私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ベルギー国王レオポルド二世再考(3)

2008-01-02 10:32:38 | 日記・エッセイ・コラム
 英語の勉強のためにコンラッドの『闇の奥』を読むのを思い立った私でしたが、やがて、その背景であるアフリカのコンゴに関心を持つことになりました。決定的な契機となったのはフィンケルスタイン著『ホロコースト産業』(立木勝訳、三交社、2004年)でした。私は原著(2000年)を2001年に読み、ナチ・ホロコーストの僅か40年ほど前に、それに匹敵する大虐殺がコンゴでも起っていたことを知りました。丁度コンラッドが『闇の奥』を書いていた時期と重なります。拙著『「闇の奥」の奥』の執筆には名著の誉れの高いアダム・ホックシールドの『レオポルド王の亡霊』(1998年、和訳なし)を大いに参考にさせてもらいましたが、同じ程度に世話になった本に Martin Evans という人の『European Atrocity, African Catastrophe』(RoutledgeCurzon,2002年)があります。ベルギー国王レオポルド二世の私有植民地「コンゴ自由国」を主題とし、その罪過を記述し、糺弾するする点で、この二書はとてもよく似ているのですが、「コンゴ自由国」を論ずる場合、海外でも国内でも、アダム・ホックシールドの本だけが引用されて、マーティン・エヴァンスの本が引いてある例にはとんと出会いません。エヴァンスの方が4年ほども出版が後なのに、ホックシールドの本が引いてないのも気になりますが、ホックシールドの話ですと、彼の本は9回も拒否された後にやっと出版されたそうですから、エヴァンスの方も原稿は書き上げていたものの出版を断られ続けている裡に、ホックシールドの本に先を越されて、いよいよ苦境に陥ってしまったのかもしれません。マーティン・エヴァンスという人は長いキャリアの外交官で、サーの称号を持っています。上掲の書物の内容もなかなかしっかりしていて、「コンゴ自由国」に興味を持つ人にはお勧めです。そして、ここで私がエヴァンスの本に注目する理由は以下に述べます。
 アメリカに「マザー・ジョーンズ」という面白い隔月刊誌があります。その名前はMary Harris Jones(1830-1930)という肝っ玉母ちゃんの社会運動家の名から来ています。百歳まで生きたことになっていますが1830年5月1日生れというのは詐称のようです。その理由を説明するには、「ヘイマーケット事件」のことからお話しなければなりませんので、今は控えておきます。とにかくマザー・ジョーンズはスゴイ馬力の、そして、極めて魅力的な女性闘士でありました。彼女の心意気を受け継いだ雑誌「マザー・ジョーンズ」は1976年2月発刊、私も何年間か定期購読しました。アダム・ホックシールドはその創始期の編集長の一人でした。その事も始めから私が彼の著書『レオポルド王の亡霊』に信を置いた理由の一つでした。
 そのアダム・ホックシールドから私が少し、しかし、はっきりと距離を置くようになったのは、最近のことです。ですが、考えてみると、その萌芽は2005年に遡ります。2005年の4月2日から9月10日まで、ベルギーの首都ブリュッセルの郊外にある王立中央アフリカ博物館で『コンゴの記憶:植民地時代』という特別展が開催されました。これは、荒っぽく言ってしまえば、アダム・ホックシールドの『レオポルド王の亡霊』に煽られて国際的に高まったレオポルド王のコンゴ植民地経営の過去の罪過に対する非難を何とかかわそうとするベルギー側の努力の表われでした。その2年ほど前に王立中央アフリカ博物館を一度訪れたことにある私は是非特別展を見に行きたいと思ったのですが、身辺の都合で果たせず、その解説パンフレット(44ページ)『MEMORY OF CONGO:THE COLONIAL ERA』を取り寄せて読んだだけです。展示は7つの部屋で構成され、順を追って解説をたどってみた限りでは、レオポルド二世の私有植民地「コンゴ自由国」をめぐる問題について、ベルギーの王立博物館としては、この辺の記述と弁明がまあまあ精一杯の所かなあ、というのが、私の正直な第一印象でした。
 ところが、「コンゴの記憶」特別展に対して、アダム・ホックシールドの物凄く威丈高で痛烈な批判論がアメリカで最も評判の高い書評誌「The New York Review of Books」
の2005年10月6日号に掲載されました。零点というかマイナスというか、とにかく“全然なっとらん”という酷評です。冒頭で、ホックシールドは、歴史の記憶に関わる論争の例として、トルコ政府が依然としていわゆる「アルメニア人大虐殺」を認めようとしない事と第二次世界大戦中の日本軍の残虐行為を挙げて、「Japan’s schoolbooks still whitewash its troops’ atrocities in World War II」と書いています。日本軍の残虐行為の糊塗隠蔽としてホックシールドの念頭にあったのは、おそらく、南京のことであろうと思われます。続いて、歴史の記憶をめぐるもう一つの戦いがベルギーの一つの博物館で起っているとして、王立中央アフリカ博物館の『コンゴの記憶:植民地時代』特別展の具体的な議論に入る前に、その実体を要約して「王立中央アフリカ博物館は、言うなれば、ベルリンに巨大なユダヤ芸術文化博物館があってそこにホロコーストのホの字も見当たらないというのと同じ状態だ(It was as if there were a huge museum of Jewish art and culture in Berlin that made no mention of the Holocaust)」と断定を下します。ホロコーストの字に大文字Hが使われているのは、これがナチスによるユダヤ人の受難だけを表しているのだということに注意して下さい。アダム・ホックシールドの王立中央アフリカ博物館特別展批判論『In the Heart of Darkness』を読んだ私は「こりゃあんまり手厳しすぎる」と思いました。特別展の解説書には、言い訳がましい語り口ながら、レオポルド王の悪行にも結構言及がなされているのです。負け犬の側に衝動的に味方してしまう私の悪い癖が出たのかも知れませんが、著書『レオポルド王の亡霊』の世界的大成功で図に乗った強者アダム・ホックシールドにいじめ抜かれる小国ベルギーにふと淡い同情を感じ、同時に、アダム・ホックシールドという一個人に対して微かながら違和感が芽生えたのだったと思います。案の定、書評誌「The New York Review of Books」の2006年1月12日号に、『コンゴの記憶:植民地時代』特別展を監修したベルギーの歴史家 Jean-Luc Vellut のホックシールドの「『n the Heart of Darkness』に対する反論が掲載されましたが、この及び腰の弁解に対しても,再び、ホックシールドは容赦ない鉄槌を下しています。
 上に、私は、アダム・ホックシールドから少し、しかし、はっきりと距離を置くようになったのは、最近のことだと書きました。最近とは、カタンガについて改めて勉強をはじめたのを意味します。1960年独立したコンゴ共和国初代首相に選出されたパトリス・ルムンバが半年後に暗殺されたカタンガについては拙著『「闇の奥」の奥』の213頁以降にも書きましたが、この地域の重要性については、2007年11月14日のブログ『エルドラド探険遠征隊は「闇の奥」には消えなかった』とそれに続くブログで改めて取り上げています。それで気が付いたのですが、「コンゴ自由国」とレオポルド王を論じた名著として脚光を独占しているアダム・ホックシールドの『レオポルド王の亡霊』の索引には Katanga の文字がないのです。カタンガについての記述が欠けているのです。これと対照的に、このブログの始めに言及したマーティン・エヴァンスの本には、全巻にわたってカタンガのことに論及がなされています。私が今痛感しているのは、ベルギー王レオポルド二世を論じる場合、カタンガで彼が何をしたかを無視するのは大変な片手落ちだということです。この視点から見ると、アダム・ホックシールドの『レオポルド王の亡霊』には大きな欠陥があるということになります。アフリカについて未だ浅学の私ではありますが、カタンガを語らずして、レオポルド王もコンゴ自由国もアフリカの植民地問題も語ることは出来ないということだけは確かだと思います。次回にはそれを論じます。

藤永 茂 (2008年1月2日)