ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

映画「風音」

2004年09月24日 | 通信-音楽・映画

 映画「風音」が外国の映画祭で賞を貰った。前に、映画「風音」を誉める3題という名のメールを友人たちに送って、そうなることを予想していた私は鼻高々となった。
 沖縄での上映はもう既に終わってしまったが、他府県ではこれから上映されるところもあるだろう。映画の宣伝みたいになるが、たくさんの人に沖縄に流れる空気を味わっていただきたいと思い、メールで送った文章をそのまま紹介します。

   空を舞う手紙

 映画は、年に数本しか観ないのだが、最近、二週連続で映画鑑賞をした。一週目は「深呼吸の必要」、二週目は「風音」、どちらも沖縄を舞台としている。
 「深呼吸の必要」は爽やかな青春映画。普通に満足する。映画代、交通費、行って、観て、帰るまでの費用と時間は無駄ではなかった。ただ、北村三郎の「なんくるないさ」というセリフが、“なんくるないさ”という空気を表現し得ていないのが残念だった。
 「風音」は違った。映画を見終わって、久しぶりの大きな満足感を感じた。夫の暴力という挿話、互いに想いを打ち明けぬまま戦死した今尚忘れ得ぬ恋人の挿話、艦砲射撃に遭う正吉オジーの子供の頃の挿話、それらの挿話の一つ一つに深入りはせず、あっさりと語る演出は見事。そういう事もあるだろう。そういう人もいるだろう。何であっても時は流れる。「なるようにしかならんのさ」といった沖縄の空気が、その演出によって作られているのだと思う。そんな空気に酔って、私は最後まで映画の世界に浸ることができた。
 映画の終わり、戦死した青年の書いた手紙が細かく千切られて空を舞う。沖縄の青い空に、時折キラキラ輝きながら舞う。一方、その手紙を書いた万年筆が土に埋められる。どちらも過去との決別という意味だと思う。空を舞った手紙は決別されてもいい。過去の想い出に浸るよりも、現実に目を向けて、息子夫婦と仲良くする方が加藤治子の幸せだ。
 が、万年筆を土に埋めるのはいかがなものか。万年筆は、決別すべきものでは無いと思うのだが、ましてや、今を生きているナイフと一緒なんて、私には理解できなかった。作者、あるいは監督はどのような意図であったのか。訊いてみたい。

   絶品「風音」

 映画「風音」についての予備知識は、舞台が沖縄であることと、沖縄戦で頭を打ち抜かれた頭蓋骨が風の具合で音を鳴らし、それが映画のタイトルになっているらしいということくらいだった。監督が東陽一で、原作者が目取真俊であるということも聞いてはいたが、かつて、東陽一の作品は観た事が無く、目取真俊の作品も読んだ事が無い。
 沖縄のゆったりとしたリズムが、全体の空気となってうまく表現できているかどうかに主な関心を持って観る。そして、空気は見事に表現されていた。原作がいいのか、脚本がいいのか、演出がいいのかは判らないが、うまく表現された沖縄の空気は、十分に重たいテーマをすんなりと心の内に染み込ませてくれた。映画の魅力の一つは非日常の異空間を味わえることだ。映画を評価する材料の一つは、映画が、いかに観客をその世界へ引き込めるかどうかによる。「風音」は沖縄の空気の表現によって、見事にそれを果たした。
 びっくりさせて観客を引き込もうとするのがハリウッド映画の常套手段。そんなハリウッド映画の好きなアメリカ人はどうか知らぬが、個人の感性を大切にするヨーロッパ人ならきっと、「風音」の空気を理解できる。ベネチア映画祭とかカンヌ映画祭など、ヨーロッパの世界的なコンクールに出品すれば、おそらく高い評価を受けるだろう。
 それにしても、正吉オジーには驚いた。上間宗男という役者を知らなかった。名前を聞いたことも無く、顔を見たことも無かった。沖縄の演劇界にこんな渋い役者がいたんだと感心していたら、後日、上間宗男が全くの素人であることを知った。驚いた。いかにも沖縄にいそうな、すごく魅力的なオジー。彼にはきっと、加藤治子も惚れたに違いない。

   オフビートの時空

 民謡を聴くと解るが、沖縄のそれはオフビート(4拍子の場合、2拍目と4拍目にアクセントがある)のものが多い。日本民謡はたいていがオンビート(4拍子の場合、1拍目と3拍目にアクセントがある)で、それは、たとえば安里屋ユンタを歌いながら手拍子をし、ソーラン節を歌いながら手拍子をしてみるとその違いがすぐ解る。
 オンビートというとロックや行進曲が思い浮かぶ。オンビートでないと情熱を顕示できない、前に突き進めない。軍歌もまたオンビートだ。根性、忍耐、勝つこと、上昇すること等々がオンビートだ。人生は戦いだと思う人には欠かせない。
 オフビートというとジャズやカントリーが思い浮かぶ。相手の感性を聴き、自分の感性を出し、その和合を目的とする。あるいは、ギターを弾き、歌を歌い、仲間が肩を組んで、合唱する。一緒に楽しむのがオフビートだ。ウキウキ踊りたい人には欠かせない。
 沖縄の時間と空間にはオフビートのリズムが流れている。それはおそらく沖縄の風土によるものだ。重い病か、事故か、あるいは殺されない限りはなかなか死ねないという環境にあるため、敢えて戦いを挑まない。だから、軍歌のリズムは必要無い。
 映画「風音」には、オバァー、オジー、子供たちのセリフや行動に違和感を感じるシーンがいくつもあったのだが、“沖縄の時空のリズム”が、これほど上手く表現できている映画は、かつて無かったのではないか。小津安二郎の映画と同じこと。空気作りだ。映画全体に流れる空気が、上手く表現できている。その空気は底辺に、“命”対する慈しみがある。その空気はきっと、「イケイケ、ドンドン」のブッシュさんには解るまい。

 以上 記:2004.7.2 ガジ丸