glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

女性とは!?

2018-10-23 09:30:37 | 雑感

 ドキュメンタリ-でノーベル平和賞を受賞したコンゴのムクウェク医師の活動を見た。コンゴの女性たちの置かれていた状況、そして今の置かれている状況に驚き、言葉を失った。ある女性が叫んでいた。呪術師を罰しなければ女性へのレイプは止められない。呪術師は処女の血を流せは金持ちになれるなどと男たちをそそのかす。2か月の子どもまでレイプする男がいる。2ヵ月の赤ん坊が女と言えるかと言っていた。レイプは幼女にまで及んでいた。このような世界をどう表現したらよいのでしょうか。

 

 別の番組でオノ・ヨーコ氏の妹小野節子氏のことを知った。彼女は10代の時にアメリカで母に連れられてストリップショーを見に行ったという。母は女は男とは違い美しく、優れた素晴らしい存在だと彼女に教えたという。のちに世界銀行に就職。女性は蔑視され、その上アジア人ということでも軽蔑されたという。そして当時の最貧国モータリニアに派遣された。男性たちの多くは箱物的な施設を作るのに彼女は砂漠の国モーリタニアを緑化することに成功したそうです。その支えになったのは母親の言葉―女とは美しく優れた存在ーだったという。

 

 私も女性です。なんでこの子は女なの!男の子だったらよかったのに!と始終言われて育ちました。女は男を乗り越えることはできない。つまり、女性であることを卑下することを教えらて育ったのです。もし生まれる子が女の子だったら男の子と同様に育てたいと思っていました。残念ながら子どもたちは男の子。彼に教えることができたのは女性も男性と同じ権利があるということだけでした。

 

 女とは何か。環境によって、育てられ方によって生き方を左右される。男性も同じことを言うかもしれない。家庭教育という授業で、理想的な家庭教育は皇室における養育方法である。すべての子どもが皇室の子どもと同じく大人たちに敬われ、大切に養育されるべきだと主張していた教授の言葉を思い出します。

 

 

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