ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

農夫の休日

2013年02月22日 | 通信-社会・生活

 2012年9月7日のガジ丸通信『休養と栄養の必要』で、「天地創造の神が「7日目は休日」とモーゼに語ったように人間にはやはり休養が必要なのであろう」と書いた。そしてその後、「7日目は休日」を守っているのかというと、守っていない。
  300坪の畑、手作業で草を刈り、手作業で耕すのはエライ時間がかかる。比率を大雑把な私の感覚で言えば、草刈り、耕し、畝立てに100時間かけて、種播きは10分、収穫は30分くらい。畑仕事のほとんどは草刈りと耕し作業である。
 1畝は約3坪、これまで9畝立てており、それにプラス2畝が土ほぐし作業の途中で、さらに3畝をこれから予定している。さらに、収穫を終えたホウレンソウ、ジャガイモ、ダイコンのあった3畝も耕して活用しなければならない。休んでいる暇は無い。
 休んでいる暇は無いからといって、たまには休まないと体を壊す。「7日目は休日」といった定期的休日は設けていないが、農夫には農夫の休日があるのだということを、ついこのあいだ気付いた。農夫の休日、それは雨の日。雨の日は雑用処理日となる。

 「今日は一日中雨」と天気予報のあった先週火曜日、畑へは行かず、懸案事項の処理日と決め朝から動いた。懸案事項とは、1、畑の地主さんに会い、土地代を支払う。2、コザ(現沖縄市)にあるレコード屋さんの社長に会う。3、沖縄金融開発公庫へ行き、家売却に要する資料があるかないか訊き、あればそれを受け取る。

 午前中、地主さんの家にお邪魔する。奥さんもいて、コーヒーを入れてくれ、「食事もどう?」と勧められる。食事は遠慮したが、それでも30分ばかりは長居し、和やかに世間話などをした。その上、「まだ、ちゃんと生産できていないんでしょう、お金はまだいいよ」と、土地代を取らなかった。つくづく親切な人であった。
  地主さんの家は西原町、そこからコザのレコード屋へ行き、所用を済ませ、宜野湾の畑ナツヤへ行き、数日分の食料となる芋とジャガイモを収穫し、家で一服して、午後3時前に出て、那覇新都心にある沖縄金融開発公庫へ。
 公庫の建物の中に入り、ここであろうと見当つけたカウンターの前に行き、そこのお姉さんに声を掛ける。こっちを見たお姉さん、若くて「おッ」と思うほどの美人。かくかくしかじかと要件を伝えると、時間をかけて調べてくれ、さらに、時間をかけて詳しく説明してくれた。その顔を見ているだけで楽しい時間となった。結局、私の要求する書類は銀行が保管しているのこと。「それは銀行です」と簡単に済むものを丁寧に説明する。美人は親切でもあった。が、時間が4時を過ぎてしまい、銀行には行けなかった。

 休日だからといって、農夫は家でボーっとしていることは無い。それでも、いつもと違うことで気分転換になり、肉体的疲れも無いので十分な休養にはなっている。
 じつは、肉体的疲れと書いたが、最近は腰も肘も手首も膝も以前より痛みが小さくなっている。畑仕事に慣れてきたということもあろうが、先月から始めた筋肉トレーニングのお陰もあると思う。畑仕事では使わない筋肉を鍛え、それらの筋肉が畑仕事で酷使する筋肉の補助をしてくれるという考えでやっている。素人農夫は、適度に休養を取りつつ、体を鍛えつつ、少しづつ一人前農夫に向かっている、のではないかと思う。
          
          

 記:2013.2.22 島乃ガジ丸


ヤマノイモ

2013年02月22日 | 飲食:食べ物(材料)

 ヤマウムスーブ

 30坪の小さな畑ナツヤにヤマノイモを植えてある。ヤマノイモの中の、沖縄に多いダイジョという種類。昨年(2012年)の冬にむかごが着いているのを発見し、3月、京都人のI氏(沖縄民俗研究家で度々沖縄を訪れる)がちょうど沖縄滞在中で、しかも、私の実家に宿泊していたので、彼に料理して貰った。
  京都からの客人にわざわざ手間を掛けて貰ったのは、「むかご料理と言えば京都」と以前どこかで聞いた覚えがあったこと、彼が私と同じチョンガーオジサンで、料理も得意であること、などといった理由による。「むかご料理と言えば京都」については詳しく調べていないので、それが正解であるかどうかは未確認。
 彼の作るむかご料理は、茹でて、バターを絡めながら炒めるという一品。むかごは表面を洗って、皮付きのまま。皮に少々の歯ごたえがあってカリッとした食感、中はモチっとした食感でなかなかの美味であった。
 I氏によると、私の畑の、ダイジョのむかごは「本土のむかごよりずっと大きい」ということであったが、味については「こんなもん」とのこと。

  去年(2012年)12月、同じI氏のお供(運転手)で読谷村残波近辺を訪れた。運転しながら、同じ内容の大きな看板を数ヶ所で見た。「山芋スープ」と見えた。
 「山芋のスープという料理が読谷村の名物料理にでもなったんだろうか?」と思っていたら、私の勘違い、スープでは無かった。翌朝、宿泊した民宿の周辺を散歩している時に同じ看板があって、それをじっくりと見ると、スープでは無くスーブであった。フに○では無く、フに点々のブ。スーブはウチナーグチ(沖縄語)で勝負のこと。
 私の記憶では金武町のそれが有名なのだが、毎年時期になると山芋勝負というものが行われる。山芋の大きさを競うのである。ダイジョ(大薯)はその名の通り大きく、山芋勝負で優勝するようなものだと100キロを超えるものもあるらしい。
 
 ダイジョ、食料としては長芋ほど美味くは無いが、茹でて食えばジャガイモのような食感。味も特に癖は無い。大きいので、私のような貧乏人は重宝する。
 
 ヤマノイモ(山芋・薯蕷):食用
 ヤマノイモ科の蔓性多年草 日本各地の山野に自生 方言名:ヤマウム
 ヤマノイモは「ヤマノイモ科ヤマノイモ属の総称」で、ヤマイモともジネンジョとも言う。ジネンジョ(自然薯)は「栽培されているナガイモに対して、自生しているヤマノイモの称」(広辞苑)とのこと。沖縄ではその一種、ダイジョ(大薯)が多い。
 『沖縄大百科辞典』のダイジョの項には、「イモの形は品種によって異なり、円柱形、塊形、扇形などある。肉色は白、淡紅、赤紫色など。沖縄で栽培されている品種は扇いもが多く、そのほか棒いも、紅いも・・・・などがある。」とあり、『沖縄園芸百科』には「塊茎に紫色と緑色の2系統がある。紫色系の塊茎には塊状と棒状のものがあり、」とあった。私の畑には紫色の塊状と白色の塊状がある。
 沖縄では古くから冠婚葬祭用の料理に用いられるとのこと。また、日常でも、煮物やとろろで食し、お菓子の原料としても使われるとのこと。

 記:2013.2.15 ガジ丸 →沖縄の飲食目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


時は命なり

2013年02月15日 | 通信-社会・生活

 300坪の畑なっぴばる、2月1日から手間と時間のかかる作業を始めてしまった。1月末までに枝豆を植えるための2畝を立てた。だけどまだ枝豆は植えていない。これまでの畝がそうであったように、枝豆予定の畝も土の大きな塊がゴロゴロしている。土が硬くて、全然ほぐれてくれないのだ。今まではそのまま種を撒いたりしていたが、撒いたホウレンソウ、ダイコン、ジャガイモなどの出来は悪かった。
 無農薬に加え、無施肥という自然農法に近い方法を取っている上、耕起(耕すこと)もいい加減にやっていたわけだが、試行錯誤の一つとして、無施肥でもきちんと耕してみたら作物の出来はどうなるか、を試そうと、今回は十分な耕起をすることにした。
  「十分な耕起」とは、土の塊を比較的柔らかいものは手でほぐし、私の握力が及ばないほど硬い塊はヘラで細かくする作業だ。これがとても時間と手間のかかる作業。2月1日から始め、昨日までに延べ約50時間をかけているが、やっと1畝終えたところ。「耕運機を使えば2、3時間で済むじゃないか」なのだが、私はしかし、その時間が無駄だとは思っていない。コツコツやっていることが成功するか失敗するか分からないが、コツコツやっている時間は充実している。少なくとも土はほぐれている。腰は痛いが。
          

 制限時速40キロメートルの道を、前の車が時速40キロメートルで走っていると、ちょっとイライラするが、向こうが正しいので、さほどストレスにはならない。「そうか、ならば俺も、今日はのんびり行こう」などと気分を変えて運転する。
 制限時速40キロメートルの道を、前の車が時速30キロメートルで走っていると、これは大いにイライラする。いや、していた。「何してるトットロー、この道はお前専用の道か!後ろの事も考えろ!」などと、口にはしないが、思っていた。しかし今は、
 「もうすぐ産まれる妊婦が自ら運転しているのかもしれない」、「ド近眼の人が眼鏡を忘れたのかもしれない」などと思い、もうすぐ産まれそうな赤ちゃんの気分やド近眼の人の気分になったりして、のろのろ運転の時間を楽しむようにしている。

 先週のガジ丸通信『農夫の信仰』の中で、「もしも、にっちもさっちも行かなくなったら死ねばいいだけのことだ。これが新米農夫、私の信仰と言えるかもしれない。」と書いた。その「にっちもさっちも行かなくなったら死ねばいいだけのこと」に対し、「命を粗末に考えてはいけない」と言う人がいたので、それに対する反論。

  人はいずれ死ぬんだから、明日死んだとしても文句は言わない。ただ、生かされている間は生きていようとは思っている。生かされている間はできるだけ楽しく生きてやろうと思っている。楽しく無い時間はできるだけ避けたいと思っている。
 私は「時は命」だと思っている。金には替え難い命、だから、私にとって楽しく無い時間こそが「命を粗末に扱っている」ことになる。今楽しくなくても、その時間が将来の楽しい時間に繋がるのであれば、それは「時間の有効活用」だと思う。
 硬い土を手でほぐすという難儀で手間と時間のかかる作業は時間の有効活用。のろのろ運転でイライラする時間を、お母さんの股の間から出そうになって「どうする?今出ちゃダメ?」と赤ちゃんの気分になるのは、「時間を楽しむ」ための苦肉の策。
          

 記:2013.2.23 島乃ガジ丸


うっちん茶

2013年02月15日 | 飲食:飲物・嗜好品

 飲み物も自給を目指し

 畑から芋と野菜が収穫でき、それを食べているので最近はスーパーへ買い物に行く機会が減った。食費がだいぶ節約できている。貧乏人はどんどん貧乏になっているので助かっている。それでもスーパーへは週に2~3回は行っている。畑から収穫できないもの、肉や豆腐、お菓子や飲み物などを買いにだ。自給自足の道はまだまだ遠い。

  自給自足を進めるために今月からやっていることがある。スーパーで買う飲み物は主に酒の類、ワイン、泡盛、発泡酒などだが、その内の発泡酒に代わる物を自作している。知人で有機農家のTさんが作った酵素を使う。酵素を薄めて発酵させて炭酸酵素とし、それに泡盛をアルコール度数5度程度になるよう加える。甘い炭酸カクテルとなる。
 もう一つ、スーパーではお茶も買っているが、これも今月から自作している。畑からウコンが収穫できるのでウッチン(ウコンの沖縄語)茶を作って飲んでいる。

 植物としてのウコンは既に紹介済みだが、その説明文に少し間違いがあったので今回ついでに訂正した。その訂正前の説明文の中に、
  「沖縄の飲み屋さんでは、泡盛の水割り用の水の替わりに冷えたウッチン茶を出すところも多い。肝臓に悪い酒に、肝臓に良いウコンを混ぜる。肝臓の健康にとってはプラスマイナスゼロということになるのだろうか。・・・いつか実験してみよう。」と書いたが、実験はまだやっていない。肝臓に良いかどうか調べようがないからだ。いや、病院へ行けば調べられるかもしれないが、私は何十年も検診などというものを受けていない。今さら受けようとも思っていない。もしも何らかの不具合があって検査を受けなければならなくなって、その時、「もはや手遅れです」と宣告されたら、「そうですか、いよいよ私もこの世から卒業することになりますか、ありがとうございます」と言うつもり。

 ウッチン茶を飲むのは健康のためでは無い。生活費を削減しなければならない、という貧乏からくる考えの一つである。畑にウコンがあったからウッチン茶となる。ウコンはたくさんあるので、これからずっとウッチン茶を愛用しようと思っている。
 ちなみに、自作の発泡酒については、酵素の値段を考えると、市販の500ミリ入り発泡酒110円より高くつくので、この後も続ける予定は無い。
      
 ウコン(鬱金):薬用・染料
 ショウガ科の多年草 アジア熱帯原産 方言名:ウッチン
 名前の由来は資料が無く不明。鬱金という難しい字から想像するにおそらく漢名だと思われる。方言名のウッチンはウコンの沖縄読み。英名はターメリック。
 薬用、香辛料、着色料として地下の根茎が利用される。カレー粉の原料の一つとしてよく知られる。根茎は橙色をしており、それから薬効成分のクルクミンが抽出される。クルクミンは芳香があり、色は黄色。カレーの黄色はこの色。
 熱帯地方で広く栽培されており、国内では奄美以南で栽培されている。
 よく知られているようにウコンは肝臓に薬効があり、また、胃腸にも良い効果を与えるとのこと。薬用としては、根茎を薄くスライス、または刻み、それをそのまま煎じて飲むか、スライス、または刻んだものを乾燥させ、それを煎じて飲む。乾し方は陰干し。
      
 記:2013.2.12 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


農夫の信仰

2013年02月08日 | 通信-その他・雑感

 私が借りている300坪の畑なっぴばるの北隣はSさんのウージ(さとうきび)畑で、今(2月)、収穫の最中である。その向かいのSさんNさんが共同でやっている畑は主にジャガイモを作っていて、これも今、収穫の最中である。SさんNさんの隣は87歳の爺様NHさんの畑となっている。主にシークヮサー、バナナなどを生産している。
 過日、その爺様NHさんに会った時、「知り合いの料理人がイーチョーバーを欲しがっているんだけど、探せない」旨のことを話すと、「イーチョーバーなら私の所にいくらでもある。持って行きなさい」と言い、彼の畑に案内してくれた。
 爺様NHさんについては2012年12月14日付けのガジ丸通信『立ち往生を目指して』で一度紹介しているが、その内容に間違いがあった。以下引用。

 爺様は名前をNさんと言い、御歳87とのこと。畑の場所は坂道を上り切った辺りで、なっぴばるから少なくとも徒歩30分はかかる所。自宅はと言うとなっぴばるから東南方向へこれも徒歩30分はかかる所。毎日往復2時間も歩いているようだ。
 87歳のNさん、そのお陰かどうか足腰はしっかりしており、背中も真っ直ぐ。耳も遠くは無いし、言語明瞭。いつもニコニコしていて心も健康そうだ。

 この中で「87歳、足腰はしっかりしており、背中も真っ直ぐ。耳も遠くは無いし、言語明瞭」は確かにその通り。間違いは「畑の場所は坂道を上り切った辺り」、「自宅はと言うとなっぴばるから東南方向へこれも徒歩30分はかかる所」、「毎日往復2時間も歩いている」など。私が人の話をテーゲー(適当)に聞いていることの証拠。
  N爺様の畑が「坂道を上り切った辺り」と覚え違いをしていた私は、「私の畑まで案内するよ」と爺様が言った時、「車で行きましょうか?」と提案した。
 「何言っている、畑はすぐそこだよ」と言われ、間違いに気付いた。
 「坂道を上り切った辺り」にあるのは爺様の家、そこから30分程歩いて畑。東南方向へ行くのは目的も方向も徒歩時間も間違いで、南へ1時間余歩いた場所にある教会へ通っているとのこと。爺様はある宗教団体の熱心な信者であった。
 朝と午後の2回、教会まで歩いて行き、お祈りをするのだそうだ。つまり、N爺様はほぼ毎日家から畑、畑から教会、教会から畑を午前中に、そして午後には畑から教会、教会から畑、畑から家の、合計5時間余歩いているわけである。
          

  爺様の「いつもニコニコしていて心も健康そう」はその信仰からきているのかもしれない。じつは、爺様の畑に案内されている数十分の間に息子に対する愚痴を聞かされた。いろいろ悩み事もあるようであった。そんな悩み事から表面上でも離れるために祈りが必要なのかもしれない。悩みから離れて「いつもニコニコ」しているわけだ。
 私には日常、思い悩むことが無い。信心深かった母親に似ず、元々不信心者の罰当り者なのだが、私は何かに何かを祈ることもあまり無い。たぶん、女房子供という家族がいないということが悩みの無いことの大きな要因となっているのであろう。一人であれば人生何とかなるのである。淡々と畑仕事をやっていき、もしも、にっちもさっちも行かなくなったら死ねばいいだけのことだ。これが新米農夫、私の信仰と言えるかもしれない。
          

 記:2013.2.8 島乃ガジ丸