私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ロジャバ革命の命運(6)

2017-10-27 21:48:52 | 日記・エッセイ・コラム
 2014年6月、ISIS軍は数では数倍のイラク国軍を蹴散らして重要都市モスルを攻略し、敗走した国軍が遺棄した重火器を含む大量の武器弾薬を入手、続いて、ISIS軍は油田都市キルクークも占領しますが、バルザニ大統領支配下のイラク・クルディスタン自治区の民兵軍団ペシュメルガが南下してISIS軍を排除し、キルクークを奪還して油田をクルド人の支配下に置きました。これが、米国とイスラエルの操る三匹の猿(ISIS、イラク国軍、ペシュメルガ)が演じる大芝居の第一幕です。俄かに強力な地上軍を持ったISISは、イラクの首都バグダッド攻略には向かわず、イラクの西のシリアに攻め入り、油田、ガス田地帯デリゾールとその西北のラッカを占領し、ラッカをイスラム國(IS)の首都とします。この地域からトルコに輸出される大量の石油、天然ガスは最盛期のイスラム国の重要な財源になり、この地域を失ったアサド政権にとっては厳しい損失となりました。誰の目にも、イスラム国軍はアサド政権打倒の最有力地上戦力に成長し、ラッカの西のシリア第二の重要拠点都市アレッポの攻略も間近と見えました。
 ところがISの大軍が次に襲い掛かったのはラッカの北のコバニ、アレッポに比べれば戦略的に意味のない人口5万足らずの小都市でした。当時としては、この攻撃目標選択の理由は、いくつかの憶測はあれ、はっきりしませんでした。2014年9月13日、三千を超えるIS軍は戦車を含む重火器で南、東、西の周辺の村落をたちまち占領し、コバニ市は完全に包囲されました。北の国境はすでにトルコによって封鎖されていました。IS軍はコバニ市の完全制圧を目指して猛攻を続け、10月11日の総攻撃で、あわやコバニは陥落の寸前と思われましたが、クルド人民防衛隊YPGとYPJはあくまで屈せず、絶体絶命と思われた状況から反撃に転じ、激闘の末に、2015年1月末にはコバニ市街の9割をIS軍から奪還しました。モスルを含むイラク北部(イラク・クルディスタン自治区は温存)を制圧し、西のシリアに殺到して忽ちシリアの面積の70%を支配下に収めた無敵のIS軍は、コバニ攻防戦で誰も予想しなかった最初の決定的敗北を喫したのです。
 今、その当時のマスコミ報道や論説を読み返してみると誠に興味深いものがあります。表向きには米国もトルコも凶悪なテロ組織ISと懸命に戦っていることになっていて、米国がISをアサド打倒の地上代理軍のトップとして操作していること、エルドアン大統領のトルコが現地でのIS支援の主役を担っていることは、ほぼ完全に隠蔽されていました。ですから、それまで不敗を誇っていたISに対して奇跡的に勝利を収めたロジャバ革命軍(YPG, YPJ)の存在は世界的なニュースになりました。ロジャバ革命はパリ・コミューンに比せられ、コバニの攻防はスターリングラードの攻防にすら並べられました。
 今から考えると、アレッポよりもコバニにISが襲いかかった理由が、そしてまた、なぜ弱小と思われたクルド人民防衛隊が難敵を撃破し退却させたかの理由がはっきり見えてきます。それは、「ロジャバ革命」が真正の民衆革命であるからです。(あえて現在形を使います。)ロジャバ革命は2011年のシリアでの「アラブの春」をきっかけに具体化の段階に入り、アサド政権に対するクルド人の蜂起は、2012年7月19日、コバニで始まりました。それ以来、コバニはロジャバ革命運動の中心になっていたのです:

http://kurdishquestion.com/article/3970-july-19th-revolution-a-start-toward-a-federal-democratic-syria

 IS軍が思いがけない敗北をコバニで喫したのは、「女性兵士に殺されると天国に行けない」という迷信がIS兵士側にあったからだというバカバカしい説明まで流布されましたが、獄中のオジャランに発する革命思想の中核に女性の解放は位置し、一度その革命のもたらした日々の生活を実体験したクルドの女性たちが抱いたロジャバ革命死守の決意はあくまで固く、それがロジャバの女性兵士たちの勇猛さの理由でした。コバニの戦いのターニングポイントとなったとされる壮烈な自爆を敢行したのは革命運動家の若い女性アリン・ミルカン(Arin Mirkan)でした。
 2012年7月にコバニで実際行動を開始し、2014年1月には革命を正式に宣言して憲法を布告した「ロジャバ革命」は初めから四面楚歌の中にありました。トルコ、イラン、イラク、シリアに加えて、イラク北部のクルド人自治政府(KRG)さえもロジャバ革命を敵視しました。特にトルコのエルドアン大統領はロジャバ革命に自国を揺るがしかねない危険性を認め、破竹の勢いで領土の拡大を続けるIS軍の力を借りて一挙にロジャバ革命を扼殺しようとしたのでした。米国も暗に同意を与えていたと思われます。ところが、コバニの市街に攻め込んで重要拠点を占拠したIS軍は、ロジャバ革命軍(YPG, YPJ)の熾烈な市街戦的反撃に直面し、そして、コバニ市街のIS軍拠点に対して米国空軍が猛烈な爆撃を開始します。地上のYPG/YPJ部隊はこれに力を得て、遂にコバニ市を奪還し、連戦連勝のIS軍に最初の決定的敗北を味わわせたのでした。
 ここで「米国はなぜロジャバの人民防衛部隊YPG/YPJの擁護に回ったのか?」ということが最大の問題点ですが、そのもっとも直裁な答えは「YPG/YPJを米国の代理地上軍として使うことに決めたから」です。猿芝居という比喩は猿に対して失礼ですが、イラク政府軍、KRGのペシュメルガ軍、IS軍に加えて、ロジャバの人民防衛部隊YPG/YPJが、米国とイスラエルの巨大な偽旗作戦を演じる四匹目の猿として選ばれたことになります。この話、とても信じ難いとお思いの方々も多いことでしょう。しかし、私のつけたこの見当は間違っていないと思います。次回に説明します。

藤永茂(2017年10月27日)