私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

『闇の奥』再読改訳ノート(1)

2008-04-23 13:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
 コンラッドの『闇の奥』を再び読み直し、ついでに、訳文の改善を試みたいと思う理由は幾つかあります。一つは、これまで何度か申しましたが、私には小説『闇の奥』が未だに読めてはいないという自覚があることです。あれこれの文学理論的な作品診断をいくら理解しても、“まだ読めてない”という気持がどうしても残っています。それが「文学理論とは何ぞや」という不遜な問いへと跳ね返りそうにもなります。その上、私の不安を掻き立てるような経験が現在進行中です。毎日新聞社発行の雑誌『本の時間』に藤谷治さんの小説『遠い響き』が連載中ですが、この作品はコンラッドの『闇の奥』に触発される所があったと伺っています。ユーモラスでしかもおどろおどろしく展開するお話に魅せられて毎月楽しみに読んでいる私なのですが、『闇の奥』とのつながりがどうもピンと来ません。つまりは、私には『闇の奥』がまだ読めてないという事なのであろうと思われます。
 二つ目の理由は、『闇の奥』そのものよりも、むしろ、英米の英文学者評論家による『闇の奥』弁護論に関係しています。今までにも、このブログで英米の『闇の奥』弁護論の批判をしてきましたが、わりと最近に気になり出したのは、彼等弁護論者は、『闇の奥』出版当時のイギリスでの植民地主義反対論についての認識について、結構、浅薄なのではあるまいか、という事です。私がそう思うようになるきっかけを与えてくれたのは イギリスの歴史家 Bernard Porter です。私の手許には彼の著作が4册あります。
(1) CRITICS of EMPIRE : British Radicals and the Imperial Challenge (2008)
(2) THE LION’S SHARE : A short history of British Imperialism 1850-2004 (2004)
(3) THE ABSENT-MINDED IMPERIALIST (2004)
(4) EMPIRE and SUPEREMPIRE : Britain, America and the World (2006)
英帝国と帝国主義の歴史家としてのポーターさんの特徴は(2)の序文の中に適切に記されています。
■ Before the Lion’s Share most general histories of British imperialism were ‘insider’ jobs, and broadly sympathetic. The exceptions were those written by Marxists, attacking imperialism as a mere ‘stage of capitalism’, and generally regarded too polemical to be recommended widely. That was the background against which this book was originally published. (『獅子の取り分』の出版以前は、英国帝国主義の一般史の殆どは‘インサイダー’の仕事で、おおっぴらに同情的だった。例外はマルクス主義者の筆に成るもので、帝国主義を単なる‘資本主義の一段階’として攻撃する内容で、したがって、広く推奨するには論争的に過ぎると看做されていた。こうした背景に対して、もともと本書は出版されたのだった。) ■
アチェベなどの批判に対して、コンラッドの『闇の奥』が英国を含むヨーロッパの植民地主義に対する辛辣な糺弾の傑作文学であるとする弁護論者たちの英国帝国主義についての認識が案外浅薄なものではないか、という、異邦人にして、しかも、門外漢である私の不遜な提言の根拠の一つは、上に引いたポーターの証言にあります。ポーターの諸著作が代表する知見は英国の歴史教育の主流を占めているのではないという事です。『闇の奥』擁護論者にとって「他者(others)」である私のような者からはよく見えても、彼等には見えにくい事柄がいくらもあると思われます。前に『闇の奥』を読んだ時に較べて、私の観測定点の数は可成り増加しました。それはポーターを始めとする非主流的な、つまり、インサイダーでない歴史家たちに多くを負っています。
 『闇の奥』再読改訳の第三の動機は翻訳という作業に主に関係しています。原文を読む人々が共有する想いでしょうが、コンラッドが何を言っているのかよく分からない個所が沢山あります。翻訳者としては、いろいろと勉強して原文の意味を読み解き、読者に分かりやすいような日本語に書き換える、どうしても必要な場合には訳注を付ける、努力をするのが普通でしょう。昔、イタリヤ人の友人から「ダンテが生きていた当時のフィレンツエのゴシップの数々の知識が無ければ、『神曲』の翻訳は不可能だ」と聞かされて、そんなものかなあと思ったことがありました。しかし、今回リーヴィスのコンラッド論を再読しながら、ふと強く思ったことなのですが、『闇の奥』の文章には、わざと晦渋に書いて、作品技法的効果をねらった場合があるのではないか、そうだとすれば、翻訳文でも、その晦渋さがそのままに置かれているべきだという立場もありうることになります。翻訳するという作業の奥深さが少し分かって来たような気がします。勿論、以前の私の『闇の奥』訳にある語学的な誤り、普通の意味での言い回しの改善など、課題は一杯あります。このブログを再出発点として、ゆっくりと仕事を続けて行くつもりです。

藤永 茂 (2008年4月23日)