私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

M23、コンゴ、二人のライス(4)

2012-12-26 10:58:11 | 日記・エッセイ・コラム
 暗い一年が暮れようとしています。上記のブログのタイトルを思いついてから後、日に日に、コンゴの問題、アフリカの問題が予想を大きく超えてふくれ上がって来たので、今はこの主題について一旦筆を折って後日出直したいと考えるようになりました。“二人のライス”についても、スーザン・ライスの国務長官立候補辞退の表明をきっかけに表面化した幾つかの重大な問題は軽卒な取り扱いを許さない様相を呈しています。しかし、こうした重いニュースの数々に直面して、私個人が思い悩む、あるいは、失望落胆するのは、世界の大きなニューズ・メディアの腐敗変貌です。それは何も今に始まったことではなく、私が、一生の殆どの間、間抜けで頓馬であって、気が付かなかっただけのことである可能性は濃厚です。
 例えばこうです。12月24日の新聞やテレビの報道によると、シリア政府軍がパン屋さんを爆撃して市民が数十人、もしかしたら二百人も殺されたらしいというニュース、さらに、こうして追いつめられて断末魔のシリア政府は間もなく毒ガス兵器を使用するだろうというニュース、この二つは嘘のニュース、“為にする”報道であり、実際の行為は反政府勢力側が遂行した、あるいは、やがて遂行するものだと私は考えます。確固とした証拠は持っていませんが、私の判断にはそれなりの理由があります。“為にする”を広辞苑で引いてみると --- ある目的を達しようとする下心があって事を行なうのにいう「為にする行為」--- とあります。私が原則的に信を置く僅かな数のジャーナリストの一人である Paul Craig Roberts が使う表現に「Agenda-driven news 」というのがありますが、それが「為にするニュース」にあたるでしょう。「agenda driven」という言葉は今では広く使われています。私は今でも日常生活のための情報源として新聞やテレビを見ていますので、そのついでにアフリカや中近東関係の報道も見てしまいます。しかし、最近は、こんな報道は見聞きしないほうがよいと思うことがよくあります。日常生活に必要がない場合には、そうしたニュース源は今では見ないことにしています。カナダに住んでいた頃には、タイムとかニューズウィークといったあちらの週刊誌を定期購読して熱心に読んだものでした。日本の週刊誌と較べれば格段にましだと信じていました。しかし、今は殆ど全く手を触れません。「Agenda-driven news 」で充ち満ちているからです。書評や映画評にもその傾向が強まっています。
 一つの具体例として、タイム誌のアフリカ支局長アレックス・ペリー(Alex Perry)のコンゴ関連記事を少し辿ってみましょう。2008年2月14日付けの、「Come Back, Colonialism, All Is Forgiven (植民地支配よ、帰ってきておくれ、過去のすべてを許すから)」と題する記事があります。出だしを少し読みましょう。ル・ブランはコンゴ河の支流の船頭さん、ル・ブランという名はあだ名です。

■ Le Blanc and I are into our 500th kilometer on the river when he turns my view of modern African history on its head. "We should just give it all back to the whites," the riverboat captain says. "Even if you go 1,000 kilometers down this river, you won't see a single sign of development. When the whites left, we didn't just stay where we were. We went backwards."
(ル・ブランと私が河を500キロ下った所で、彼はアフリカ近代史についての私の考えをでんぐり返しにした。“我々は全部を白人たちにそっくり返すべきなのです。”と川船の船長は切り出した。“この河を千キロ下ってみても、あなたはただ一つの開発発展の兆しも目にしないでしょう。白人が去った時、我々はその状態のままに留まったのではないのです。我々は退歩して行ったのでした。”)■
ル・ブラン氏は40歳、濃い蜂蜜色の皮膚、目は碧眼、彼の祖父はドイツ人で、昔のベルギー領コンゴで現地の女性と結婚したのだそうです。
 私はこの記事がペリー記者の作り話だとは思いません。ル・ブラン氏は本当にこんな話をしたのでしょう。記事にはかなりの長さでコンゴ民主共和国の近代史の復習がしてあります。19世紀のベルギー国王レオポルドはコンゴを私的植民地として所有し、残忍極まりない暴虐搾取を行い、1960年、その支配から独立したかに見えたのも束の間、米欧が据えたコンゴ人独裁者モブツ・セセ・セコの長い独裁政治が始まり、それが1997年まで続きます。苦難の歴史の連続です。しかし、ル・ブラン氏は全然そうは考えていないとペリーの記事は伝えます。記事の最後のパラグラフを読みましょう。:
■ Le Blanc isn't much concerned with that history; he lives in the present, in a country where education is a luxury and death is everywhere. Around 45,000 people die each month in the DRC as a result of the social collapse brought on by civil war, according to a study released in January by the International Rescue Committee. It estimated the total loss of life between 1998 and April 2007 at 5.4 million. For many Congolese like Le Blanc, the difficulties of today blot out the cruelties of the past. "On this river, all that you see ? the buildings, the boats ? only whites did that. After the whites left, the Congolese did not work. We did not know how to. For the past 50 years, we've just declined." He pauses. "They took this country by force," he says, with more than a touch of admiration. "If they came back, this time we'd give them the country for free."
(ル・ブランはそうした歴史にあまり関心がない;彼は現在に生きている、教育を受けることが贅沢であり、何処を見回しても死ばかりの国に生きている。国際救助委員会がこの1月に発表した調査研究によれば、内戦がもたらした社会的崩壊の結果として、コンゴ民主共和国では毎月約4万5千人が死んでいる。1998年から2007年までの間の総死者数は540万人と見積もられている。ル・ブランのような多くのコンゴ人にとって現在の困難が過去の残虐を拭い消してしまうのだ。“この河であなたが見るすべてのもの---建物、船舶---あれらを作ったのは白人たちだけだ。白人が去った後、コンゴ人は働かなかった。我々はどうしたらよいか知らなかった。過去50年の間、我々はただ衰退しただけだ。”彼は一息いれた。“彼ら(白人たち)は力づくでこの国を奪い取った、”と少なからぬ称賛の響きを込めて言った。“もし彼らが戻ってきたら、今度は、我々の方からこの国をただで差し上げよう。”)■
コンゴの人々の上にのしかかった困難と悲運のあまりの大きさに打ち拉がれてしまったル・ブラン氏のようなコンゴ人も確かにいるのでしょう。しかし、ペリー記者のこの典型的な「agenda-driven news」に激怒するコンゴ人も沢山いることの確証を私は持っています。
 2010年6月24日にはアレックス・ペリーは次のような記事を書いています。見出しは「China's New Focus on Africa 」

■ If you want to see what's wrong with Africa, take a trip to the Democratic Republic of Congo. The size of Western Europe, with almost no paved roads, Congo is the sucking vortex where Africa's heart should be. Independent Congo gave the world Mobutu Sese Seko, who for 32 years impoverished his people while traveling the world in a chartered Concorde. His death in 1997 ushered in a civil war that killed 5.4 million people and unleashed a hurricane of rape on tens of thousands more. Today AIDS and malaria are epidemics.
(もしアフリカの何が悪いかを知りたければ、コンゴ民主共和国にちょっと旅行してみることだ。西ヨーロッパと同じような広さだが、殆ど全く舗装道路がないコンゴは、アフリカの心臓の名にふさわしく血を吸い込む渦巻きだ。独立したコンゴは世界にモブツ・セセ・セコを与えた。彼は32年間にわたって人民を貧困化した一方でコンコルド(フランス製超音速旅客機)をチャーターして世界中を飛び回った。1997年の彼の死は内戦への道を開き、540万人が殺され、その上何万何十万の人々に強姦のハリケーンを襲いかからせた。今日、エイズとマラリヤが広く流行している。)■
このペリー氏の語り口では独立の資格もなかったコンゴがモブツという怪物を生んだかのように響きますが、それは嘘です。.Julie Hollar という女性がこの虚言に噛み付きました。
http://www.fair.org/blog/2010/06/25/congo-the-sucking-vortex-where-africas-heart-should-be/

■ Independent Congo didn't give the world Mobutu; that gift belongs to the U.S. and Belgium, who supported the overthrow and assassination of democratically-elected Patrice Lumumba and helped prop up the horror that was Mobutu for decades afterward.
(独立国コンゴが世界にモブツを与えたのではない。贈ったのはアメリカとベルギーだ。両国は民主的に選出されたパトリス・ルムンバの打倒と暗殺を支持し、その後何十年もの恐怖そのものとなったモブツをおったてて支援した。)■
ジュリーさんの言う通りです。私も2011年11月16日から7回にわたったブログ『パトリス・ルムンバの暗殺』で説明しました。
 しかし、ペリー記者の“為にする報道記事”は性懲りもなく続いています。
タイム誌の2012年11月20日付けの記事『Congo’s Eastern Rebels Seize Goma: Will Rwanda Then Take Over?』は、この私のブログで取り上げているM23をめぐる東部コンゴの戦争を報じ論評した長い記事ですが、誠に驚くべきことに、最後までアメリカのアの字も出てきません。ルワンダとウガンダの背後に米国が控えていること、いや、強力な軍団M23は事実上米国のために代理戦争をやっている軍事勢力であることは、少しアフリカの事情に通じている者ならば、誰でも認識していることなのですから。(勿論、ペリー氏が知らない筈は絶対にありません。)
http://world.time.com/2012/11/20/congos-eastern-rebels-seize-goma-will-rwanda-then-takeover/

 こうなると、タイムとは何か、タイムを世界的な情報源として読んでいる膨大な数の読者にとって、タイムを読むことの意味とは何なのか、つくづく考え込まずにはいられません。マスコミは世界を支配する帝国主義の道具に過ぎないことは分かり切っているとおっしゃる方々も多いでしょう。そうした明敏な人たちも、例えば、このタイム誌のアフリカ支局長アレックス・ペリーが書いた記事の実例をたどって、改めて事態の深刻さを実感し、再確認して頂きたいと思います。
 二人のライス、とりわけ、スーザン・ライスがアメリカのアフリカ政策に与えている恐るべき影響とアメリカにおける黒人問題との関連についても論じるつもりでしたが、このテーマもその巨大さがますますはっきりして来て、今の私の力量では無理なので、将来に期したいと思います。
<付記>今回のブログの始めに「12月24日の新聞やテレビの報道によると、シリア政府軍がパン屋さんを爆撃して市民が数十人、もしかしたら二百人も殺されたらいいというニュース、さらに、こうして追いつめられて断末魔のシリア政府は間もなく毒ガス兵器を使用するだろうというニュース、この二つは嘘のニュース、“為にする”報道であり、実際の行為は反政府勢力側が遂行した、あるいは、やがて遂行するものだと私は考えます。確固とした証拠は持っていませんが、私の判断にはそれなりの理由があります。」と書きましたが、シリア政府軍が毒ガス兵器を使用したという報道がすでに行なわれました。

藤永 茂 (2012年12月26日)