ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

抜け歯ドキュメント

2018年08月01日 | ガジ丸のお話

 昨日(7月31日)、あれこれ外での用事を済ませ、部屋に戻って植物調べなどして午後4時過ぎ、ベランダに出てグヮバ茶を飲みながらタバコに火をつける。グラグラする歯は動かそうと意識しなくてもグラグラする。それを舌で動かしていたら「いつもよりグラグラが酷いな」と感じた。指を使って少し強めに押したらスポっと抜けた。
 グラグラする歯のお陰で口と舌が上手く回らず、ハッキリ喋れず、少し痛みもあるし、唾液も必要以上に出るし、唾液腺が腫れるし、などなどで鬱陶しいと思っていたので、抜けた瞬間は「やったぜ、やっと抜けたぜ」と喜んだのだが、唾を吐くと真っ赤。吐いても吐いても血が出てくる。出血多量で倒れないかと不安になるくらい。
 歯科医院はもう閉まっているだろうし、自分で何とかしなきゃあとガーゼを適当に切って、切ったものを小さく丸めて患部に抑えとして置いて、上の歯(抜けたのは左下奥歯)で軽く噛みしめる。これで止血できるかどうか自信は無い。「止まらなければ今宵は休肝日だ、飯も流動食だな」と、その為の用意をして、歯が抜けたドキュメンタリー(この文章)を書き始める。痛みは少しあるだけで、それまでの痛みに比べればずっと軽い。

 ガーゼで止血したのは5時過ぎ、それからガーゼは2度取り替え、約1時間経った6時過ぎ、3度目の取り替えをする。最初と2度目のガーゼは血に染まっていたが、3度目のガーゼに血はほんの僅か滲んでいる程度。「上手く止血できるかもしれないぞ」とほくそ笑む。「もしかしたら、後1時間もすれば痛みも出血も完全に消えるかも。そうしたら、休肝日を変更して祝い酒にするか」と、さらに笑みが出る。
 7時過ぎ、シャワーに入る前4度目のガーゼを取り出す。血はほとんどついていない。ご飯を炊いていない、パンも無い、これから麺を茹でるのは面倒などといった言い訳を考えて、「シャワー後に、晩飯代わりに少し飲むか」と決める。

 8時前から泡盛の薄い水割りを飲みながら晩飯、豆腐と豚肉とジャガイモの煮物、ハンダマのゴマ和え、炭水化物がないが豆腐とジャガイモで少しは腹も満つ。抜けた左奥歯では噛めないので右側だけで咀嚼。特に不具合は無し。薄い水割りは2杯で終了。目の前のタンコブが取れたということで、酒を飲まなくても良い気分で、そのまま就寝。
 ハッキリ喋れない、少し痛みがある、唾液も必要以上に出る、唾液腺が腫れるなどといった鬱陶しい症状は、腫れた唾液腺以外は改善。唾液腺の腫れは、唾液腺の中に歯周病菌が侵入しての腫れではないかと自己判断し、しばらく放っておくことにする。
 一難去ったという良い気分で就寝。夜中に2回小便で起きたが、夜10時前から今朝6時前まで足して7時間のグッスリ及びタップリ睡眠となった。目覚めもスッキリ。

 歯が抜けたのはこれで2本目、1本目は今年2月21日で、その日は私の「初抜け歯記念日」となった。しかしその時は、縦半分に割れた右奥歯の、グラグラしていた割れた外側の半分が抜けたもの、1本丸ごと抜けたのは今回が初となった。今のところ他にグラグラしている歯は無いが、歯が抜けることはこれからもあるだろうと覚悟しつつ、これからの生き方を今、楽しく想像している。一難去って気分が前向きになっているようだ。
 

 記:2018.8.1 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


海はふるさと

2018年06月07日 | ガジ丸のお話

 私のブログの読者となってくれているコスモスさんのブログが長く(3週間ほど)アップされていなかったので、「体調悪いのかな?」と気になっていたが、昨日(6日)アップされた。アップされたブログには海の写真が多く載っていて、その写真を見て、「そういえば、俺は長いこと海を見ていないなぁ」ということに気付いた。
 ということで、その日(6日)海を見に行った。きっかけはコスモスさんのブログの写真であるが、実はその日、朝から鬱気分であった。腰痛のこともあるが、左下奥歯の1本がグラグラして今にも抜けそうになっているのが鬱陶しく、それらが鬱気分の直接的要因となっていた。基本的には、老人性うつ状態にあるので、本読んだり文章書いたりはしていても、1日中家に籠っていてはいかんだろう、外へ出ようと思っていたのだ。

 私は子供の頃から海に親しんでいる。子供の頃は両親に連れられて海水浴、小学校高学年以降は友人達と近くの海へ釣りへ行ったり、海水浴へ行ったりしていた。大人になってからもキャンプやらビーチパーティーで海へ行く機会は多かった。
 そんな親しい海、私にとっては「ふるさと」といっても良い海であるが、今年は6月になった今まで一度も海へ行っていない。たぶん、去年もまったく行っていない。

 さて、その日出掛けた海は、以前よく散策場所にしていた吉の浦公園。今の住まいからだと、たぶん最も近くにある海浜公園。水鳥の集まるところでもあり、ブログ記事にしている水鳥のいくつかは、ここで見つけ写真を撮っている。
 駐車場から海辺までは100mほど、浜に近付くと草木の間から海が見える。その景色よりも私の感性に響いたのは匂い、浜に近付くと懐かしい匂いがした。海の匂いだ。
 匂いに反応し脳に浮かんだのは青春の頃のビーチ、楽しかった日々を思い出した。「あー、いいぞ、これなら気分が晴れるぞ」と思った。しかし、昨日は暑かった。概ね日向を歩いていたのですぐに汗が滲み、10分ほどで汗が噴き出てきた。それに耐えて尚も歩いたのだが、30分ほどでギブアップ。楽しい想い出は消えてしまった。しかし、あまりの暑さに、たっぷりの汗をかいたお陰で、鬱気分もすっかり消えてしまっていた。
 以下は昨日撮った写真。
 
 
 

 記:2018.6.7 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


何とか自由、人

2018年05月04日 | ガジ丸のお話

 我が家の墓の隣には、自由人(世間では浮浪者とも)が住んでいる。「隣」とは我が家の墓の西隣の墓で、そこは台所兼食堂兼居間。彼の寝室はさらにその西隣の無縁墓で、自作で壁や屋根を取り付けている。我が家の墓は物置きみたいになっていて、概ねは木材の廃材置き場で、その廃材は薪に使っているようである。
 物置みたいになっている場所は我が家の墓だけでなく、通路を隔てた南隣りの墓にも多くのモノが置かれている。それらの概ねは鍋類、食器類、水缶などの生活用品である。長い間(少なくとも6~7年)そういう状況が続いているので、その墓も無縁墓かもしれない。ちなみに、台所兼食堂兼居間となっている墓は持ち主がちゃんといた。何年か前まではちゃんといたが、現在は空き墓になっているらしい。「移設した」とのこと。
     
     
     

 自由人と最初に会ったのはいつ頃だったか記憶に無いが、2008年1月の日記に自由人(その時は浮浪者と書いてある)が登場し、それ以前に何度か会っているようなことを書いてあるので、その1~2年前には彼を認識していたのではないかと想像できる。ちなみに、母が亡くなった2007年10月18日で、自由人が登場している2008年1月の日記の日付は、母の100日命日の日で、私は墓へ出掛け彼と会っている。
 それ以降、母の年忌、父の告別式、その後の年忌、毎年のウシーミー、旧暦七夕の墓掃除などで墓へ行くと、たいてい自由人と会った。会って、たいていはユンタク(おしゃべり)した。彼はよくしゃべった。そのおしゃべりが煩くて、ある年から彼を避けるようになる。2013年8月27日、実家の神事に関わることで墓へ行った。自由人はいて、その時少しユンタクしたのを最後に彼と会わなくなった。
 自由人との長い間の付き合いで、彼のだいたいの日課が分かっていた。彼は午前中は概ね自分の住まいの周辺にいて、昼食後には出掛けるということが判断できていた。ということで、年に2回の墓参りは2014年以降、午後にやることにしたのだ。

 先週水曜日(4月25日)、我が家のウシーミー(清明祭)をやるべく那覇にある我が家の墓へ出掛けた。墓にはお昼前(11時半頃)に着いた。自由人がいる可能性は高いと予想できていたが、「久しぶりに会ってもいいか」という気分であった。
 長い付き合いなので、彼がどうやって生きる糧を得ているかを私は聞いているし、私がその年その時期どういう状況にあるかを彼は知っていた。2013年までは会っていたので、私が300坪の畑を始め、自給自足を目指していたということを彼は知っている。私が腰痛で畑を辞めたということを報告し、もしも私が、この先自由人(浮浪者)として生きなければならなくなった時のために、彼の助言を少し聞いておこうと思ったのだ。

 4月25日、墓に着くと、彼は彼が台所兼食堂兼居間として使っている墓で椅子に腰掛けて読書していた。私を見るとすぐに駆け寄ってきて、すぐにしゃべりだした。
 久々に見る自由人は「同一人物か?」と疑うほど人相が変わっていた。しかし、しゃべり方、笑い方は彼に間違いないし、しゃべる内容も彼であった。「何だ?どこが違うんだ?」としばし考えて、髭が無いということに気付いた。髭が無いせいか、少し弱々しい顔に見える。体型も少し変わっている。筋肉隆々だった体が、少しぽっちゃり型に変わっていた。彼も年取ったということか。まあ、私も同じことだが。
 私が無職で、自給自足もできなくなったということを聞くと、彼は思った通りあれこれアドバイスしてくれた。我が家の墓、つまり、彼の住まいの近くに沖縄では有名な魚市場があり、これもまた有名な野菜関連の市場もある。魚市場でも野菜市場でも裏に回ればまだ十分食料となるものが多く廃棄されているとのこと。「貰える」とのこと。
 「生活保護を受けるという方法もあるよ」と彼は言う。彼の仲間(路上生活者)には生活保護を受けている者も何人かいるらしい。彼はしかし、生活保護を受けていない。生活保護を受けると何らかの制約があると前に聞いたことがある。彼としてはおそらく、「今のままで食っていけるし、自由に生きられるのがいい」ということかもしれない。
     
 
 その後、彼の話題は変わって、「宇宙人がやってきている」とか何とかの話を始めた。今興味を持って読んでいる本がそういった関係で、その本(彼は読書家、本はたびたび買っているようだ)を見せながら語ろうとするのを私は遮って、「インド行きはどうなったの?」と訊いた。もう何年も前、出会った頃だから10年ほども前に、彼は「いずれ近い内に沖縄を出てインドに行くつもり」と語っていた。
 「インドはやめて、東南アジアを今考えている」
 「外国に行くとしたらパスポートが必要でしょう、住所不定だと取れないんじゃ?」
 「家賃の安い所に一時住んで、そこを住所にして取ることができる」とのこと。
 自由に生きるための工夫がいろいろあるようだ。いろいろ工夫して、彼は我が身の自由を何とか守っているみたいである。そこでしかし、私は気付いた。
 市場を回って食料を得る、街を歩き回って煮炊きの燃料となる木材を得る、街を歩き回って空き缶を集めいくらかの現金を得る、旅に出るということも含め、それらは体が元気である、歩ける、まともに脳が働く、などといった条件が必要だ。

 私は、私自身が腰痛持ちとなって気付いたのだが、体はいつまでも若くはない。何のトレーニングもせずに若い頃と同じように動いていたら不具合が起きる。トレーニングをしたとしても体には限界がある。肉体は老いるのだ。
 先日久々(4年8ヶ月ぶり)に会った自由人(名前はIさんと聞いている)は、私が見る限りにおいては肉体の筋肉が減っていた。何か弱々しく見えた。実際にはそうで無かったとしても、時は流れる、彼も老いていく。病に伏すかもしれない、歩けなくなるような大怪我をするかもしれない。そうなった時に彼の自由はどうなるのだろう。
 彼と話をしている間に、私は彼を全くの自由人ではないんだなと感じるようになった。何とか踏ん張っての自由なんだと感じた。「何とか自由」の人なんだと。

 そして、我が身を省みる。「私は自由か?」と。「私は、私が自由で幸せであるために何か努力しているだろうか?」と考える。戦争状態にある社会では厳しい生活を余儀なくされている人々が多くいる。私みたいな呑気者はそういう社会では生きられない。
 そうなのである。私は自身で何とかして自由を得ているのでは無い。社会に守られているから、親戚友人知人の助けを得ているから何とか自由に生きることができている。
 個人は社会に守られている。であるのなら、個人は社会に対する責任がある。「その責任って何?俺はその責任を果たしているか?」と考える。私は、例えば「働いて税金納める」についてはやってきた。「結婚し子孫を残す」はできなかった。・・・長くなりそうなので、このことについてはもう少し考えて、いつか別項としよう。
     

 記:2018.4.29 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


私はもう死んでいる

2018年04月27日 | ガジ丸のお話

 子供の頃からごく親しくしている従姉M、彼女の友人の何人かも子供の頃から親しくしてもらっていた。先日、その内の1人Sさんと2日連続して会った。場所は2日とも別の従姉Hが店主をやっている喫茶店。久しぶりに会ったのに初日はひどく説教された。「何で結婚しなかったの?これから生活はどうするの?」といったようなことから、
 「あんた、死んだ魚のような目をしているよ」、「頭はまともに動いているの?どこか病気なの?」、「このまま弱っていく年齢じゃないでしょ!」、「誰かのために、世の中のために、まだまだできることがあるでしょ!生きていかなきゃいけないでしょ!」などと叱咤され、「今のあんたは、もう死んでいるわよ」とまで言われた。
 1日目はそのようにひどく叱られたのであったが、2日目はしかし、「大丈夫?元気だしなよ」など、逆に慰められたり激励されたりと、ずいぶんと優しくされた。

 彼女と会って話をしているその時の私は普通の私。特に落ち込んでいるというわけでも無かったのだが、子供の頃から私を知っていて、大人になってからも20代後半から30代まではちょくちょく会っていた彼女の目には「落ち込んでいる状態」に見えたのかもしれない。ともかく、2日目の彼女にはとても癒された。幸せ気分になった。
     


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 2018年2月、引っ越しが決まって、旧居の後片付け、引っ越し作業を続け、同月26日から新居で暮らしている。初めは畳間に布団を敷いて寝ていて、1ヶ月以上も経た3月7日にやっとベッドを運び入れ、その夜からベッドで寝ることができた。
 ベッドで寝るのが私の普通である。お陰で、夜中に1~2回は小便で(たぶん老齢による頻尿)起きるが、概ねは足して7時間前後の十分な睡眠ができている。その睡眠もたぶん、レム睡眠ノンレム睡眠を規則正しく繰り返していると思われ、夢を多く見る。
 十分な睡眠ができるようになって2ヶ月近くになるが、その間、たくさんの夢を見ているが、特に記録しておこうと思うような面白い夢、奇想天外な夢は無い。夢の中の登場人物も普通の人、ほとんどが友人知人、あるいは、死んでしまっているが父や母。

 上記の文章も最近見た夢の1つ、これも記録しておこうと思うほどの内容では無かったのだが、夢から覚めた時、「今のあんたは、もう死んでいるわよ」と言うSさんのセリフが頭に残っていた。漫画の『北斗の拳』にそのようなセリフがあったことを思い出し、そうか、「私はもう死んでいる」のかと思って、目覚めた後も記憶に残った。

 腰痛が酷くなっていた去年(2017年)11月以降、生きていけるかという不安感に陥った。不安感は、この先食い物を生産できるか?畑辞めて他の仕事ができるか?生活の糧は稼げるか?友人知人たちと付き合っていけるか?などといった不安。
 不安感から思考はさらにネガティブになり、このまま腰痛がさらに酷くなったらと考えるようになる。すると、役に立たない人間になる、誰からも相手にされないようになる、何もできないので何もしない、明日の希望も持たないなどと思考が闇に走る。
 そんなネガティブ思考は、引っ越しが決まって引っ越し準備を始めた2月には薄れていき、生来の呑気者は「なるようになるさ」という気分でいたのだが、不安感は心のどこかにまだ少し残っているのかもしれない。夢の中でSさんに説教されている私は、明日の希望も持たない「あんたはもう死んでいる」状態だったのかもしれない。
     

 去年(2017年)11月以降の不安感についてもう1つ思い出したので最後に、

 畑の回りには時々、飼い主が捨てたと思われる犬が野犬となって徘徊している。それまで、野犬に会っても私はそう恐怖を感じなかったのだが、腰の弱った今、走ることもできない今、野犬に襲われたらきっと彼の餌になってしまうという不安感もあった。

 記:2018.4.23 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


帰って来た百太郎

2018年02月23日 | ガジ丸のお話

 「お前、俺の女を盗ったな!」と男が怒鳴る。その目は怒りに満ちている。
 「あんたの女って由美子のことか?」と私は応える。
 「やはりそうか、由美子を知っているようだな。」
 「そりゃぁ知っているさ、だけど・・・」

 などと会話があって、その後、私は何とかこの場を治めようとあれこれ言い訳をし、何とかかんとか険悪ムードを和らげることができた。そして、
 「そうか、分かった。じゃ、仲直りだ」と男は微笑んで手を差し出す。私は握手のつもりでその手を握ったのだが、その途端、男の表情が変わり、手に力を込めた。
 男の強い握力で私の手は潰れそうになる。私は負けじと強く握り返し男を部屋の中に引き摺りこみ、倒して、うつ伏せにして、彼の背中に跨り、彼の首に腕を回して、首を上に引き上げるようにした。その状態が数分続いて、男は動かなくなった。
 動かなくなった男の傍に立って、死んでいることを認識して、「どうだ!俺は人を殺すこともできるんだぞ」と、私は誇らしげな気分になっていた。
     


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 夏場は寝苦しくて、ぐっすり睡眠ができないのだが、寝苦しくない時期(10月頃から5月頃まで)は概ねぐっすり睡眠となる。ぐっすり睡眠だとレム睡眠、ノンレム睡眠を規則正しく繰り返しているからだろうと思われるが、夢を多く見る。
 私の夢は楽天家らしく、ほとんどは楽しい夢なのだが、ところが、腰痛で生きる自信を失いつつあった去年10月頃からは、「吉永小百合と恋人同士」が唯一楽しい夢で、ほとんど全てが嫌な夢であった。上記のお話はその中の1つ。
 その夢、「誇らしげな気分になって」はちょっとの間のことで、そのすぐ後、私はオロオロして、不安な気分に襲われて、そして、不安な気分のまま目が覚めた。

 自給自足芋生活の夢に挫折し、社会にも自分の人生にもほとんど役に立たない5年半を過ごしてきたことに気付き、自分の大バカにも気付いて自己嫌悪に陥って、思い悩んで眠れないという日が昨年12月半ば頃から明けて1月末までしばしばあった。ぐっすり眠れない夜は夢を見ていないようで、その間、記憶に残る夢は1つもない。
 まあまあのぐっすり睡眠ができるようになったのは2月に入ってから。夢も見るようになった。ところが、腰痛のせいか、楽天家らしい楽しい夢はほとんど無かった。楽しい夢は2月21日未明に1つあっただけ。記憶はおぼろげだが、美女に囲まれていた。

 先週のお話『うしろの泣く太郎』の中で、「子供には好かれる方であったが、去年の9月頃から見向きもされなくなった。・・・俺の守護霊に何か異変が起きたのか?悪霊に憑依でもされたのか?」といった内容のことを書いたが、今週月曜日の夕方、大家さんと、大家さんの縁側でコーヒー飲みながらユンタク(おしゃべり)していると、近所の男の子(後で訊いたら3歳とのこと)がニコニコしながら声をかけてきた。
 「オジサン、誰のオジサン?」、「オジサンってお爺さん?」といった質問に答えながら、あれこれ15分ほどおしゃべりする。男の子はずっと笑顔だった。
 その翌日の夕方、半年ほど私を無視していた隣のA嬢(幼稚園児)が久々に笑顔を見せながら近寄って来た。声は交わさなかったが、彼女は笑顔のまま私の傍に立っていた。雰囲気としては半年前に戻った感じ。「悪霊に憑依された私の守護霊が元に戻ったのかもしれない、それを彼女は感じたかもしれない」と思った。
 で、私の心が安心したのか、翌日の未明に美女に囲まれる楽しい夢を見た。夢はその時の、己の心の状態を現しているのかもしれない。
     

 記:2018.2.21 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次