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私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

くたばれ AI, くたばれ SNS

2025-08-31 20:26:24 | 日記・エッセイ・コラム

 NHKの番組 BS「世界のドキュメンタリー」で、フランスで制作された二つの作品『AI

不都合な真実』、『SNSのワナ』が放映されました。必見です。私達は、AIやSNSがな

くても、結構、生きて行けます。この二つのドキュメンタリーに描かれているような恐ろ

しい害毒があるのならば、廃止してしまうべきです。それにしても、この必見のドキュメ

ンタリーで、AIやSNSの害毒に対して、果敢に声を上げ、戦っているのは全て女性である

ことは注目に値します。女性のほうが、男性より人間の生命を守る意志が強いことの証拠

だと私は考えます。AIに学問として興味を持っている学者も数多いますが、AIもSNSも、

それを推進している力は、圧倒的に、金儲けを追求する力です。

 

藤永茂(2025年8月31日)


「反核」、「反戦」は「物語」ではない

2025-08-28 11:42:12 | 日記・エッセイ・コラム

私のブログ記事 「悪魔の代弁人」(2025年8月16日)のコメントとして、櫻井元さんから重要な長文発言を頂きました。私の心はこの発言の前で千々に乱れます。櫻井さんは、戦争を直に経験した私より、おそらく、二世代以上、若い方であろうと拝察しますが、この発言の基調低音に対して、私は全面的な共鳴を心底に感じます。しかし、一方で、これらの「物語」を構成し、発表している、もっと若い、戦争を知らない人たちの熱意、誠意をも、また、疑うことに強いためらいを抱くのも真実です。はっきりしている事は、この「物語」は、断じて、エンタメであってはならないという事です。

私は、このブログ記事を読んで下さっている人々に、一つの問いかけとして、この記事を読んで読んでいただくことをお願いします。

過日、NHKスペシャルとして、『原子雲の下を生き抜いてー長崎:被爆児童の80年』という番組が放送されました。続けて2回、放映されました。このプログラムは、敗戦の4年後に出版された永井隆編『原子雲の下に生きて』の基づいています。この本は、長崎市立山里国民学校の37人の被爆児童の体験談を記録したものです。その中の、山崎さん(女性)、野口さん(女性)、石原さん(男性)、下平さん(女性)について、NHKは、1980年代から継続的な取材を続けていました。今回のプログラムはその総括の形になっています。これを視聴したものは、誰しも、このNHKの長年にわたる努力に賞賛の言葉を贈ることに躊躇はありますまい。

しかし、一方で、私の胸に漠然とした違和感が残ることを白状しなければなりません。その違和感は、戦前、戦時中、戦後をフルに経験した老齢者の「俺は戦争というものを君たちよりもよく知っている」という驕慢から来ているのかも知れません。

ここで、また、私の以前のブログ記事、『子供の「いじめ」』

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/c20d477ee9ddf97844da2d3b2a3d7aa7#comment-list

に戻らせていただきます。この記事の中に出てくる麻生吉郎は、雑誌「週刊新潮」の実質的な創始者であり、この記事の中で描かれているように、剣豪「眠狂四郎」の作者、柴田錬三郎を世に出した編集者ですが、櫻井元さんが問題にしている名作『火垂るの墓』の作者、野坂昭如とも個人的に親しい間柄にありました。野坂昭如(のさかあきゆき)は1930年生まれ、2015年死亡ですから、私と全く同時代の人間です。私は、麻生吉郎から、野坂氏についていろいろのことを聞きました。戦争、敗戦というものの悲惨をもろに体験した我々世代の人間が屈曲屈折した心を抱くに至ったのは当然であったとも言えましょう。それは、同じく櫻井元さんが問題にされた高畑勲氏についても同じことが言えると私は思います。

 

この辺りまで記事を書いているうちに、櫻井元さんの長文コメントに対して、これまた、極めて重要な内容のコメントを(睡り葦)さんから頂きました。是非読んで頂きたい。特に、その中に掲げられている三つの記事:

https://withnews.jp/article/f0250523002qq000000000000000W08y10501qq000028032A

https://cut-elimination.hatenablog.com/entry/2024/08/15/170249

https://lite-ra.com/2018/04/post-3949.html

は必見です。

 初めに申しましたように、私は、このブログ記事を読んで下さっている人々に、一つの問いかけとして、この記事を読んで読んでいただくことをお願いします。

藤永茂(2025年8月28日)


『豊田利幸さんの言葉』

2025-08-27 10:42:00 | 日記・エッセイ・コラム

前回のブログ記事『悪魔の代弁人』で、豊田利幸さんの核戦略批判の著作を是非読んで頂きたいと書きました。今回は、私が、豊田さんの最も重大な発言、言明だと思う文章を引用したいと思います。それは、『新・核戦略批判』の217頁から218頁にあります:

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「恐怖と差別から信頼と平等へ」

ひるがえって考えれば、核兵器の廃絶は人類存続の絶対必要条件であるが、それは価値論理からいえば、否定の論理であり、受け身の姿勢である。反核の思想と実践を活性化するためには、核兵器の本質である恐怖と差別の対置概念である信頼と平等というポジティブな価値の創造に向かうべきである。いかに綿密に作られた国際的な制度であれ、科学・技術の粋を集めたそれらの制度の保障装置であれ、もし国家間の信頼形成が不十分であれば、それらは絵に描いた餅に過ぎない。また、われわれ全てが生きるに値する世界を創造するさいの基礎は、地球上の全ての人間の平等である。この平等の世界を創り出すことは、おぞましい核兵器を世界からなくし、差別の社会を消滅させることにつながる。

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「地球上の全ての人間の平等」、これこそ、我々が目指すべき状態です。

日本人は世界に冠たる伝統を持っています。前にもこのブログで引用したことがありますが、それは、奥州の藤原氏の名君、藤原清衡の言葉です。彼は実際にこれを実行しようと努力を尽くしました。

         「抜苦与楽普皆平等」

全ての人々から、苦しみを取り除き、楽しみを与え、すべての人々を平等にすることを目指し、実行しました。豊田利幸さんのお言葉と全く同じだと私は考えます。

藤永茂(2025年8月27日)


『人間をかえせ』

2025-08-09 08:32:06 | 日記・エッセイ・コラム

 「人間をかえせ」は原爆詩人峠三吉の詩です。私の年代の多くの人間の胸に深く刻まれた詩です。原爆八十年の今、この言葉があまり語られていないことを私は悲しく思います。改めて以下に掲げます:

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人間をかえせ

ちちをかえせ ははをかえせ

としよりをかえせ

こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる

にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬへいわを

へいわをかえせ

 

               峠三吉

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 私は今「人間を返せ」という一文を書いています。しっかり書き上げることが出来たら皆さんに読んで頂きたいと思っています。

 九歳年上の私のただ一人の兄は、1945年8月9日、長崎で被爆しました。直下にあった三菱兵器工場で、技術将校として、魚雷の製作に当たっていた兄は、投下の寸前、工場の地下室へのコンクリートの階段を駆け降りていたので、直接被爆を免れましたが、降りぎわに階段の手すりにかけた上着は焦げました。

 8月の半ばのある夕刻、汚れ果てた軍服姿の兄が、福岡市郊外の私と父母が住んでいた仮の陋屋に、突然姿を現しました。殆ど何も語らず、父が与えた古着のシャツに着替えたものの、下半身は裸のままでうろつく痴呆の状態でした。いわゆる「ごろごろ病、ぶらぶら病」の症状でした。その兄が、数日後、突然、原爆の被爆体験を語り出したのです。

 「工場の地下室に用が出来たので階段を降りて行った時、あたりが真っ白に明るくなった。爆風が過ぎた後、階段を駆け上がったら、女子学生達が赤い茹で蛸のように並んで溶けていた。」

 私の脳裏に残っている兄の言葉はこれだけです。多分、兄はこれだけしか語らなかったのだと思います。

 

 その後、兄は敗戦後のあらゆる苦難を生き抜きました。原爆被爆者と認定され、死ぬまで日本政府による年に2回のメディカル・チェックを受けていました。戦後に日本国内に蔓延したいわゆる闇商売に従事し、雨戸用の小さな戸車をバッグに詰め込んで売って回ることもして、家族を飢餓から守りました。1950年6月に始まった朝鮮戦争の「天啓」で、日本経済は思いもかけぬブームに沸き、そして、思いがけなくも、三菱重工業会社から、兄に再雇用の声が掛かったのでした。懸命に生きる一人の人間として、これに答えたのは当然でした。運命は時に残酷を極めます。三菱重工が兄に課した任務は原子炉の設計建設ででした。 

 原子炉とはどのような装置か? 原子核分裂のエネルギーを急激に発散させれば、原子爆弾となります。ゆっくりと制御しながらエネルギーを取り出す装置、これが原子炉です。兄は、エンリコ・フェルミによって創成された原子炉の文献を跋渉学習し、米国の会社「ウェスティングハウス」と提携しながらも、日本の最初にして最後、唯一の原子力船「むつ(陸奥)」の動力源としての原子炉を独自の設計のもとに製作しました。

 この原子炉は青森県むつ市の「むつ科学技術館」に展示されています。実際に稼働した原子炉を展示しているのは世界でここが唯一だと思います。兄を偲んで私もここを訪れました。訪問観客の誰一人として、眼前の原子炉が原爆被爆者によって造られたという悲惨な事実に思いを馳せるものはありますまい。

 兄は、やがて三菱原子力という会社の社長になりました。後年は、その会社の東京のオフィスに、三鷹の自宅から1時間ほどもかけて、会社の自動車で通っていました。私は、ある日の夕刻、自宅に帰ってきた兄を出迎えたことがありました。車から降りた兄は、運転手さんに、深かく丁寧に頭を下げて「ありがとうございました」とお礼を言いました。会社社長が雇用人に示した滑稽なほどの丁重さは一体どこから発したものか?私の脳裏に、あの日の兄の被爆体験の言葉がフラッシュバックしました。システミックな暴力に無意味に惨殺される、名もなき人間たち、その一人である自己の認識、人間と人間を結ぶ絆、愛を、私が、確かに、確かに、兄の姿に直感した瞬間でした。

 そうです。私達は「人間」を取り戻さなければなりません。峠三吉の声に耳を傾け直さなければなりません。ここから発して、私の考えも大きく変わる過程の中にあります。かつて、オッペンハイマーは「物理学者は罪を知った(The physicists have known sin)」と言いました。罪と犯罪の問題、難しい問題です。これまで、私は、物理学そのものは中立だと考えていまいた。アインシュタインにしても、そう考えたかったのだと思います。しかし、私の考えは変わりました。物理学、物理学者は、原爆を、水爆を造り、その使用を可能にしたことで、実際の犯罪を、戦争犯罪を犯したのであり、この事実を認めなければならないと考えるようになりました。物理学の有罪性、物理学者の有罪性です。

 近い日に、しっかりと考えをまとめ上げ、しっかりと書き下ろして、皆さんに読んんで頂きたいと思っています。私達は「人間」を取り戻さなければなりません。平和を取り戻さなければなりません。

 

藤永茂(2025年8月9日、長崎の日)


反省

2025-07-20 05:19:04 | 日記・エッセイ・コラム

『アンネの日記』について、私の犯した誤りは、英語版で、July を June  と間違えたことに発しました。これは私の頭の働き方の問題です。認知症発症ということも考えられます。しかし、ここには、根本的な自己反省が必要であることを痛感しています。

以前(2006年3月8日)に書いた「ノン・ポレミシスト宣言」という記事を再録します:

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ミシェル・フーコーは、エイズで亡くなる直前に、カリフォルニアでポール・ラビノウと話をして「私はポレミックがきらいで、今までポレミシストであったことはない。ポレミシストは自分の考えを変えるつもりはなく、意見の違う相手を何としてでもねじ伏せようとする。敵に勝つのが目的なのだ。私が議論にたずさわるのは、それを通じて少しでもより真なるものに近づきたいからだ」という意味のことを言っています。(Paul Rabinow, ed. The Foucault Reader, 1984)フーコーがこんな事を言うと意外に思った私はこの哲学者のことがよく分かっていなかったのだと言えましょう。
コンラッドの「闇の奥」を鋭く批判したアチェベの発言について、コンラッドを “one of us” と考える人たちは、アチェベは「闇の奥」を読み間違えたということで意見が一致したようです。この容易には読み解けない小説も、正しく読めば、コンラッドが時代を先取りした反植民地、反帝国、反人種偏見主義者だったことが分かるというものです。アングロ・サクソン白人ではなくてもこの読み方を支持する人もいます。しかし、私は別の読み方に傾きます。それはカナダでの40年間の生活経験に基づいています。その間、私が本当に “one of them” として扱われたことは一度もありません。これは、親しいアングロ・サクソンの友人があるかどうかとは全く別の問題です。彼らの人種的優越感、差別感というものは、それは、それは、深いものなのです。会田雄次さんが「アーロン収容所」の2年間で垣間見たものを,私は40年をかけて見据えたわけです。ナイポールの側に身を擦り寄せるか、アチェベと感じ方を共有するかの問題です。しかし、勿論、アチェベとも違う筈です。私には、日本人としての、日本という国の過去を背負った姿勢があり、またそうでなければなりません。フーコーのいうノン・ポレミシストとして、私は「闇の奥」とその奥をゆっくりと読み解いて行きたいと考えます。

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私は、初心に帰って、筆を取らなければならないと深く反省しています。

藤永茂(2025年7月20日)