私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

Et tu, BAS ? (お前もか、BAS ?)

2017-03-17 21:05:19 | 日記・エッセイ・コラム
 The Bulletin of the Atomic Scientistsという米国の雑誌があります。その表紙を飾る世界終末時計(Doomsday Clock)の絵柄をご存知の方は多いでしょう。
 この雑誌は原子力(核力、原子核エネルギー)の人為的使用(原子爆弾、原子炉)の技術を開発した現場の科学者たち、いわゆるマンハッタン計画に従事した人々、の危機感と責任感が母体になって終戦の年1945年に生まれた定期出版物です。初代編集者は生物理学者ラビノウィッチ(Eugene Rabinowitch (1901–1973))と物理学者ゴールドスミス(Hyman Goldsmith (1907-1949))、BASはその略語です。マンハッタン計画に参加した物理学者たちと同じ責任感(罪の意識?)と危機感を共有する物理学者の端くれとして、私も随分とBASの記事を読んだものです。長い間定期購読者でもありました。
 BASについての英語版のWikipediaの記事に興味深いことが書いてあります。戦後の米国による原子爆弾の独占は1949年の9月24日のソ連に最初の原爆テストによって終りますが、BASの発刊からそれまでの時期をラビノウィッチはBASの“失敗(Failure)”の時期と規定したのでした。核兵器の国際管理を主張要求したにもかかわらず、それに失敗したからというのがその理由です。
この問題については、以前、拙著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』の第8章「核国際管理の夢」で詳しく論じたことがあります。オッペンハイマーに代表される人々の誠心誠意の主張が通らず、原爆を一時期独占した米国がその期間内に核兵器の国際管理の道を開かなかったことの恐るべき禍根が、今もなお核戦争と世界の終末の可能性の下で我々を慄かしめているのです。
 オッペンハイマーのような人たちが論陣を張っていた時代、 “失敗”の時代のBASは読み甲斐がありました。その頃のオッペンハイマーの発言の幾つかを上掲の拙著から引用します:
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 科学者が研究を秘密裏に行うことに反対する理由は、科学の本質にかかわる根本的な深い所から来ているものであることを、オッペンハイマーは強調する。「それは、秘密というものが、科学が何であるか、何のためにあるかという科学の根そのものに打撃を与えるという事実から来ると私は考える。学ぶことは良いことであると信じなければ科学者ではあり得ない。知識を分かち合うこと、その知識に興味を持つ誰とでも分かち合うことが、最高に価値のあることだと考えるのでなければ、科学者であることは無意味であり、不可能である」
 次にオッペンハイマーは原爆もまた一つの新しい武器に過ぎないという考えをきびしくしりぞける。
「次のように言って現在の状況の緊急性から逃げようとする人たちがいる。つまる所、戦争というものは昔からいつも大変ひどいものだったし、兵器は今までも悪くなる一方だった。原爆もただ新しいもう一つの武器に過ぎず、それで大変化が生じるというものでもない。言うほど悪いものでもない。今次の大戦での爆撃は恐るべきものだったが、原爆でそれが大きく変わったわけではなく、ただ爆撃の効率が少しよくなっただけだ。そのうちに何らかの防護の方法も見つかるだろう。・・・・・現在の危機の特質をごまかし、大したことではないように見せかけようとする、こうした試みは、危機をなおさら危険なものにするだけだと私は考える。この危機をきわめて深刻な危機として受け止め、我々が製造を始めた核兵器が実に恐るべきものであること、それが変化を内包し、その変化は間に合わせの手直しではすむものでないことを、我々は認識しなければならないのだと私は考える。・・・・・重要な点は、核兵器が一つの場、一つの新しい場、新しい前提条件を実現する機会を構成するということにある。人びとがこの事実について語るとき、私は、ここに大きな危険があるだけではなく大きな希望もあるのであって、それこそが人びとが語るべきことであると考えるのである」。・・・・・
 つづいて、オッペンハイマーは主権国家の概念、ナショナリズムそのものが、核兵器の出現という現実と両立しないことを強調する。
「これは実に深甚な変化である。それは国家間の関係の変化であり、単なる思潮の変化、国際法の変化に止まらず、想像力と感受性の変化でなければならない」・・・・・・
 オッペンハイマーはその国際協力を実現するためには、戦勝後にアメリカ人が高唱する自由と民主主義が世界に強制されることがあってはならないと考えた。
「私が国際関係における新しい精神について語るとき、過去にアメリカ人がそのためには死も辞さなかった諸々の価値、現在でも我々のほとんどがそのためには喜んで死ぬであろう最も深いもの、我々が大切にしてきたものにもまして、それよりもさらに深いものがあることを認識するのである。それは、あらゆる所に生きる他の人間たちとの同胞としての絆(きずな)なのである」
 アメリカが原爆を独占しているという力の立場からソ連との交渉にのぞむことをオッペンハイマーは憂慮していた。
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 拙著『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』の第8章「核国際管理の夢」からの引用はこれで終わりますが、悪魔に魂を売って原爆の父となったというのが通説の物理学者ロバート・オッペンハイマーのこれらの言葉を意外な感じでお読みになった方々もおありのことと思います。彼の考え方を、国際政治の現実をわきまえない余りにもナイーブのものとして嗤われる向きもあるでしょう。私が科学者を一種の愚者として捉える理由の一つです。この問題は、私自身のことも含めて、重要ですから時を改めて書いてみたいと思います。
 それにしても、「我々が大切にしてきたものにもまして、それよりもさらに深いものがあることを認識するのである。それは、あらゆる所に生きる他の人間たちとの同胞としての絆(きずな)なのである」、 何という美しい言葉ではありませんか。
 今回のブログで報告するのは、BAS(The Bulletin of the Atomic Scientists)の現状に対する私の大いなる失望です。BASに去る3月3日付けで、
Kim and Assad: The chemical cluelessness of dictators
Amy E. Smithson
という記事が出ました。朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者金正恩とシリアのアサド大統領の二人とも、化学物質を使えば証拠が残ることを考えずに、白々しく人を殺す、という意味のタイトルです。「金とアサド:独裁者の化学バカぶり」とでも訳しておきましょうか。
 記事の前半では、マレーシアのクアラルンプールでの猛毒化学物質VXによる金正男氏の暗殺事件(2月13日)が取り上げられています。後半には、化学物質で殺人を続けているもう一人の独裁者はアサド大統領で、今まで既に1500人近くを殺しているとはっきり述べてあります。
 この1500人とは大変な数字ですが、そのうちの1300人は、2013年8月21日にシリアの首都ダマスカスの近郊の反政府軍支配地域に対するアサド政府軍がサリン攻撃による死者だと米欧側がわめき立てた数字です。多数の子供達の死体がソーセージか何かのように並べられた映像も公開されました。
 この重大事件については、このブログでも
もう二度と幼い命は尊いと言うな』(2013年8月30日)
8月21日にサリンを使ったのは』(2013年9月23日)
で取り上げました。サリンで千人以上の人々を惨殺したのは、アサド政権ではなく、米欧(反政府軍)側であることを私はほぼ100%確信しています。当時米国は確かな証拠があると公言してシリア戦争に米軍を直接介入しようとしたのですが果たせませんでした。それ以来今日まで、その「確かな証拠」は提出されていません。今回のBAS記事を含めて。
 しかし、今回のBASの記事を読んだ大多数の人々は、アサド政権が2013年8月に約1300人を化学的に殺したのは事実だと思い込むでしょう。そういうふうに、巧みに全体が綴られています。この記事は、現在、ホワイト・ヘルメットを操っているのと同じ力が演出したものだと私は考え、こうした記事を、かつて、絶大な信頼を寄せていたBASが掲載したことに深い悲しみと憤りを抱きます。米欧のマスメディアの全てを掌握した悪魔の力は、BASにもその初心の忘却を強いているということです。

お前もか、BAS ! Et tu, BAS !

この記事のサイトは次の通りですが、

http://thebulletin.org/kim-and-assad-chemical-cluelessness-dictators10589

アクセス出来なくなるかもしれませんので、終わりの部分を少し長くコピーし、その結びの文章を訳出しておきます:
Quite a pair. Deaths from poison gas command attention because they cross an ethical line of warfare. But the callous duo of Assad and Kim have killed far more people through conventional than chemical means. South Korea’s Institute for National Security Strategy reports that Kim has executed more than 340 people (http://cnn.it/2m13KCc) since assuming power in 2011. Like his father before him, Kim is living luxuriously (http://bit.ly/2m1dooc) and pouring funds into North Korea’s military while his people suffer. Again, sound familiar? Last February, the Damascus-based Syrian Center for Policy Research reported the Syrian conflict had taken 470,000 lives (http://to.pbs.org/2myeWcn). The Syrian Network for Human Rights reports that government forces killed 8,736 civilians in 2016 (http://bit.ly/2mfx3CY) and it attributes an additional 3,967 civilian deaths to the Russian military, which has used air and ground forces to back Assad’s regime.
If ever a pair deserved a walloping dose of international criminal justice, it is Kim Jong-un and Bashar al-Assad. Yet on February 28, Russia, China, and Bolivia vetoed a Security Council resolution that would have barred the sale of helicopters to Syria (http://bbc.in/2mQObfB) and would have banned travel by and frozen the assets of 11 Syrian military commanders or officials (along with 10 government and other groups) that investigators have identified as responsible for chemical attacks.
The obvious response for the nine Security Council members that backed the resolution (three nations abstained) is to lead a charge outside the Security Council, rallying as many countries as possible to enact joint sanctions anyway. That course of action would open the door for the imposition of broader and tougher sanctions than those just vetoed.
Chemical fingerprints don’t lie, and the staggering carnage that Assad has inflicted on his populace for five years begs for robust penalties. Failure to uphold international law only invites more lawlessness.
「化学的な指紋は嘘をつかない、だから、この5年間、アサドが彼の国民に加えて来た、信じがたいような殺戮には断固たる罰が加えられなければならない。国際法の堅持執行に失敗すれば、さらなる無法状態を招くばかりである。」

“Failure to uphold international law only invites more lawlessness. ”!
よくもまあ、ぬけぬけとこんなことが言えたものです。ここに取り上げたBASの記事は、イスラム国の“首都”ラッカ(シリア北部)攻略を口実にして、米国軍部が間もなく実行しようとしている完全に国際法違反のシリア北部占領作戦の根回しの一部だと私は考えています。

藤永茂 (2017年3月17日)