ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

止まらないルームランナー

2005年04月29日 | ガジ丸通信-社会・生活

 私の父が使っているルームランナーは、人がその上を歩くとベルトが回る式のもので、歩けば歩く早さ、走れば走る速さで回ってくれる。つまり、人の速さに合わせてくれる。
 ジムなどに置いてあるルームランナー、私はその実物を見たことは無いが、テレビで見る限りではどうやら電気仕掛けで動いているようだ。速さを設定すると、機械がその通りの速さで勝手に回ってくれる。人はその速さに合わせて動けばよい。そうすることによって効率的に、合理的に運動をすることができる。
 現代は、世の中の多くが機械仕掛けになっており、効率的に、合理的に生活することができるようになった。洗濯機が無ければ、掃除機が無ければ、車が無ければ、などなど考えると、ホントに機械仕掛けのお陰で、楽な生活をさせてもらっているのだ。
 機械仕掛けのルームランナーはスイッチを切れば止まってくれる。走り疲れたらスイッチを切って、休めば良い。だが、もし、止まらないルームランナーに乗ってしまったとしたら、そして、そのルームランナーから落ちると死んでしまうとしたら、ずっと走り続けなければならない。疲れ果てて死ぬか、落ちて死ぬかの二者択一となる。恐ろしい。
 現代は、世の中の多くが金拝主義となっており、効率的に、合理的に金儲けをしなければならなくなってしまっている。いかに儲けるかを考えると、能力以上の速さで走らなければならない。能力以上の速さでまた、走り続けなければならない。のんびり歩いたり、時々立ち止まったりするのは、金儲け主義の世界では無駄なこととされる。そんな「止まらないルームランナー」のような世界で、電車の運転手は走り続けていたのだろう。

 記:ガジ丸 2005.4.29


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過ちを犯さないシステム

2005年04月22日 | ガジ丸通信-社会・生活

 休肝日明けの昨日(21日)、仕事帰りにスーパーへ寄って酒の肴を物色する。宮城産の生タラ、沖縄産の和牛ロースなどの他に、鹿児島産の新タケノコがあったので買う。タケノコこそ旬。旬に竹冠で筍(タケノコ)とするくらいだ。旬のものを食わなきゃ。
 今までも皮付きのタケノコは何度も買っていて、世間で言われているように皮付きのまま、米糠、または米の研ぎ汁で茹でて、ざるにあけ、下拵えを済ませていた。だいたいそれで、市販の袋詰の茹でタケノコと変らぬ程度に仕上がっていた。その後、下拵えの済んだタケノコに醤油、みりん、酒、砂糖などで味付けして、美味しく食べていた。
 昨夜は、タケノコを美味しく食べるための、世間で言われているマニュアルを全て無視して調理した。皮を剥いて、水で茹でる。新鮮なタケノコはえぐみが少ないと、数日前のテレビ番組で聞いていたからというのが理由の一つだが、えぐみって言ったってそうたいしたことはないんじゃないのという油断が私にあったのだ。未経験なことに対する甘い判断をしたのであった。その後、その茹で汁にそのまま味付けして、食った。
 「えぐい」という意味が、体感として初めて私は知った。それはもう知識として知ったという段階を超えて、自らが説明できるほどに「えぐい」を理解したといっていい。捨てるのは勿体無いと思い、我慢して食ったが、三分の一で限界に達した。口の中が不快。酒は不味くなるし、生タラの天ぷらも、和牛のすき焼風ピリカラ炒めも台無しとなった。
 口の中のえぐみはなかなか消えなくて、もはや酔っ払って忘れるしか無かろうと思ったが、飲む酒も嫌な味に感じて、不快感が増すばかり。しまいには腹も痛くなってきた。
 こうした方が良い、と解っていて人間はバカなことをする。オバー(婆さん)はそう言っていたが本当は違うかもしれない。言うことを無視して試してみよう、なんて思う。戦争は悲惨で、二度と起こしてはならないとオジー(爺さん)が言っても、もしかしたらそれほど悲惨ではないかもしれない、などと思う。バーチャルの世界で暴力に興奮する若者たちに、そんなことを思う人間がこの先、増えていくかもしれない。
 人の思いというのは自由で、統制の効かないものだ。「隣の国なんて、ぶっつぶしてしまえ。」なんて思うのも自由だ。それは過ちなんだが、思うだけの過ちは止めることができない。過ちを行動に移すことができないようにしなければならない。
 日本はこれから将来にかけて二度と戦争は起こさない、と誓った憲法で、過去の過ちを繰り返すことの無いシステムを作った。そうしたことで周りの国々、世界の人々へ、日本は過去に対して深い反省をしているということは十分に理解されているはずだ。
 歴史認識の違いはたいした問題では無い。沖縄で起きた日本軍による沖縄住民への残虐行為なんて、あったことは事実かもしれないが、これから未来にかけては、もうそのようなことは起こらないというシステムが日本にはある。武力を国の力として誇示するような隣国に比べれば、少なくともこれまでの60年間は日本に過ちは少ない。また、これから先の未来(いつまでかは、そのシステムを維持できるかどうかによる)にかけても、日本の方がずっと過ちを犯さずに済む確率は低いものだと思う。

 記:ガジ丸 2005.4.22


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ワタルの世界

2005年04月22日 | ガジ丸通信-音楽・映画

   ワタルの世界

 今朝(18日)、トイレ兼、シャワー室兼、洗面室で歯を磨いている時のこと、目覚ましテレビ芸能ニュース担当、軽部さんの声がかすかに聞えていた。「タカダワタル」という名前が耳に入った。テレビの芸能ニュースで高田渡が話題になるなんて、たぶん、ほとんど無いこと。また何かコマーシャルにでも出演して、それが面白いと評判にでもなっているのかなどと私は思って、急いで口を漱ぎ終え、テレビの前に行く。
 若い頃からオジサンのような顔をしていて、オジサンになってからはジイサンのような顔をしていた高田渡は、おそらく、平均的な人よりもいくぶん加齢の速度が速いのであろうと想像された。で、そうは長生きできない人であろうと私は予想していた。だから、ニュースを聴いた時は、「とうとう死んじまったか」という感想であった。
 とうとう、死んでしまった。・・・思えば去年、燃え尽きる炎の、最後の煌きのように渡は動いていた。『タカダワタル的』というドキュメンタリー映画が上映され、NHKでも高田渡のドキュメンタリー番組が放映された。沖縄でライブもあった。
 沖縄でのライブには私も出掛けた。始まる前からだいぶ飲んでいたのだろう、トロンとした目の渡は上機嫌で、歌を唄い、おしゃべりした。唄いながら、おしゃべりしながらも酒を飲んでいた。前半が終わり、休憩のあと、後半が始まった。後半の舞台へ、渡はなかなか現れなかった。予定より10分か15分位遅れて渡が舞台へ向かった。中央の椅子に座るまで、ほんの4、5mの距離を数分かかった。千鳥足。渡は泥酔していた。
 後半はぐちゃぐちゃだった渡ではあったが、私は十分に満足した。歌を唄っている時だけでなく、おしゃべりしている時だけでなく、高田渡は、ただそこにいるだけで「ワタルの世界」を表現できる人であるのだと、その時感じた。
 長くなるが、そのライブの感想を書いて友人に送ったメールを添付しておきましょう。


   高田渡ライブIN那覇 2004.3.26記

 3月14日、高田渡ライブ。会場のクラブDセットは、泊の実家から歩いて12、3分の、国道58号線から少し入ったところにある。クラシックとジャズ以外の音楽を聴かない時期が長かったので、私はまだ2度目の訪問。昨年、遠藤賢二ライブの時以来。
 何時開演かを覚えていなくて早めに行った。会場には7時に着いた。店の前に告知板があり、開演は8時と書いてあった。あと1時間もある。が、すでに5、6人の客が並んでいた。高田渡ってこんなに人気があったのかいな、と思った。
 ただでさえ並ぶのが嫌いな私は、1時間なんて、とんでもないこと。近くの居酒屋へ行って一杯飲む。正確に言うと生ビール中ジョッキ2杯飲む。10分前位に会場へ戻る。1時間前から並んでいる人たちがいたというのに、会場内は席が十分に残っていた。さすがウチナーンチュなのだ。1時間前から並んでいた人はきっと、他府県出身の人たちであろう。生ビール2杯でほろ酔いの私は、良い席に座れて、さらに気分がいいのであった。
 予定の時間より少し遅れて、大きな拍手と共に渡が登場した。手にグラスを持って、ヨタヨタした足取りで舞台中央の椅子に腰掛けた。私が生ビール2杯を飲んでいる間に、彼はチューハイ5、6杯を飲んだに違いない。酔っていた。しかし、歌はちゃんと唄い、おしゃべりも支離滅裂、なんてことは無かった。6、7曲唄って、前半が終わる。
 前半の最後に渡は、「ちょっと休憩して、後半はガンガン行きます。」と締めくくった。ガンガンというのは、沖縄ゆかりの山之口獏をいっぱい唄うんだろうなと想像して、私は期待した。予定の倍以上の休憩時間の後、後半が始まった。舞台の端に現れた渡は泥酔していた。ほんの数m先の舞台中央までたどり着くのに数分かかった。やっと座ったかと思うと、何やらかんやらブツブツ言って、すぐに寝ちまいやがった。
 それから、スタッフが起こしたりして時々目を覚ます渡ではあったが、歌は唄えなかった。唄わずしゃべらずなのに、しつこいスタッフに怒鳴ったりはした。しばらく寝て、ちょっと起きてを繰り返す。1時間くらいはそれが続いた。そうやっているうちに少しは酔いが覚めたのか、最後に3曲ばかりを唄って、この日のライブは終了となったのである。
 後半は、私の期待通りではなかった。いや、じつは、「ガンガン行くよ」なんて渡が言わなければ私もそうは期待しなかったのだ。高田渡は、渡の感性がなんであるかをそのファーストアルバムで既に完成させていた。渡はまた、そこに存在するだけで高田渡であることの空気を表現している。ライブは、後半メロメロで、曲数は少なかったが、それもこれも全部ひっくるめて、渡の世界を十分感じとることができた。私は満足だった。


 以上が去年のライブの感想。その夜、「ライブから帰って、渡のCD4枚を立て続けに聴いた。バーボンでも飲みながらと思ったのだが、休肝日だったので、お茶で我慢した。」と日記に書いてある。今日も休肝日。だが、今夜はそれを返上しよう。渡のCDを聴きながらバーボンでも飲むことにしよう。私の最も好きな歌唄いが死んだのだ。その供養だと思えば、私の肝臓も多少のオーバーワークは我慢してくれるだろう。
 去年のライブ、渡は最後に「生活の柄」を歌った。最後の力を振り絞るみたいに歌った。で、私も今夜は、去年の8月以来触っていないギターを弾くことにしよう。「生活の柄」を一つ唄ってやろう。CDを聴く前に。バーボンに酔って、指が動かなくなる前に。

 記:ガジ丸 2005.4.18


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操縦士の野望

2005年04月15日 | ガジ丸通信-政治・経済

 建築現場で、向こう側から手前に向かってスコップ状のもので穴を掘る機械のことをバックホウという。バックホウには、大規模な土木工事から設備工事の際のちょっとした穴を掘る小さなものまであり、その小さなものを何度か、私も操縦したことがある。
 小さなものとはいっても機械である。機械の一掬いは普通のシャベルの10杯分位はある。人力で作業すると数時間かかることが、機械だとほんの2、30分で終わる。機械の操縦に熟練すれば、大きな力で細かい作業もできるようになる。機械が発達して、操縦する人の手足、指先の動きをセンサーで感知してより細かい作業ができるようになると、マジンガーZも夢では無い、ということになる。今、開催されている愛知万博を紹介するニュースで、それと似たようなものを見た。すごいことだ。
 私自身は屁みたいな力しか持っていない。が、その機械の中に入って操縦士になったとたん、強大な力を持ったモノになる。自分の力よりもはるかに強大な力が出せる操縦士は野望を持つようになる。この世を自分の思うように動かしたいという野望。そして、強大な力に理性を失った操縦士は、「俺様に歯向かうものは皆殺しだ」という気分になるかもしれない。強大な力を得る、それはすごいことだが、また、怖いことでもある。
 強大な力を得るには機械の力に拠る、とは限らない。金の力も強大になりうる。独裁国家の権力者も強大な力を持っている。そして、“多くの人”の団結した力も、その“多く”の数が大きいほど強大な力となる。喩えて言えば、100人分の仕事をしてくれるバックホウも、1000人の作業員による仕事量には勝てないということ。
 一千万人の人間が私の思い通りに動いてくれるとしたら、それはきっと、マジンガーZを操縦するよりもずっと強大な力になるだろう。ところが、普通は、人生を真面目に生きていれば、自分の思い通りになる人間なんて一人もいないし、そういう人間を欲しいとも思わない。ところが、稀には、他人を思い通りにしたいと思う人もいる。
 他人を思い通りにしたいと思う人というのは、まあ、独裁国家の権力者のことを指しているんだが、独裁者たちは、他人の心を操るために恐怖政治という手法を取り、また、もう一つ、マインドコントロールという手法を使う場合もある。幼い頃からの教育で、将軍様は偉いのだ。尊敬しなければいけないのだ。歯向かってはいけないのだ。などと脳味噌の奥深くに染み込ませる。すると、そういう人間が多くできあがる。
 このところのニュースは中国の反日デモがトップ。多くの時間、私もそれを観ている。先週、「中国人留学生の多くは日本のことをあまり好きでは無い」などと書いたが、それは何故かと不思議に思っていた。いくらなんでも60年前のことで、さほど深い憎しみを覚えることは無かろう。他に何かあるのだろうかと思っていたら、ニュースで知った。今の中国の若い人たちは、日本は酷い国だという教育を受けたとのことだった。教育による日本嫌いであったのだ。中国政府は、どういう意図(テレビでは学者やジャーナリストがいろいろ解説していたが)かは、私には理解できないが、密かに自国の国民をマインドコントロールしていたわけだ。憎しみを育てて何になるというのだろう。臥薪嘗胆なのか?

 記:島乃ガジ丸 2005.4.15


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くたばれ!と言われる国

2005年04月08日 | ガジ丸通信-政治・経済

 シルクロードをバイクで旅してみたいと思って10年程前、中国語を勉強した。沖縄に留学で来ている中国人の女子(男より女が好きなので)大生を紹介してもらい、彼女ら(三人いた)と一年ばかり付き合った。三人の中で最も美人(そうでない人よりそうである方が好きなので)のRさんと仲良くなって、彼女と話をする時間が多くを占めた。
 他の二人に比べて、日本語の上手なRさんは外国人弁論大会に出た。賞は貰えなかったが、その日一番の笑いと拍手を受けた。私が彼女の論文の添削をしたからだ。ガジ丸は、学問的に評価を受けるような文章は教えられないが、観客が笑ってくれるような文章は教えることができると事前に彼女に断っていた。それで彼女は納得し、そして、観客に受けたことに大いに満足し、私に感謝してくれた。私にとっても良い思い出となった。
 現在、多くの中国人が日本に留学している。日本で勉強することは大きなステータスであり、その後の人生に有利に働くということを彼女らから聞いた。日本に来ることは威張れることなのだ。が、しかし、彼女らは日本という国が好きでは無いと言う。他の多くの中国人留学生たちもたぶん、日本が好きではないだろうと言う。
 Rさんら三人の女子大生は、中国黒龍省の出身。彼女らからみれば、沖縄は日本の中で最も遠い土地。「なんで、一番遠い沖縄を選んだの?」と訊いた。「日本は嫌いだけど、沖縄は別。留学した先輩たちの話でも沖縄は住みやすいって評判だから。」と答えた。「それに、日本と沖縄は別の国っていう感覚も持っているよ。日本人はずる賢くて冷たい、沖縄の人はのんびりしていて優しいっていう印象も持っているよ。」と続けた。
 その時は、「中国人が沖縄へは良い印象を持っている」ということだけに関してとても嬉しく思い、日本国がどう思われているかについては何の関心も無かったのだが、最近の韓国や中国とのギクシャクを見ると、そう無関心でもいられなくなってしまっている。
 韓国とのゴチャゴチャは竹島問題が発端であり、そのことについて互いに深く話し合っていけば、ゴチャゴチャの解消もそう難しいことではなかろう。文化的にはずいぶんと親しくなっている日韓関係だ。国同士でいろいろ知恵を働かせていただきたい。
 が、中国での反日感情の高まりについては根っこが深い問題なのだと思う。中国では日本製品不買運動が広がっているなどという話があり、中国人が日の丸を燃やしながら「くたばれ!日本」と叫んでいるなどということも聞いた。・・・「くたばれ!」なんて、じつに悲しい言葉だ。日本がそう言われるような国であることも悲しいし、そう言った隣人の心の貧しさも悲しい。せめて、「アホ!」とか「バカ!」にしてくれよと言いたい。
 中国人の日本憎しの感情を何とかしなければ日中の友好は無い。そして、それはたぶん政治では無く、市民レベルでの交流によるだろう。よって、先ずは文化的に、芸術的に、スポーツ的に、あるいは恋愛的にもっと広く多く両国が関わっていく必要がある。遠く長い道ではあろうが、それがきっと、互いの理解を深める道なのだと思う。
 さて、私の琉中交流はその後、1年やっても一向に中国語は上手くならず、バイクでシルクロードも危険だから止めた方が良いとRさんに忠告され、止める。そのRさんは東京の大学に進学し、他の二人は中国へ帰った。よって、現在、私の琉中交流は皆無。

 記:島乃ガジ丸 2005.4.8


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