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私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ユージン・スミスの『入浴する智子と母』

2021-10-19 19:10:30 | 日記・エッセイ・コラム

 この私のブログを見て下さっている方々は、多分、この写真をご存知でしょう。もしそうでなければ、下のサイト:

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/wsws/index.html

を開いて、ぜひ、この歴史的な写真を見てください。上の記事の日付は9月17日です。ついでに、この『マスコミに載らない海外記事』という必見のブログの常連読者になって下さい。私もその一人で毎朝読ませてもらっています。ここに翻訳転載された英語原文(8月4日)は

https://www.wsws.org/en/articles/2021/08/04/mina-a04.html

にあります。この写真については、英語のWikipedia にも『Tomoko and Mother in the Bath』という内容豊かな記事があります:

https://en.wikipedia.org/wiki/Tomoko_and_Mother_in_the_Bath

この写真のことは、朝日新聞の10月16日朝刊でも取り上げられています。MINAMATA あの1枚』と題するインタビュー記事です。この写真をめぐる幾つかの重要な問題を知ることが出来ます。この新聞記事を読むことが出来なければ、上の英文ウィキペディアに引用してあるアイリーン・スミスさん(ユージン・スミスさんの元妻)のアーカイブにある2つの記事:

http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_en/aboutus/tomoko_and_mother_in_the_bath.html

http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_en/aboutus/my_life_with_w-eugene-smith_reminiscences.html

を参考にしてください。また、この英文アーカイブと重なる内容の日本語の記事もありますので、ぜひ読んでください:

http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_jp/aboutus/interview.html

 この写真に、最初に私の関心を向けてくれたのは、九州大学での同僚の物理学者後藤賢一さんだったと思います。もう大昔の話です。後藤さんはこの写真をお部屋の壁に掲げて、「僕にとってこの写真は一番美しい写真だ。ミケランジロのピエタより美しい」と話してくれました。この貴重な思い出を、私は擬サイエンス・フィクション『オペおかめ』の中で小説の材料として使わせてもらいました。

 世の中のすべての人がこの母子像を美しいと感じるとは思いません。この写真を一種の踏み絵にして人間を試してみたいという意地悪い思いを私は抱きます。例えば、物理学者で試せば、オッペンハイマーやロートブラットはこの写真の美しさを感得できるでしょうが、テラーやシラードには醜い写真としか見えないのではないでしょうか?

 もう一枚、私の脳裏に焼き付いている美しい写真があります。それは、米国の従軍カメラマンであったジョー・オダネルが長崎の被爆者死体の焼き場で撮った『焼き場にて、長崎CREMATION SITE, NAGASAKI』という写真です。現ローマ教皇であるフランシス教皇がこの写真を讃えたことでも知られています。こちらの写真も多くの方々がご存知のことと思います。ネット上で見ることが出来ます。この写真について語ったオダネルさんの言葉を『トランクの中の日本』(小学館、1995年)という本から引用します:

「焼き場となっていた川岸には、浅い穴が掘られ、水がひたひたと寄せており、灰や木片や石炭がちらばっている。燃え残りの木片は風を受けると赤々と輝き、あたりにはまだぬくもりがただよう。白い大きなマスクをつけた係員は荷車から手と足をつかんで遺体を下ろすと、そのまま勢いをつけて火の中に投げ入れた。激しく炎を上げて燃え尽きる。それでお終いだ。燃え上がる遺体の発する強烈な熱に私はたじろいで後ずさりした。荷車を引いてきた人は台の上の体を投げ終えると帰っていった。だれも灰を持ち去ろうとするものはいない。残るのは、悲惨な死の生み出した一瞬の熱と耐え難い臭気だけだった。

 焼き場に10歳ぐらいの少年がやってきた。小さい体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っている様で見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。

 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐ背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。

 私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見てあゆみさった。一度もうしろを振り向かないまま。」

 もう一度、少年の写真をよく見てください。

 我々は、何故、この2枚の写真の美しさに感動するのか。それは、この2枚の写真のどちらにも、不条理の暴力の犠牲となった人間に対してもう一人の人間が注ぐ、注ぎ得る、無限の愛をそこに見るからです。ここで、私はアルベール・カミュのことをしきりと考えます。彼は、政治的イデオロギーからではなく、真正の人間としての立場から、この世界を支配する「不条理」に対して敢然と反抗することを説きました。ユージン・スミスもジョー・オダネルも、カミュの言う意味での、見事な『反抗的人間』であったと私は思います。

 

藤永茂(2021年10月19日)


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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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母語の響き (大橋晴夫)
2021-11-09 10:05:55
二枚の写真には聴こえてくる声がある。ミナマタやナガサキを訴える声ではなくて、水俣や長崎の地域の言葉の響きである。「母との会話を通して覚えた言葉」の響きである。田中克彦氏の「この、方言、母語をすてる、ないがしろにすることへのやましい気持は、人間の倫理感覚の根底をなすものです。」(クレオール語と日本語、岩波書店180頁)が思い出される。すぐれた写真家が、そう感じさせる瞬間を切り取っているのだろう。だが「母との会話を通して覚えた言葉」は日常である。その倫理感覚の根底をなすところのものは、カミュの反抗というものにつながっているのかもしれない。
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母語の響きその2 (大橋晴夫)
2021-11-09 13:05:20
母語の響きと題したコメントを先にお届けしました。「私の闇の奥」の中に関連する二つの記事があることに気づきました。2020.5.10.:カルロス・クライバー、指揮者と2020.2.8.:植物人間です。ご参照下さい。
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オッペンハイマー (ワタン)
2022-02-17 16:28:10
藤永先生
西岡昌紀著『原爆の父 オッペンハイマーはなぜ死んだか  ―― 長崎に原爆が落とされた謎を解く』(飛鳥新社、2021年10月刊)をご存じですか。私はたのんでゐるところで未読ですが、お知らせまで。
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