私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

キューバの保健医療政策(3)

2015-05-20 22:09:38 | 日記・エッセイ・コラム
 このシリーズの(1)の初めに、
“フジテレビの記事「医療大国キューバに住む最後の日系一世 ~105歳の長寿の秘密は!?~」に描かれている105歳の津島三一郎さんの話を何度も読み返して、その記事の結びの言葉「曲がり角に立つ日本の医療。その行く末を考える上で大きなヒントがある。」に、Hear! Hear! と賛同を叫んでいるところです。”
と書きました。この津島三一郎さんの話を是非読んでみて下さい。始めのほうに、
「社会主義国キューバでは教育と医療費は無料。医療で利益を得ることは目的としていない。キューバ革命後、カストロとチェ•ゲバラが真っ先に取り組んだのが、教育と医療であった。」
と書いてあります。この筆者は「医療で利益を得ることは目的としていない。」という文章で単純な事実を報じたつもりでしょうが、読者としては、いろいろな読み方が可能です。
 R2Pと略記される概念については、前にも何度か触れました。ウィキペディアには「保護する責任(英: Responsibility to Protect)は、自国民の保護という国家の基本的な義務を果たす能力のない、あるいは果たす意志のない国家に対し、国際社会全体が当該国家の保護を受けるはずの人々について「保護する責任」を負うという新しい概念である。略称はR2P又はRtoP。」とあります。このR2Pという偽の人道主義の隠れ蓑を纏った米欧は、 教育も医療費もほぼ無料であったリビアというアフリカの立派な国を八つ裂きにして滅ぼしてしまいました。言語道断の戦争犯罪です。このような犯罪を臆面もなく遂行する側の人間たちは「医療で利益を得ることは目的としていない。」というキューバの内政的宣言に醜悪な牙をむいて吠えかかります。評論誌WORLD AFFAIRSにその一例が出ています。一読をお勧めします。:

MARCH/APRIL 2013
Cuba’s Health-Care Diplomacy: The Business of Humanitarianism
http://www.worldaffairsjournal.org/article/cuba’s-health-care-diplomacy-business-humanitarianism

「もう何十年もの間、キューバは“キューバ革命の伝道師”として仕事人たちを輸出してきた。普通は2年間の派遣で、圧倒的に保健医療関係のプロが多いのだが、教師、スポーツのトレーナー、技術者、建築家、その他の専門家の場合もある。目指すところは、米ドルなどの硬貨を稼いでキューバ政権の他の経済的計画を達成すると同時に、国際的な影響、評判、正統性、そして外国からの同情を獲得することにある。」という書き出しに始まり、これらの革命伝道師たちのサービスを受け入れた国々とキューバ政府との間の契約は秘密にされているが、漏れた情報によれば、キューバが派遣した保健医療要員一人あたり、アンゴラは5000 米ドル、ナミビアは2784米ドルを支払っている、などなどと書いてあります。ベネズエラの場合には、前回の記事で報告した白内障を中心とする眼科手術の無料施行の大事業、“Operación Milagro (Operation Miracle)”、の見返りとして、カストロの盟友であったチャベスはベネズエラが豊富に産出する石油を低価格でキューバに提供しました。こうした意味では、キューバはたしかに医療行為を輸出することで経済的危機を見事に乗り越えた、つまり、医療で大きな利益を得たのです。必殺の経済制裁でキューバを追い詰め、扼殺するつもりであった悪鬼達が「こんな抜け道があったか!」と切歯扼腕することになりました。石油の輸入封鎖で追い詰められて対米戦争に走ってしまった日本の愚挙に比べて、キューバが、必死の知恵を振り絞って、米国による残忍極まる経済封鎖を「仕事人の輸出」という平和的経済外交手段ですり抜けたのは、誠にお見事と讃えなければなりません。
 上掲のWORLD AFFAIRSの記事:
Cuba’s Health-Care Diplomacy: The Business of Humanitarianism
の後半には、キューバの保健医療外交の悪口が凄まじいほど並べ立ててあります。原文のまま少し引用しましょう。:

Most health professionals agree to serve abroad in order to protect their job and career, save some money, have access to consumer goods to send home, and perhaps even find a viable route to escape. One doctor who served overseas before defecting wryly proclaims: “We are the highest qualified slave-labor force in the world.”
To prevent defections, the internationalists are issued a special passport that may not bear visas from any other country and is often held by supervisors. If caught trying to defect, they are forced back to Cuba. Nonetheless, thousands have deserted worldwide, many in dangerous and elaborate escapes, even though their families are kept hostage in Cuba and not allowed to join them. From 2006 to March 2010 almost sixteen hundred of these medical defectors had made it to the US alone under a special program that grants them entry for humanitarian reasons. The exodus continues: some eighty Cuban physicians a month were reportedly leaving Venezuela before the October 2012 presidential election there.

こうした悪口には多くの真実も含まれていることでしょう。しかし、米国の気に入らない国家あるいは個人の悪口を読む場合には、非難の対象がどれだけの圧迫、攻撃、干渉を米国から受けているかを、まず勘定に入れる必要があります。キューバの保健医療外交の成功を、いやキューバの現政権を、憎悪する米国は、その切り崩しにあらゆる手段を用いることをためらいません。上の文章の中にも、“under a special program that grants them entry for humanitarian reasons”という正に語るに落ちた箇所があります。注意して読んでください。キューバにしろ、エリトリアやジンバブエや北朝鮮にしろ、もし米国からの理不尽な圧迫、攻撃、干渉がなかったとしたら、今とは随分と異なる政策を取っていたに違いありません。同じ注意深さで、この悪口記事の結語を読んでください。:

Cuba’s health diplomacy has been immensely successful in eliciting support for a Communist totalitarian state and huge resources for its failed economy. But it is also beginning to suffer, within and without Cuba, as a result of what the Marxists would call its own “internal contradictions.”

キューバの経済を苦境に追い込んだのは米国なのですから、話が逆立ちしています。
 私の思いは、また、老人ホームで好きな煙草を燻らせて悠々自適の生活を楽しむ105歳の島津さんに飛びます。
「島津さんが暮らす地域の老人ホーム。
食事の時間がやってきた。
3度の食事と3度のおやつ付き。
島津さんの食欲は旺盛だ。
なんと煙草も1日20本支給されている。」
カストロやチェ・ゲバラには「医は仁術」という思想があったからこそ、島津さんの今日があるのだ、と私は思います。保健医療外交という破天荒の思いつきも、そもそもは「仁」に発したものであろうと私は思います。
 今年の初めから、私は妻とともに介護付き有料老人ホームでの生活を始めました。住んでみると「医療で利益を得ることを目的としている」ことがよく分かります。老人介護はこれから有望なビジネスです。全館完全禁煙。

藤永茂 (2015年5月20日)