ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

子供の季節

2006年05月26日 | 通信-社会・生活

 別に、動物の交尾が好きだというわけでは無い。私はそれほど変態では無い。ちょっとは変態だが・・・。交尾していると、近付いてもすぐには逃げないので、接写ができるのである。最近、ハムシ、テントウムシ、カミキリムシなどの交尾の写真が撮れた。
 春は子作りの季節であると共に、子供の季節でもある。部屋の傍の、ヤドリフカノキにシロガシラの巣があって、最近巣立って行った。ちょっと前にはメジロの雛も見た。まだ生まれたばかりのカマキリ、バッタ、カメムシなどの子供の写真が撮れた。
 職場の、物置に使っているテントの中、棚の一番上で何かごそごそ音を立てているものがいる。覗くと、子猫だった。4匹の黒猫。そういえば、2月に、そのテントの近くで白いオス猫と黒いメス猫が交尾していた。写真を撮った。そういった写真が好きなのでは無い。たまたまカメラを持っていて、たまたま目の前でそういったことをしていたので、自然に手が動いて、シャッターを押したのである。私は、変態では無い。
          
 先日、首里城近辺を散歩していたら、龍譚(りゅうたんと読む。そういう名の池)の水辺に、1羽の親鳥と、14、5羽の雛が日向ぼっこをしていた。そっと近付いて、驚かさないように10m手前で止まり、12倍ズームで写真を撮る。私は子供が好きというわけではない。子供より大人の女の方がはるかに好きである。それでも、水辺の雛鳥たちはかわいく思った。親の愛情が溢れていたし、何より、平和であることを強く感じた。
          Mizudoriko
 動物の子供が一人前になるには、数日間とか、まあ、長くても数年くらいのものであろう。その間は、親に守られていなければ生きていけない。子供の季節とは、誰かの援助なしには生きていけない、もっとも不安定な時である。
 人間の子供が一人前になるのには十数年かかる。人もまた、この間は不安定な時期であり、不安定な子供たちは、それぞれ適切な時期に適切な助けを必要とする。その助けができるのは社会全体と、親を含めた一人前の大人たちなのであろう。なのであるが、この頃は、他人を助ける余裕の無い大人が増えているみたいである。
 金持ちになった日本人は、衣食足りてなお、もっと上の衣、もっと上の食を求め、その限りない欲望に心を占められ、他の事を考える余裕を失くしてしまったのかもしれない。そういった大人たちの多い社会で育った子供たちはいったい、将来どんな大人になるのであろうか、大人になった彼らはいったい、どんな社会を築くのであろうか。
 この頃、子供を巻き込んだ悲惨な事件、子供が起こす悲惨な事件が多いように感じる。そういったニュースを観ながら、20年後の日本を不安に思ったのであった。その頃、ヨボヨボになった私が公園で日向ぼっこをしている。その傍を、今よりもっと気性の激しくなった少年たちが通る。ジロっと睨まれる。ひぇー、恐ろしや。
          
          

 記:2006.5.26 ガジ丸


我が身のこととして

2006年05月19日 | 通信-音楽・映画

 12月から3月までは仕事が忙しかった。4月は、そのせいで伸び伸びになっていた雑用を片付けるのに忙しかった。で、この間、映画を観に行っていない。毎月、桜坂劇場から送られてくる映画のスケジュール表も、この5ヵ月分は封も切っていない。3月上旬には小津安二郎特集があって、観たかったのだが、行けなかった。
 先週土曜日(13日)、そんな久々の映画へ出かけた。特に観たいと思う映画は無かったのであるが、概ね私好みの映画を上映してくれているので、とりあえず桜坂劇場へ。行く前に一応新聞の映画欄を見る。そこに、「もう一つのシンドラーのリスト」といった内容のキャッチが載っていた。それだけを読んで観ようと思った。『ホテルルワンダ』。
 新聞にある「アフリカの悲劇の裏側で、本当にあった感動の物語。もう一つのシンドラーのリスト」、私はその程度の予備知識しか持っていなかった。ルワンダ内戦のことも、その当時はニュースで知っていたと思うが、既に、すっかり忘れていた。
 遅れたいと思って遅れるわけじゃないが、映画の上映時間に私はたいてい遅れる。家からバス停に向かう。バス通りに出たらバスが来た。バス停までは約50m。走れば間に合うかもしれないが、走っても間に合わなかった時のショックは大きいので、走らない。次のバスまで待つ。よって、この日の上映時間にもまた遅れてしまった。
 チケットを購入して、中へ入ろうとすると、「混んでますよ」と係りの人が言う。ちょっと驚く。マニア向け映画の多い桜坂劇場が混んでいるなんて。そういえば、ロビーにも人が多く、なんだか賑やか。「頑張ってるんだ、桜坂劇場は」と少し嬉しく思う。
 中へ入る。確かに、桜坂劇場にしては混んでいたが、席はポツポツ空いている。全体としては8分の入りといった感じ。両隣に人がいる席に座る。両隣に人がいるなんて、桜坂劇場では初めての経験である。スクリーンは、幸いにも、まだ予告編だった。

 物語が終わって、スクリーンには出演者、スタッフを紹介するテロップが流れる。その時に席を立つ人も多いが、私はたいてい最後まで見る。映画の余韻に浸っている。その時もまた、場内が明るくなるまで座っていた。ちょっとウルウルしていたので、それが落ち着くのを待ってもいた。ちょっとウルウルは、その時きっと、多くの人がそうだったに違いない。暗い内に席を立つ人は少なかった。
 明るくなって、みんなが出口に向かう。私の前を歩いている人がモタモタしている。オバサンである。「さっさ歩かんか」と心の中で思う。見ると、そのオバサンの前の人がヨタヨタしている。バアサンである。前のオバサンの連れみたいである。バアサンはヨタヨタして、ついに、近くの席へ崩れるようにして座った。オバサンが寄り添う。「大丈夫?」と私は思い、バアサンを見る。バアサンは大丈夫であった。ハンカチを手にして、止まらない涙を拭いていたのである。涙が止まらない自分が恥ずかしくて、可笑しく感じているのか、泣きながら笑ってもいた。「あっさみよー、どーしようかねー」って感じ。
 バアサンの歳だと、沖縄戦を体験している。『ホテルルワンダ』にあった悲惨とおなじようなことを経験したに違いない。『ホテルルワンダ』の悲しみは、我が身のこととしてバアサンは感じたのであろう。涙が止まらないのであろう。
 『ホテルルワンダ』、最後には希望の光も見えて、私にとっても、良い映画でした。

 記:2005.5.19 ガジ丸


マスコミが親分

2006年05月12日 | 通信-社会・生活

 5月5日は子供の日でもあるが、沖縄では那覇ハーリーの日でもある。ハーリーは、元々は旧暦の5月4日に行われた沖縄の伝統行事であり、漁師の街糸満では今でも旧暦5月4日に行われているが、その辺の詳しいことは別項で述べる。
 糸満ハーリーはほとんど途切れること無く続いているらしいが、那覇ハーリーはしばらく途絶えていた。今から30年ほど前に再開され、現在では観光客も集まる那覇の大きなイベントの一つとなっている。新暦5月5日に那覇新港(安謝港)で行われた那覇ハーリーに、私は生まれて初めて出かけた。先週の金曜日のことである。
 友人のH夫妻と一緒。爬竜船の写真を撮ったあと、立ち並ぶ屋台を物色する。アグー(沖縄にいる豚の品種、美味しいと評判の肉)のトントロ焼きを買い、ケンタッキーフライドチキン(H夫妻の大好物、さすが筋肉質なのである)を買い、オリオンビールを買って、キリンビールの屋台の裏にあるテーブルに座る。キリンビールの屋台には、売り子の可愛いお姉ちゃんがいて、キリンビールのテーブルでオリオンビールを飲んでいる我々にも笑顔で、「キリンビールもよろしくお願いします」と優しく言う。その可愛さと優しさにほだされて、私とHが1杯、女房のE子が2杯、キリンビールを飲んだ。
 近くのステージで民謡のコンサートをやっていたのでしばらく観た。ステージの真向かいにはテレビカメラがあった。テレビ放送用に録画しているみたいであった。ステージでは若い、まだ大学生だという可愛い女が上手(プロだから当然か)に民謡を歌っていた。その時、ステージのすぐ前に一人の老人が出てきて、カチャーシー(最も有名な沖縄の踊りの一つ。基本の形はあるが、概ね自由に踊ってよい)を踊りだした。よくある風景である。一人が踊りだせば何人かが続き、場は大いに盛り上がる。
  音楽を聴いて体が踊る。普通のことである。特に祭りであれば、それは当たり前のことである。ところが、爺さんが踊り始めて10秒も経たないうちに、テレビ関係者と思われる男が出てきて、爺さんの踊りを止めた。ステージは150センチほどの高さがある。爺さんが出演者を邪魔することは無い。でも、止めた。テレビ局の人間は、爺さんの頭がちょっと映るだけでも邪魔と判断したようであった。
 「今、テレビの撮影中だから、ちょっとそこどいて!」と叫ぶ情景を、前にワイドショーかなんかで見たことがある。「テレビだから・・・」は、「親分が通るから、そこどけ」と同じくらいの強制力を一般人に与えるようである。爺さんを止めたテレビ局の人は、けして居丈高では無く、なだめるように優しく爺さんに接してはいたが、それでも、祭りを素直に楽しもうとした一庶民である爺さんの、その楽しみを「テレビだから」という理由だけで理不尽に奪っている、と私は感じたのであった。
          
 テレビこそが、つまらないものを面白いものとし、大切なことをどうでもいいこととし、今、何が流行しているのかを決めている、・・・ようなのである。というわけで、今の世では、「テレビが親分」なのであろう。少なくとも、そう思っているテレビ関係者の人が多いのであろう。楽しみを奪われた爺さんは、とんだ災難だったのだ。

 記:2006.5.12 ガジ丸


足りないソフト

2006年05月04日 | 通信-社会・生活

 私のパソコンに必要なソフトは、ワープロ、表計算、CAD(製図)、インターネットブラウザ、メール、ウイルスチェック、写真加工、ホームページ作成などがある。これらのうち、インターネットブラウザ、メール、ウイルスチェックの3つはお膳立てされたもので、それらを使って何か創造的なことをしているわけではない。残りのソフトは仕事で使い、趣味でも使っている。これは、まあ、創造的なことをやったりしている。
 パソコンには他に、パソコンを管理するソフト、映像や音声のソフトなどがあらかじめ組み込まれていて、上記のソフトと共にパソコンに必要なソフトとして存在している。基本ソフトやシステム関連のソフトも含め、必要なソフトというのは50もあれば十分なのだと思う。私のパソコンにはその必要十分のソフトが組み込まれている。ちょっとトロいけれど、まあまあ良く働いてくれる。足りないソフトは今のところ無い。

 2、3日前だったか、集団で万引きする少年たちのニュースがテレビであった。「店員が気弱そうだったからやった」との犯行動機であった。幼児を投げ落としたり、子供の首を絞めたり、集団で浮浪者を殴り殺したりなどなど、自分より弱いものに対する少年たちの暴挙は、いったいどういう精神構造からくるのだろうか。彼らの心の中に、何か大切な、無くてはならないソフトが不足しているのではないだろうか。

 フジテレビで万引き少年団のニュースを観た同じ日だったか、TBSのニュース23では水俣病の特集をやっていた。
 ミナマタビョウが水俣病と書くこと、有機水銀中毒であること、悲惨な病気であること、有機水銀に汚染された魚介類を食べたために罹ったこと、有機水銀は工場から海に流されたこと、などを私は知っている。ところが、それらは水俣病の、目次のほんの一部にしか過ぎなかったのである。病気が発生してから60年余りが過ぎたというのに、患者たちの戦いは今なお続いているということなどを含め、番組で紹介された内容は、私の知らないことばかりであった。TBSの特集は夜遅い時間であったが、観た。
 対岸の火事的感覚で観ている暢気なウチナーンチュのオジサンではあるが、少なからず心を痛めた。心を痛め、憤りを感じた。憤りは国に対して。
 国が今もってその責任(水銀垂れ流しを放置した責任は当然、国にある)を認めていないということに驚く。当然、その責任を果たしていないということにも驚く。悪いことやっても、「いや、俺は知らねぇよ」と言っているみたいだ。この国の心にこそ何か、とても大切な「足りないソフト」があるのかもしれない。そんな国が、「子供の教育がどーのこーの」なんて言ったってさ、聴く耳持たねぇぜ、と少年たちは思うぜ、きっと。

 記:2006.5.4 ガジ丸