ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

生かされていることへの感謝

2016年03月25日 | 通信-社会・生活

 沖縄の農繁期である冬季、今季は雨が多く、3月になっても雨が多く、お陰で作物の生育が悪く、収穫が少なく、よって、貧乏農夫は収入のほとんど無い状況が続いているが、畑仕事が思うようにできなくて、やるべき作業もどんどん遅れている。
 畑仕事が遅れている分、他のことは進んでいる。1年以上もかかったブログ移動、修正作業を終えて、部屋の掃除もたびたびやり、このごろは引っ越し(予定)準備のための持ち物整理も始めている。実家から持ってきた父の物母の物の整理もやっている。
 もの考えする時間もたっぷりあった。2月中頃から3月中頃にかけて宗教についてたっぷり考え、その頃このガジ丸通信で、宗教に関する5題もの記事を書いた。
 その後、静岡の才媛K女史とのメールのやり取りでも宗教の話題(私から出した)となって、2月26日付記事『頂いた命への感謝』と似たような表題となったが、「頂いた命への感謝」とはどういうことかをさらに考えたので、またもしつこく宗教の話。

 キリスト教を信じる人や教会関係者が語る中で、
 「人は神によって生かされている存在」ということと「神を信ずれば天国へ招かれ至福の時を得られる」ということが、「矛盾しているだろ?」と私が疑問に思うこと。
 神を信じない私だが、太陽や大地、雨風、動植物などといった大自然によって生かされているとは思っているので、大自然を神に置きかえれば「人は神によって生かされている存在」は理解できる。ただ、「生かされている存在」なのであれば、命が尽きるのも相手任せで良いだろう。今生きていることだけでも大感謝なので、いつ命が尽きても文句は無いわけだ。「生かされている」→「十分ありがたい」→「その後はいかようにも」と思う訳。そこで、キリスト教の言う「天国」が、私はどうにも不可解に思うのである。
          

 「生きている間、身に余る幸せを与えて貰ったのに、死んでまでも幸せを望むのか?」
 「それは、生かされているという考えとは矛盾していないのか?」と思い、
 「死んでまでも幸せを望むなんて、あまりにも欲深くはないか?」とも思い、
 「今、生かされていることに、本当に心から感謝しているのか?」とまで思う訳。
 健康で、仕事があって、収入があって、結婚して、子供ができて、住む家があって、などということは、社会生活の中で普通の、真面目な望みだと思う。神も、「私は自ら助くる者を助く。努力すればお前の望みを叶えてやるぞ」と言うであろう。しかし、「死んでまでも幸せに生きたい」などというのは非現実の大欲だと私は感じる。
 生への感謝があれば、「生かされていて、健康でもいられる、あー何て幸せなこと」とか、「就職もできた、結婚もできた、子供も産まれた、あー私は何て幸せ者」とか、「車を買った、家を建てた、あー、何という幸せよ」などと思えるかもしれない。
 生への感謝があれば、目が不自由でも、耳が不自由でも、足が不自由でも、お金が不自由でも「それでも私は生きている、あー何て幸せなんだろう」と思えるかもしれない。

 さてさて、偉そうなことを書いたが、現実の私は、年末から雨が多く、畑仕事が遅れていく中、作物は生育が悪く、収穫が少なく、よって、収入もほとんど無い状況が続いて、「あー、今日も雨かよ!」と天に向かって悪態ついてる罰当り者に変わりが無い。
          
          

 記:2016.3.25 島乃ガジ丸


強い男が目指すもの

2016年03月25日 | 通信-その他・雑感

 私の周りの人は誰も武器を持っていないが、私は武器を持っている。その武器を使って私は誰かを殺し、彼の財産を奪う。あるいは、その武器で誰かを脅し、彼の財産だけでなく、彼の自由意思まで奪い、彼を私の奴隷のように扱うことができる。できるけど私は、少なくとも今の私の感性でいる限りで言えば、そういうことをきっとやらない。
 他人を傷つけてその財産を奪うこと、他人を自分の意のままに動かすことなどに、私はたぶん、幸せを感じない。面倒なことや楽しくないことが我が身に降りかからないこと、それが私の幸せであると思っている。他人の生命財産を奪うこと、他人を意のままに動かすことなどは、私にとって面倒で楽しくないこととなっている。もちろん、それ以上に自分の生命財産を他人に奪われること、自分が他人の意のままに操られることは嫌。
 武器を持つということは「簡単に強い男になれる」ということに違いない。強い男になったら威張れる、他人の物を奪うことができる、他人に命令できる、裕福に暮らせる、美女を何人も侍らせ、美味い物食い放題飲み放題なんて日々も夢ではない。つまり、強い男になることの究極の目的は、我が欲望を満たすということなのであろうか?

 今年1月、里帰りした弟と飲んでいる時、主題は「頼んでいた土地探しは中止」という話であったが、その他いろいろ話題は飛んだ。その内の1つ、最も多く弟がしゃべったのは武道、弟は若い頃空手をやっていて、武道は今でも好きであり、合気道の塩田剛三、空手の宇城憲治などを尊敬していて、自分も体を鍛えているという話から、
 「兄さん、リンゴを握って潰せるか?」と訊く。
 「リンゴが勿体無いので実際にやったことはないが、たぶん潰せると思う。ちょっと試したことはある。リンゴを強く握ると指が食い込んで行った。」
 「指が食い込むくらいは簡単、潰すのは難しいよ、握力はどのくらい?」
 「昔計った時は55キロあったが、強い方だったぞ。」
 「俺は90ある。それだとリンゴが潰せる。」
 その後、弟はどのようにして自分が体を鍛えているかなどを語った。
          
          

 体を鍛える、丈夫な体にするという意味では私も鍛えている。私が体を鍛えるのは、できるだけ長く(爺さんになっても)畑仕事が続けられるようにという目的だ。例えば、自分の周りに野獣がいて、あるいは盗賊がいて、いつ襲われるか知れない社会状況であったとしたら、闘って勝つための体の鍛え方をするかもしれないが、今の社会ではそれほどの強さは必要ない。なのに、弟は厳しく体を鍛えている。
 弟が厳しく体を鍛えているのは武道に繋がっているのだろう。そういえば、昔観た映画のブルースリーは見事に鍛えられた肉体であった。鍛えられた肉体から発揮される武道の技は、神技と呼ばれるようなものになるに違いない。弟もそのようなものを目指しているのかもしれない。武道には縁遠い私にはその価値がよく理解できないのだが・・・。
 あるいは、強くあるということは、動物の雄としての本能かもしれない。愛する者がいる場合、それを守りたいという本能かもしれない。本能的強さとは、支配者の言いなりにはならない強さ、理不尽な命令に従わない強さ、自分であり続ける強さということかもしれない。それを弟は目指しているのかもしれない。今度弟に会ったら訊いてみよう。
          

 記:2016.3.25 島乃ガジ丸


チュラカーギ

2016年03月25日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 「方言を使ってはいけません」と教育されてきた私の世代、少なくとも泊小学校や那覇中学校に通う私の周りの友人達で方言を話せる人は、不良と呼ばれる者を除いてはほとんどいなかった。高校に入って、クラスメートの中に、主に首里出身の人たちが方言ペラペラなのに「さすが首里、さすが王府のあった場所」と、驚いた覚えがある。
 私もウチナーグチは話せない、ウチナーグチは話せないが、単語ならたくさん知っている。那覇(首里を除く)出身の友人達も私と同じで、お互いのユンタク(おしゃべり)の中で、「ィヤー(お前)」、「ワン(我)」、「フラー(振れ者=バカ)」、「ディキランヌー(できない者)、「ハゴー(汚い)」など、日常的にいくつも出てきた。

 少年たちが使うウチナーグチは、上記のような美しくない言葉が断然多かった。「きれいな言葉も使っていたかなぁ」と今思い返しても、日常的会話にはあまり出てこなかったように思う。ただ1つ、チュラカーギだけはよく使った。
 チュラカーギをよく使ったのには訳がある。それは少年たちが最も関心を寄せる対象の1つだったからだ。チュラカーギは美貌(美しい見た目)という意味。
 チュラカーギを漢字で書くと、美ら影となる。影は和語でも「おもかげ、姿」という意を表す影。チュラという発音は、もう10年くらい前になるか、NHKの朝ドラ「ちゅらさん」で「美しい」という意味であることと共に全国的にも知られていると思う。全国的に有名な沖縄の水族館も「ちゅら海水族館」という名前だ。
 チュラカーギーと語尾を伸ばすと美人となる。英語のERと同じ使い方である。チュラカーギーは概ね女性のことを差し、「チュラカーギーのうんどー(美人がいるよ)」などと使う。美女という意味ではチュライナグとも言う。イナグは「おなご」に同じ。ただ、少年たちは、チュライナグはほとんど使わず、また、チュラカーギをチラカーギと発音することが多かった。その方が発音しやすいということと、チュラとチラを混同したからだと思われる。チラは、和語の「面(つら)」と同じく「顔」のこと。したがって、チラカーギだと「顔のおもかげ」という意味になり、美貌という意味が消えてしまう。

 私はこれまでたくさんのチュラカーギーに出会ってきた。顔だけでなく心にもチュラサを感じた女性には「付きあってください」と申し込んだ。6回申し込んで、2回は成功したが、4回は撃沈した。チュラカーギーはなかなか手強いのである。
     

 ちなみに、美人でない人のことはヤナカーギーと言う。ヤナは嫌なから来ていると思われるが、意味としては「悪い」となる。子供の頃、ヤナワラバーと私はよく言われた。悪ガキという意。正確にはヤナカーギーだが、少年たちはエナカーギーと発音していた。女子と喧嘩した時などに「エナカーギーヒャー(ブスめ)」とよく使っていた。
 もう1つちなみに、少年たちが最も関心を寄せる対象としては、見た目の美しさももちろんだが、女性の下半身にはさらに大きな関心があった。よって、女性の下半身を指す言葉も会話の中によく出てきた。何て言うのか?と問われても、ここには書かない。少年たちはまだ見ぬものに対し憧れがあった。オジサンとなってからは口にしたことがない。

 チュラカーギというと「見た目が美しい」となるが、美人というと見た目だけの美ではない。私の周りに美人は、友人のK子を代表に何人もいる。チュラカーギも周りにいる。静岡のKK、甥の嫁のTMなど。彼女らは、見ているだけで幸せな気分になる。
     

 記:2016.3.19 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄語辞典』国立国語研究所編集、大蔵省印刷局発行


さすらうオジサン

2016年03月18日 | 通信-科学・空想

 1993年12月、実家から首里石嶺にある家賃3万円のアパートに越し、2011年9月、今のアパートに越すまでの約18年間をそこで過ごした。南風原に生まれ、小学校に入るまでの数年はコザ、小学校の1年間は那覇市三原、両親が頑張って那覇市泊にマイホームを建て、小学校2年から高校1年まではそこで暮らし、高校2年から浪人1年までは首里で1人暮らし、大学の5年間は吉祥寺、武蔵境、小金井、国分寺と住処を替え、沖縄に戻って1993年11月までの約10年間は実家で暮らした。
 首里石嶺のアパートで暮らした期間は、那覇市泊の実家で暮らした期間とほぼ同じとなっている。というわけで、首里石嶺のアパートは私にとって第2の実家と言ってもいい。アパートは4世帯あり、その内の数人と仲良くユンタクし、隣に住む大家とはその奥さんも加え仲良くさせてもらい、向かいのオバサン、裏のオバサン、近所のオバサンたちとも時々ユンタクさせて貰った。部屋に白アリが発生して部屋を出たわけだが、白アリが無ければずっと住んでいたかもしれない。楽しい近所付き合いであった。
          

 先日、そのアパートへ行った。部屋を見ながら大家と私が会話している。「白アリはまだいそうですね?」、「いるみたいだなぁ。他所を探した方がいいかもな、ここから少し離れているが、私の知っているアパートがある、紹介するよ」となった。
 道路に出ると目の前に車が停まった。「私が送っていくよ」と運転手が言う。若い女性だ。見覚えのある顔、私が以前勤めていた会社の事務員Mだ。元暴走族だったMはまあまあ可愛い顔なのだが、ヤンキーらしく派手な顔付きであった。が、その時のMは前に比べるとずっと(私好みの)大人しい顔になっていた。で、私と大家は後部座席に乗る。
 大人しい顔になっていたMであったが、車の運転は元暴走族の片りんを見せた。「行くよ!」と気合を入れたかと思うとぶっ飛ばした。一山超える道は細く、勾配があり、蛇行する道、そんな道を猛スピードで走る。「アパートを見に行くだけだ、そんな急いではないからスピードを落とせ!」と私は叫ぶが、「大丈夫よ!」と彼女は聞かない。
 恐怖の十数分が過ぎて目的地へ着く。着いた所は原野であった。「土地を購入し、自分で家を建てる場合ならということだ」と大家が言い、そこにいた不動産屋らしきオジサンがあれこれ説明する。それらに私は適当に受け答えする。その時、私の心の多くは別のことに集中していた。Mが私に寄り添っていて、私の手を握り、指を絡ませてきたのだ。私は彼女の顔を見、彼女の目をじっと見つめ、彼女が言いたいことを理解し、絡んでいた指をほどいて、その手を彼女の腰に回し引き寄せた。「危ねぇぞ、捕まっちまうぞ!」と、もう1人の私が警鐘を鳴らしていたが、その声に私は耳を塞いだ。
          

 朝起きて、朝飯を食い、歯を磨き顔を洗い、雲子をし、コーヒー飲みながら1服して、着替えて、畑へ出る。畑へは歩いて行く。5分とかからない。これまでは夕方のラッシュ前の4時頃には帰っていたが、車を使わないので渋滞の心配は無い。日が暮れるまで畑仕事ができる。そういう生活がしたいと、一昨年からアパート探しをしている。
 畑の近くに住む、そのためのアパート探しは正しい要求のようだ、夢にまで見る。上記の「先日、そのアパート・・・私は耳を塞いだ。」までは夢の中の話。女に捕まってしまったことについては、私の潜在意識の要求なのかどうか、まだ解析できていない。

 記:2016.3.18 島乃ガジ丸


ヌチグスイ

2016年03月18日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 3月11日付ガジ丸通信「噂を信じちゃ・・・」を書いている時、それに関わる画像はないかとパソコンの中を探したら、テレビ番組の録画が見つかった。2014年春に終了した「笑っていいとも」の録画だ。「いいとも」は私の好きな番組であった。私はテレビを持っていないので、従姉の娘、可愛いS嬢に頼んで録画してもらったものだ。「噂を信じちゃ・・・」で紹介している画像は、その中から拾ったもの。
 「その中」と書いたが、じつは、私がS嬢に頼んだのは最後の「いいとも特大号」だけであった。ところが、映像フォルダの中にはいくつもの「いいとも」があった。もちろん頼んであった「特大号」もあり、その他、1週間分のレギュラー放送があった。
 テレビを家から追放したのは2011年7月、以降、他所の家に行ってテレビの画面が目に入ったことはあるが、私はテレビを「観て」はいない。それ以前もテレビを観る時間は少なかった。「笑っていいとも」は私が観ていた数少ない番組の1つ。昼飯食いながら観ていた。「いいとも」録画がずらっと並んでいるパソコン画面を見ながら、「これだなヌチグスイとは」と私は思い、幸せな気分になる。
     

 ヌチグスイという言葉は私の祖母がよく口にしていたので、私も子供の頃から知っていた。お菓子などを私が買って帰って、それを祖母に少し分けると、それを食べ終えた祖母が「ヌチグスイさたんどー(したよー)」としばしば言っていた。
 ヌチグスイ、沖縄語辞典に記載がある。「命の薬。長寿の薬」のことで、第2義に「転じて、非常においしいもの」とある。ヌチグスイは基本的には飲食物のことのようだ。祖母もその意味で使っている。しかし、そこからさらに転じて、「生きる力を与えてくれるもの」という意も、私がこれまで聞いてきたヌチグスイにはあると思われる。
 「生きる力を与えてくれるもの」とは飲食物に限らない。心に染みる良い映画を観た時、良い音楽を聴いた時、人の優しさを感じた時にも生きる力は得られる。

 私が「笑っていいとも」の録画にヌチグスイを感じたのは、番組そのものが面白くて生きる力が湧いたというわけではない。私のヌチグスイの対象となったのは、「オジサンはいいとものファンだ、1週間分録ってあげよう」というS嬢の優しさだった。
 S嬢が「笑っていいとも」を録画した媒体はS嬢の家にあったレコーダー、そのレコーダーを借りて、家に持って帰って、データを私のパソコンに移した時に「録画はいくつもある」ことに気付いていたが、「特大号は長時間だからそれをいくつかに分けて録画したのであろう」と思っていた。それから数ヶ月後に「特大号」とはっきり判るデータは観終わったが、残りのデータは何であるか確認されることもなくいつしか忘れ去られ、2年近く経った先日になってやっとその存在を気付かれる。可哀想なのは、データではなく、その優しさをオジサンに気付かれることもなく、お礼もされなかったS嬢である。
     

 記:2016.3.11 ガジ丸 →沖縄の生活目次