ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

リュウキュウサルボウ

2019年04月29日 | 動物:魚貝類

 猿の帽子、じゃない
 
 風は涼しく日差し穏やかな4月のある日、県営運動公園へ散策に出かけた。県営運動公園は広い、そこの海側の駐車場に車を停め公園に入り、海岸沿いの園路を奥へ向かって30分ほどブラブラし、帰りは園路から浜へ出て、波音を近くに聞きながら砂浜の上をブラブラ歩く。駐車場まであと約100mの辺りで砂浜から園路へ戻る。
 園路へ向かう私の少し前を海人(ウミンチュ=漁師)らしき男性が1人歩いていた。彼は左手にバケツ、右手に網状の袋を持っていた。その袋には潮干狩りで収穫したらしき獲物が入っていた。獲物は貝のようであった。私のこれまでの人生で、少なくとも野生のものは見たことのない貝。彼が振り返ったので目が合った、会釈した。そして、
 「その貝のようなもの、潮干狩りの獲物ですか?何ですか?」と声を掛けた。
 「これ、アカガイ。」
 「アカガイですか、寿司屋で見るあの。・・・写真撮っていいですか?」
 「はい、どうぞどうぞ。」ということで、撮らせてもらう。
     

 アカガイ、中身は見たことあるが、食べたこともあるが、表(殻)を見るのは、私は初めてかもしれない。「そうか、これがアカガイか」と、また1つ沖縄の生き物に出会えて私は喜ぶ。ただし、見たことないのでそれが本当に赤貝かどうか確定はできない。彼を疑うわけではない。彼の言うアカガイが方言名かもしれないので調べなければならない。
 それから数日後、図書館へ行って調べる。・・・結果、沖縄の海に赤貝はいなかった。アカガイは私の予想通り沖縄の方言名で、和名はリュウキュウサルボウだった。
 リュウキュウサルボウ、リュウキュウは解る、きっと琉球だ。サルボウって何だ?草木の名前にも動物の名前にもそんなの聞いたことないぞ。であったが、他に該当するものがない。で、さらに調べる。サルボウは猿頬だった。『地域食材大百科』によると「猿が食べ物を口に含んだ時にぷっくり膨らむ頬のような膨らみをした貝」とあった。

 その時の海人とはその後30分ほどおしゃべり、向こうに見えるのはホワイトビーチ、沖に防波堤が造られて潮の流れが変わり、湾の一部が死んだなどあれこれ話を伺い、セッコツソウという薬草を教えてもらった。セッコツソウについてはまた別項で。
 
 リュウキュウサルボウ(琉球猿頬):食用貝
 フネガイ科の二枚貝 沖縄以南、東南アジア、他に分布 方言名:アカガイ
 名前の由来は『日本近海産貝類図鑑』にあり、要約すると「サルボウは猿頬、猿が物を口に含んでいる時の頬が膨らんでいる形に見た目を譬えたもの」というような内容。本種は国内では沖縄に生息するのでリュウキュウ(琉球)とつく。
 フネガイ科アカガイ属に含まれ、寿司屋でよく見る赤貝と同属、赤貝と同じく血球中にヘモグロビンを持っているため身が赤みを帯びている。なので、方言名はアカガイ。
 赤貝の殻表には42本ほどの放射肋(ほうしゃろく=縦線)があり、本種にもある。その放射肋の数でアカガイ、サルボウの区別がつくそうだが、本種はざっと数えて30数本、それよりも大きさと形で見分けがつく。本種は片方が突き出した感じで横に長く、殻長8センチ前後。アカガイはほぼ左右同じくらいの長さで、殻長12センチほどになる。
 海水生の貝で、潮間帯下部〜水深5mの砂泥地に生息。数が少なく漁業対象にはならない。自家消費用に潮干狩りなどで収穫される。『日本近海産貝類図鑑』によると旬は春。茹でて食す。噛みしめると甘味があり、微かに苦みがあり美味しいとのこと。

 ちなみに、
 アカガイ(赤貝):食用貝
 フネガイ科の二枚貝 東京湾~九州に分布 方言名:不詳
 殻長12センチ、内湾の水深10メートルくらいに生息。殻表に艶はなく、42本の放射肋がある。ヘモグロビンを持っているため軟体(中身)は赤い。
 学名は、アカガイ Anadara broughtonii
 リュウキュウサルボウ Anadara antiquata

 記:2019.4.28 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行 
 『日本近海産貝類図鑑』奥谷喬司編著、東海大学出版会発行
 『沖縄海中生物図鑑』(財)海中公園センター監修、岡本一志・他著、新星図書発行
 『地域食材大百科』藤原昌高著、社団法人農村漁村文化会発行


感服の演技『洗骨』

2019年04月26日 | 通信-音楽・映画

 イオンライカムは4年ほど前(2014年)オープンしているが、オッサンの私には特に興味なく、去年3月、今の住まいに越してからは畑を辞めたので時間はたっぷりあり、前の住まいからは車で片道40~50分かかるほどの距離だったのが、新居からは15分ほどとなったので、いつでも行けるようになったのだが、周りのオバサンたちに訊くと、「オッサンが1人で行っても楽しくないよ」と助言もあって、長く遠慮していた。が、
 「オッサンが行っても楽しくないよ」というイオンライカムに先日1人で出かけた。感性において信頼できる友人から「映画『洗骨』は面白かった、観た方がいいよ」と勧められ観に行くことにした。私がいつも行っている映画館ではやっていない。調べると、大手のシネマコンプレックスのいくつかでやっている。その中で最も近い場所にあるのがイオンライカムの中にあるシネコン。映画に限ればオッサンが行っても楽しかった。

 「洗骨」は『沖縄大百科事典』に記載がある。要約すると、
 墓地である期間経過した遺骨を取り出し、洗い清める改葬儀礼のこと。
 行われる時期は一定していないが、全島的に見た場合、次の2点が最も支配的。
 1、死者が出た場合、墓の中に既に安置されている遺骸を移動させる時に洗骨。
 2、白骨化を待って洗骨する。死後3~7年の間に行うことが多い。
 久高島では12年に1度の寅年と定められ、一斉に行った。
 旧暦7月7日の七夕の日に行うのが一般的慣習であった。
 洗骨儀礼に参加するのは親戚に限られる。
 実際に遺骨を清めるのは肉親の婦女子で、男子は傍で見守っている。
 洗い終わった遺骨は、墓堂奥深く安置する。その際、厨子甕に納めることもある。
 その呼称(洗骨の沖縄語での呼び名)はいろいろあり、シンクチ、アライン・・・ハルジューコーなど15種が紹介されている。ちなみに、厨子甕は大きな骨壺。

 洗骨と共に風葬のことも説明が必要であろう。何しろ、火葬して灰にしてしまうと洗骨のしようがない。同じく『沖縄大百科事典』の記事を要約すると、
 風葬とは、遺体を原野、海辺、樹上、洞穴などに置いて自然に白骨化させる葬法。
 墓堂の中で自然に白骨化させることも風葬に含まれる。(映画ではそうやっていた)
 風葬のことは沖縄語でシルヒラシという。シル(汁)ヒラシ(干らす)という意。
 沖縄島では戦後に火葬に代わったが、周辺離島や宮古八重山ではなお続いているところがあるとのこと。『沖縄大百科事典』は1983年の発行、今でも風葬があるのか、洗骨があるのかどうか疑問であったが、映画を観ると粟国島ではまだあるようだ。
     

 さて、映画『洗骨』、泣いて、笑って、泣いて、感動して私は大満足の2時間だった。実力ある大ベテラン俳優を評価するなど僭越だとは思うが、主人公の奥田瑛二には感服。根性無しでだらしなくて弱虫のオッサン、でも情は一杯持っているいかにもウチナーンチュのオッサン、あんなにガブガブ泡盛飲むオッサンは少ないと思うが、目の奥に知性が光るオッサンも沖縄には稀だとは思うが、とてもリアルに私の身近に感じた。
 あれこれの挿話も面白い・・・などと素人の私が批評する必要もない良い映画でした。
     

 記:2019.4.26 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行 


ハニンニク

2019年04月24日 | 飲食:食べ物(材料)

 元気になる野菜

 寒くなると私も鍋料理が恋しくなり、30年ほど使っている愛用の土鍋を出し、先ずは海鮮を主体とした水炊き、その後、煮汁をそのまま使って鶏肉の水炊きとなり、その後、またも煮汁はそのままにして和風おでんになり、最後に沖縄風おでんになる。
 冬場は南国沖縄も少しは寒くなる。が、今期の冬は暖冬であった。朝起きて「寒い」と感じることが少なかった。少なかったけど土鍋を出し、鍋料理は何度もやった。
 鍋料理が続いていたある日、八百屋へ今宵の鍋の具材を物色していたら、見た目は青ネギだが名札には「葉ニンニク」とある野菜に目が留まった。腰痛は良くなったり悪くなったりの繰り返しが続いていて、「腰痛が治らないのは体に元気がないからではないか」と思っていたこともあり、早速購入し、早速その夜の鍋に入れ、晩酌の肴にした。
 ニンニクの香り(ニラの香りといってもよい)が少ししたが、さほどきつい匂いではない。食べて美味しかった。で、この冬は、4、5束は購入し、鍋の具材とした。
 元気になったかというと、それは不明。腰痛は今もなお続いているので腰痛緩和にはなっていないようだ。でも、美味しく食べることができたので、それで心は満足。
 
 ハニンニク(葉大蒜):葉菜
 ユリ科の多年草 西アジア原産といわれる 方言名:ヒル、あるいはヒルンファ
 ニンニクの鱗茎が肥大する前の茎葉を食用にすると文献にあるが、先輩農夫に訊くと「それ用の品種がある」とのこと。よく見るニンニクとは亜種関係なのかもしれない。
 ニンニク同様アリシンを多く含む、ビタミンミネラルも豊富で滋養強壮、風邪予防に効果がある。 鱗茎が肥大する前の若い茎葉を食用とするため早めに収穫する。本種も放っておくと鱗茎が肥大し、鱗茎を食用とするニンニクとなる。ハニンニクは8月から10月に植付け、11月から2月に収穫する。鱗茎の収穫時期は2月から4月。

 記:2019.4.21 ガジ丸 →沖縄の飲食目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行 
 『沖縄食材図鑑』田崎聡著、有限会社楽園計画発行


老いても達人

2019年04月22日 | ガジ丸のお話

 畑の大先輩N爺様は御年90歳。家から畑までの片道約30分をほぼ毎日歩いて通っている。背筋はしゃんと伸びて杖も使わず大股で歩く。時折耳鳴りがするそうで少々聞こえ辛いこともあるようだが、声は大きくはっきりしていて、「はっ、はっ、はっ」と口を大きく開け高らかに笑う。話すことも理路整然としていて頭の良さも窺える。

 ある日、N爺様に案内され爺様の畑を一緒に歩いている時、虫が飛んできた。爺様の畑にはシークヮーサー(ミカン科の植物でウチナーンチュの愛する果物)の木が多く植えられている。飛んできた虫はシークヮーサーの木に卵を産み付け、孵化した幼虫は木の幹に潜り、内部を齧り、幹を穴だらけにして、しばしば木そのものを枯らしてしまうゴマダラカミキリ。シークヮーサーを主生産品としている爺様にとっては不倶戴天の敵。
 飛んできたゴマダラカミキリは私の傍を通って、私の前を行くH爺様に近付いた。おそらく、その羽音に気付いたであろう爺様は振り向きざま右手を素早く伸ばしゴマカミ(略称)を捕まえ、その手を胸の前に持って行き、左手の親指と人差し指で彼の首を摘まみ、音もしない素早さでその首を胴体と引き剥がし、そのまま両方を地面に投げ捨てた。
 「何ちゅう90歳!」と私は驚き、うしろから爺様に声をかける。
     

 「Nさん、Nさんはホントに90歳ですか?」と。
 「90って、言ったか?・・・それは間違い。正確には来年の5月で90歳だ。」
 いやいや、89歳でもその素早い動きはないよ、と私は思いつつ、
 「Nさんは若い頃何か運動でもしていましたか?空手か何か?」
 「私が若い頃はまだ戦争中だ、兵隊に取られ銃は担いでいた。」とNさんは言いつつ、どこか遠くを見つめるような、何か懐かしむような表情になって、
 「ただ、昔のウチナーンチュの多くがそうだったように空手はやっていたよ。」
 「達人だったんですか?段位は?何段だったんですか?」
 「私がやっていた頃は段位なんてあったか、近所の達人に教わっていただけだよ。」
 「でも、さっきの動き、反射神経と運動能力は凄いですよ。」
 「さっきって、あー、カラジクェー(カミキリムシの沖縄名)のことか、あれはトロいから、年寄りの私にも捕まえられたんだよ。たいしたことないよ。」

 「たいしたことないよ」がそれから数週間後、謙遜であったことが判明する。

 N爺様が自分の畑へ向かう少し手前に私の畑がある。その日、Nさんは畑へ向かう途中で私に声を掛けた。「白いデイゴが咲いているから見に来なさい」と。前に訪れた時にその白い(花が咲く)デイゴにたくさんの蕾が着いているのを見せて貰っていた。「はい、後で、昼飯食った後にでも伺います」と私は答え、そしてその通り出向いた。
 Nさんの畑は道路から15mほどは奥まったところにあり、細い道を15mほど歩く。その間にはウージ(サトウキビ)が茂り、他の雑木が茂り外からは見通せない。
 Nさん畑の入り口に着いて、ウージや雑木の茂った細い道に足を踏み入れようとしたまさにその時、犬のけたたましく吠える声が聞こえた。爺様の畑から聞こえる。さては、野犬が爺様の畑に侵入して、爺様に向かって吠えているのか、助けなきゃと急ぐ。
 ところが、そう思って駆けようとした時、「キャイーン」とひときわ大きな鳴き声が響いたかと思うと、その後はシーンと静かになった。爺様ではなく犬に何かあった。さては空手の達人、襲ってくる野犬を一撃で仕留めたかと思い、先を急ぐ。
     

 中に入って爺様がいつも作業している場所に着くと、裏山の境界辺りからこっちへ向かって歩いてくる爺様の姿が見えた。爺様は右手に鋤を持っていた。近くまで来て、
 「犬の叫び声が聞こえましたが、何かありましたか?」と訊くと、
 「ん、いや、そこで野良犬が吠えていたので何ごとかと見に行ったら、ハブと睨み合っていたんだ。私に気付いた臨戦態勢(トグロ巻いている状態)のハブが犬に飛び掛った。そしたら、犬が驚いて大声あげて山に逃げて行った。残ったハブは私がこれ(鋤)でチブル(頭)をちょん切った。まだそこに残っているよ。見るか?」とのことであった。
 さすが達人である。野犬を見てもハブを見ても冷静に対処できるんだ、と感心する。きっと、両者と対峙しても勝てるという自信があるのだろう。なお、「見るか?」については、興味はあったのだが、怖さもあったので遠慮させて頂いた。
     

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

 つい最近のこと、友人Hがハブ退治をして、その際ハブの牙に少し引っ掻かれて救急車で運ばれた事件があった。Hの傷はたいしたこと無く、入院することも無くすぐに帰されたのだが、一応は元気かどうかその顔を見に行った。彼は元気だった。傷は1点(ハブの牙は2本あるので普通は2点となる)だけで、ハブも突然の敵におそらく牙を立てる間が無かったのだと思われる。牙を立てられなければその毒も注入できない。Hの体内にハブの猛毒は入っていなかったとのこと。牙1つだけの引っ掻き傷で済んだとのこと。
 Hも中学高校の頃は柔道の猛者で、大学では空手もやっていた。彼の肉体には少年の頃から青年の頃にかけて培った反射神経と運動能力が備わっているのだろう。ハブが襲い掛かった時もその能力で、とっさに身をかわすことができたのだと思われる。
 なお、上のN爺様の話は、ゴマダラカミキリの件は事実だが、野犬とハブの件は創作。Hのハブ騒動の話を聞き、H爺様が90歳とはとても思えぬ俊敏な動きをしていたことを思い出して、H爺様は空手の達人ではなかっただろうかと思っての空想物語。
     

 さて、若い頃に肉体を鍛えていない私はというと、友人Hを見舞って、公園の散歩、買い物など終えて家に帰って、晩飯食った後、Hを見舞ってから4時間程経った夜8時頃、急に右耳の下が腫れ出した。その辺りはリンパ腺というのか、みるみる膨らんで行き、1時間もするとソフトボールを半分に切って張り付けたみたいにパンパンに腫れた。
 「何じゃ、何じゃ、ハブに噛まれそうになった話を聞いただけで、ハブの毒が体に回ったか?」と不安を感じつつ寝る。腫れは、翌朝には概ね引いていたが、その日から2日間は久々の連続休肝日となった。アルコールは肝臓に負担を掛ける、肝臓に元気が無いとリンパによる排毒作用も弱る(医学的に正しいかどうかは不明)と考えての事。
 なお、リンパの腫れは4日後には親指大になり1週間後には消えた。ただ、私の肉体の弱さをつくづく知らされ、ヨボヨボ爺さんという将来が見えて、とても残念に思った。

 記:2019.4.19 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次