ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

引き返す勇気

2009年09月25日 | 通信-社会・生活

 私は日頃、筋力トレーニングをしている、と声高に言うほどたいした量ではないが、まあ、周りの同年代のオジサンに比べればやっており、週末は散歩や畑仕事で体を動かしているので、体力には多少の自信がある。メタボとは全く無縁の肉体である。

 富士山に登りたいと数年前から思っていて、日頃鍛えている(と声高に言うほどたいした量では・・・しつこいか?)私の体力なら十分登れるであろうとも思っていたのだが、諸般の都合により延び延びになっていた。それが今年、従姉も登りたいというので、「なら、一緒に行こうか。」となり、7月下旬から8月上旬にと予定した。
  その前の7月上旬、大東島の旅に出かけた。その二日目、北大東島を歩いて回った。1日3万4千歩、それなりに疲れはしたが、体力に余力は残っていた。「日頃鍛えているお陰だ、これなら富士山も大丈夫だろう。」と、いくらか自信を持つ。しかし翌日、南大東島を自転車で回ったら、前日の半分の時間も動いていないのにひどくへばってしまった。私の体は運動ではなく、太陽の熱さにエネルギーを奪われてしまっていた。
          

 大東島へ出かける前に、富士山登山について多少は調べていた。よく考えれば当然のことながら、真夏といえど富士山の上の方は寒いらしい、頂上近辺は摂氏5度程度まで下がるらしい。そして、空気は登るにつれて薄くなっていくらしい。寒さと空気の薄さは、人の体からエネルギーを奪う。大東島の真夏の太陽に負けてしまった私は、登るという運動による疲労では無く、寒さと空気の薄さに負けるかもしれないと思った。
 で、大東島から帰って、私よりはるかに弱体である従姉に会い、
 「俺でもやっとかもしれないぜ、富士山。」と言うと、
 「私も調べてみたけど、すぐには無理だと思う。」との返事。
 ということで、今年の富士山登山は断念となった。ならば来年、ということもたぶん無い。富士山登山を調べていたら、今、富士山登山はブームとのこと。人がたくさんいるとのこと。自然を味わいたいのに、周りに人ばかりじゃあ、あまり楽しめそうも無い。そういうわけで、私の富士山登山への情熱は今、冷めてしまっている。

  話は少し逸れるが、『くれよんしんちゃん』の作者が登山中に亡くなったというニュースがあった。テレビアニメ『くれよんしんちゃん』、もう何年も観ていない(テレビが映らないので)が、私はファンであった。そのユーモアが好きであった。優れたアニメ及び漫画であったと思う。臼井さん、会ってみたい人であった。合掌。

 さて、富士山に限らず、登山は最近ブームとのこと。特に中高年の登山がブームとのこと。そして、その中高年者の遭難も増えているとのこと。
 長い登りで足腰の筋肉に疲労が溜まり、寒さと空気の薄さで体力を消耗し、肉体的には限界に近いのだが、顔を上げれば頂上が見える。「もうすぐだ、頑張ろう、ここまで来て引き返したら、これまでの苦労が水の泡だ、そんな勿体無いことできない。」などということで無理をする。ここはしかし、これまでの苦労を水の泡にしてまでも、引き返す勇気が必要であろう。ダム建設も完成はもうすぐのようだが、引き返した方が・・・。
          

 記:2009.9.25 島乃ガジ丸


依存症

2009年09月18日 | 通信-社会・生活

  一ヶ月も前からワイドショーで話題にされ続けている某元アイドルについて、私は彼女のファンであったことが爪の先ほども無かったので、特に感想は無い。ついでながら、私が青春だった頃はキャンディーズやピンクレディーの全盛期、ただし、その頃の私は彼女達でなく、河合奈保子のファンであった。「可愛くて巨乳」に惚れたんだと思う。私の周りに「可愛くて巨乳」がいなかったせいだと思う。・・・などという話では無く、
          

 依存症というものについて、ちょっと考えてみた。
 私の周りには、「可愛くて巨乳」はいないが、アルコール依存症ではないか?タバコ依存症ではないか?ギャンブル依存症ではないか?と疑われる人々はいる。
 同僚のMは、緊張する仕事の前後にはチェーンスモーカーとなる。チェーンスモーカーという言葉を知らない人もいると思うので、説明すると、チェーン(くさり)のように煙が途切れることなく何本も続けてタバコを吸う人のことを言う。緊張する仕事の前は不安で、緊張する仕事が終わった後はホッとして、タバコに手が伸びるのだと思う。
 ギャンブル依存症は、儲けた時の快感が忘れられなくてなのか、負けた時の悔しさを忘れるための再挑戦なのか知らないが、ウチナーンチュにはたくさんいる。お陰で、沖縄のパチンコ屋、スロットマシン屋は繁盛しているようである。
 アルコール依存症は、アルコールに対してコントロールの効かない人がいることを知っている。そういう友人が身近にいる。フラフラになるまで飲んで、喚いたり、絡んだりして周りの顰蹙を買う。そんな時は鬱陶しいと思うのだが、根はイイ奴である。

 依存症というほどでは無いかもしれないが、「酒無くして、何の人生ぞ。」と思うくらい、私も酒が好きである。仲間達とワイワイ騒ぎながら楽しく酔っ払うことが好きなのでは無く、一人で静かに飲むのが好きである。一人で毎日たらふく飲むようになるとアルコール依存症になるかもしれないと思って、週に2~3日の休肝日を設け、フラフラにならない程度の量(ビール1缶+泡盛の水割り3~4杯程度)に押さえている。
  要は、自らの欲望をコントロールすることであろう。「この辺りで適当」と判断し、自らの意志できっぱりと止める。それができれば、依存症にはなりにくいと思う。
 もう一つ、同僚Mのタバコについて言うと、緊張時の一服は不安を忘れるためのもの、これが習慣化すると、不安を感じるたびにタバコを吸うことになり、タバコが無ければ不安を処理できないという体質になる。これは良くない。ホッとしての一服は、それが1~2本程度なら、タバコの美味さを感じることができるだろう。タバコの美味さを感じることができたら、何本も続けて吸うことが勿体無いと思うようになるだろう。
 酒も同様のことが言える。辛い時、辛さを忘れるためにぐでんぐでんに酔っ払ってしまうのは精神にも肉体にも悪影響を及ぼす。嬉しい事があった時、楽しく酔っ払うと酒はこよなく美味い。酒は美味いってことが解ると、なかなかぐでんぐでんにはなれない。

 ギャンブルは酒やタバコと違い、体は関係なく心の問題。依存症からの脱却は「俺は明日から歯を磨くことを止める」のと同程度の覚悟で足りるのではないかと思う。麻薬依存症については、私の周りにそのような人はいないので、述べる意見は無い。
          

 記:2009.9.18 島乃ガジ丸


空気が薫る人 

2009年09月18日 | 通信-音楽・映画

  桜坂劇場の只券が2枚ある。どちらも9月(20日頃だったか)が有効期限。只券は毎年3枚ほど頂くが、映画を観に行く時間が作れなくて無駄にすることがたびたびあった。今年こそは全て有効活用しようということで、先週土曜日、特に観たいと思う映画はやっていなかったのだが、父のパソコン教室を終えた後、出かけた。

 桜坂劇場からは上映スケジュールや上映映画の概要などが載っているチラシが毎月送られてくる。それに目を通し「特に観たいものは無いなぁ」と思ったのだが、それでも、監督としての評価が高いらしい西川美和監督作品の『ディア・ドクター』と、役者としては評価が高い役所広司が、初監督した作品『ガマの油』に少々興味を引かれる。
 主演「笑福亭鶴瓶」と主演「役所広司」とでは、後者に断然軍配が上がるのだが、時間の都合で、観る映画は『ディア・ドクター』となった。

 『ディア・ドクター』は良い映画であった。流れる音楽もブルージー(エンディングに流れた唄も同様)で私好みであった。言いたいことも良く理解できた。最後、主人公の偽医者とそれを追う刑事二人が駅のホームに立っていて、「あー、いよいよ捕まるのか。」と思っていたら、特急らしき電車が通り過ぎた後、刑事二人はそのままの格好で残っていて、偽医者だけが忽然と消えていた。それには、「どうして?なぜ?どうやって?」などの疑問が起こり、ラストシーンの、大病院に入院している八千草薫の前に、偽医者が看護師みたいになって現れたことにも同様の疑問が起こったが、気分的には、「そうだよな、そうあって欲しいよな。そうあるべきだよな。」という満足感があった。

 八千草薫、この映画の準主人公といってもいいくらいの役であった。死ぬまでの暮らしがどうあるべきかを、彼女を通じて観客も考えさせられる。
 八千草薫、何しろ芸達者なのである。表情一つで百を伝えることができる人だと思う。この映画には他にも芸達者の役者が多く出ていたが、私は彼女に最も惹かれた。
 彼女は私が子供の頃からテレビドラマでお母さん役をしていたが、この映画でもお母さん。人の心の痛みを知るお母さん、他人にも我が子にも気を使うお母さん、優しいお母さん。そこに存在しているだけで、そんな空気が薫る人だと感じた。
          

  その日は映画の後、模合(相互扶助的飲み会)があった。空気が薫る素敵な女優を観た後に、加齢臭を発散させるオジサン(もちろん私も含む)たちとの飲み会。残念ながら、私の周りに空気が薫るような人はいない。それは、まだ若いからということでは無い。同年代であろう役所広司にはそれがある。役所広司に限らず、上手い役者には薫りがある。薫りを作り出す技を持っているから役者、ということなのかもしれない。
 模合の場所は首里の居酒屋。そこの若いお姉ちゃんのメークが、テレビでもよく見る今時のメークであった。それとほぼ同じメークを模合仲間Tの娘がやっていた。それはしかし、今時の匂いはするが、周りの空気は薫らない。ふむ、そうか、ならば、そのメークはきっと、オジサンの加齢臭と同レベルの現象に違いない。若い女性に相手にされないオジサンはそう判断して、「加齢臭と一緒だぜ、ざまーみろ。」と思うのであった。
          

 記:2009.9.18 島乃ガジ丸


基地の中のワイン祭り

2009年09月11日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

  先週土曜日(9月5日)、米軍基地内で行われた正式名称Okinapa Wine Festivalなるワイン試飲会に出かけた。「会場でたくさんのワインを試飲し、その中から気に入ったものを、定価よりずっと安い値段で購入できる。」というワインのお祭り。
 同行者は、私とほぼ同年代のオジサン4人と、はるかに若いM嬢の合わせて5人。私を除くオジサン3人はそれぞれAさん、Bさん、Cさんとしておく。
 会場は沖縄に数多くある基地の中でも、日本人(現地人であるウチナーンチュも当然含まれる)との付き合いが割と多いと思われる基地の一つ、その中にあるレストラン。
     

  催事の名称であるOkinapa Wine Festival、ワイン祭りは解るが、オキナパとは何ぞや?と、博学の大学教授Cさんに訊いた。「カリフォルニアにナパという名のワインバレーがあって、たぶん、そこのワインがやってくることから、ナパとオキナワの合成語でオキナパでしょう。」とのこと。カリフォルニアワインの祭りというわけだ。
 会場にはワインだけで無く、食べ物も豊富にあり、食べ放題とのこと。実際、会場内に入ると、広い店内の壁沿いにワインブースがあり、中央には食べ物の大きなブースがあって、たくさんの食い物が並んでいた。洋食はもちろんのこと、和食も中華もあった。私はテリーヌとパンとチーズを皿に取り、ワイングラスを持って、各ブースを回る。
     

  各ブースの看板や説明書きは当然のことながら全て英語で表示されていて、何と書かれているかよく解らない。あるブースはドイツの国旗が看板にあったので、ドイツワインのようであり、別のブースには日本産ワインと日本酒(英語ではライスワイン)も置かれてあった。ワインのブースは他に大小4箇所あったが、それらが全てナパバレーのものなのかどうか、私には判断できなかった。判断できないまま、いくつか試飲する。
 それぞれのブースには少ないところでも10種以上、多いところでは20種以上のワインが紹介されていた。日本産ワインのブースを除いて、他の5箇所のブースから赤ワインだけを7種、私は飲んだ。最も旨いと感じたのはドイツワインの1種であったが、他のもの、カリフォルニアワインかも?と思われるものも全て旨かった。
     

 ワインを私は7種試飲した。試飲の量はごく少なく(二口三口くらい)、7種飲んだといっても体内に摂取されたアルコール量はほんの僅か、ほろ酔いするまでにも遠く及ばない。実は、もっと飲みたかったのだが、そういう時間もたっぷりあったのだが、なにせワインブースの前には並んでいる人が多く、二口三口注いでもらうまでに数分待たなければならず、それが面倒になって、途中で飲むのを諦めたというわけ。
 ワインが無いと食も進まない。食べ物は寿司やローストビーフなど旨そうなものが多くあったが、私が食べたのは上記の他、ムール貝、ハマグリ、カニの爪だけであった。

  飲食が一段落して、同行者全員と外に出る。外はテラスとなっていて、たくさんのテーブルがあり、多くの人がワインを飲んで盛り上がっていた。「かんぱい!」とか「サルー!」とか「チアー!」とかの声があちこちから聞こえていた。正面にステージが設けられて、バンドがライブの準備をしていた。ジャズとのことであった。
 テラスにはワインを試飲するブースは無い。テーブルの人たちが飲んでいるワインはおそらく購入したもの。同行者のうち、Aさん、Cさんは酒が飲めない、Bさんは後で車を運転しなければならないので飲めない、M嬢は未成年なので飲めない。ということで、ワインを飲めるのは私一人、一人で一本はきついので、私達のテーブルにワインは無く、私も含め皆、ミネラルウォーター(無料)を飲んでいた。
     

  テラスにワインブースは無かったが、食べ物のブースはあった。焼き鳥、ギョウザ、ニラ饅頭などのブースと、もう一つちょっと気になる食べ物のブースがあった。気になる食べ物とはでっかい肉の塊のロースト。最初、ターキーの丸焼きかと思ったが、ターキーの形では無い、しかも、ターキーより大きい。ダチョウのモモ肉でも焼いているのかと思ったが、ダチョウのモモだってさほど大きくはあるまい。
 で、焼いている人に尋ねた。答えは、牛の骨付きモモ肉とのこと。「あっ、あれだ!」と私の頭の中に映像が浮かんだ。漫画『はじめ人間ギャートルズ』に出てくる骨付きのでかい肉の塊。「そうか、あれはこういうものであったか。」と納得する。しかし、子供の頃は、いつかあんなでっかい肉の塊にかぶりついてみたい、と憧れていたのだが、オジサンとなった今は、味が想像でき、胃にも重たそうで、食指は動かなかった。
     

 私の右斜め前方3mに気になるモノがもう一つあった。身長190ほどで、肩幅広く、胸板厚く、丸太なんぞへし折ってしまいそうな体格をした黒人男性、腰まで伸びた彼のヘヤースタイルが特異で、気になった。写真に撮りたかったのだが、「写真撮ってもいいか?」と訪ねる程度の英語も知ってはいたが、「なんだとー!」(これは英語でどういうのか知らない)と睨み付けられでもしたら恐いので、遠慮してしまった。

  黒人男性の特異なヘヤースタイルに目は行ったが、もちろん、私はホモセクシャルでは無いので、私の目は男性よりは女性の方に多く注がれる。会場にはたくさんの美人の白人女性がいて、目を見張るほどの美しい体型をした黒人女性もいた。ただし、それらの女性達を差し置いて、この日最も輝いていた女性は、同行のM嬢であった。
 M嬢は医学部の現役女子大生、頭がいい。そして、それよりも何よりも美人であった。カメラを向けるとニッコリ笑ってくれる。その笑顔がまた可愛い。写真は暗い室内で撮ったのでボケボケだが、外で撮ったくっきりした写真もある。ここにはしかし、ボケボケの写真を載せる。くっきりを載せると、問い合わせが殺到しそうだからだ。
     

 帰りに同行の、酒は大好きだけど、車を運転しないといけないから飲めなかったBさんは、その分、家で楽しもうと思ってか、ワインを8本ほどお買い上げ。1本500円とか1000円くらいなので、総額でも6000円程度であっただろう。
  ただ、500円、1000円と言っても、値段の割りに質は良いと思う。例えば、私が数年前に近くのスーパーで買ったネコボトルワイン(イタリア産)はその時1800円ほどした。同じものがここでは7ドル余りだった。半額以下である。
 私は2本のワインを買った。どちらも小瓶で、18ドル余りのもの。せっかくなので質の良いものをということと、帰りは徒歩とバスになるので、なるべく軽いものをという理由からだが、帰ってラベルを見ると、どちらもドイツワインだった。
 結局、どこ産のものか知って飲んだのはドイツワインだけで、買ったワインもドイツワインで、この日の主役だったかもしれないナパバレーは、飲んだかどうか不明。
 で、そんなこんなの、楽しいワイン祭りのお話は、これでおしまい。
     

 記:2009.9.11 ガジ丸 →沖縄の生活目次


サンキューが支える平和

2009年09月11日 | 通信-社会・生活

 先週土曜日、米軍基地内で行われたワイン試飲会、正式名称Okinapa Wine Festivalなるものに出かけた。同行者は私を含めたオジサン4人と若いM嬢の、合わせて5人。
 Okinapa Wine Festivalについての詳しいことは、別項『基地の中のワイン祭り』に譲るとして、ここでは昼間から酒飲んでる陽気な人々についての感想。

  会場は基地の中なので当然、軍関係のアメリカ人がほとんどだが、基地雇用者(施設の従業員など)の日本人(見た目の判断だが、ほとんどがウチナーンチュ)や中国人(たぶん、ほとんどが台湾人)やフィリピン人と思われる人たちがいて、そして、フェンスの向こうからやってきた一般人のウチナーンチュ(私達のことだが)たちも少なからずいた。
 会場内(広いレストランだが)は多くの人でとても混んでいた。なので、互いにぶつかったりする。ソーリーという声を何度か聞いた。食べ物を取ろうと並んでいると、前に寄って場所を開けてくれたりする。サンキューという声を何度か聞いた。英語の苦手な私だが、そんな私でもソーリーを1回、サンキューを3回発した。
 飲食が一段落して、外のテラスに出る。たくさんあるテーブル席はほぼ埋まっていたので、私は壁沿いに並んでいるビーチチェアに腰掛けた。アメリカ人のカップルがやってきて私の前で止まり、私の隣のビーチチェアを見ている。空いているかどうかを確認しているのだろうと思ったので、私は手で「どうぞ」と合図する。サンキューと言われる。その時、「ユーアーカム」と返さなければならなかったのだろうが、忘れた。ちなみにユーアーカム、ユーアーウエルカムのこと、ユーアーカムでだいたい通じる。

  「すみません」、「ありがとう」、「なんのなんの」などを普通に言えると、何となく平和な気分になる。よく考えるとそれらの言葉、自分と相手は同等で、切れば赤い血の出る同じ人間であるという意識があるから言えるのではないだろうか。相手を虫けらのように思っていると、なかなかサンキューなどという言葉は出てこないかもしれない。
          
          

 世界のどの国の人とも普通にサンキューが言い合える時代になれば、世界も平和になるに違いない、などと、のんびり甘い夢みたいなことを考えていたら、同僚の若いMから電話があった。「月曜日、朝早く出勤してくれませんか?」と言う。「何で?」と訊く。
 「役所へ書類を提出する前に現場を一緒に見ておきたいんです。」
 「それなら、社長と行けばいいじゃないか?」
 「社長は動かないです。お願いします。」とのこと。動かない社長と、頼んでもどうせ動くはずは無いと思っているMのことを考えると、同じウチナーンチュでありながら、経営者と従業員との間には深い溝があるんだなあ、と思った。
 Mからの電話のすぐ後、今度は従姉から電話があった。「あんた、私の言うこと聞かなかったね。覚えておきなさい!」と脅す。彼女の息子家族がウークイの夜、私の実家を訪ねるかもしれないからご飯を3合炊いておいて、というのを私が忘れたのだ。たったそれだけのことで、どんな報復が待っているのかと、私は今針のむしろに立たされている。たいしたことじゃないと思う男の感性と、大事なことと思う女の感性の違いなのか。同じウチナーンチュでありながら、いやはや、男と女の間にはとても深い溝がある。

 記:2009.9.11 島乃ガジ丸