私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ラッカの戦いから何を読み取るか

2023-04-07 18:43:46 | 日記・エッセイ・コラム

 「ラッカの戦い」と聞いても何も頭に浮かばない人が多いでしょう。しかし、シリア北西部の都市ラッカで起きたことを正確に見極める事は、今の、これからの日本にとって、極めて重要な事だと思います。それは我々日本人を次の世界大戦に巻き込もうとしている強大凶悪な軍事勢力の真の姿を見据える事になるからです。

 「ラッカの戦い」は二つあります。一つは2013年3月初旬の戦闘、シリアの反政府勢力がシリア陸軍を破ってシリア北部の重要都市ラッカを占領しました。その後、いわゆるイスラム国(IS)がイラクとシリアで急速に勢力を拡大して、シリアの東部と南部から侵攻し、ラッカを占領してこの都市をイスラム国の首都としました。しかしイスラム国はラッカの西の、当時はシリア最大の都市アレッポや首都ダマスカスの攻略に向かわず、ラッカから北上してトルコとシリアの国境の少都市コバニの制圧占領を目指して進撃しました。シリア北部のトルコとの国境沿いに200万人程のクルド人が住んでいて、コバニ(アイン・アル=アラブ)はその拠点都市の一つですが、当時の人口は周辺を含めて約10万。コバニ包囲戦は2014年9月16日に始まりました。IS側は短期でコバニを制圧できるつもりだったのでしょうが、クルド人民兵組織の頑強な抵抗に遭い、2015年1月26日、遂に撤退敗走に追い込まれました。この壮絶なコバニの防衛戦を「スターリングラードの戦い」に擬するクルド人もいます。

 この戦いの後、米国は、国際的テロ組織ISと戦う傭兵集団として、勇敢なクルド人民兵を主体とする軍事勢力を育て上げ、これにSDF(Syrian Democratic Force)という名前をつけました。2016年5月、SDFは2014年からイスラム国(IS)が首都としていた都市ラッカに対する攻撃を開始し、これを援護する形で米国空軍は大規模の都市爆撃を行い、10月下旬にラッカ一帯を占領し、ISは決定的な敗北を喫したかに見えました。これが二回目の「ラッカの戦い」です。

 この二回目のラッカ周辺の戦争についてはネット上に大量の記事がありますが、私はそこに重大な見落とし、あるいは、隠蔽があると考えます。それは米国と国際テロ組織ISとの本当の関係です。端的に言えば、SDFもISも軍事勢力としては米国の傭兵です。

 「SDFもISも軍事勢力としては共に米国の傭兵」であるという私の考えの萌芽は「コバニ包囲戦」で殆ど誰も予期しなかったクルド人民兵たちが勝利した時点に遡ります。米国は米空軍のおこなった対IS爆撃によってコバニの解放が勝ち取られたように報道しましたが、それに抗議してクルド人民兵が「そうではない。我々の決死の反撃がISを打ち破ったのだ。我々は米空軍機が援助物資をIS側に投下するのを目撃した」と発言したことがありました。私はその時から、米国の、いわゆる、「テロとの戦い」を強い疑惑を持って観察し続けて今日に至り、現在では、「IS(Daesh)も米国の傭兵」として世界で(現在のシリアを含めて)行動していることを確信するようになりました。

 私の確信を確証するような記事が最近数多く出るようになっています。ここではその2例を挙げておきます:

https://syria360.wordpress.com/2023/02/13/us-training-isis-al-qaeda-fighters-in-syria-to-deploy-to-russiaand-cis/

https://syria360.wordpress.com/2023/03/05/recent-isis-attacks-in-syrian-desert-carried-out-with-us-support/

 「IS(Daesh)も米国の傭兵だなんてそんな馬鹿な!米国空軍はラッカのIS勢力に対して大規模の徹底的空爆を行ったではないか!」と反論される方々もおいででしょう。あの爆撃ではラッカとその周辺のインフラが徹底的に破壊されました。その意味で大空爆はシリアの一般住民に対して行われたのです。サンクションと同じです。その目的はアサド政権の打倒、レジーム・チェンジ以外の何物でもありません。

 私が「ラッカの戦い」という、大多数の日本人が何の興味も持っていないシリアでの出来事を取り上げているのは、ここに恐るべき悪の大帝国アメリカの真の姿が露呈しているからです。日本は台湾と共に東亜のウクライナになってはなりません。

 ISについて是非読んでいただきたい和文記事があります:

https://d4p.world/news/5429/

その結語の部分をコピーさせていただきます。

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平穏に生きていきたいだけなのに、自分の国には安全な居場所がない難民の方々。大切な人々を守りたいのに、構造的格差のなか貧困に喘いでいる家庭。自分に非はないのに、いわれなき差別を受けている人々。その他多くの問題の責任は、当事者だけのものではないはずだ。「戦争の世紀」は今世紀にも及んでいるが、その負のバトンを手放し、「戦争を克服した世紀」を築けるよう、まずは問題の本質を見誤らないよう、知り、考えることから始める必要があるのではないか。ISをめぐる取材から、そんなことを考えて今に至る。いまだ燻る憎しみの鬼火を、温かな灯火と変えていけるように。(2020.7.6 / 写真・文 佐藤慧)

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藤永茂(2023年4月7日)


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