私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アリスティドは学校を建てた

2011-02-09 11:39:17 | 日記・エッセイ・コラム
 日本を含めて、世界のニュースに関しては、この所、ハイチとエジプトの事で頭が一杯です。この世というものは何とひどいことがまかり通るところでしょう。エジプトについては、NHK を含むテレビ局、大新聞の外国通の論説委員やマスメディアに顔を出して一般大衆向きのニュース解説をしている人たちに是非お願いしたいことがあります。今回オバマ大統領が特使としてカイロに派遣した Frank Wisner という人物の経歴その他の基礎データを広く報じて頂きたい。この人物に対する批評は要りません。判断は視聴者や読者に任せて、自ら進んで重大ニュースのブラックアウトの手伝いをしないで下さい。
 首都カイロだけでなくエジプト全土でムバラク退陣要求のデモが吹き荒れていた1月30日の日曜、クリントン国務長官は突然ハイチに飛びました。ハイチで唯ならぬ事態が発生していなければ、クリントンがこんな動きをする筈がありません。飼い犬のつもりだったハイチのプレヴァル大統領が急に飼い主の手を噛みそうになってきたからだろうというのが、私の推測です。問題の人物、渦中の人は2004年に国外に強制追放されたハイチの前大統領ジャン?ベルトラン・アリスティドです。彼についてはこのブログで何度も言及しました。もしかしたら、プレヴァル政府が彼の帰国を許すかもしれないのです。そうなれば、これはアメリカにとって重大問題です。
 アリスティドは、2月4日付けの英国のガーディアン紙に『 On my return to Haiti … 』という見出しの文章を発表しました。この見出しには副題的に次の一行がつけてありました。“A profit-driven recovery plan, devised and carried out by outsiders, can not reconstruct my country”(部外者によって案出され、実施される、利得本位の復興プランでは我が国を再建することは出来ない)。“profit-driven”という形容詞はもっと強く訳出すべきかもしれません。スリック・ウィリー・クリントンの復興プランをドライブしているのは、「儲けられるぞ」という本音なのですから。
 しかし、ガーディアン紙のアリスディドの文章の全体を読んで私は実に爽やかな驚きに打たれました。それを皆さんと共有したいという思いから、以下にざっと訳出してみます。:
# 昨年1月のハイチの大地震は多数の学校と既に弱体化していた大学施設の80%を破壊してしまった。私が少年として通ったポルトープランスの小学校は200人の生徒を閉じ込めたまま崩壊した。国立の看護師学校では150人の未来の看護師が命を落とした。国立医科大学も完全崩壊した。取り返しのつかない形でハイチを変えてしまったあの65秒間に命を失った学生、教師、教授たち、図書館員、研究者、大学事務員の正確な数はよくわからないままだろう。
 恐るべき大地震のただ中とその後にハイチ人たちによって示された並外れな回復力は、子供たちの命を守り続け、彼らにより良き未来を与えようとする親達の、とりわけ母親達の英知と決意の、それに、経済的困難、社会的障壁、政治危機,心理的トラウマにも屈しない若者たちの熱い向学心の反映である。彼らの暮らしの困難は大層なものだが、学ぼうとする彼らの熱心さは一目瞭然だ。教育に対するこの自然な渇望は学習成功の基本であり、自由意志で学ぶことが一番よく身に付くのだ。
 勿論、学習は安全で安定した正常な環境で行なわれてこそ強化され,根をおろす。だから、社会的団結、民主的な成長、持続性のある発展、自主決定を促進するのが我々の責任だ;つまり、この新しい2千年代にむけて目標を設定することだ。すべては、より良き環境への帰還に向けて踏み出すことだ。
 教育は私が大統領をつとめた最初のラバラス政府からの最優先事項だった。ハイチの民主制が回復された1994年と、それが再び奪われた2004年までの10年の間に、建国の1804年から1994年までの約200年間より多くの学校が建設された:195の新しい小学校と104の新しい公立高等学校が建設、あるいは改築された。
 1月12日の地震は私が1996年に設立した「民主主義のための財団」の施設の破壊をほぼ見逃してくれた。地震の直後から、以前そこに来て民主主義の集まりを開き,討論し、各種のサービスを受けるのを常としていた何千もの人々が財団の施設に避難所と援助を求めてやってきた。財団の医科大学で学んだハイチ人医師たちは力をあわせて財団所在地や首都の方々の難民テント村でクリニックを組織し、続いて、コレラにかかった同胞たちを昼夜の別なく手当てしている。彼らの存在は現在の1万1千人の人口当りに医者一人というひどい比率を必ずや変えるだろう。
 これまで長きにわたって財団の読み書き能力増進の多層プログラムに参加して来た若者たちは、難民テント村で移動学校を運営している。アメリカのミシガン大学からのグループと組んで、トラウマ後のカウンセリングも行なわれている。一年経った今、若者たちは教育の仕事に就くために財団の大学にもどり、大地震がハイチに残した大きな国家的穴を埋める手助けをしようとしている。
 ますます不安定さを増すハイチの政治的危機は学生たちがアカデミックな成功を収めるのを妨げるだろうか?殆どの学生、教育者、親たちはこのようにも苦難に満ちた危機の複雑さに引き回されて疲労困憊しているようだ。しかし、私としては、教育を求める彼らの集団的渇望を阻止し得るものは何も無いと確信している。
 かの有名なアメリカの詩人文筆家エマーソンは“地震の翌朝には地質学が学べる”と書いた。ハイチ地震後の長い服喪の一年に我々が学んだことは、そとから持ち込まれた復興計画-利潤に駆られた、排他的な、非ハイチ人によって構想され実施される計画-ではハイチの復興は出来ないということだ。すべてのハイチ人が再建に参加し、この国の進む方向について発言することこそが我らの神聖な義務である。
 私が、あの2004年2月29日以来、流刑さきの中央アフリカ、ジャマイカ、そして今、南アフリカから言い続けてきたように、私はハイチに帰って、私が最もよく知っていて愛している教育の仕事に戻りたい。偉大なネルソン・マンデラが言った通りなのだ、教育は世界を変える強力な武器である。#
 人間の、若者の教育ということについて、このような爽やかな正論を聞くのはほんとに久しぶりのことです。日本の小学校の英語教育に関する論議と、ここに述べられている教育論の志の高さを較べて下さい。
 ハイチに帰って大統領に立候補することはない、とアリスティドは明言しています。

藤永 茂 (2011年2月9日)