ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

植民地並待遇

2012年06月29日 | 通信-沖縄関連

 ずいぶん前のこと、おそらく20年位前のこと、同級生の一人が、
 「軍用地料をたくさん貰っているのに基地反対ってよく言えるよ」などという内容のことを言った。私はそれに対し反論したのかどうか覚えていない。「そうか、そんなに貰っているのか」と言ったかもしれない。あるいはしかし、「民間で活用した方がもっと金を産むし、雇用も多くなる」などと言ったかもしれない。もしも後者であれば、私はおりこうさんだ。那覇新都心は、軍用地料より遥かに多くの金と雇用を生んでいる。

 那覇新都心とは1987年5月に返還された米軍牧港住宅地区の跡地。私の通っていた泊小学校の北側にはフェンスがあり、フェンスの向こう側はその米軍牧港住宅地区であった。住宅地区というのは軍や軍属の人達の住居のための区域。
 米軍牧港住宅地区の面積は約192ヘクタール、その全部を含み、周辺を少し足した214ヘクタールが区画整理され、市街地として造成された。東に国道330号線、西に国道58号線、北に環状2号(県道82号)といった幹線道路に挟まれ、南は那覇市の高級住宅街となっている泊、安里と接し、便利この上ない地域だ。詳細は省くが、現在那覇新都心は、軍用地だった頃よりはるかに多くの雇用と金を産んでいる。
 那覇新都心だけでは無い。これも詳細は省くが、1981年に返還された北谷町のハンビー飛行場(約43ヘクタール)、メイモスカラー射撃場(約23ヘクタール)の跡地もそれぞれハンビータウン、アメリカンビレッジとなって、人の集まる場所と大きく変貌した。そこもまた、軍用地だった頃よりはるかに多くの雇用と金を産んでいる。

 ということで、軍用地料を考慮に入れたとしても、沖縄にある米軍基地は沖縄の経済にとってマイナス要因であると言える。20年位前に「軍用地料をたくさん貰っているのに・・・」と言った同級生も、もはやそんなこと全く思っていないに違いない。たぶん、軍用地料によって生活が成り立っている一部の人達、軍関係の仕事に就いている一部の人達などを除いて、軍用地料を理由に基地賛成と考える県民はほとんどいないと思う。
 沖縄にある米軍基地は沖縄の経済にとってマイナスであり、そしてもちろん、米軍基地の存在は県民の安全にとっては大いにマイナスである。

 先日、職場の近くで面白い垂幕を見つけた。「ほう、そう考えるか、どういう思考回路なのかその頭の中を覗いてみたい」と興味を持ち、写真を撮った。
  その垂幕は何とか実現党のもの。「中国の植民地になってもいいのですか?」と書いてある。当然、沖縄は中国の植民地にはなりたくないが、アメリカや日本の植民地にもなりたくない。垂幕は「基地反対、オスプレイ反対の皆さ~ん」と呼びかけている。つまり、中国の植民地になりたくなかったら基地もオスプレイも受入れなさいと言外にある。
 何とか実現党はつまり、日本国のために沖縄は犠牲になれと言っている。日本のために危険を受入れろと言っている。彼らは沖縄を植民地だと思っているようだ。「日本の植民地なんだから日本の犠牲になって当然」と思っている。そのことに彼らは気付いているのだろうか?あるいは、心からそのように思っているのだろうか?この垂幕を見ていると、本土決戦を避けるために沖縄を滅茶苦茶犠牲にした沖縄戦が頭に浮かぶ。
          

 記:2012.6.29 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄自立への道を求めて』宮里政玄/新崎盛暉/我部政明編著、株式会社高文研発行
 『在日米軍司令部』春原剛著、株式会社新潮社発行


アグー

2012年06月29日 | 動物:哺乳類

 正体不詳の美味

 アグーとは豚の1品種である。食べ物としてのアグーについては今(2012年)から約6年前の2006年5月に紹介し、今年になって一般のスーパーで売られているアグー肉がアグーと多種豚のハーフであり、100%アグーを生産している養豚農家もあるということを知って、先々週には『アグーの本物』として再度アグー肉を紹介した。

 2006年5月に紹介した時の記事の中で、

 去年だったか、テレビの料理番組でもアグーが紹介された。そのテレビ番組が放送されてからであろうが、ある日、従姉が言う。
 「あんた、アグーって知っている。豚肉のことなんだけど。美味しいらしいよ。」
 「グルメの俺が知らないわけ無かろう」と私は威張って答える。「グルメの」はともかく、「知らないわけ無い」はその通りで、私はもう何年も前からアグーを知っており

 と私は書いているが、去年まで住んでいたアパートの近くにJA沖縄が経営するスーパーがあり、そこには確かに2006年よりも前からアグー肉を置いてあった。初めてアグー肉を見た時に、当然の如く「何だアグーって?」と疑問を持った。

 2006年5月に紹介した同記事の続き、

  その名前が面白かったので、数年前に私はアグーを調べている。沖縄に古くから食用として飼われており、成豚の体重は100キログラム内外と、食用豚にしてはそう大きくは無い。全身黒色の毛で覆われており、いわゆる黒豚といわれるものであるが、素肌は肌色である。鼻先が尖っていて、イノシシに似た強そうな顔をしている。

 その記事を書いてから6年が過ぎた今年(2012年)1月、ヤンバルの羽地ダムを散策し、そこの資料館を覗いた時に初めてアグーに出会った。アグーといっても生きては  いない。剥製のアグー。でも、写真で見て想像していた通りの姿だった。メタボというイメージのある豚という動物からは遠い。豚よりは�に近い。ちょっと怠けて小太りになった�、野生の荒々しさが消えた表情の�、といった感じ。
 今年5月には生きているアグーに会った。アグー生産農家を訪ねたのであった。生きているアグーもやはり、見た目は豚より�に近い。まだ若いアグーはよく動く。普通の白豚に比べるとスマートなので体も動きやすいのであろう。成長した豚でもそう太ってはいない。小太りといった感じ。成豚の(たぶん) 雄には牙も生えていた。

 アグーとはいったい何者かと改めて調べてみた。沖縄県の畜産関係のサイトなどを見ると、「14世紀に中国から渡って来たもの」とあるが、それも確かでは無いようだ。アグーという名前の由来が「粟国島」ではないかという説もある。であるあらば、元々沖縄に生息しているリュウキュウイノシシを粟国島で家畜にされたとも考えられる。
 島豚アグー、結局、どこからやってきたのか正体不明。あんたはいったい何者?と問いたい気持ちもあるが、いいのだ、正体不明でも。美味しければ。

 
 アグー(あぐー):ウシ目の家畜
 イノシシ科の哺乳類 中国渡来なのか在来なのか不詳 方言名:アグー
 「察度王(1385年)の時代、中国から久米36姓の移住に伴って持ちこまれた・・・豚は、背中が湾曲し腹が地につく程に垂れた、中国奥地の黒豚と同じだったとする説もある」と『沖縄身近な生き物たち』に書かれてある。「背中が湾曲し腹が地につく程に垂れた」は、養豚場で見たアヨーという名の豚の特徴である。
 同書に「太平洋戦争まで普通に飼われていた島豚(シマウヮー)は、・・・バークシャーとの交配種だと言われている」ともあり、それらから類推すると、1385年に持ち込まれたのはアヨーで、アヨーとバークシャーの交配種が島豚となる。
 ただ、『沖縄身近な生き物たち』も「・・・とする説もある」とか、「・・・と言われている」などと断定しているわけでは無い。元々リュウキュウイノシシがいたので、中国からの豚が入ってくる前に、それを家畜化していた可能性もあるとしている。
 リュウキュウイノシシを家畜化したものがずっと昔からあって、それとアヨーとの交配種が島豚アグーなのかもしれない。アグーの雄は牙が生えていて、イノシシの雰囲気が少しある。もちろん、私の推理も根拠が無い、素人の想像である。
 
 アグーを養っている農場ではフリーセックスとのこと。自然の欲求で仔が生れる。
 
 アグーの成体、雄(たぶん)には牙が生えている。イノシシの名残であろう。

 
 アヨー(あよー):ウシ目の家畜  イノシシ科の哺乳類 黒毛豚の一品種 方言名:アヨー
 中国産で14世紀に沖縄入ってきたと推察される豚。背中が湾曲し腹が地につく程に垂れて、全体は黒色だが、四肢が白い。

 バークシャー(Berkshire):ウシ目の家畜
 イノシシ科の哺乳類 黒毛豚の一品種
 イギリスのバークシャー州で作られた品種で家畜の豚としては中型。全体は黒毛に覆われるが、四肢、尾、鼻の先は白色。

 記:ガジ丸 2012.6.23 →沖縄の動物目次
 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『日本の哺乳類』志村隆編集、株式会社学習研究社発行


同じ穴の思考

2012年06月22日 | 通信-社会・生活

 小技いぢ朗さんが虐められている。彼の国防などに対する考え方は好きだけど、ふてぶてしい面構えは好きでは無い。なので、彼を否定することも積極的に支持することも無かった私であるが、総理が「何が何でも消費税増税」に動いている中、「特別会計の見直しや議員定数削減、公務員の優遇見直しや無駄な歳費の削減など消費税をあげる前にやることがある」と小技さんは正論を吐いている。これはちょっと応援している。
 その正論は、私だけでなく多くの庶民が正論だと思うはずだが、それを邪論と思っている人々(たぶん霞が関辺りに巣食う妖怪)がいるみたいで、「何が何でも消費税増税」に邪魔となる小技氏を、何が何でも失脚させようと画策しているように見える。

 妖怪たちは「何が何でも小技を政界から葬れ、その影響力を封じろ」と血眼になっているみたいだ。強制起訴で攻撃し、奥方の裏切りで攻撃する。気持ち悪い妖怪たちだ。鬼太郎や目玉親父や一反木綿や塗り壁のような愛すべき妖怪たちとはまるで逆。霞が関の妖怪たちは、小技氏の顔を1時間見つめるよりもなお気持ち悪い存在である。
 既得権益を守るためにあれこれ画策する妖怪は大嫌いなので、これまでは「ちょっと応援」していた小技氏であったが、これからは「もう少し応援」しようと思う。

 沖縄への瓦礫受入れ反対運動をしている独身美女Hさんという人がいる。「汚染されているかもしれない瓦礫を全国にばら撒くのは日本のためにならない、沖縄を守るため、日本を守るため」と言い、ビラ作り、ビラ配りに頑張っていた。東北からわざわざ時間と金をかけて遠く沖縄まで瓦礫を運ぶのは馬鹿げていると私も思っていたので、彼女の役に立ちそうな人をいろいろ紹介し、そこまで連れて行ったりして、彼女を応援した。
 今年3月のある日、ヤンバル(沖縄島北部の総称)の無農薬農家の集まりへ彼女を連れていくことになった。ヤンバルも名護よりまだ北、片道2時間はかかる大宜味村。彼女を連れていくだけのためでは時間が勿体ない。私もあれこれ目的を設け、そのための計画をし、出発時間を決めた。であったが、その計画は彼女の都合で潰された。私が運転し、ガソリン代も出しているのに、「私の都合に合わせて」と2時間待たされることになった。2時間も車の中でボーっとしている程、私は暇では無い。で、ヤンバル行きは中止。
 自分の都合が優先、相手の都合は二の次という彼女の性質に「狂信的運動家」という印象を私は持った。「脇目もふらず」は面白いでもあるが、気持ち悪いでもある。

  Hさんの知人で、同じく瓦礫受入れ反対運動の女性が瓦礫受入れ反対のための漫画を描いている。それを読ませて貰った。これがまた、気持ち悪い漫画なのであった。
 その漫画には、瓦礫受入れについて自分達と反対の立場であろう実在の県知事や県出身の国会議員を登場させ、彼らを名指しで非難している。そして、2人の顔は悪意のある描き方をされている。醜い顔をしている。いかにも悪人であると仕立てている。
 漫画を描いた女性は瓦礫受入れ反対運動の、一つのグループに属し、運動しているらしい。しかし、自らの主張を有利にするために事実を歪曲化し、誇張し、情報操作(隠したいものは隠しておく)といったことは、霞が関辺りに巣食う妖怪たちがやっているのと同じこと。瓦礫受入れ反対という意見に同調はしても、そのやり方は、私は気持ち悪い。
          

 記:2012.6.22 島乃ガジ丸


ミンカー相手に大声

2012年06月22日 | 通信-沖縄関連

 ミンカーとはウチナーグチ(沖縄語)だが、おそらくウチナーグチと言えど、日本全国に意味は通じないと言えど、差別用語になるかもしれない。耳の不自由な人という意味の差別用語である和語○○○と同じもの。ではあるが、ミンカーである人を差して「あの人はミンカーだから」と言ったって、別に差別しているとは、私は感じない。「あの人は男だから」とか「あの人は太っているから」などと同レベルの区別用語だと思う。
 ということで、もしかしたら差別用語と受け取られるかもしれない言葉を、ここでは単なる区別用語として用いる。念のため付け加えるが、耳の不自由で無い人に対し「ミンカーひゃー」と言ったりするとそれは侮蔑用語となってしまう。気を付けよう。
 さて、「ミンカー相手に大声」とは私の造語である。「暖簾に腕押し」、「糠に釘」、「馬の耳に念仏」などと似たような意味となるが、ちょっとだけ違う。

 ウチナーンチュは忍耐強い、とは私は思っていない。いや、女はそうかもしれないが、少なくとも私の周りの男共は、私も含め忍耐強く無い。「へたれ」が多い。いや、へたれというより「諦めが早い」と言った方がいいかもしれない。頑張れば何とかなるとはっきり判断できるものなら多少頑張るが、努力が報われるかどうか判らないものについてはあまり頑張らない。石に齧りついたりはしない。南の島の気質だと私は思う。
 そんな気質のウチナーンチュ達だが、たまには大声をあげる。
 「こんなこと許されるか!」
 「耐えられない!」
 「俺たちは奴隷じゃないぞ!」
などと大声をあげる。「諦め」気質のウチナーンチュが「NO!」と大声をあげる。

 1995年10月、8万人余りの大声が集まった。その年9月に起きた米兵による少女暴行事件に、諦めが早く、大らかな性格を持つウチナーンチュも怒ったのだ。怒って集まったのだ。集まって、何とかしようと沖縄の基地被害を世界に発信したのだ。
 その大声はしかし、ほとんど届かなかったみたいである。どうやら、ウチナーンチュが最も届いて欲しいと願う相手はミンカーばかりのようであった。その日から12年近くが過ぎてもなお、基地は変わらずであり、今むしろ強化されようとしている。
  2012年6月17日、つい五日前のこと。宜野湾市民大会が開かれた。過去に多くの事件事故を起こしたにも関わらず、あろうことか、オスプレイ配備などと米軍はさらに基地機能を強化しようとしている。そんな米軍の傍若無人と、それを認め、擁護しようとする日本国政府に抗議するために5千人余りの大声が集まった。

 断っておくが、私は1995年の8万人余りにも、先日の5千人余りの中にもいない。私がそういった集まりに参加しないのは、声をあげることが無駄なことだと思っているわけではけして無い。そういった努力が、例えば高江では5年、辺野古では9年もの間、基地建設を阻止し続けている力となっている。「馬の耳に念仏」はどんなに努力しても効果が無いという意味になるが、「ミンカー相手に大声」はそれとはちょっと違う。「たとえ相手がミンカーだとしても、大声をあげ続ければ効果がある」ということになる。
          

 記:2012.6.22 島乃ガジ丸


米軍上陸地点

2012年06月22日 | 沖縄02歴史文化・戦跡

 沖縄地上戦の始まり

 明日6月23日は67回目の慰霊の日。「慰霊の日」とは何か?広辞苑には載っていない。ちなみに、「終戦記念日」も広辞苑には無い。
 「慰霊の日」、広辞苑には無いが、『沖縄大百科事典』にはある。要約すると「1974年10月、県条例により制定された沖縄県独自の祭日。世界の恒久平和を希求するとともに、戦没者の霊を慰めることを目的とする」日のこと。
  6月23日は日本軍による組織的戦闘が終わった日であり、終戦では無い。生き残った日本兵達があちこちでゲリラ的戦闘を行っていたらしい。7月2日、米軍が沖縄戦終了を宣言するが、なお守備軍の残存部隊は抵抗し、その部隊が米軍との間で降伏調印を行ったのは9月7日になってのこと。その日で沖縄線はやっと終結したことになる。

 6月23日から9月7日までの間に、戦闘で、あるいは戦闘に巻き込まれて死んだ人も多くいたであろう。まったく無駄死にだ。こんな無駄、民間企業であれば、「何て無駄な事しやがる!会社を潰す気か!」と怒鳴られるに違いない。
 話が逸れてしまった。終戦の頃の話はまた別の機会に譲るとして、今回は沖縄戦の始まりについて、艦砲射撃から米軍上陸にかけての事を紹介してみたい。

 1944年10月10日
 「十・十空襲」と呼ばれる米軍による大規模な空襲がある。
 アメリカ海軍機動部隊による南西諸島への大規模空襲。沖縄大空襲ともいい、沖縄島の他、慶良間諸島、宮古島、石垣島、大東島、奄美大島、徳之島も攻撃された。
 日本軍の基地破壊が主な目的で、飛行場の軍用機、港に停泊中の艦船などを爆撃し、壊滅的な被害を与えた。空襲は民間地にも及び、特に那覇市の被害が甚大であった。あちこちで火災が発生し、市街地の9割が焼失し、死者は255人にのぼった。

 1945年3月23日
 米艦隊による沖縄島への艦砲射撃が始まる。この日が沖縄戦開始とされる。鉄の暴風と呼ばれるほどの激しい攻撃で、民間人を含む多くの死者が出た。

  同年3月26日
 アメリカ軍が慶良間諸島に上陸、慶良間諸島には2千名以上の日本軍がいて、特攻艇も使い抵抗したが、31日占領される。ここで、いわゆる「集団自決」が発生する。集団自決者402名を含め、軍民あわせて1220名の戦死者を出した。

 同年4月1日
 米軍が北谷、読谷に上陸。ここから沖縄地上戦が始まる。米軍上陸地点は読谷村から北谷町にかけての約13キロメートルの海岸線で、読谷村渡久地の泊城公園に米軍上陸の地碑があり、北谷町砂辺の砂辺馬場公園に米軍上陸地モニュメントがある。
 その日の内に米軍はチビチリガマに迫る。チビチリガマとは「集団自決」のあった所としてもっとも知られているガマ。集団自決は翌4月2日のこと。

     
     

 記:2012.6.22 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の戦争遺跡』沖縄平和資料館編集、沖縄時事出版発行