以前、有名な零戦の設計者、堀越二郎技師について、飛行機設計技術者の見識について疑義を呈した。その第二段である。左は昔作ったプラモの写真である。パイロットの座席を覆う部分をキャノピー、あるいは風防(と天蓋)という。このHe112は現在の戦闘機にも広く使われている、バブルキャノピーを世界で最初に採用した実用戦闘機である。He112は旧式なオープンコクピットから始まって、さまざまなキャノピーを模索試験して、ようやく写真のようなバブルキャノピーに到達した。
He112は本国ドイツでは、不採用扱いだったが、輸出されて実用もされているので、実用機といっていい。一見して日本の零戦が、非常に良く似た形のキャノピーをしているのは分かると思う。Fw190が後方まで透明でも胴体と直線的に接続しているのと違い、機体ラインから突出しているのが特異である。
バブルキャノピーは機体の外に飛び出しているので、特にパイロットの後方の視界が良く、戦闘機に適している。このドイツ製の戦闘機を日本が輸入して、それを見た、堀越技師は当時設計を始めたばかりの零戦の試作機に急遽採用したのに違いない。この点を指摘した航空機評論家を寡聞にして知らない。零戦の場合、旧式なレザーバックキャノピーを採用した風洞模型の写真も残っているから、間違いなかろうと推定する。
零戦は日本で始めて引込み脚を採用した、実用戦闘機であるが、これも輸入した米戦闘機の機構を真似た。こちらは現在では定説である。技術は模倣から始まるから、そのこと自体は恥ずべきことではない。問題は、堀越技師がバブルキャノピーや引込み脚の採用の経緯を隠していることである。しかも、これらの模倣を戦後、米軍の事情聴取に堀越は、ことごとく正直に語ったというから、欧米コンプレックスがあったのである。
技術者の将来への糧として、この経緯を残すのは貴重なことなのに、である。堀越技術は、著書「零戦」で技術上の特筆事項を得意げにいくつも挙げているのに、引込み脚とバブルキャノピーについては、全く言及しない。あたかも物まねを恥じているかのようである。そこまでは日本の技術史にありがちな隠蔽である。
そこから事態は意外な展開をする。開戦の翌年の、昭和17年の6月、アリューシャン列島で米軍は飛行可能な零戦を手に入れた。零戦などの日本の戦闘機に手を焼いていた、米軍は徹底的に調査して、長所短所を発見した。バブルキャノピーが戦闘機に極めて有効だと判断して、以後同盟国の英国ともども、戦闘機にはバブルキャノピーを採用した。
有名なマスタングやスピットファイアなどの既成の戦闘機も、ことごとく、バブルキャノピーに改造してしまった。だが、これが零戦の物まねである事は、堀越技師と同じく、英米の技術者も語らない。だからこれは、私の新説である。本家本元ののドイツでは、かなり遅くまで、本格的なバブルキャノピーは採用しなかった。だから英米が零戦を真似たのは事実であろうと思う。
米国が、こういうことに関してフランクだと言うのは嘘である。実質はともかく、日本の大和級戦艦が、世界で最大の主砲と装甲を持っていたのは事実である。ところが当時のアメリカは、世界一を自称していたために、そのことが気に入らなかった。そこで何をしたか。戦後、大和級戦艦の砲塔の装甲板を手に入れて、米国最大の戦艦の主砲で砲撃した。
みごとに米戦艦の大砲は、大和級の戦艦の装甲を打ち抜いた。世界一の戦艦は米国のものである、というわけだ。ところがわずか、数百メートルに置いた装甲板を撃ったのだ。インチキである。これでは打ち抜けるのは当然である。実際には想定する戦闘は、10kmとか30kmで行われる。それを誤魔化したのである。
米海軍ですら、世界一を自負したいために、かくのごとき嘘をつく者たちなのである。だから、英米が零戦を模倣したなどと言うはずがない。堀越技師と同じく皆うそつきである。アリューシャンで回収した零戦の試験結果はことごとく零戦の欠点を強調して、零戦対策に資している。実は日本で実用機に最初にバブルキャノピーを採用したのは、陸軍の97式戦闘機である。設計者の小山技師は、試行錯誤をして、ようやくバブルキャノピーにたどりついたのは、ドイツのHe112と同じであるのは、技術史を考えると素晴らしい事実である。
しかし小山技師のオリジナルは、完全なバブルキャノピーの寸前であった。設計の時期から考えて、97式戦闘機が、最後に完全なバブルキャノピーに脱皮したのは、He112の実物を見てからだと考えられる。それでも、オリジナルで直前までたどりついた小山技師のオリジナリティーは、真似をして語らない、堀越技師とは比べ物にならないと思われる。結論から言えば、零戦の最大の遺産は、後世の戦闘機をことごとくバブルキャノピーにした実績である。