4月下旬から5月上旬にかけての大型連休中、埼玉の友人Kが沖縄に滞在していた。腰痛の良くならない私は、今回は彼と遊ぶ余裕はあまり無かったのだが、そんなある日、Kと沖縄の友人Sとを我が家に呼んで酒を酌み交わした。4~5時間の飲み会のほとんどはバカ話で終わるが、そんな中、Sから良い話を聞いた。要約すると、
「息子であっても別の人間、感性の押し付けはしないことにした」ということ。彼の息子の1人は長く登校拒否で、一般的(多数派というだけの意)な十代の若者とは違う道を歩んでいる。自分が歩きたい道を自分で選んで、そして今は一般的(多数派というだけの意)な十代の若者よりもずっと、しっかりした生き方をしているらしい。
「俺も最初の頃は怒鳴っていたんだけど、こいつにはこいつの生き方があるかもしれないと思ってからは、他人に迷惑をかけなければいいと見守るようにした」とのこと。良い父親になってるなぁと私は思う。子育てに関わることで男は男の成長をするようだ。
その日2人が帰った後(夜9時過ぎ)、寝るまで(11時過ぎ)の間、飲み食いの後片付けしたり、シャワー浴びたりしながら、「感性の寛容」という言葉が頭に浮かんだ。Sが息子の話をして、人には人それぞれの感性がありそれは尊重するべきとなって「お前、今でもMKバンドにブツブツ言ってるのか?」とSに訊かれ、「いや、もう彼らは彼らで楽しんでいるのだと理解し、拍手してるよ」と答えた。MKバンド(仮称)とは同級生の友人たちがやっているグループサウンズの楽曲をやっているバンド。
煩い音楽が苦手な私はロック系音楽は普段聴かない。グループサウンズの楽曲は歌詞が恥ずかしい内容ということもあって嫌っていたのだが、それは私の感性であって、そういったのが大好きという感性の人も多くいるだろうと思う、なので、批判はやめていた。
カラオケ嫌いの私が、今年になってカラオケにも行くようになり、嫌いだった演歌も聴くようになり、世の中にはこういう感性を持つ人もいる。そういうことも認めて、寛容しなければ仲良くなれない、歌詞の内容などどうでもいいと思い、そんなことよりその場とその時を楽しもうという心持になっている。一般的には、年老いて頑固になるようだが、私の場合は年老いて寛容になったようだ、と自画自賛しておこう。
寛容になった私、今のところは音楽に関してだけだが、それもカラオケ会に参加するようになったつい2、3ヶ月前からだが、普段聴いている音楽にも寛容になったかというとそうでもない。家にいて飯食っている時晩酌している時、机の前でパソコン作業をしている時、薬草の勉強をしている時など、たいていラジオを付けっ放しにしている。そこから出演者のユンタク(おしゃべり)が聞こえてくる、たまには音楽が流れてくる。たまにの音楽が今流行りのチャラチャラ音楽であってもそのまま流している。寛容だ。
しかし、ラジオの番組が若者向けの音楽番組で、出演者が若者で、チャラチャラユンタクで、流す音楽が「たまに」ではなく「頻繁に」チャラチャラ音楽となると煩く感じる。そんな時はラジオを消し、CDを流す。CDの中身は概ねバッハやモーツァルトといったクラシック、そういえば40代になった頃、「音楽はクラシックがあれば良い」とまで思っていたことがある。それからするとちょっとだけとはいえ、今の若者音楽を聞いているのだ、なんという進歩、なんという寛容、と自画自賛しておこう。
記:2018.5.31 島乃ガジ丸
珍しい夜の写真
撮った写真のプロパティを見ると撮った日時が分る。その日時と自分の日記を照らし合わせ、その写真の場所も概ね特定できる。場所はまた、写真の背景からも推理できる。勤めている頃は職場であることが多く、あるいは、休日の場合は散歩途中の公園や道端の野原などが多く、畑仕事に精出している頃は畑のことが多い。職場の庭や畑の場合は、たいてい場所が特定でき、時間帯によってはその時の状況も思い出せたりする。
夜出歩く時にも私のバッグにカメラは入っているが、カメラを出しシャッターをきる時は飲み会の光景や、テーブルに並ぶ食べ物の写真がほとんどで、たまには夜の街の風景も撮り、稀には夜の植物動物の写真も撮る。しかし、それはホントに稀で、植物動物の写真を撮るのは概ね昼間。なので、夜に飛び回るホタルの写真を私はまだ撮れていない。
ホタルも夜の昆虫だが、蛾の類も夜の灯火に集まるものが多い。キマエコノハもその類のようで、写真のプロパティを見ると、私が出会ったのは2011年7月20日20時19分となっている。私には珍しい夜の昆虫の写真。その日の日記を見ると、飲みに行っている。相手は東京から来た女性。デートというほどのものではなく、共通の友人に「車を出して、運転手をして、沖縄を案内してくれないか」と頼まれただけのこと。だからその日、私は美女の写真は撮らず、飲み屋の壁に留まっていた蛾に目が行ったようだ。
キマエコノハ(きまえ木の葉):鱗翅目の昆虫
ヤガ科 本州~南西諸島、インド~オーストラリアに分布 方言名:ハベル
名前の由来は資料がなく不明。本種はヤガ科で、ヤガ科にはヨトウガという畑で悪名高い種がいるが、その他コノハ、クチバ、アツバなどハ(バ)の付く名前の属がある。このうちアツバは厚翅と想像でき、コノハとクチバは木の葉と朽ち葉と私は想像する。翅が厚い、翅が木の葉に似る、翅が朽ちた葉に似ているといった理由から。
ということで、本種の漢字表記を木の葉としたが、それはまったく私の想像。キマエについては、私の脳味噌では想像不可。顔が黄色いとか、翅の根元が黄色いとか写真を見る限りでは無い。前翅の前縁に黄白帯があり、後翅は黄色いとのことだが、それらが関係しているかもしれない。木前の木の葉とかなら面白いけど、正確なことは不明。
前翅長40~45ミリと比較的大型の蛾、成虫の出現は6~11月。分布の南西諸島は詳しくあり、沖縄島、石垣島、西表島とのこと。
食草については、「インドではツヅラフジ属につくという。沖縄ではオオツヅラフジがあるが、食草であるかどうかはまだ確認されていない」とのこと。
記:ガジ丸 2019.5.21 →沖縄の動物目次
参考文献
『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
『いちむし』アクアコーラル企画発行
『学研生物図鑑』本間三郎編、株式会社学習研究社発行
『昆虫の図鑑 採集と標本の作り方』福田春夫、他著、株式会社南方新社社発行
『原色昆虫大図鑑』井上寛・岡野磨瑳郎・白木隆他著、株式会社北隆館発行
役立つ果物
植物としてのシークヮーサーはこのブログの初期も初期、2004年8月に既に紹介済みだが、シークヮーサーは庭木、公園木など樹木としての利用よりも食い物としての利用価値が高い、と私は(たぶん、シークヮーサーを知っている多くのウチナーンチュも)思っている。まだ青い内(未熟)の果汁は酸味の調味料として刺身、焼き魚にかけたり、醤油と混ぜてポン酢風にしサラダにかけたりする。さらに、泡盛の水割りに少々垂らして良い香りと軽い酸味のあるカクテルにする。さらには、果汁を水や炭酸水で薄めてハチミツなどで甘みを加え清涼飲料水にもなる。など、果実は頻繁に利用されている。
なので、果物としても紹介済みだろうと思っていたが、していなかったことについ最近気づいた。最近、薬草の勉強もしていて、シークヮーサーも当然薬になるはずと思い、シークヮーサーの生の果実を泡盛に漬けて、シークヮーサー酒を作り、「そろそろ飲んでみるか」と思い、改めてシークヮーサーの薬効を調べている時に私のホームページの飲食リストに「シークヮーサー」の名が無いと言う事に気づく。いや、正確に言うと飲食リストの「果物の欄」にはなかった。が、酒好きの私、「飲み物の欄」にはあった。「シークヮーシャー酒」という題で2005年7月にアップしている。これも初期だ。植物としてのシークヮーサーから約1年後のことだ。しかし、その中でも「シークヮーサーが調味料として優れている」などといったようなことはあまり書いていない。
ということで、ここでは果物としてのシークヮーサーを紹介する。
果実の収穫は夏~冬、8月~10月の青い内から食用となる。青い内は酸味が強いので料理やカクテルに利用する。10月~12月の黄色く熟したものは甘みが出るので果物としても利用できる。大先輩農夫N爺様は熟したものを大量に出荷していた。
ビタミンCを多く含み、カリウムなどのミネラルを豊富なので、生で食して風邪予防・抗酸化作用の薬効があり、果実の皮には精油が含まれ、煎じて服用すれば消化不良・下痢・健胃・咳止めになり、果皮を入浴剤にすれば肩凝り・腰痛・神経痛・リウマチに効果があるとのこと。風邪にに効くとは知っていたが、その他の薬効は最近知った。
シークヮーサー(酸喰者):果樹
ミカン科の常緑中木 国内では奄美以南に分布する 方言名:シークヮーシャー
収穫期は主に8月から1月。8月から10月の青い頃は酸味が強いので多くは調味料として、10月から12月はジュース用として、12月から1月の黄色く色付いたものは生食用として利用されている。花は白色で芳香がある。開花期は3月から4月。
なお、シークヮーサーと発音してもシークヮーシャーと発音してもどちらも正しい。
→植物としてのシークヮーサー →シークヮーサー酒
記:2019.5.25 ガジ丸 →沖縄の飲食目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄食材図鑑』田崎聡著、有限会社楽園計画発行
またも掘り出し物 蓋のコルクがボロボロ でも少しは飲めた
前にも話した店仕舞いする喫茶店で、またも古い酒を見つけた。有難く頂く。
デージは「大事」の沖縄語読みで、イチデージは「一大事」となる。どちらも日常会話に頻繁に出てくる。和語と同じくデージ<イチデージというニュアンスとなる。
沖縄の有名な歌に「ウリヒャー デージ ナトーン」と始まる歌がある。テレビ観ない私なのでよくは知らないが、確かジョニー宜野湾という歌手が歌っている。
ヒャーという沖縄語は良く耳にする言葉、その意味は感覚的にはよく知っているが、改めて沖縄語辞典で調べてみる。それによると、接尾語として「野郎、奴、人をののしる時にいう」とある。「クヌ(この)ヒャー、エナ(嫌な)ワラバー(童)ヒャー」と子供の頃、私は父によく言われていた。ただし、歌われている「ウリヒャー」はそれとは少々異なる。ウリは「(物、場所、又は時を指す)それ」という意で、「ウリヒャー デージ ナトーン」を感覚的に和訳すると「あれまあ、エラいことになっちまった。」となる。歌詞はその後、「お前が好きになった、これが恋なのか・・・」と続いていく。
さほど有名ではないかもしれないが、好きな人は知っている歌に「イチデージなったわい」という題の歌がある。有名な民謡歌手、故登川誠仁氏が歌っている。お金が円からドルに替わって、ドルから円に替わってイチデージ、などといったことを歌っている。私の感覚ではイチデージがデージより強い大事(おおごと)なのだが、この2つの歌に限っては逆となっている。ドルが円になるより恋に落ちる方がずっと大事(おおごと)。
さて、イチデージってほど大事(おおごと)ではないが、デージと思うことが今、私の身に起こっている。薬草研究家のHさんから「これ、あんたの名刺」と薬草普及会なるものの名刺(100枚入り箱)を渡されて、しばらくおしゃべり(名刺とは別の話が主)した後、部屋に戻って名刺の意味を考えて「ウリヒャー デージナトーン」となった。
Hさんに「老人クラブで使いたいから薬草表を作って」と頼まれてから自分自身の勉強のためにもと、薬草の本十冊余に目を通し勉強する。勉強はして、頼まれたものも作ったのだが、その知識はパソコンに収められ、私の脳にはほとんど入っていない。100訊かれて2つ3つ答えられるかどうかくらい。「そんな俺が薬草普及会会長の助手ってか?それは無理だろう」と思う。でも、既にHさんは走り出している。どうする?
どうする?と考えて、「面倒だなぁ」と思いつつも、鉢巻をして走る83歳を想像すると、無視はできない。で、翌日から野山の散歩時間を増やし薬草探し、図書館へ行く機会も増やし薬草の勉強、本を借りて、家でパソコンを開いて薬草の特徴書き。
そんなことやっている内に「野山には毒草もある、それから先に調べておかないと、万が一間違って毒草を摂取、なんてことになったら大事だ」と気付き、先ずは毒草のことを調べなきゃとなる。のんびりやっていた野山の散歩も、のんびりやっていた薬草研究も、のんびりとは行かなくなった。一所懸命とか熱中してとかなど、私の性格には合わないことをやる羽目になった。これこそまったく「ウリヒャー デージナトーン」だ。
ちなみに、大事は、デージの他にウフグゥトゥ(おおごと)とも沖縄語では発音する。意味は和語と同じで、デージとも同じ。少々上品な言い様になるかもしれない。
記:2019.5.19 ガジ丸 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行