ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

正義とは『沖縄スパイ戦史』

2019年04月05日 | 通信-音楽・映画

 3月30日、友人のKYに「只だよ」と誘われ西原町のさわふじホールへ映画を観に行った。観た映画は去年から桜坂劇場で上映されていた『沖縄スパイ戦史』。去年の内に既に鑑賞していた埼玉の友人KRから「いい映画だよ、観た方がいいよ」と勧められていたが、なかなか機会が作れなくて上映期間が過ぎてしまっていた。それが、何かの賞を得たということで桜坂でも3月からリバイバル上映されていたが、西原町のさわふじホール(町民会館の愛称)というのは一昨年まで私が精を出していた畑の近くにあり、「ついでに畑の今を見ていくか」と考え、「只」にも惹かれて西原まで観に出かけた。
 観る前から「重たい映画だろうな」と想像していたが、その通り重かった。つい先日にも重い映画『共犯者たち』を観たばかり。そうであろうなと思った通り、観点が鋭く、提示している問題点が深く抉られていて、観応え、考え応えもあった。

 これまで私が疑問に思っていたこともこの映画は「こういうこともあったかもしれないよ」とヒントを与えてくれた。私が疑問に思っていたこととは「日本兵には悪党もいて沖縄人をスパイだと言って虐殺するものもいた」というのは良く聞く話だが、ウチナーンチュの悪党の話があまり聞かれない、「ウチナーンチュにも悪党はいたんじゃないの?」が私の疑問であった。この映画では、同じウチナーンチュを確かな証拠も無く日本軍に密告し、処刑させるといったようなことがあった、ということを映画は示唆していた。
 日本兵には沖縄人を確かな証拠もなくスパイ扱いして虐殺するものがいた。だけでなく沖縄の民間人にも我が身可愛さに仲間を売るような人がいた。その悲しさも映画の重さに大いに加担していた。が、しかし、映画の言いたい本質はそこではない。
 軍隊は敵と戦うものであって国民を守るものではない。勝つ(という目的の)ためなら国民を犠牲にすることなど平気でやる、どんな残虐なこともやる。といったようなことがこの映画の言いたいことだと思われる。「平気で国民を犠牲にする、残虐なことをする」というエピソードの1つに戦争マラリア被害というのもこの映画に出てくる。
     

 波照間島の島民を一人残らずマラリアの蔓延する西表島に強制移住させた。そのため、島民のほとんどがマラリアに罹り、島の人口の3分の1が犠牲になった。というのが戦争マラリア被害というものだが、詳細は省略して、この波照間島の戦争マラリア被害を主題としたアニメ映画があり、タイトルは『石の声』、私はこれを2017年9月に図書館からDVDを借りて、観て、少なからず衝撃を受けて感想文を書きかけていた。というのを思い出した。書きかけ作文はほんの7行、約250字だけだが以下、
 学校に配属された軍人が、実は秘密諜報員であった。アニメではその軍人が、軍の都合で住民をマラリアの危険度が非常に高い西表島へ強制移動させたいかにも悪党であるかのように描かれているが、彼は軍命に従った真面目な軍人であっただろうと私は想像する。軍の重要な任務を担っているのなら、大局に立って状況を見、行動するという訓練を受けているであろう。軍人として当然の事をやった・・・以上が私の約250字。
 映画『沖縄スパイ戦史』の問題提起、あるいは主張と同じになるかもしれないが、悪いのは戦争であり、戦争が人を鬼にし、人の心の闇を増幅させるのではないかということ。山本五十六の言葉を思い出す。「百年兵を養うは、ただ平和を護る為である」
     

 記:2019.4.5 島乃ガジ丸