ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ヤーナレーフカナレー

2019年04月19日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 子供の頃から長い間反抗期が続いた私は、躾ができていない。例えば、箸の持ち方も汚い。母に何度も注意されていたが馬耳東風であった。食事する時の姿勢も悪い。「飯が食えればいいじゃんかよー」であった。肘をつく、足を組むのは普通、時には椅子の上に片足立てて食うなんてこともあった。畳の上で座る時も似たようなものだった。
 一人暮らしの長い私は、世の夫の多くが享受する妻による躾も受けていない。一人暮らしはずーーーっと続いているので、家の中では自分の好きなままにやりたい放題。自分自身が嫌に思わない事であれば、何の制約も受けずやりたい放題の生活をしてきた。
 そんな私でも他人の家に行った時は一応気を使う。崩れた格好で飲み食いはしないし、家でそうやるようにブッ、ブッ、ブッと所構わず屁をこくこともしない。道に唾を吐いたりもしない。社会人として私はちゃんとしているつもり、であった。であったがしかし、最近になって気付いた。私は歩いている時、立っている時の姿勢が悪いことに。
 過日、友人Sと一緒に歩いている時、「前かがみになっている」と指摘され、それ以降店舗のガラス窓、駐車している車の窓ガラスに映る我が身を見るようにしている。真っすぐ立つように気を付けていたが、私の姿勢はSの言う通り少し前傾になっていた。

 私の姿勢の悪さは立っている時、歩いている時だけではなかった。パソコン作業をしているといつのまにか足を組んでいる、いつの間にか頬杖ついて、背中を丸めて顎を突き出している。時には椅子の上に片足を立てていたりもする。立っている時、歩いている時の前屈みは腰痛のせいだと思うが、家で座っている時の姿勢の悪さは身に着いた癖で、親の注意に耳を貸さず、子供の頃から自由気ままに生きてきたことの弊害だと思われる。
 我が身の姿勢の悪さに気付いて(3月中頃)以降、姿勢に気を付けるようにしている。猫背は背中が上下に折れて丸くなっていると思っていたが、それだけではなく左右にも丸まっていることに気付く。両肩が前に出て背中が丸まっている。そう気付いてからは両肩を後方にし胸を張るようにしている。それは立っている時も座っている時も同じ。
 日常の姿勢が腰痛の治りを遅らせているのではないかと思ってやっていることだが、2週間を経ても私の腰痛は良くならない。そりゃそうだ、何十年も蓄積してきた悪い習慣による弊害が、そう簡単に良くなるということはないのだろう。
     

 そういったことから「三つ子の魂百まで」という諺を思い出したが、もう1つ、この記事の表題にした「ヤーナレーフカナレー」というのも思い出した。
 ヤーナレーは家慣れ、フカナレーは外慣れという意、いつ頃からは不明だが、ヤーナレーフカナレーは沖縄に伝わる金言となっている。「家慣れは外慣れ」ということで、「家でやっていることは外でも無意識に出てくる」という意だと私なりに理解している。
 「今、自分がやっていることは他人に見られたら恥ずかしいことであり、たまたま特別にやっていることである」という認識もなくやっている行為、つまり、日常的に家で普通にやっている行為は、それが「他人に見られたら恥ずかしいこと」であっても、無意識に人前でもやってしまうということ。例えば、部屋の中で日常的に鼻糞ほじっている人は、他人が見ている場所でも無意識に鼻糞をほじってしまう、といったようなこと。
 教訓としては、「家でだらしくしていると他所へ行った時もそのだらしなさが表れるから、普段からきちんとしていなさい」と言ったような意味となる。

 日常の立ち居振る舞いがその人の人格に影響し、肉体の健康にも影響するのではないかと、もうすぐオジーと呼ばれる齢になって私もやっと気付いた。ということで、最近は家の中で1人であったとしても、姿勢はなるべく正すようにしている。しかしまだ、屁は好きにこいているし、鼻糞もほじっている。それらもその内正そうとは思っている。
 今はまだ何とか自制ができるが、この先体が弱り、脳が弱りしてくると自制も効かなくなる。このままでは私は面倒な爺さん、汚い爺さん、言う事聞かない爺さんになってしまう。自然体でも上品な振る舞いができる爺さんになろうと、この先努力する予定。
 ちなみに、背中を丸めない姿勢をする、に加え、肩甲骨を回すストレッチを2週間ほど続けた結果、酷かった肩凝りがだいぶ改善した。・・・腰への好影響はまだ無い。
     

 記:2019.4.14 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行