われるかに興味があって読んだが、結果的に裏切られないどころか、近世以来の日本人による技術開発についての本質をついた記述があったのは貴重であった。

 F-2は日本独自開発を米側の要求に屈して、米空軍のF-16をベースに改造することで開発されることになったのだが、本書によれば、そんな単純なものではなかった。F-16の初期のデータはもらえたが、肝心の技術情報やその後の試験等の技術データは開示されなかった、というのだ。要するに姿・形は教えてもらったのだが、それを裏付ける技術データは非開示であった、ということである。その逆に日本で独自開発された複合素材などの新しい本機への適用技術は全て米国に提供された

 冒頭の近世以来の日本人の技術開発についての本質は、筆者の次の言葉が的確に言い表している。

 「不遜な言い方かもしれないが欧米で実現している技術は、技術資料はなくても、必要な資金と『できたという正しい情報』があればすくなくとも類似の技術はできる。(P196)」

 まさにその通りである。だから技術情報の開示はなくても、どんな技術が盛り込まれているかという答えだけ、を知ることが出来れば、同技術レベルのものは開発できるのだ。だからF-16のそっくりさんであっても、中身は独自開発と同じことなのである。

 それで思いつくことがある。戦後自衛隊が開発した最新技術の飛行機には、常にそっくりさんがいることである。付言するが、レシプロ機からジェット機に移行したことによって、戦闘機などの外観形式の自由度は大幅に拡大した。同じ要求仕様でも、外観形式にはかなり選択の幅が大きくなったのである。そのことを前提に以下を読んでいただきたい。

T-1練習機はF-86の、T-2はジャギュアの、T-4はアルファジェットのそっくりさんなのである。これは悪く言えば、開発側の自信のなさの現れとも言えるが、同時に技術水準の高さをも表している。

多くの日本の専門家は、これらの日本製の機体が、外国製の同時代機のそっくりさんであることを認めない。果ては、同じ要求使用に基づけば、同じような外観になるのは当然とすら言い切る。これが間違いであることは事実が証明している。例えば同じ要求仕様に基づいて作られた、YF-22とYF-23は全く外見の配置形状が全く違う。似ても似つかないのである。YF-22が採用されたのは、必ずしもその相違に拠るものばかりではなく、出来上がった試験機のテストの総合結果の優劣に拠るものであったろう。しかし、両機とも同じ要求使用に基づいていたのである。

 日本ですらT-1開発の際に各社が応募した設計の概観は各社全く異なるものだった。しかし、採用されたのは、F-86に似ているが、後退角を少なくしてリスクを減らしたものだったのである。これならば後退翼と言う新技術を無難に習得できるからである。脱線したが、多くの自由度があるなかで、過去にある外国機の概観を真似るのは、技術的にはコピーではないが、その方が日本国内での説明が容易なのである。

 その点で、最初からF-16改造、という条件が与えられた方が、設計者の心理的負担は少ない。どういう外観形式を選択するか悩む必要はなく、似ていて当然だからというわけである。だからといって、設計者の労力負担が少しでも減るわけではない。そっくりでも技術資料がなく、同等のものを作るには、結局自前の技術がなければならないからである。コピーと簡単に言うが、実物だけ与えられて同等のものを作れるのは、同等の技術が必要となる。

幕末に黒船が来ると、いくつかの藩で独自に工夫して蒸気船を作った。製鉄のために反射炉も作った。しかし、そこまで到達するには、欧米の技術にキャッチアップする自前の努力があったのである。その点当時の清国は違った。定遠などの巨艦に見られるように、いきなり外国製のものを買ってきて、自前の技術の涵養に努めなかった。日本は、日露戦争当時、最新式の軍艦は輸入に頼ったが、、二線級の軍艦は、自前の技術水準で追いつくことができる国産としたのである。

その後金剛級を、英国製と日本製のものに作り分けることによって、国内技術を涵養した。タービン技術はかなり後期まで、外国製の技術に依存することが多かったようであるが。これらの国内技術の育成が、大戦末期に設計ノウハウもない図面だけで、自前のターボジェットを製造するに至ったのである。清国の安易な輸入方式は現在までも、中共の製造業の特質を現している。中共は自前の技術の養成に努めないから、現在に至るまで、製造の基礎技術は低い

F-2はそれまで培った技術の蓄積があったからこそ、F-16のろくな技術資料の提供も受けずに「F-16改造」と言われるF-2を完成できたのである。

かの零戦も同様である。米国の事情聴取に対して、設計主務の堀越二郎氏は、外国製のものから多くのものを得たことを告白している(前間孝則氏による)。しかし、堀越氏の著書では一切触れない。しかし、たとえ外国製のコピーに等しいと言われようと恥ずべきことではない。それだけの技術の素地があったからこそ「コピー」できたのである。零戦の榮エンジンも同様である。英国のジュピターの国産化から始まって、米国エンジンの技術も取り入れながら熟成していったのが、榮エンジンであった。

ここに日本の技術開発の欠点と言うべきものが垣間見える。本書の著者が言うように、新しい技術の「できたという技術情報」は必要なのである。換言すれば、新開発する戦闘機に盛り込むべき技術は、米国の技術動向の情報が必要なのである。この点に関しては、次期戦闘機に盛り込むべき技術の研究が、防衛省の指導の下に研究されていると伝え聞く。技術の素地はあるのである。だがそれらは、現在の欧米の技術動向の応用の範囲であって、全くの先鞭をつけるものではない。

F-2の場合は、日本でも複合素材の使用などいくつかの、新技術があったことは明るい情報である。複合材料技術は日本の技術開発の成果が、米国に移転することによって世界に普及し、いまや民間旅客機の技術としては当たり前のように普及しているのである。

余談だが、スウェーデンのグリッペンは意外なしろものだったことを本書で知った。姿形こそ独自であるが、実はスウェーデンは細部設計と主翼の開発は、イギリスのエアロスペースへ外注し、米国のリア・シーグラー社に飛行制御コンピュータソフトを委託し、アビオニクス等は多くが米国製品の輸入だそうである。外見だけF-16のそっくりさんのF-2が、中身が日本の自前であるのに対して、独自のスタイルをしているグリッぺンが、そのほとんどの技術を米英に頼っていたのである。

レシプロ戦闘機の時代から、ジェット機まで数々の戦闘機を国産開発してきたスェーデンが、いつの前こんな仕儀になってしまったのであろうか。恐らくは費用の問題が最大のものであろう。ハイテクの塊の新鋭戦闘機の開発を現在まで自前で行ってるのは、ロシアだけであろう。それも実用化に達しているのは、一世代前のSu-27系列のものまでであり、他の国はほとんどが国際共同開発である。

スェーデンが独自の国内開発をしていると思ったら、何と自前なのは外観だけだったのである。フランスのラファールについては情報がない。スェーデンのやり方では、飛行制御に不具合が起きたり、今後の性能向上等を行う場合には、大いに支障が出るに違いない。日本の新戦闘機の開発に当たっては、様々な困難が予想されると著者が考えるのは当然である。困難には、著者が再三述べる技術の継承の問題も大きいことも付言する。本当に肝心なことは防衛機密だから書かれていないのだが、航空技術や軍事に興味のある人ばかりではなく、技術者一般にも一読の価値がある、と考える。

 本書を読まれるに当たっては、工学の素養があることが必要であることを一言したい。例えば説明なしに、何気に書かれている「安全率」という言葉は工学のテクニカルタームだからである。インターネットを調べれば分かるはずだが、そう簡単でもないのである。工学の素養とは必ずしも工業高専や工学部系の大学を出ていることではない。独学でもよいから、工学の基礎を系統的に習得したことを言う。

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