ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

貧しい心

2006年09月29日 | 通信-科学・空想

 先々週、脳を研究している大学教授KRさんと会食した。会食で話題にしたいことを私は前日に文章にまとめておいた。その主なテーマは『脳の退化』、『未来の脳』、『恋愛同一性障害』の3つ。『恋愛同一性障害』は先週のガジ丸通信で書いた。『脳の退化』については、次回に回すこととして、今回は『未来の脳』のこと。
 『未来の脳』は、脳コンピューターインターフェースに関連して、「未来の脳はどうなるだろう?」ということ。脳コンピューターインターフェースとは、考えるだけでパソコンのカーソルを動かすことができるというもの。カーソルを動かせるということはコンピューターを動かすことができるということ。考えるだけでコンピューターを動かすことができるということは、脳の信号でコミュニケーションができるということ。脳からコンピューターへだけでは無く、コンピューターから脳へ直接情報を送ることが可能となれば、いわゆるテレパシーが可能になる。そうなれば、聴覚障害者も健常者と普通にコミュニケーションがとれるということ。また、ロボットを制御するコンピューターがあれば、考えるだけでロボットを動かすことができるということ、である。
 それについてのKRさんの意見は、「脳の信号によるコミュニケーションは近い将来実現するだろうが、ロボットをリアルタイムに動かすには、脳の表面だけで無く、脳の内部にまで信号を感知する針を無数に刺さなければならない。それには相当の無理があり、実現するには長い期間の研究を必要とするだろう。」とのことであった。

 先々週のガジ丸通信『バカな自由』では、大脳辺縁系と大脳新皮質の関わり方のようなことを書いて、己の欲望をコントロールできない人のことを「バカ」だなんて、過激的なことを言ってしまった。弱い子供を獲物とする殺人者や、唯一の超大国による思い上がりの暴力などを思って、ちょっと興奮してしまったのだ。それに関連して、「現代人の想像力の欠如」ということもその日の会食でちょっと話題にした。他人の立場に身を置くのは想像力だと思ったのである。そのことについてもKRさんから面白い話が聞けた。
  人間にはミラーニューロンというものがあるらしい。他人が感じていることを我がことのように感じるニューロンらしい。ちなみに、ニューロンとは神経細胞のこと。神経細胞とは「神経系を構成する細胞のうち、刺激を受けて興奮し、また他の細胞に刺激を伝達する能力をもつ細胞」(広辞苑)のこと。ミラーは鏡。他人の感じていることを鑑に写すように我が心にも感じさせてくれる神経細胞ということだ。ミラーニューロンは、相手の立場になってモノを考えたり、感じたりすることのできる細胞ということ。教授によると、それが実は、心の形成に大きな役割を担っているのではないか、とのことであった。
 そのミラーニューロンの発達していない人がいる。あるいは、その数が足りない人がいる。そういう人は貧しい心の持ち主と言っていいかもしれない。他人の痛みを想像できない人なのである。つまりは、バカなのである。唯一の超大国にもそういう人がいる。沸酒大統領のバーカ!・・・と今週もまた私は過激的になってしまうのであった。日本国の新しい最高権力者、荒心臓総理が、荒っぽい心の持ち主で無いことを期待する。
          

 記:2006.9.29 ガジ丸


恋愛同一性障害

2006年09月22日 | 通信-科学・空想

 先週木曜日、知人のKYさんから「KRさんと会食するが、一緒にいかが?」との電話があった。KRさんは大学教授で、工学的に脳を研究(詳しくは不明、聞いてもよく理解できなかった)している人。前にも1度、ジャズのライブハウス花門で会っている。私も脳には少し興味を持っていたので、その時の会話も楽しかったと覚えている。「一緒にいかが?」と問われれば、「万難を排してでも」という返事となる。
 会食は土曜日の昼、那覇新都心にあるホテルのレストランで昼食という計画。その前日の金曜日、脳科学者と会う前に、脳について私が知っていること、考えていること、不思議だと思っていることなどをまとめておこうと思い、書いた。先週のガジ丸通信の記事は脳に関わる話を少ししたが、それは、その時書いたものの一部である。「えーい、ついでだ。これを今週のブログの記事にしちまえ!」となったもの。
 その時書いた文章はA4用紙2枚、400字詰原稿用紙にすると6枚ほどのもの。テーマは3つ。『脳の退化』と『未来の脳』、そして、『恋愛同一性障害』であった。このうち『脳の退化』と『未来の脳』を今回の、KRさんとの会食で話題にした。私が何を考えていて、何を質問したか、教授がどう答えたかについては次回ということにして、今回は、時間が無くて話題にできなかった『恋愛同一性障害』のことを少し。

 肉体的には女であるが、精神的には男である。あるいはその逆に、肉体的には男であるが、精神的には女である。これを性同一性障害というらしい。性同一性障害は身体と脳の性の不一致によって起こるらしい。ところが、脳は体とだけで無く、脳の中のある部分と別の部分とでも互いに不一致を起こすことがある、と私は考えている。
 私の脳の中では、大脳新皮質(理性)が好きになる人と大脳辺縁系(本能)が好きになる人が違うのである。若い頃、一緒にいるとすごく気分のいい人がいて、大脳新皮質はその人のことが大好きだったのであるが、大脳辺縁系はその人にさほど魅力を感じていなかったようであった。同時期に、大脳辺縁系が大好きになっている人もいた。で、しばらくの間、両者は激しく争ったのであるが、結局は大脳辺縁系の勝ちとなった。
 「結局は大脳辺縁系の勝ちとなった」経験はその後も続き、私の大脳新皮質は、恋の戦いにおいては連戦連敗のままである。この先、両者が戦うことはおそらく無い。両者とも衰えてきて、特に大脳辺縁系の衰えは激しく、戦う意欲がもう無いからである。
 大脳辺縁系が望む通りに私の体と心は動いてきたのであるが、大脳辺縁系の望む通りに行動すると失敗することが多い。私は何度も、当たって砕けている。まれに上手くいった場合でも、早々と不幸な結末を迎える。まったく、ろくな事は無いのである。そんなこと何度も経験して解ってはいるのに失敗を繰り返す。まったく、バカな脳なのである。

  あるいは、・・・ここから私の妄想は暴走する。あるいは、脳はまた右脳と左脳に分かれていて、それぞれ得意分野が異なる。大雑把に言えば、右脳は直観力であり、左脳は論理力である。それと似たようなことが精子を作る場所にもあって、左の玉は心重視、右の玉は見た目重視で、サタマ(左の玉)は穏やかであるが、ウタマ(右の玉)は暴力的である。したがって、争えばたいていウタマの方が勝つ。・・・なんてことが、もしかしたらあるかもしれない。サタマ同様、性格の穏やかな私は「サタマ頑張れ!」と応援したいのだが、これまでのところ、サタマはずっと負け続けているようだ。残念!
          

 記:2006.9.22 ガジ丸


バカな自由

2006年09月15日 | 通信-社会・生活

 私は、女女(おんなおんな)している女も苦手だが、男男している男も苦手である。男男しているというのは、ケンカが強く、腕力で他人をリードし、負けず嫌いで、「俺について来い」みたいなタイプ。暴力が嫌いなので、暴力的なのが嫌いなのかもしれない。強制されることが嫌いなので、「ついて来い」が嫌いなのかもしれない。
 テレビで見たか、雑誌で読んだか記憶が定かで無いが、ある文化人(その時、特に気にならなかったのでその名前も覚えていない)が「松田優作を好きじゃないという男は、奇をてらっているだけだ」みたいなことを言っていた。私は気をてらってはいないが、松田優作が、少なくとも男として(良い俳優だとは思う)は好きでは無い。もう一方の”男”である高倉健は大好きである。「静かな強さ」を私は好む。

 松田優作は、好きでは無いが、もちろん嫌いでもない。彼の主演した『探偵物語』は毎週欠かさず観ていた。その松田優作の長男が俳優であることは知っていたが、その次男もまた俳優らしい。ちょっと前にテレビのワイドショーか何かに出ているのを見た。
 まだ二十歳位のその次男が、私が二十歳を過ぎてからなお二十年をかけてやっと「そうなのであるか」と理解したことを、その若さで既に解っているようなのである。
 「食べたいという欲望(食欲ということ)から自由でありたいですね」と彼はテレビのインタビューに応えて言ったのである。
 私が、「自分の欲望を野放しにすると面倒な事になる」ということを知ったのは二十歳を過ぎた頃であり、「いや、著しく面倒な事になる」と認識したのは三十歳手前になってからであり、「欲望からの自由」を考えるようになったのは四十になってからである。
 生きるのに十分食べたのなら、それ以上食う必要は無い。良い気分になるのに十分飲んだのなら、それ以上酒を飲む必要は無い。食欲や性欲など欲望の出所である大脳辺縁系、その望む通りに行動する必要はまったく無いのである。
 私は、私が私として認識する私が、奥深くにいるもう一人の、欲の塊である大脳辺縁系の呪縛から逃れれば、もっと自由に想像ができ、もっと楽に私自身の生き方を楽しめるのではないかと思った。四十歳になってから私が理解したというのは、「自分の欲望をコントロールできるということが、実は、自由になるということ」であった。

  「俺は自由だ」なんて言って、周囲の迷惑を顧みず、自分の欲望のままに行動するということは、だから、私の考えからすると「自由」では無い。酒飲んで車運転して人を轢き殺したり、親を殺したり、子を殺したり、なんてことも実は、「大脳新皮質(理性脳)の不自由」から来ているのではないかと私は思う。バカなのである。

 9.11からもう5年も経ったとのこと。アメリカは悲しみから5年が過ぎたが、イラクでは、ずっと長い間悲しみが生まれ続けている。アメリカの自由は、少なくとも沸酒大統領の考える自由は、「自分たちさえ良ければ」という欲望の塊にすぎない。まったく、バカな自由だと私は思っている。
          

 記:2006.9.15 ガジ丸


台風Ctrl機

2006年09月08日 | 通信-科学・空想

 フジテレビの朝のワイドショー『とくだね』を見ていたら、「50年前に科学者が予見した技術」というのをやっていた。50年前の科学者たちが描いた未来予想図である。ここでいう未来とは現在、2006年のこと。
 「50年前に科学者が予見した技術」の中には実現したもの、していないものいろいろあったが、実現できなかったものの一つに「台風のコントロール」というのがあった。だがしかし、それは、私が考えるに、密かに実現され、実際に使用されている。

 先週のガジ丸通信「蝉の消えた夏」で、今年は8月の中旬から蝉の声が聞こえなくなって、不思議な事であるという話をしたが、蝉の声は、実は去年もその消えるのは早かったと記憶している。夏の終わりのクロイワツクツクもその数は少なくて、短かった。
 Hの「蝉の幼虫溺死説」も、私の「地下蝉国説」もまったく信憑性は無いが、人間にとってはまだ小さな環境変化が、虫たちにとっては大きな変化となって、その変化についていけない虫たちが現れ始めたということなのかもしれない。あるいはまた、

 去年から沖縄島に台風が来ない。沖縄島の手前で南に逸れて宮古八重山へ行き、北に逸れて倭国へ行っている。何故か?もしかして、蝉の話と関係ないかと考えた。

 去年から中東情勢が悪くなり、アメリカ軍は常に臨戦態勢でいなければならない。そんな時、台風が来て、嘉手納飛行場から飛行機が飛び立てないということになったらエライことである。そこで、アメリカ軍は新兵器を発明した。台風の進路を変えてしまう機械である。アメリカ軍はその機械の発明を公表せず、去年から密かに使っているのである。
 パソコンのキーボードの左下に「Ctrl」と書かれたキーがある。これはコントロールと読む。で、アメリカ軍の発明したその機械を、私は台風Ctrl機と仮称をつけた。

 50年前の科学者たちは、海水温の調整、湿度や気温の、あるいは気圧の調整などで台風がコントロールできるものと思ったのかもしれないが、そうでは無い。台風のコントロールは地球を取り巻く磁気の調整で行われる。台風Ctrl機は地球の磁気をいじくって、台風の進路を変えているのである。そして、それは地球の磁気の流れを乱すこととなり、磁気を感じて、現在の位置を認識している蝉の幼虫に影響を与えているというわけだ。

  なお、ユクレー島のシバイサー博士は既に、60年以上も前に、磁気を調整することによって気候をコントロールする機械を発明している。博士の機械はアメリカ軍の台風Ctrl機よりはるかに優秀なので、地球の磁場を大きく乱すことなく、気候を調整できる。

 もう一つなお、もちろん言うまでも無く、台風Ctrl機もシバイサー博士の発明も、私の妄想による産物なので、信じてはいけません。念のため。
          

 記:2006.9.8 ガジ丸


蝉の消えた夏

2006年09月01日 | 通信-環境・自然

 先々週だったか、小学校一年生になる男の子の母親と称する人からメールがあり、
 「今年4月から沖縄に住むようになりました。・・・今、蝉の声が聞こえません。沖縄では8月に蝉は鳴かないのでしょうか?」といった内容。

 それより前の8月12日、友人Hとの会話、
 「最近、朝夕涼しい風が吹くよな。8月なのに珍しいことだよな。」
 「そういえば、セミの声が聞こえなくなったぜ。」
 「なんだろうな、もう秋ってことかな。」
 「まさか、沖縄の夏は今が真っ盛りだぜ。」
 沖縄気象台の記録を見ると、8月の気温、上旬は確かにここ4年で最も低いが、中旬は、あの記録的な暑さだった2003年に次いで高く、下旬は03年を超えて最も高い。蝉が秋と勘違いすることは無い。それに、秋になればなったで、クロイワツクツクが鳴くので、10月いっぱいは蝉の声が消えるということは無い。が、今年は消えた。
 全く消えたわけでは無く、時々は聞こえる。しかし、その声は数が少なく、小さい。あんなにたくさんいた蝉はいったい、どこへ行ったのだろう。

 Hの推理、
 今年の梅雨は記録的な大雨だった。雨量も記録的だったが、降っている時間も記録的に長かった。沖縄ではそう無いことだが、地滑りも数箇所であった。その地滑りで流された蝉の幼虫の数は少ないが、沖縄のどこの地面も、降り続く雨によって土の含む水分が飽和状態になっていた。よって、蝉の幼虫たちは皆、泥沼の中に長期間閉じ込められた。蝉の幼虫たちは泳げない。つまり、体力のある者を除いて、多くの蝉の幼虫は溺死したのである。というわけで、今年の沖縄の夏には蝉が少ないのだ。
          
 
 私の推理、 Hの推理が正しいとすると、幼虫の絶対数自体が少なくなり、地上に出てくる成虫の数も出初めから終わりまで、全体的にその数が少なくなるはずである。しかし、8月初めまでの蝉の数は例年通りであった。よって、彼の推理は正しくない。
 「8月の中旬からは、外は○○なので出るのは止めよう」ということに、沖縄の蝉界ではなっているのだろうと私は推理する。「○○なので」の○○が何なのか確かな事は判らないが、まあ、地球温暖化とか、オゾンホールとか、大気汚染とかの地球環境悪化の何かであろう。蝉たちの多くは外に出るより、地中に留まることを選んだ。
 蝉の幼虫は、樹木の根からその樹液を吸って生きている。進化した蝉たちは、羽化後も幼虫同様に根の樹液で生きられるようになった。そして、地中に棲家を作った。
          

 記:2006.8.31 ガジ丸