ある記事で、大東亜戦争中、日本海軍は92オクタンで陸軍は87オクタンのガソリンを使っていたと書かれていた。だから同一エンジンを使った隼が零戦より最大速度が遅かったのは、これが原因であるというのだが、オクタン価の差があるなら可能性はある。
しかし誉エンジンは100オクタンを前提に設計されていたとされる。誉を搭載した疾風にも、87オクタンの燃料を使ったのであろうか。そうならブースト圧なり回転数に大幅な制限が加えられていたはずである。するとエンジンの性能は大幅に低下するのは当然である。このことを論じた記事を見ないから小生には実態は不明である。
既にご存じだと思うが、一部の人に誤解があるかも知れないので再度言うが、87オクタン用に設計したエンジンに、100オクタンのハイオクガソリンを使っても、性能が良くなることは一般的にはあり得ない。100オクタン用に設計したエンジンでなければ100オクタンのガソリンを使っても無駄なのである。100オクタンでも87オクタンでも、ガソリンの単位重量当たりの発熱量は同じだから、低オクタンでもハイオクでも、発生エネルギー量自体は変わらないからである。逆に100オクタンで設計されたエンジンに、87オクタンのガソリンを使用すると、前述のように使用制限をしなければならず、本来の性能を発揮できない。こんなことは、今のカーマニアなら当然知っている。レギュラーガソリン用の車に、ガソリンスタンドでハイオクを入れる馬鹿はいないのである。
オクタン価とは、燃料のアンチノック性能、すなわちノッキングを起こしにくい程度をいう。ある燃料のノッキングを起こす圧縮比が同一の、ノルマル・ヘプタンとイソ・オクタンの混合比燃料の、イソ・オクタンの比率である。87オクタンと言えば、イソ・オクタンが87%の燃料と同じ、アンチノック性能を持つ燃料を言う。細かい説明は省きごく単純化して言えば、オクタン価が高ければ、例えば高圧縮比のエンジンを設計できるから、小型で高馬力を発揮できるのである。
戦後米軍が、140オクタンのガソリンで日本の軍用機をテストした、という記事が散見されるが、先のオクタン価の定義からすれば、厳密には140オクタンと言うガソリンは存在しない。正確には、パーフォーマンスナンバーと言うが、慣例的にオクタン価と言っているのである。前述のように誉が100オクタンで設計されているとすれば、100オクタンをどれほど超えた燃料を使っても、性能は基本的には、100オクタンの場合と変わらない。ちなみに、同じレシプロエンジンでも、オクタン価はガソリンエンジンにしか適用されず、ディーゼルエンジンはセタン価を使う。
ちなみに、兵頭二十八氏は「技術戦としての第二次大戦」で自信無げに、レシプロエンジンにはオクタン価が重要なようです、と書いている。カーマニア程度の知識もなく、航空エンジンの優劣を論じているから驚きである。同氏は内燃機関工学のイロハも知らずに、液冷エンジンの空冷エンジンに対する優位性を論じているから、大した度胸というよりは、無知も甚だしい。
冒頭に簡単に海軍92オクタン、陸軍87オクタンという記事を紹介したが、これは正確ではないのに違いない。時期による変化もあろうし、いくら、補給を単純にするといっても、戦闘機と練習機に同じオクタン価のガソリンを使うのは、コスト面でよろしくないだろう。戦闘機のうちでも誉と栄エンジンでは燃料に要求されるオクタン価が異なる。この辺り陸海軍の運用の実態を正確に示した資料を入手したいと思う次第である。
ひとつだけ見つけたのが、林譲治氏の「太平洋戦争のロジスティクス」である。P109には、海軍の昭和13年から昭和16年までの各年ごとの「航空燃料所要量」と「航空機と使用燃料」が掲載されており、これが旧日本軍の航空燃料に関して、小生が知る最も詳しいものである。燃料の種類は100オクタン、95~92オクタン、87~85オクタンに分けられている。そして各年ごとに「航空燃料所要量」には燃料の量が「航空機と使用燃料」には各オクタン価ごとに、使用機種として陸攻、艦戦、飛行艇、などと機種ごとに使用区分が示されている貴重なものである。意外だったのが100オクタン燃料があることである。
残念ながら開戦後のデータと陸軍のデータがない。所要量は年を追うごとに高オクタン燃料の比率が増えているから、これは生産量ではなく文字通り必要量なのかも知れない。また同じ機種でも、同一オクタン価だけとは限らないから、エンジンの設計に合わせているのだろう。例えば、榮エンジンは92オクタンで設計されているとみられるが、零戦のほとんどと、九七艦攻の後期型に使われている。
ちなみに、ドイツ空軍は、戦闘用航空機エンジンのほとんどを、87オクタンと比較的低オクタンで統一しているのは、補給の困難さを予見して、100オクタンなどという無理をせずに高性能エンジンをも開発する、という思想をとっていて、日本のように無理をしていない(一部100オクタン用のエンジンも開発されたが大量生産には至らなかった)。このことはイギリスが、機体設計で鋼管溶接羽布張りや木製機など保守的なものを、ジュラルミンのセミモノコックという最新構造設計と併用しているのと相通ずる思想を感じる。
このため、大戦末期に日本が、ジュラルミンの不足から木製に切り替えようとして失敗したという悲劇(喜劇?)を演ずることになる。堀越二郎氏の嘆いた、日本の基礎工業技術の底辺の浅さ狭さというのは紛れもない事実である。
*主な資料:内燃機関工学・粟野誠一・・・今は無き、山海堂の本です。ちなみに、山海堂は、専務が山田さんで、社長が海野さんでした。海山堂では語呂が悪かったのでしょう。山田専務が自ら校正に出向いてくれたのには恐れ入ったことがあります。小生も売れない本の出版をお願いして、山海堂の倒産をはやめた一部を担っていたと思うと反省です(;^_^A
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