ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

一等国が見棄てたもの

2012年10月26日 | 通信-音楽・映画

 私好みの映画を多く上映している桜坂劇場は、その会員になると一年ごとの更新時に2枚、誕生日に1枚の計3枚の招待券が貰える。その3枚、毎年無駄にすることが多いのだが、今回も10月23日が期限の2枚と10月末日が期限の1枚ともに19日まで手元にあった。その内の1枚を19日に知人のIさんにあげて、残る2枚の内の1枚を去った日曜日(21日)に使った。観た映画は『ニッポンの嘘』というドキュメンタリー。
  終戦後、広島の原爆、原爆の後遺症、学生運動、成田闘争、原発問題、公害等を撮り、それを世間に訴えた90歳(1921年生まれ)の報道写真家が主役。

 自民党政治家の演説でよく耳にした「一等国」、そうなるために戦後、日本国は政治も経済も頑張ってきた。そして、そうなった。お陰で私も大学進学ができ、就職して月20万円(零細企業だったので資格を持っていてもそれだけ)くらいは稼げ、酒をたらふく飲め、年に2回は安宿の貧乏旅ではあったが旅行することもできたと思う。
 「一等国」が広辞苑にあった。「国際上、最も優勢な諸国の俗称」とのこと。「優勢」とは何か?「勢い・形勢などが他にまさっていること」(広辞苑)のようだが、ここではおそらく経済的、軍事的に「他にまさっていること」であろうと思う。いわゆる富国強兵を成し、それが世界のトップクラスであれば「一等国」ということだ。
 日本は、建前上は軍隊を持ってはいけないことになっているが、現在の日本の軍事力は世界有数であろうと思う。経済的には長く世界のトップクラスにある。したがって、日本は「一等国」に違いない。焼け野原となった戦後、一所懸命頑張って、奇跡の復興を成し遂げ、高度成長期を経て「一等国」になって、それは長く続いている。

 私は普通に、日本が一等国になったのは世界から「働きアリ」と揶揄された日本人の勤勉さ、真面目さによる国民の努力のお陰だと思っていた。しかし、国民の努力も当然あったのであろうが、経済界の意向を酌んだ自民党政治のお陰もあったのであろう。
 自民党政治によって富国になり、何とか平和が保たれ、それによってほとんどの国民が幸せを得た、あるいは幸せだと感じたであろう。何しろ、マイホームを持ち、マイカーを持ち、家には電化製品が溢れ、世界の料理を口にでき、毎日酒が飲める。こんな裕福な国に生まれて良かったと思うだろう。そういうことが幸せの尺度であるならば。

 一等国になったのは政財界の力と国民の努力のお陰だが、しかしながら、一等国になる過程で見棄てられた国民もいる。それを映画『ニッポンの嘘』は描いている。そのことが映画の主旨なのかどうかは解らないが、私はそれに気付き、そう感じた。
 一等国が見棄てたものは、一等国になるために「足手まとい」となる者たち。頂上を目指し山道を歩くには「お荷物」となる者たち。経済的に役に立たない者を捨てる「姥捨て山」の姥となる者たち。一等国であるためには都合の悪い「臭いもの」の臭いものと見なされ蓋をされた者たち。そして、誰がそれらであるかは国が判断してきた。
 「一等国」とはしかし、「裕福である」ということだけが価値基準であろうか?原発に頼らない社会の中で、高級料理は食えないけど美味い蕎麦は食える、毎日は飲めないけど週に2日は美味い酒が飲める。それで「一等国」とはならないだろうか?
          

 記:2012.10.26 島乃ガジ丸


農繁期

2012年10月26日 | 沖縄01自然風景季節

 農繁期(のうはんき)とは「田植え・稲刈りなど、農事が忙しい時期」(広辞苑)のことで、その対語は農閑期(のうかんき)「農作業のひまな時期」(〃)となる。
 「農家の男は冬になると出稼ぎに出る」と若い頃聞いたことがあるので、おそらく、倭国の農閑期は冬季であろう。倭国の冬季の気温では植物の多くもお休みするのでそうなると思う。ところが、沖縄の冬季の気温では、植物の多くはお休みしない。お休みしないどころか、冬季に良く育つ作物が多くある。したがって、沖縄の冬季は農繁期となる。その逆に、沖縄の夏季はあんまり暑くて、植物も元気がでないようだ。よって、沖縄の農閑期はどちらかというと夏季となる。もちろん、暑いの大好き植物もいる。

 私は今、少々焦っている。畑小屋作りに時間を取られ(台風で小屋が吹き飛ばされたせいもある)て、畑仕事が大幅に遅れているからだ。9月に植える予定だった作物がいくつもあり、8月中には畑を耕して畝を作って、9月に種蒔きという予定だった。それが台風対策、その後始末、小屋の修復、小屋の建て直しなどに追われ、10月下旬になってやっと2畝を耕したばかり。そこにはニンジンとホウレンソウを植える予定。

  『沖縄季節のしおり』なる脱サラ農家の友人Tから貰った表がある。確認はしていないがたぶん、沖縄の農協が出しているもので、主な作物の「品種」、「種の蒔き時」、「苗の植え時」、「収穫期」などが記載されている。その表によるとやはり、9月~11月に「種の蒔き時」、「苗の植え時」となる作物が多くある。
 キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、ハクサイ、シュンギク、ミズナ、レタス、タマネギ、ラッキョウ、ジャガイモ、ダイコン、ハツカダイコン、ゴボウ、トマト、ミニトマト、セロリ、パセリ、インゲンマメ、ウズラマメ、エンドウマメ、エダマメ、トウモロコシなどなど。毎日苗作りをし、毎日苗を植えなければ間に合わない。

 そんな忙しい時期に、台風が来る。ビニールハウス農家はビニールを剥がしたり張ったりしなければならない。塩水を被った作物を洗わなければならない。今年(2012年)は特に台風襲来が多く、しかも、17号は最強台風だった。この最強台風には私も参ったが、沖縄の多くの農家が甚大な被害を蒙ったとのことである。
 台風は概ね夏から秋にやってくる。よって、台風の多い年は沖縄の農家に農閑期は無いってことになる。台風が来なくても夏季の農作業は収穫が多くある。トウガン、オクラ、ゴーヤー、ヘチマ、モーウイ、ウンチェーバー、マンゴーなどがその時期となる。雑草も夏場は伸びが早い。したがって、沖縄は年中農繁期と言えるかもしれない。
     

 記:2012.10.26 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


押す無礼

2012年10月19日 | 通信-沖縄関連

 大学生の頃、映研(映画研究会)に所属している親しい友人がいて、映画や映画を製作することについて彼からいろいろ教わった。「ロケハン」という言葉もその一つ。
 ロケという言葉はそれまでにもテレビで時折耳にしていて、「野外撮影」という意味だろうな」と認識していたが、ある日その友人が「明日はロケハンなんだ」と言う。野外撮影の班長をやるのかと思って彼にそう尋ねると、彼は笑って「ロケの班長じゃないよ、ローケーションハンティングのことだよ」と答える。ローケーションハンティングと言われても「何じゃい、そりゃあ」の私は、「何じゃい、そりゃあ」と彼に再び訊いた。
 それで、ロケとはロケーションの略であり、ローケーションハンティングとは映画用語で「撮影場所を探すこと」であることも教わる。

 戦中、あるいは戦後すぐ、沖縄を調査していたアメリカ国防省の要人が「ここはアジアの戦略上キーストーンとなる場所だ」と軍事上のロケハンをし、そう結論して、以来沖縄はアジアの、または世界の軍事上のキーストーンであり続けているのかもしれない。
 キーストーンとは日本語にすると「要石」のことで「ある事柄を成り立たせる主要な事物」(広辞苑)ということ。沖縄は地理的にそうであると、アメリカ国防省のロケハン隊が判断し、それは概ね正解だったのであろう。ただ、それは「地理的に」という他にもいろんな条件が加味されての結論だったに違いない。
 いろんな条件とは「治安の良さ」、「物資の調達のしやすさ」、「生活のしやすさ」、「若い兵士たちの欲求の捌け口の多少」などがあったであろう。そして、それらの全てに沖縄は優秀であったのだろう。ダントツトップで合格したのであろう。
 ところがだ、沖縄はそんなものに・・・アメリカ軍の世界戦略上の基地候補にエントリーしたわけでは無い。それを勝手に合格とされても「何じゃい、そりゃあ」なのだ。

 「若い兵士たちの欲求の捌け口」と書いたが、そういう資料も証拠も無い。でも、たぶんあったと思う。兵士たちにとっては従軍慰安婦ならぬ、現地慰安婦となるものだ。
 本国から沖縄にやって来たばかりの米海軍兵が沖縄人女性を暴行した。「そういうことをやっても罰せられない」とか、「沖縄人女性は我慢して訴えない」とかの情報がアメリカ兵たちの間に流れているのか、あるいは、「俺たちは優秀な人種だ、下等な沖縄人などどう扱ってもいい」などと思っているのか、バカにすんじゃ無ぇ!と腹が立つ。
 沖縄人をバカにしたような米軍人による犯行を無くすには、「そういうことをやったら厳罰に処す」ということにすれば良い。特別な法律を作るのだ。基地を提供している地域でその地域の人に軍人が犯罪を犯したら、通常の数倍の罰に処せばいいのだ。
 
 首里城の手前に守礼の門がある。その門には「守礼の邦」と書かれてある。ウチナーンチュが礼節を守る人種であるかどうかはちょっと疑わしいが、少なくともそうありたいと思っている人は多くいて、何はともあれそういう看板を掲げている邦なのだ。郷に入っては郷に従えという諺の通りアメリカ人も礼を守って欲しいと願う。
 嫌だって言っているのにオスプレイを押し付けてくる日本国もまた無礼ではないかと思う。ウチナーンチュを南洋の土人としか思っていないのではないだろうか?
          

 記:2012.10.19 島乃ガジ丸


風の谷の投資家

2012年10月12日 | 通信-その他・雑感

 仮に借りている300坪の畑はいつも風が吹いている。夏、近所で農夫をやっている爺様が来て、木陰でユンタク(おしゃべり)している時もサラサラと風が流れた。
 「ここはいいなぁ、風があって涼しいよ、昼寝しに来ようかなぁ。」と爺様が仰るくらい、夏でも木陰に入れば涼しい風を感じることができる。「いつも風が吹いている」は7月からこれまでの私の実感だが、おそらく年中そうであろうと想像できる。

 300坪の畑は「なっぴばる」と名付けている。なっぴばるは西原町にあり、東南へ2~3キロ行くと太平洋となる。南西側は道を隔てて小高い森、その道は北西へ向かって上り坂となっておりその先は丘、東北側も3~40m先は丘、つまり、なっぴばるは南西、西北、北東の三方を丘に囲まれた谷となっている。そこへ東南側、太平洋からの風が流れ込んで、丘の間を通って凝縮され、「いつも風が吹いている」になっていると思う。

 風の谷のなっぴばる、夏の間はサラサラと吹いていた風が、秋になってからはビュービューと吹くようになった。畑小屋の前、雨除けに張ってあるブルーシートがバタバタと大きな音を立てて激しく揺れる。テーブルの上に置いてあった壁板用の薄い木材が吹き飛ばされる。屋根にトタンを貼る作業もトタンが飛ばされそうになるので危険。
 昨日(11日)も風が強かった。畑小屋に使う木材は、防腐処理するためにバーナーで焼いている、いわゆる焼き杉にしているわけだが、風が強いとバーナーの炎が強さも方向も一定しない。で、左手に板を持って風除けにしながらバーナー作業をしていた。その時突風が吹いて、左手の板が飛ばされ、左手薬指をバーナーで焼いてしまった。径1センチに満たない範囲だが、肉まで焼く重度の火傷となった。

  風の谷のなっぴばる、日常の風でそうなるのだから台風になると偉いこっちゃとなる。素人大工の未熟さからくる強度不足もあって、畑小屋が10mも吹き飛ばされた。修復する(台風前の状態に戻す)のに10日間かかった。
 7月の終わり頃に始めた畑小屋作成、その後の台風対策、修復まで本来の畑仕事をほっぽり出して畑小屋にばかり労力と時間と金を費やしている。じつは、9月中にはホウレンソウ、シマニンジン、レタス、シマラッキョウなどを植え、10月にはジャガイモ、ウズラマメなどを植える予定であった。何一つやっていない、どころか、草刈りも、畝作りさえもやっていない。何の目的で畑を借りたのやら分からなくなる。

 腰を痛めながら手作業で草刈りし、腰に負担を掛けながら手作業で耕し、これから種を植え、水や雑草の管理を続け、数ヵ月後には収穫する。何の目的で畑を借りたか?と問われれば、作物を収穫するためである。ただし、無農薬無肥料での野菜作りだ、作物が実るかどうか大いに不安を持っている。実るかどうか不安を持っているものに対し、私は時間とお金と労働を投資しているわけだ。下手な投資家なのかもしれない。
 何の目的で畑を借りたか?・・・究極には自給自足のためとなる。自給自足できるかどうかも自信があるわけでは無い。できるかどうかの実験である。成功するかどうか不安のある実験に対し、風の谷の投資家は時間と労働を投資している。あー、どうなるやら。
          

 記:2012.10.12 島乃ガジ丸


素人大工の諦め

2012年10月05日 | 通信-その他・雑感

 8月に襲来した台風15号が前座で、9月中頃の台風16号が二つ目なら、いよいよ真打、それも超大物の登場といった形で台風17号がやってきた。やってきたというか、今その激しい風雨を窓の外に見ながら、激しい音を聞きながらこれを書いている。

  2012年9月29日、朝6時半に家を出て西原の畑へ行った。沖縄島は既に暴風圏に入っている。運転する軽自動車が時々風で横揺れする中、街路樹が倒れ道の半分を塞いでいる個所もある中を敢えて出かけたのは、畑小屋の補強をするためだ。
 じつは、台風対策は前日に済ませていたのだが、前回の16号の際人事を尽くさなかったばかりに小屋が傾き、その修復に大いに難儀したのを反省して、今回は人事を尽くしたつもりであったが、「いや、壁板の補強が足りないかもしれない」と夜寝ながら思いついて、「明日の朝早く壁板の補強に行こう」と決めていたのだ。

 激しい風雨の中、強風に足元をフラフラさせ、ずぶ濡れになりながら、畑小屋の壁に補強材を打ち付ける。高い所の釘打ちをしている時、突風が吹いた。小屋が浮き上がった。小屋に寄り掛かりながら作業をしていた私は危うく脚立から落ちそうになった。
 「危ねぇ、それにしても3個所にロープを張り、重しを乗せているのにも関わらず、こんな簡単にふわりと浮き上がるんだ。暴風の風圧ってこんなに凄いだ。」と、建築の基本を知らない素人大工は改めて自然の脅威が肝に染みたのであった。
 作業は15分ほどであったが、小屋が浮き上がったのはその間に3度あった。ロープは伸びるから良くないよ」と知人から聞いていたし、小屋を作る際にいろいろ相談した建築士の友人にも「ワイヤーで止めるべき」と助言を貰っていた。にも関わらず、それらを無視してロープにしたのは、安い方を選んだという安易な理由。
          

  今、9月29日の午後3時を過ぎたところ、ラジオのニュースから台風は「12時の時点で名護市の北30キロ付近」にあるとのこと。名護より南に位置する宜野湾市や西原町はもう台風が通り過ぎた、などと思ってはいけない。台風はその返しの風が曲者なのだ。それは子供の頃から聞かされていたし、私自身何度も経験している。そしてその通り、台風17号も午後1時頃から風は激しくなった。朝、畑へ出かけた時よりずっと強い。
 窓の外を眺めていると、先ず、バケツ、ハンガー、洗濯洗剤の容器などが吹き飛ばされベランダに散らばった。そして、物干し竿の1本が落ち、針金で括りつけてあったもう1本も片方が落ち、雨除けに張ってあったシート、紐でがっしりと止めてあったものが剥がれた。私の住むアパート近辺では午後2時過ぎがピークだったようで、その時に、木炭のぎっしり詰まって重たいコンテナが棚から吹き飛ばされ逆さになって落ちた。
          
 
 17号はおそらく、これまで私が経験した中でも最強クラスの台風だと思う。窓の外、隣の畑のゴーヤー棚の竹材が鉄パイプから剥がされ、バラバラになって行くのも見えた。こんな強烈な風に素人大工の作った小屋など持ち堪えられるはずが無い、と不安を通り越して諦めの気分になった。・・・で翌日、確認しに行くと諦めた通りの結果、畑小屋は元あった位置から10mほども吹き飛ばされ横倒しになっていた。嗚呼!
          

 記:2012.10.5 島乃ガジ丸