1991年、ノルウェーのベルゲンで行われたエスぺラントの世界大会参加を利用して初めて一人旅をしました。
当時、指導員として知的障害者の地域作業所の設立に携わっていたのですが、親の思いと自分の考えがどうしても一致しないジレンマに悩んでいました。福祉先進国スウェーデンに行こうと計画を立てたのですが、できることならノルウェーも旅をしたいと思いました。
当時作業所では工場の受注の仕事をしていましたが、時には途絶えます。そんな時のために織物を導入しました。ノルウェーでの世話人を捜そうと織物をしている老人に便りをだすとぜひ来なさい、家の近くに作業所もあるし、織物を始めたばかりなりなら、私が教えてやると招待してくれました。これがコングスブルグに住むオラフでした。
老人とはいえ一人暮らしの男性の家に転がり込むのもどうかと迷ったいましたが、オラフが言うにはスウェーデンから女友達を呼ぶから大丈夫ということでしたので手はずをお願いしました。
コングスベルグはオスロが首都と決る前に首都の役割を担っていた町で、7~800メートルぐらいの可愛らしい旧市街地などもありましましたが、私の目を引いたのは広く深い静かな川でした。ノルウェーが木材を輸出していた頃はこの川は貯蔵場であり、木材で埋め尽くされていたそうです。
いろいろな織物を見るのが良いと彼が勧めるので、大会前にオスロへ行きました。ここで民族博物館を案内してくれたのがブッケパウルセンでした。もう80才を超えていましたが、そのエスペラントの流暢さに老いは感じられませんでした。また知識の豊富さ、例えば織物その他絵を見るとすぐにその説明を始めるのです。聖書が主題であるなら聖書のどの場面でどんな事が書かれているかとか澱みなく話すのです。エスペラントの流暢さもさることながら、自国の文化を深く理解している事に感銘を受けました。と同時に、私が日本文化を知らない事に気付かされました。
彼女は大金持ちで、大戦前、日本の宮家のどなたかがノルウェーウェーを訪問した時、宮家の夫人を自宅に招待したとは聞いていたのですが、布袋をさげ、日本の老婦人なら普段着にしているようなワンピースで現れた彼女は、隣のおばあちゃんのような気さくな人でした。また、彼女は行動の人でもあったようです。彼女の弟は目が見えなかったのですが、その弟がスキーをしたといった時、すぐに視覚障害者のためのスキー学校を作ったそうです。今、日本でスキーをする視覚障害のある方はおられるのでしょうか。日本では障害者はその障害を理由として行動を制限されてきました。人の手助けを受けるのはまるで悪いことのように。
後で辞典で調べると彼女は夫共々エスペランティストとして活躍した人だったのです。彼女の小学校以来の友人の孫というヘーゲルが移動の世話をしてくれました。
私の話はいつもそれます。
当時、指導員として知的障害者の地域作業所の設立に携わっていたのですが、親の思いと自分の考えがどうしても一致しないジレンマに悩んでいました。福祉先進国スウェーデンに行こうと計画を立てたのですが、できることならノルウェーも旅をしたいと思いました。
当時作業所では工場の受注の仕事をしていましたが、時には途絶えます。そんな時のために織物を導入しました。ノルウェーでの世話人を捜そうと織物をしている老人に便りをだすとぜひ来なさい、家の近くに作業所もあるし、織物を始めたばかりなりなら、私が教えてやると招待してくれました。これがコングスブルグに住むオラフでした。
老人とはいえ一人暮らしの男性の家に転がり込むのもどうかと迷ったいましたが、オラフが言うにはスウェーデンから女友達を呼ぶから大丈夫ということでしたので手はずをお願いしました。
コングスベルグはオスロが首都と決る前に首都の役割を担っていた町で、7~800メートルぐらいの可愛らしい旧市街地などもありましましたが、私の目を引いたのは広く深い静かな川でした。ノルウェーが木材を輸出していた頃はこの川は貯蔵場であり、木材で埋め尽くされていたそうです。
いろいろな織物を見るのが良いと彼が勧めるので、大会前にオスロへ行きました。ここで民族博物館を案内してくれたのがブッケパウルセンでした。もう80才を超えていましたが、そのエスペラントの流暢さに老いは感じられませんでした。また知識の豊富さ、例えば織物その他絵を見るとすぐにその説明を始めるのです。聖書が主題であるなら聖書のどの場面でどんな事が書かれているかとか澱みなく話すのです。エスペラントの流暢さもさることながら、自国の文化を深く理解している事に感銘を受けました。と同時に、私が日本文化を知らない事に気付かされました。
彼女は大金持ちで、大戦前、日本の宮家のどなたかがノルウェーウェーを訪問した時、宮家の夫人を自宅に招待したとは聞いていたのですが、布袋をさげ、日本の老婦人なら普段着にしているようなワンピースで現れた彼女は、隣のおばあちゃんのような気さくな人でした。また、彼女は行動の人でもあったようです。彼女の弟は目が見えなかったのですが、その弟がスキーをしたといった時、すぐに視覚障害者のためのスキー学校を作ったそうです。今、日本でスキーをする視覚障害のある方はおられるのでしょうか。日本では障害者はその障害を理由として行動を制限されてきました。人の手助けを受けるのはまるで悪いことのように。
後で辞典で調べると彼女は夫共々エスペランティストとして活躍した人だったのです。彼女の小学校以来の友人の孫というヘーゲルが移動の世話をしてくれました。
私の話はいつもそれます。
昨日、故郷の小学校へ行って来ました。
蚕を飼い、糸を取って、近いうちに布を織るそうです。どんなものが出来るのかとても楽しみにしています。
紡いだ糸はきっとスラブ糸のようにポコポコしていて、味のある布ができるでしょうね。
紡ぎも取り入れようかと思ったこともあったのです。ですが、授業料が高かったのと、もし上手にできるようになっても誰が買ってくれるのかと思うほど、売っている値段が高かったのです。確かに手がかかりますが、作る人も使う人も楽しめるものを作りたいですね。
私は怠け者です。本を読んで夢を見ているのが好きなのです。
寝てばかりいられないので・・・。
口の悪い姉は私のことをホルスタインと言っていました。仕事を辞めたら肥りだし、誰かダイエットの仕方教えてください!!
スウェーデンに1年間スティした人の話では、子供向けのテレビ番組の殆どが英国制作で、自国語への吹替えなしに英語が子供の耳に入ってくるので、幼い子は英語に馴染んでしまい、学校では入学後自国の言語の習得に力を入れているそうです。何しろ800~900万人の人口の国だから、自国だけを市場にした番組ではスポンサーが付き難いとか、いろいろ苦心がいるところだそうです。聞いた話なのですけれど。どんどん流入してくる文化と自国の文化の保持、きっとノルウェーでも若い人については、スウェーデンに似ているかも。
そんな言葉はないのです。ノルウェー語とスウェーデン語を混ぜて彼等ががそう読んでいました。デンマーク語が混じっても通じるそうです。フィンランド語は系統が違うので混ぜる事ができないそうです。
スウェーデンは木工とか織物とか手職を大事にします。海外からの留学生も多く授業は英語だそうです。
短期研修もあるそうなので行きたかったけれど英語ができません!
案山子さんの年金問題今の私には難しくてコメントできませんでした。
夫が無職になってお尻に火がついたら慌てて愚痴を言い出すかも知れません。
ただ願うのは、フェアであって欲しいなということです。