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私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アンネの日記

2025-07-18 09:51:15 | 日記・エッセイ・コラム

親切な方が、「深山真理子訳『アンネの日記』(文春文庫増補新訂版2018年の第35刷)には、1944年7月15日付けの、キティに宛てた日記の文章がある」ということを、指摘してくださいました。私の手元にあるのは第44刷2022年版です。それにはこの日の文章がありません。

私としては、プリーモ・レーヴィに対して取られた処置と同じことがアンネに対しても取られたと判断せざるをえません。

藤永茂(2025年7月18日)

 

 

 


イブラヒム・トラオーレを殺すな(続編)

2025-07-13 12:43:35 | 日記・エッセイ・コラム

米国(トランプ大統領)が、米国内から追い出したい人間達を何処に捨てているかを知っていますか?

僅かばかりのお金を背中に負わせて、勝手に、アフリカ大陸の諸国に送り込んでいるのです。これには、過去があります。アフリカ大陸の大西洋岸に位置するシエラレオネという国があります。ご存知なければ、ウィキペディアを覗いてみてください。

二ヶ月前の5月21日付のこのブログ記事で「アフリカ大陸に特異の人物が現れました。私なりの奇矯な言葉使いを許していただくとすれば、この人物は、昔、親友に惨殺されたサンカラという素晴らしい男の生まれ変わり(resurrection, 復活)です。イブラヒム・トラオーレの暗殺はすでに試みられました。今からも続くでしょう。殺される前に一文を捧げておきたいと思います。以下に訳出するのは、トラオーレが国連で行った講演です。」と書きました。

米国(トランプ大統領)の、今回の言語道断の行動に対して、イブラヒム・トラオーレは、断固たる拒絶と非難の声を上げています。YouTubeなどで、彼の発言を、是非、聞いてください。アフリカに発して、世界が大きく変わろうとしています。

私は、このイブラヒム・トラオーレという若い政治家の身の上が、本当に心配です。

 

藤永茂(2025年7月13日)


『アンネの日記』についての疑問

2025-07-12 12:48:48 | 日記・エッセイ・コラム

数日前、文春文庫の『アンネの日記 増補新訂版』(深町真理子訳、2022年11月25日 第44刷)を入手して、驚きました。前回のブログ記事「人間を信じたい」の中核の部分である、アンネの友人キティに宛てた、1944年6月15日付の日記が、この増補新訂版にはありません。日付は、6月13日から6月16日に飛んでいて、6月15日の分はありません。この欠落は、『アンネの日記』の研究者にとっては、解決済みの事かもしれませんが、私にとっては重い疑問です。

 昔、『アンネの日記』の原稿は、アンネの死後に出回ったボールペンを使って、父親が書いたものであり、その信憑性に疑問が投げかけられたことがありました。1944年6月15日付の日記が、父親の捏造した文章であるとは、私には到底考えられません。なぜ、この日の記事が消えたのか、この点について、どなたか、教示して頂ければまことに幸甚です。

藤永茂(2025年7月12日)


人間を信じたい

2025-07-08 23:22:41 | 日記・エッセイ・コラム

この日頃、しきりにアンネ・フランクとプリーモ・レーヴィの二つの名前を思っています。二人とも「人間」というものを信じたかったのだと思います。今の世界の動きを見ていると、この希求が虚しいものであるかも知れないという絶望が心を蝕んで行きます。

原爆を扱った映画には重要な作品が多数ありますが、その一つ、山田洋次監督の『母と暮らせば』の中に、長崎原爆被爆者の墓参りにやってきた老人が、原爆投下に対して、「これは人間のすることじゃない」と呟く場面があります。ここには、「本来、人間というものはもっとマシなものだ」という人間肯定の確固たる姿勢が顕示されています。私はこの映画が大好きです。

今、ガザで起こっていることは余りにも酷いものです。「これが人間か」と問わないわけには参りません。

1958年、私は渡米して、シカゴ大学の物理教室で研究生活を始めました。その頃、『アンネの日記』がベストセラーになっていました。早速買って読み出した英語訳原本は、Anne Frank : The Diary of a Young Girl というタイトルのペーパーバック版で、故ルーズベルト大統領の夫人エレノア・ルーズベルトの推薦文がついています。値段は25セント、ページもボロボロになって、今、目の前の卓上にあります。1958年発行の第4版、終わりの方はページもバラバラになってしまいました。以下に訳出するのは、1944年6月15日の日付で、友達のKitty 当てに書いた文章の締めくくりの部分です。

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  It’s really a wonder that I haven’t dropped all my ideals, because they seem so absurd and impossible to carry out. Yet I keep them, because in spite of everything I still believe that people are really good at heart. I simply can’t build up my hopes on a foundation consisting of confusion, misery, and death. I see the world gradually being turned into a wilderness.  I hear the ever approaching thunder, which will destroy us too, I can feel the sufferings of millions and yet I look up into the heavens, I think that it will all come right, that this cruelty too will end, and that peace and tranquillity will return again. 

  In the meantime, I must uphold my ideals, for perhaps the time will come when I shall be able to carry them out.  Yours Anne

「私が自分の理想を捨ててしまっていないのは本当に不思議に思えます。それらは余りにも馬鹿げていて実行不可能に見えるから。それでも、私は自分の理想を守り続けている。なぜなら、どんなことがあるにしても、つまる所、人々は善良な心を持っているのだと私は依然として信じているの。混乱、悲惨、死からなる土台の上に希望を築くことなんか、私には出来っこない。世界が徐々に荒野に変わっていくのが目に見える。  刻々と近づいてくる雷鳴が聞こえている、それは私たちを滅ぼすでしょう、何百万もの人々の悲しみが胸を締め付けるけれど、私は、それでも天を仰いで、思うの。すべてがうまくいく、この残酷さも終わり、平和と平穏が再び戻って来ると思うのよ。

 それまでの間、私は私の理想を堅持しなければならない。なぜなら、多分、いつの日か、私の理想をを実行に移せる時が来るから。    あなたのアン」

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 1968年、カナダのアルバータ州の州都エドモントンにあるアルバータ大学の化学部から教授職の提供を受けて、私はカナダに移住しました。そこでの生活のあれこれは、拙著『おいぼれ犬と新しい芸=在外研究者の生活と意見=』(岩波現代選書)に書きましたが、パレスチナの人々の苦難について、私の心に焼きついて、今も痛み続けている経験をしましたので、その部分を、少し長くなりますが、書き写したいと考えます。

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(『おいぼれ犬と新しい芸』p8の末尾から)

その頃日本で評判になっていた書物に、イザヤ・ベンダサン著の『日本人とユダヤ人』というのがあった。読んでみると、確かに面白く教えられることも多かったが、一方では、引っかかるところも少なくなかった。「少々、苦情を!」という章にそのよい例がある。

 「目には目を、歯には歯を この言葉はほとんどすべての日本人に知られ、そして知っている人はすべて「殴られたら殴り返せ」の意味にとる。ひどい人は、復讐の公認もしくは奨励とする。この点では、かの高名な『天声人語』氏も、造反闘士も、町のオニイチャンも差はない。しかしこの言葉は、そういう意味ではないのである。旧約聖書は日本語に訳されているのだから、ちょっとそこを開いてくれればだれにだってわかるのにと思うし、高名な知識人が、まさか原典にあたらず孫引きをやったとは思えないが、まことに不思議である・・・」。

旧約聖書でこの言葉が見える三つの箇所が訳出されていて、それから、この言葉のもとの意味を教えられ、私はおどろきもし感心もした。ここではレビ記二四章一七~二十一節を写す。

  「だれでも、人を撃ち殺した者は、必ず殺されなければならない。獣を撃ち殺

  した者は獣をもってその獣を償わなければならない。もし人が隣人に傷を負わ 

  せるなら、その人は自分がしたように自分にもされなければならない。すなわ

  ち、骨折には骨折、目には目、歯には歯をもって、人に傷を負わせたように、

  自分にもされなければならない。獣を撃ち殺した者はそれを償い、人を撃ち殺

  した者は殺されなければならない。・・・・」

この引用だけからは悪意のある解釈が可能かもしれないが、ベンダサンのいう通り、目には目を、歯には歯を、という言葉の本来の意味は、損害を与えたら正しく損害補償をせよ、ということであると思われる。しかし、私の知る限りでは、この言葉は、日本だけではなく、カナダでも、撲られたら撲りかえせ、という意味に使われている。いったい、カナダ人は原典の意味を知っているのだろうか、知らないのだろうか。私の好奇心は次第にふくらんで、ある日、CHEM100 のクラスの学生たちに聞いてみたのである。「目には目を、歯には歯を、という言葉を、君たち知っているか?」教室内には笑い声が流れ、一人の学生が、「やれやれ、この東洋人の教師はこんなによく知られた英語の表現も知らないのか」といった調子で、「それは、目をやられたら相手の目をつぶす、歯を折られたら折り返す、ということだ」と教えてくれた。私は待ってましたとばかりに「旧約聖書にある本来の意味は、それとは違うのを君たちは知っているか」とやり返した。すると、クラス全体が シーンと静まり返ってしまったのである。その無知をわらったつもりだった東洋人教師から、逆に、聖書の読み方が足らん、と切り返される始末になった。私は「旧約聖書の 出エジプト記二一章、レビ記二四章、申命記一九章を読んでみたまえ」と言い渡すと、スヌーピーのような涼しい顔をして化学の講義に戻ったが、内心では嗜虐的な快感を楽しんでいたことを白状しておこう。

 ところが、講義をすませて部屋にもどって一息ついたところに、ドアをノックして入ってきた一人の学生があった。ひきしまった美しい顔立ちは、鋭い知性と野生的な要素の奇妙な混合と見えた。

「私はパレスチナ人です。私は、あの言葉の原典での意味を知っていました。クラスの中のユダヤ人たちも知っていたと思います。しかし、彼らは何も言えなかったのです。あなたは、イスラエル軍がレバノン国内のパレスチナ難民部落に対して行なっていることをどうお考えですか。その難民部落で生まれ育ったパレスチナ人の若者が、思い詰めた挙句に、決死の反撃をイスラエルにたびに、イスラエル軍が、どのような残忍さでパレスチナ難民部落に襲いかかるか、あなたはご存知ですか?」私は当惑した。この青年は、旧約に記されている意味に違反した目には目を、歯には歯を、を実行しているのは、まさにイスラエルではないか、と私に言わせたいのだ。しかし、パレスチナ問題について、はっきりした判断を下すだけの見識を私はもちあわせてはいない。それを口実にして、私は、とうとう言葉を濁してその青年の期待にそわなかった。しかし、彼は、失望の色も見せず、また話に来ると言って、立ち上がった。

 それからしばらくして、その青年はまた私の部屋にやってきた。エドモントンのパレスチナ人の集会で、日本人のパレスチナ問題観について話をしてくれ、という。私は、改めて自分の無知を述べ辞退しようとしたが、「イスラエル側は世界中に強力な情宣組織を持ち、多額の資金を費やして活動しているが、パレスチナ側はまるでみじめな状態にある。あなたがわれわれの会合に出席して、その存在を認めてくれるだけでもよい」ということであった。当日、会場に言ってみると、かなりの老人から小学校の子供までとりまぜて四〇人ほどが集まっていた。心にもない迎合的な話をするよりも、私自身のパレスチナ問題に対する無知をさらけ出した方がましであろうと考えて、およそ次のような話をした。「私は、終戦後アンネ・フランクの日記を読んで感激し、1964年に初めてアムステルダムを訪れる機会ができた時に、まずアンネ・フランクの家を訪れた。その後もう一度ひとりで訪れたが、三度目に家内も連れてアンネの家を見物した時、イスラエルはこの家を国家的な情宣活動の重要拠点として利用しているのではないか、という疑念が私の心を掠めた。アンネが生きていたら、イスラエルがパレスチナ難民に対して行なっていることに、おそらく、まゆをひそめるのでなあるまいか。・・・・」。

 私の話に対する貧しい拍手が終わるのも待たずに、一人の大柄の男が立ち上がって、声を荒立てて私に食ってかかった。「三度目になって、やっとアンネの家のカラクリに気がつくなんて、あんたの間抜けさ加減にはあいた口がふさがらない。イスラエル側の宣伝にまんまと載せられる、あんたのような人間ばかりだから、われわれわれの苦難が果てしもなく続くのだ。ミスター・フジナガ、あなたは、パレスチナ人が、これまでどんな苦しみを受けてきたか、具体的にどれだけ知っているか? 知っていることがあったら、今、われわれの前で言ってみてくれ!」 私は、その大男の剣幕の激しさに圧倒されて、言葉もつげずに立往生してしまった。

 その時、壁に近い後部席で、一人の女性が静かに立ち上がった。五〇歳前後の質素な身なりの女性であった。「自分たちだけが、ひどい苦難に遭ったかのように、他の人々に押しつけるのはやめようではありませんか。日本人が「われわれこそ原爆の火で一瞬に数万人を惨殺された唯一の民族だ」と言い返してきたら、私たちは何と答えたらよいのですか。失われたひとつひとつの命の尊さは、それが、アウシュヴィッツであっても、ヒロシマであっても、イスラエル空軍の銃爆撃を浴びるパレスチナ難民部落であっても同じです。われわれこそが一番苦しんできたのだ、とは決して言ってはならないのです」。その時の感動は今も、私の胸にあたらしい。

******************************(引用終わり)

 この経験から、もう、ほぼ半世紀の時が経ちました。この50年、パレスチナ人の苦難はいやますばかりです。こんなことがあっていいのでしょうか。これが人間、人間の世界、というものなのでしょうか。

 あの人たち、当然の怒りを私に投げつけた男性、私の蒙を開いてくれた青年、人間の命の尊さを私の胸に焼き付けてくれた壁際の女性、私には、三人ともパレスチナの土地に戻り、イスラエルの残酷非道と戦って果てたのであろうと思えてなりません。

藤永茂(2025年7月8日)

 


フェイク インフォーメーションズ

2025-06-27 21:15:42 | 日記・エッセイ・コラム

世界はフェイク インフォーメーションズ あるいは フォールス インフォーメーションズに満ち満ちています。また、実際に生起した事実が隠蔽されるという事態がしばしばあると思われます。我々一般の人間が正しい真実の知識を獲得するためには大変な努力をしなければなりません。

「イスラエルのイラン攻撃が停止したのは何故か?」

6月20日のヤフー・ジャパン・ニュースが次のように報じました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/06cd6718f8101d0fd7383042a56afafea11f0eb5

 

「レホボト、イスラエル、6月20日 (AP) ― イスラエルは長年、イランの核開発計画の進展を阻止するため、同国の核科学者を標的としてきた。

 そのイスラエルがいま、イランと武力衝突を繰り返す中で、生命科学や物理学などの分野で知られる研究機関が、イランのミサイル攻撃を受けて、イスラエル国内の科学者たちも標的となっていることを知るに至った。

 イスラエル中部にあるワイツマン科学研究所が6月15日、イランのミサイル攻撃を受けた。この攻撃で死者はいなかったが、キャンパス内の複数の研究室が甚大な被害を受け、長年にわたる科学研究成果が失われた。

 同研究所によると、今回の攻撃で2棟の建物が直撃を受けた。1棟は生命科学の研究室が入る施設で、もう1棟は化学研究用として建設中だったが、空きビルだった。さらに、被害は周辺の数十棟にも及んだ。 

 研究所の関係者は、「すべて最初からやり直さなければならない」と語り、「研究室が再稼働するまでに、おそらく1年はかかるだろうが、建物を元通りに再建するには、3~4年は必要だ」と述べた。」

この記事には壊滅的被害を受けたワイツマン科学研究所の建物の写真も掲載されています。自然科学研究者ならば誰でも知っている研究所です。世界三大科学研究所の一つと呼ぶ向きもあります。死者はいなかったということですが、これまで、イランの科学研究者を多数暗殺してきたイスラエルには、死者が出たとしても、イランを非難することは出来ません。

イランが自力で高性能のミサイルを製作保有していることはイランが声明していたことですが、イスラエル側はこれを見くびっていて、今回の失敗を招いたということでしょう。イスラエルの他の主要都市も空港も甚大な損害を受けました。イスラエルと米国が、今後、イランに対してどのような攻撃に出るかは全く分かりませんが、イラン側が「勝った」と言っても、全くのフェイク インフォーメーションだと切って捨てることは出来ません。

しかし、私の関心の中核は今回のイランの反撃の劇的成功にあるのではありません。世界は虚偽の情報で満ち満ちていて、我々一般庶民はその中で生きていること、大きな無知の中で生きていることをはっきり意識し自覚することがまず必要だと思います。

藤永茂(2025年6月27日)