ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版088 爺さんの旅

2009年04月24日 | ユクレー瓦版

 春、ポカポカ陽気となって、勝さん、新さん、太郎さん三人の、ケダマンが言うところの「爺さん三人故郷巡りの旅」がいよいよ始まるという発表があった。
 出発は来週末、ジラースーの家を起点に、三人でそれぞれの生まれ島(故郷のこと)を回って、それぞれの墓参りをして、それから戦跡巡りをし、そして、ユイ姉の店を訪ねながら賑やかな街の観光も楽しんで、一ヶ月ほどの旅程とのこと。

 発表があったのは昨日、その日、ユクレー屋の運営会議に二人の新顔が参加した。三人の留守の間、代わりに村人代表となる二人で、一人はトシさん、もう一人はテツさんという中年男性。村の瓦版屋であり、村人とも顔を合わせる機会の多い私はよく見知っている二人。ユクレー屋にも何度か顔を出しているのでケダマンも知っている。

 「オジサンという歳なら、二人で爺さん三人分の働きはできるわけだな。」(ケダ)
 「知恵は届かないけど、体力なら何とか代わりになると思いますよ。」(トシ)
 「まあ、そう難しいことじゃないから気楽にやったらいいよ。」(勝)
 「だな。ただ、ユクレー屋から港の間は夜になると魑魅魍魎(ちみもうりょう)がウロチョロするから、それを見て腰を抜かさないように注意することだな。」(ケダ)
 「何ですか、魑魅魍魎って?」(テツ)
 「大したことないよ、マジムン(魔物)だよ、僕らみたいな。」(私)
 「はぁ、二人の他にガジ丸さんとシバイサー博士は知っていますが、あっ、そう、今日初めてデンジハガマさんにも会いましたが、他にもいるんですか?」(テツ)
 「いるって言えばいるけど、見えるかどうかは別の話。見えたとしても、形のはっきりしない者が多いから、それが何なのか判らないと思うよ。」(私)

 などという会話が昨夜あって、そして今日、そのトシさん、テツさん二人の新人歓迎会が開かれた。参加者は他に、勝さん、新さん、太郎さん、シバイサー博士、ガジ丸、ジラースー、ウフオバー、そして、たまたま帰って来ていたマナ。
 宴会の名目は「新人歓迎会」と「爺さん三人故郷巡りの旅前夜祭」だが、爺さんもオジサンも子供には勝てない。主役はやがて、マナの子供たちに移っていった。そして、子供たちが将来どんな大人になるか、ということから、この星の未来はどうなっていくのだろうということまで話が広がっていった。

 「この子達が大人になる頃、この星はどうなっているかなぁ。」(マナ)
 「大人って、20年だろう、そう変わらないと思うぜ。」(ケダ)
 「どうなんだろうな、地球温暖化とか加速度的に進みそうだし、環境悪化は避けられないんじゃないの。だとしたら、食糧難になる可能性も高いね。」(私)
 「うーん、食糧難かぁ、嫌だね。」(マナ)
 「異常気象になって、巨大台風、地震、津波なんてのもあるな。」(ケダ)
 「うーん、悲観的に考えると、恐いね。大丈夫かなぁ。」(マナ)
 「そう悲観的にならずにさ、子供たちの未来は明るいと思ってる方がいいな。そして、いつでも夢を持って生きていける子供に育てて欲しいな。」(新)

 「そうだよ、私達だってまだ夢を持っているよ。」(太郎)
 「ん?爺さんの夢って、何だ?爺さん三人旅のことか?」(ケダ)
 「いや、もっと大きな夢があるよ、しかも、実現性のある。」(太郎)
 「ほー、三人とも平均寿命を越してるよな、もう棺おけに片足を突っ込んでいるようなもんだ、それで大きな夢か、しかも実現可能なのか?」(ケダ)
 「ふーん、それ、どんな夢なの?」(マナ)
 「三人で、トリオを組んで、歌手デビューってのを考えている。」(勝)
 「へーぇ、それはいいね。三人とも歌上手いし、三線も弾けるし。」(私)
 「そう、三線弾いて民謡歌手。イッペー(とても)遅れてきた新人歌手。」(勝)
 「いいんじゃないの、私応援するよ。」(マナ)
 「唄う歌はもう決まっている。ガジ丸が既に何曲も作っている。私達は既に練習している。それで先ずは、ユイ姉の店でデビュー。」(新)
 「その後、何年後になるか分からんが、CDデビューして、テレビやラジオにも出て、民謡大賞か何か取って、オキナワ中を歌い回って、ニホン全国も回って、世界各地も回って、なんてことを夢見ている。CDデビュー以降はまさに夢だけどな。」(勝)

  「そりゃぁいいぜ、なかなか楽しい話だ。旅の途中でトリオがデュオになり、デュオがソロになる。ドキュメンタリー映画も作れそうだぜ。」(ケダ)
 「そうだな。わしらの旅は天国への旅でもある。途中で葬式もあるな。」と勝さんは応えて、マナの子供たちの顔を覗きこみながら続ける。
 「わしらがこの子たちのためにできることは、僅かしかない。年寄りになっても夢を持って元気に生きている、そんな姿を見せることもその一つだな。」

 それまで、皆の話を聞いているだけで、ほとんどしゃべらなかったガジ丸が、
 「新曲がある。旅する爺さんの唄だ。」と言って、ピアノを弾き、歌った。『爺さんも旅をする』という題で、爺さん三人の応援歌といった内容の唄。その後も「爺さん三人歌手デビュー」の話で盛り上がり。宴会は楽しく過ぎていった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.4.24 →音楽(爺さんも旅をする)


要らんシワ

2009年04月24日 | 通信-その他・雑感

 世の女性の多くはシワを気にし、「シワなんて要らん」と思っているようだが、長い人生を経て刻み込まれたシワには魅力があると私は思う。たくさんの喜びや悲しみを経験した跡、深慮を繰り返した跡がそこにあり、そういったシワのあるお年寄りを見ると、恵み多き大地のような安心感を得られる。私もそんな顔になりたいと思う。
 私の父もシワはたくさんある。父親に対する息子の目は概ね厳しいので、父のシワが魅力的であるかどうかについては「それほどでも」と思っているが、しかし、もちろん、私に比べるとはるかに多くの喜怒哀楽を経験していることは言うまでもない。

 月に2回ほど実家へ行って、父にパソコンを教えている。手指の運動とボケ防止を兼ねて、今年2月頃からはワードを使って自伝を書いてもらっている。
 自伝は前回(4月11日)、母との結婚が決まるまで話が進んだ。「自分の家は小作農の貧乏で、相手の家は商家の金持ちであった。そのため、相手の両親に反対されたが、何度も頼みに行って、二ヵ月後にやっと承諾された。」とのこと。
 父の話は「自分は頑張った」という内容が多い。中学受験に合格した話もそう。中学とは旧制一中(現首里高校、なので、私の大先輩になる)のことで、一中といえば当時、最も優秀で難関校であった。貧乏人の息子が猛勉強して入ったとのことだ。
 結婚についても自分が頑張って、やっと承諾を得たということだが、頑張った話だけされても読んでいる方は面白くない。で、「何か失敗したとか、苦しかった話、悲しかった話は無いのか?」と訊くと、「そんなこと書く必要は無い。」との答え。

 それは確かに父の言う通りなのである。誰のための自伝かというと、父のためである。何のための自伝かというと、父の記録であり、他人に読ませる目的では無いのである。父が書きたくないことは書かなくても良いのである。
 さらに言えば、父の話が正確であるかどうかや、真実であるかどうかなども、実はどうでもいいことなのだ。「こんなだったら良かったのに」という願望の混じったフィクションでもいいのだ。父の願望も夢も嘘も全て父の記録だ。父の自伝の、私が考える大きな目的は只一つ、『書くこと』であり、その他のことは付録に過ぎない。
 そう私は思っているので先日、姉が「父さんの自伝、皆に読ませるつもりなの?」と問われても、皆が読むかどうかはどうでもいいことであり、「父さん、本当の事は書きたくないと思うよ。」と言われても、それもどうでもいいことなのである。「要らんシワさんけー。」と、口には出さないが、思うのである。

 「要らんシワさんけー」はウチナーグチ(沖縄口)、表題の「要らんシワ」のシワは、実は、顔の皺のことではなく、このシワのこと。シワは「世話」のウチナー読みだが、意味としては「心配」に近い。で、「余計な心配するな」ということになる。
 「ずっと独身だと老後寂しいよ。」と言われ、「その時はその時だ。」と答える。「禿げた爺さんに相手はいないよ。」と言われ、「禿げていなくても同じだ。」と答える。私は妄想している。魅力的な皺を刻んだ渋い爺さんになって、モテている自分を。生きているかどうかも分からない20年後のことだ。「要らんシワ」は要らん。
          

 記:2009.4.24 島乃ガジ丸


瓦版088 マミガジの絵本7

2009年04月17日 | ユクレー瓦版

 いつもの週末、いつものユクレー屋、でも、カウンターはいつものようでは無い。マミナ先生が暇なときは、彼女がカウンターの仕事をやってくれていたが、最近は忙しいとの事で、このところ私とケダマンが立っている。

 そのマミナ先生が久々にやってきた。で、彼女から、彼女自身の一大ニュースとなる話を聞く。しばらく島を離れ、オキナワで生活するとのことだ。
 「三ヶ月もユクレー島を離れるの?」
 「まあね。私も長くこの島にいるから、オキナワに三ヶ月っていうのはちょっと不安もあるけどね。でも、そのくらいないと、オキナワの生活は感じられないからね。」
 「そうかぁ、でも、明日っていうのは急だね。それに、勝さん、新さん、太郎さんも旅に出る予定があると言うし、ずいぶんと淋しくなるね、この島も。」
 「勝さんたちの旅は一ヶ月位さあ、私も三ヵ月後には帰ってくるよ。その頃はまた、ユーナが夏休みだからね。夏には賑やかになるさあ。」

  「将来を考えてって言ってたけど、マミナの将来ってどんなこと?」
 「いやね、ウフオバーの後を継ぐってずっと思ってたんだけどね、選択肢は他にもいろいろあるだろうし、それに第一、ウフオバーの後を継ぐには、私もまだまだ経験不足だろうと思ってね、これからはちょくちょく外の生活もやってみようってわけ。」
 「いろいろな選択肢か。もしかしたら、60過ぎても脂ぎった奴いっぱいいるから、運命の出逢いがあって、アツアツドロドロの恋もありうるな。」(ケダ)
 「まあね、それは可能性薄いけど、ちょっと期待もしておくさあ。」
 「ふーん、そうかぁ。まあ、そうだね。いろいろな経験をしておくのはいいことだと思うよ。この島は少しのんびりし過ぎているからね。」
 「ありがとうね、理解してくれて。それよりさ、これ、私の最後っ屁。」とマミナは言って、手作りの冊子を出した。絵本だ。
     

 この日はマミナ先生の壮行会もあったが、本人が、準備があるからということで早く帰ったので、今回はユクレー島の話はここまでとし、新作絵本の紹介。いつものようにマミナが文、ガジ丸が絵、タイトルは『しわしわわし』

 記:ゑんちゅ小僧 2009.4.17 →絵本(しわしわわし)


草食の気持ち

2009年04月17日 | 通信-社会・生活

 ヘーックション!と思いっ切りくしゃみをする。清清しい気分になる。ブヒッ!と思いっ切り屁をこく。清清しい気分になる。それらは日々、私が部屋の中でやっていること。そういう清清しさで、私は多少の幸福感を得ている。
 くしゃみも屁も、まったく遠慮しないのでその音はとても大きい。アパートの隣人はまるで同じ部屋の中にいるかのように感じることだろう。その隣人、若い女性だが、というか、若い女性なので、なのか、くしゃみや屁の音を全然させない。彼女からは小さな咳のみがたまに聞こえてくる程度だ。いったい、彼女は生理現象をどうしているのか、我慢しているのか、我慢しているのだとすれば、少し可哀想な気がする。自分の部屋の中で一人でいる時でもくしゃみや屁を遠慮するなんて、開放感が味わえない人生。

 草食系男子なるものが増殖中との噂を聞いた。草食系は、恋愛や結婚に対しガツガツしないタイプということらしい。恋愛は、そういう病気に罹ったりするので別の話だが、結婚に関して言えば草食の気持ち、私は何となく理解できる。
 男一人が食っていくには、給料は安くてもハードルの低い仕事で十分。例えば、1年のうちに250日、1日6時間も働けば十分。自由な時間がたっぷりあるので、自分の好きなことをして、楽に生きて行ける。遊びのために余計な金が必要になったら、たっぷりある自由な時間をアルバイトに充てれば良い。金は全て自分のもの。
  結婚してしまうとそうは行かない。例えば、労働時間が1日8時間に増えたりする。金のかかる女房に当たってしまったら、1日10時間労働になるかもしれない。さらに、子供が生まれてしまったら、もはや自由な時間はほとんど消えてしまう。
 自由に使える時間が無くなるのは辛いことである。さらにその上、「くしゃみをする時は手で押さえろ、人前で屁をこくな、煙草を吸うな、酒は2合まで、小便は座ってしろ、ゴミを出せ、家事を手伝え、」などと注文されたら、もう人生真っ暗である。
 そう考えると、結婚は男にとって幸せなことでは無い。好きな女とイチャイチャするのは幸せだが、イチャイチャする幸せのために結婚という不幸を背負うのは嫌だ、もっと楽に生きたい。草食系の気持ちとは、そのようなことではないだろうか。

  「別に結婚なんかしなくていいや」と思う草食系男子が増えていくと、今でさえエライこっちゃとなっている少子化にさらに拍車がかかる。国家存亡の危機となる。そこで、草食系オジサンの私が言えた義理ではないが、その対策法をいくつか考えた。
 肉食系男子に草食系男子の分も頑張ってもらう。・・・つまり、あまり大きな声では言えないが、一夫多妻制ということ。そうなれば私も、少しは頑張るかもしれない。
 または、結婚を義務化する。恋愛は恋愛として自由にさせるが、ある年齢になったら必ず結婚させる。相手がいる人はその人と。いない人は「いない」と役所に届け、いない人同士ガラガラポンの抽選で選び、夫婦になってもらう。昔のお見合いもそういったものであったはず。恋愛結婚、見合結婚、どちらが幸せになるかは後の話。
 これで、たぶん少子化を防ぐことができるに違いない。もしも、結婚が義務となったら私も潔く従う。終身刑となった囚人の気分で、女房にあれこれ指図され、尻を叩かれて生きていくだろう。できれば、優しい女性に当たることを願うが。
          
          

 記:2009.4.17 島乃ガジ丸


特筆事項

2009年04月10日 | 通信-その他・雑感

 私は、自分のHPやブログを日記代わりにしている。その日の仕事内容や、買い物へ行ったら刺身の良いものがあって、買って、休肝日だが酒を飲んだ、などという日常的なことはパソコンの日記帳に記しているが、特筆事項の概ねはHPのコラムやこのブログに書いている。特筆事項とは日常とは違った出来事、例えば、先々週の水道管交換工事、友人の息子の大学進学祝い、その前の姪の娘の誕生祝などがそれにあたる。
 このところ、そういった特筆事項がいくつもあって、一週間に一題ずつのガジ丸ホームのコラムやガジ丸通信では間に合わないのだが、だからといって、部屋にインターネットを引いて、アップ回数を増やそうなどとは思わない。インターネットを引くのにはお金がかかるからという理由が大きいが、それと、特筆事項といっても私事である。どうしても公表しなければならないようなことではない、という理由もある。

 自分の書いた文章を誰かが読んでくれているというのは大きな喜びだが、HPやブログにはもう一つ目的があって、将来、読み返してくれる誰かのために書いている。将来の誰かとは爺さんになった(もちろん、生きていればの話)私。
 爺さんになった私にとっては、このブログやガジ丸HPは中年時代の良き思い出となるであろう。多くの人がブログを開設し、それなりに楽しんでいると思うが、よって、その人たちも今だけでなく、将来にも楽しみが待っているということです。

 などと、言い訳を前置きして、他人にはどうでもいいようなことだが、自分の日記としては記しておきたい、最近あった特筆事項。

 強がる爺さん
 父の介護認定審査があった。先々週のことだ。先々週のことを今週話すのは、上記のように、書き残しておきたい特筆事項が他にいろいろあったからだが、姉が旅行中(二週間も、優雅だよな)なので、私がその審査に立ち会った。
  父は要支援というランクだが、「強がって、できないこともできると言うから、あんたからも事前に注意しておいて。」と姉から頼まれていたので、そのようにする。父も「解ったよ。」となって、いざ、審査。「解った」父はしかし、質問に対し素直に応じはするが、弱みは隠そうとする。一人で立つことができないことを隠す。物忘れが多くあることを隠す(これは、もしかしたら隠しているのでは無く、忘れていることを忘れているのかもしれない)。私がフォローする。「それ、できないだろう。」と言うと、「あー、そういえば最近できなくなった。」と答える。そんなこんなで審査が終わった後、父が役所の人のためにコーヒーを入れた。普段はやらないことだ。いつもなら、「コーヒー入れてくれ」と私に指図するのに。・・・年寄りは強がるもの。たぶん、私もそうなる。
          

 5歳の成人病
 職場の、私が使っているパソコンは今年5歳になるが、元々病弱で、買った当初からちょくちょく不具合を起こしていた。去年大手術を行っているが、今もまだ調子が悪くて、たびたび寝込む。いろいろ手を施し、時には蓋を開け、中をいじくって治している。
 部屋の、これも5歳になる私のパソコン(デスクトップの方。普段使っているノートは元々バカで病弱。)は、当時としては高性能で、しかも健康優良児。風邪一つ引かないまま満5歳となったが、今年になって患ってしまった。あれこれ対処療法を施しつつ一ヶ月をやり過ごしたのだが、先週4月4日、ついにハードの一部を認識しなくなって、テレビが映らなくなってしまった。以降、テレビの観られない生活となる。
 翌日曜日の夕方になって、『さんまのスーパーからくりテレビ』を観たいと思って、蓋を開け、中を少々いじくって、何とか治す。テレビも正常に映るようになる。あいにくその日は、『さんまのスーパーからくりテレビ』は休みで、ガックリしたが。
 職場のパソコンはハードディスクの全てを認識しなくなるという症状だ。それに比べると私のパソコンは軽い症状で、しかも、すぐに治ったのだが、しかしその後、症状は進んで、職場のパソコンと同様になってしまった。職場のパソコンは立ち上げるたびに、私のパソコンは時々、BIOSの再設定が必要となっている。それにしても、同じ時期に買ったパソコンが似たような病気に罹る。パソコンの成人病なのかもしれない。

 新しい波に翻弄されて
 先週、懇意にしている水道設備会社社長のGさんから職場にメールがあった。私宛のSOSメール。何のSOSかというと、メールで送られてきた添付ファイルを開くことができないというSOS。対処方法を書いて返信する。3度のメールのやり取りがあって、その後、電話がくる。「やはり開けない」とのこと。で、金曜日に訪問。
  件の添付ファイルには3重の鍵(プロテクト、パスワードなど)がかけられていた。個人情報保護法なのか何か知らないが、ずいぶん念入りなことである。すぐに開けるようにし、この場合はこれ、この場合はこれと手順も教えたが、Gさんには煩雑。
 「このあいだから、ここの会社からは全部こういった形でファイルが届く。そんな面倒臭いことをしなければならないのか、難儀だなぁ。」と言う。その他にも、
 「これは画像だから直接線を描いたり、文字を書いたりはできない。」
 「これは、このソフトで開いた方が良い。加工がしやすい。」
 「保存フォルダを明確にして、不要ファイルは削除した方が良い。」などということを教え、実際にやり方を教えたのだが、数日後にはたぶん忘れているはず。
 Gさんはもう60歳過ぎている。仕事上しょうがないのでパソコンに立ち向かってはいるが、ITという新しい波に翻弄されて、悪戦苦闘の日々なのだ。
 「画像ファイルはワードかエクセルに挿入して、線や文字を記入する。」ということも教えたかったのだが、既に疲れきった顔のGさん、これは次回に回す。

 その他
 Gさんの事務所を訪ね、SOSに回答した翌日の土曜日(4日)、沖展(年1回開かれる沖縄の美術の展示会)に出かけた。これについてはいつか別項で。
 沖展会場で、昔同僚だったAさんに出会う。これもいつか別項で。
 私の部屋の水漏れが1階の部屋に悲惨な状況を起こしていた。これもいつか別項で。
          

 記:2009.4.10 島乃ガジ丸