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glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

棄民 : 花の夢

2009-02-22 09:04:52 | 平和


 昨日、友人たちが自主上映するという映画を見に行ってきました。

 中国残留婦人である栗原貞子さんという方のドキュメンタリー映画

 『花の夢』- 監督:東志津 語り:余喜美子

若い女性が女子義勇隊なるものがあり、隊員は各県に割り当てられ、満州に送られ、訓練されたのち半ば強制的に開拓団員の妻にされたという事実をはじめて知りました。
 写真・ニュースの映像・現在の穏やかな暮らしの映像の中で静かに語られる壮絶な生きるため戦いは満蒙開拓団とは何だったのとか考えさせられました。

 また、戦争で苦しんだ人の体験を語る時それを強調しすぎると日本が加害者であった事実を消し去る危険があります。それは満蒙開拓団についてであれ、原爆であれ空襲についてであれ同じことなのです。その点も考慮されていると感じました。

 映画を見ながら次々と思い浮かぶのは満洲の話をしてくれた人や引き揚げてきた顔見知りに人たちでした。

 子どものころ田舎にいました。隣のは満洲からの引き上げ者達が集団で作ったでした。国は何もしてくれないので集団でキリスト教に改宗し教会の援助を受けていました。
 そのほかに満洲からの引揚者がいっぱいおり日常茶飯事のように語られていました。栗原さんの友人が生んだ子は捨てたと言っていましたが、子どもは生きられないような状態だったようで、死んだ子をせめて埋葬したいと思っても地面が凍っていて素手では掘ることもできず、木の根もとに置いてきたという婦人がいました。でも、5人の子どもの上3人を連れて帰れてよかったと…。

 昨夜は久しぶりに長いこと忘れていた友人たちの夢を見ました。小学1年生の私がいました。満州から引き揚げてきた転入生は真冬というのに素足でした。あまりの痛ましさに家に帰って声をあげて泣きました。私の足袋もつぎはぎだらけでした。母は決して誰にも話さないと約束させたうえ、その中から一足私に持たせ彼女に渡させました。

 高校の時の友人に両親を知らないという友人がいました。彼女の母親は収容所で引き上げ船にも乗れないほど衰弱していたのだそうです。近くにいた若い女性に子どもだけでも連れて帰ってほしいと懇願しました。幸い友人は5歳にしては小さかったので、女性は彼女をリュックに入れリュックから頭を出した状態で引き上げ船まで運んだということでした。その女性が彼女の養母でした。終戦時20歳ということは彼女が高校生の時にまだ30代だったのです。



 棄民と言う言葉は気になる言葉です。南米に移民した人たちも、ついたら援助もなく、結果は棄民であったと言われています。そしていま、その子孫たちが経済不況の中で切りすてられています。そして企業に便利な派遣労働者も・・・。

 今朝の新聞ではネット難民という人たちには定額給付金も渡す方策がないとのことです。

 平和とはみんなが安心して暮らせること。平和の反語は戦争ではありません。私たちの今の社会は平和とは言えないですね!
コメント (6)
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