ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

街は暑い

2006年07月28日 | 通信-環境・自然

 4週前の通信記事『温暖化は着実に』で、「猛暑だった2004年」と書いたが、それは間違いで、猛暑だったのは2003年であった。どうやら、齢とると時間が速く流れるようである。3年前のことを一昨年のことだと覚え違いしたようである。
 沖縄気象台のホームページに、月を上旬、中旬、下旬に分けた平均気温のデータが載っている。それによる那覇の2002年からの7月の気温(上旬 中旬 下旬)は、
 2002年 28.3 27.8 28.5
 2003年 29.4 30.0 30.2
 2004年 28.1 29.0 29.4
 2005年 29.0 29.1 29.5
となっており、いかに2003年が暑かったかが判る。
 さて、梅雨明けからその2003年を上回る猛暑となった今年、7月上旬の平均気温は29.5度で、やはり2003年の記録を抜いている。ところが、中旬に入った先々週から沖縄は涼しくなった。いや、涼しいというのは間違いで、「夜寝られないほど暑くは無くなった」というのが正確。暑いには暑いが、窓を開ければ扇風機無しで過ごせた。
 今年7月の上旬10日間の気温、32度台が3日、33度台が4日、35度台が1日となっている。中旬の10日間では32度台が1日あるだけで、あとはそれ以下、平均気温は28.4度となっている。なるほど、過ごしやすかったわけである。

 夏の日差しが照りつける中であっても私は歩く。少なくとも往復徒歩30分程度の距離であるスーパーへの買い物は歩いて行く。今は7月上旬のような酷暑では無いので、日向は暑いけれども、ゆっくり歩けば汗が滲む程度で済む。
 先週土曜日、22歳の美女からお声がかかり、デートへ出かけた。映画を観て、食事して、ジャズのライブを聴くというコースを設定し、午後3時、映画館で待ち合わせる。ウチナーンチュでありながら概ね時間を守る私は、3時ちょっと前に牧志へ着いた。牧志バス停から桜坂劇場まで5分ほどの道のり、陽射しの強い中を歩く。映画館の中へ入れば涼しいクーラーが待っている。その映画館へ後数メートルというところで電話が鳴る。
 「今、向かっている途中です。場所を教えてください」と22歳。彼女は正統派のウチナーンチュなので、だいたい遅刻してくる。遅刻はいいのだが、「場所教えて」は想定外であった。有名な桜坂劇場だ、その場所をたとえ知らなくとも、前もって調べておくのは簡単なはずなのだ。しかし彼女は、準備無しでも「なんとかなるさ」と思う、これまたいかにもウチナーンチュらしい性格なのであった。
 牧志バス停近くのデパート三越前で待ち合わせる。たった5分の距離だが汗をかく。首里で5分歩くのよりずっと多く汗をかく。街は暑いのである。街の空気はコンクリートで熱くして、アスファルトでも熱くして、クーラーでも熱くしているみたいである。
  便利な街、車が走りやすい道、人が過ごしやすい建物、などということを目指すと街は暑くなり、過ごしにくくなる。それをカバーするために電気をたくさん使う。すると地球温暖化でますます暑くなる。化粧すると肌が荒れる。荒れた肌を覆い隠すために濃い化粧をする。すると、ますます肌が荒れる。・・・のと同じ(喩えは適切だろうか?)
 沖縄気象台が観測する那覇の気温、その観測場所をデパート三越前でやったなら、平均気温はきっと2、3度ばかり上がるに違いない。
          

 記:2006.7.28 ガジ丸


メチャ盛肉症候群

2006年07月21日 | 通信-社会・生活

 久しぶりに会った知人は、オバサンと呼ぶに相応しい年齢ではあるが、肉体管理をちゃんとしていているようで、他のオバサンに比べればスタイルはずっと良い。良いと感じたことを私は「やあ、相変わらず良いスタイルだね」と口から出ない。別に言うほどのことでも無いと思っているからだ。しばらくユンタク(おしゃべり)して、楽しい時間を過ごした後、別れ際、ノースリーブの彼女の二の腕が弛んでいるのを見て、
 「やあ、腕がプルプル揺れてるね」と私の口から出る。せっかく楽しい時間を過ごしたというのに、その一言で、彼女の気分は半分悲しくなる。褒め言葉は心の中で留まり、憎まれ口ばかりが私の口から出る。生来の性格なのである。毎度毎度のことなのだが、毎度毎度少し後悔している。口は災いの元なのである。分っちゃいるけど・・・。

 先週、『体に甘く内臓に厳しい人』の話を書いた後、2階の喫茶店へ一服しに行った。喫茶店のママさんも従業員も『体に甘く内臓に厳しい人』と思われる体型をしている。そんな彼女らに太った人の話をする。「あー何という根性の悪さ」なのであるが、彼女らはもう私の口の悪さには慣れっこになっているので、あまり気にしない。
 「最近、流行っているじゃない。太った人のことを何とか症候群って言うじゃない。ほら、ウエストが何センチ以上の人は病気になりやすいって。」とウエスト100センチ以上はたっぷりありそうなママさんが言う。
 「あーそれ、えーっと、メタボリック症候群よ。女性は90センチ以上ってやつよ。」と90センチ以上はありそうな従業員のお姉さまが応える。
 「メタモリニク?」と私。
 「メタボリックよ。男性は確か、ウエスト85センチ以上だったよ。」
 「メチャモリニク?」とまたも私。そんな私を彼女はもう相手にしない。太った話はあまり好きじゃなさそうな二人は、二人だけで別の話に移った。
 「メチャモリニク?・・・あーそうか、めちゃ盛肉ということか。腹の肉がめちゃ盛り上がるということか。なるほど納得。」と私は一人でガッテンして、休憩を終える。

 下に降りて、インターネットで調べる。「メチャモリニク」と入力したのでは無い。私の脳味噌は「メチャ盛肉」と変換したが、私の耳にはちゃんと「メタボリック」と聞こえていた。正式にはメタボリックシンドロームというらしい。
 「動脈硬化性疾患(心筋梗塞や脳梗塞など)の危険性を高める複合型リスク症候群」とのこと。診断基準値がある。ウエストが男85センチ以上、女で90センチ以上が要注意とのこと。先週話題にしたMは、もちろん基準値をたっぷり上回っている。
 「太っていて何が悪いんだ」という点では、私は彼と同意見である。「太っていようが痩せていようが幸せだったらどっちでも良いじゃない」ということである。が、太っているということは、どうやら健康には「悪い」らしいのである。Mさん、気をつけてね。

 友人の三段腹E子も『体に甘く内臓に厳しい人』の一人。 お昼にケンタッキーフライドチキン3ピース食べて、昼寝する。 起きたら、菓子パンを食べる。 「食べたら眠くなるさあ。起きたらミークファヤー(眠気覚まし)が欲しいわけさあ。」とのこと。
          
 記:2006.7.21 ガジ丸

 

 

 


体に甘く内臓に厳しい人の後頭部

2006年07月14日 | 通信-社会・生活

 中年となった私はもう、100メートル、どころか50メートル、どころか20メートルでさえ全力疾走できない。ジョギングという運動もここ10年以上やっていないので、ゆっくり走っても2、3キロメートルがやっとであろう。マラソンなんてとんでもない話である。ところが私は、歩くことはできる。重い荷物が無ければ買い物は歩いて行く。徒歩1時間圏内なら飲み会へも歩いて出かける。週末散歩はもう4、5年続けている。なわけで、私の脚の筋肉は、歩くということにおいてはまあまあ鍛えられている。
 数年前、オジサン5人で福岡、長崎を旅した。福岡の街を歩いていたら、Mが別行動をしたいと言う。バスに乗りたいと言う。疲れたから次の目的地までバスで行って、そこで待っていると言う。確かに、彼は汗をいっぱいかいて、疲れた顔をしていた。日常のMは歩くことをほとんどしないと言う。彼の脚はあまり鍛えられていないのであった。
 Mは概ね自分の体に甘い。体の筋肉を鍛えようなどとは思わないようだ。しかし、自分の内臓には厳しい。中年となった今でも若い頃と同じようにたくさん食べる。しかも、若い頃と同じように消化がきつそうな肉類が中心である。酒もたくさん飲み、たばこもたくさん吸う。ただ、しかし、彼の内臓は鍛えられているのかもしれないが、100メートルを全力疾走するような鍛え方ではないかと私は思う。他人の内臓だが、「よう、もうたいがい齢なのに、大変だね。」と同情したくなる。

  先週土曜日(8日)、模合(モアイ、ある目的を兼ねた飲み会のこと)があり、Mは久々に女房と同伴であった。その女房が、角刈りに近いほど短く刈ったその頭を指差して、「とても可笑しいのよ、見て。」と言う。そして、彼を後ろ向きにさせ、その後頭部を皆に披露した。その後頭部には脂肪の塊がボコボコといくつも盛り上がっていた。髪を短くしたので目立つのであった。おー、ついに頭にまで脂肪が溜まるようになったのか、あんまり太るとそういうことになるのかと、私は感動して、写真を撮った。
          
 
 下は1989年のMのスケッチ、体型は今とほとんど同じ。 「もともと太る体質なんだ。」とMは思い、 「太る性格なんじゃないの。」と私は思う。
          
 
 記:2006.7.14 ガジ丸


温暖化は着実に

2006年07月07日 | 通信-環境・自然

 昨日の那覇の最高気温は35度。これは沖縄気象台の観測史上3位の高さとのこと。つまり、沖縄では過去に35度を超えたのは2度しかなかったということ。関東地方では37度とか38度にまでなったりするようだが、南とはいっても、沖縄は小さな島なので熱が大地にこもる量が比較的少ない。そのせいで40度近い気温にはならない。平年だと34度を超えるのも稀で、無い年の方が多い。33度を超えるのも数えるほど。
 太陽が大地を熱くする。風がその熱を、ある時は太平洋から東シナ海へ、ある時は東シナ海から太平洋へ流してくれる。だから、小さな島では大地に熱がこもりにくいのだと私は考えているが、そんな島が気温35度になるということは、それはもう単純に、太陽がそれだけの熱で持って、沖縄の大地に照り付けたということである。昨日の35度、1年を通しては歴代3位だが、7月としては初の35度で、1位とのこと。
  今年は梅雨明けからすぐに真夏となって、寝苦しい夜がずっと続いていたのであるが、今週の日曜日から火曜日までの三日間だけは風が吹いた。梅雨明けからしばらくの間吹いてくれる風である。今年は忘れられていた風である。夜の気温は30度ほどあったが、風のお陰でその三日間は快適睡眠であった。しばらくそれが続くのかと期待したが、水曜日の夜には再び無風状態に戻った。風が無いと睡眠は厳しい。強烈な太陽の熱を帯びたコンクリートは激しく熱せられていて、その輻射熱はきつい。西日もたっぷり浴びた私の部屋は夜11時になっても35度の気温である。息をしても汗をかく。
 沖縄気象台のデータに、月を上旬、中旬、下旬に分けて、それぞれの平均気温、最高気温などを載せた表がある。それによると、2002年からの6月下旬の平均気温は、02年28.3度、03年28.1度、04年28.3度、05年27.9度、06年29.3度などとなっている。私の体が感じたことは正しいようで、今年の6月下旬の平均気温は、あの記録的な猛暑であった2004年のそれより1度も高い。
 最高気温もまた高い。04年の6月下旬は30度台が3日、31度台が6日、32度台が1日であったが、今年は31度台が4日、32度台が6日となっている。7月に入るとさらに暑くなって、33.2、33.0、32.5、32.5、33.3と最高気温は続く。これは猛暑だった04年を平均して2度近く上回る。暑いわけなのである。

 そんな暑い中、北朝鮮のミサイル問題があり、王貞治監督の入院があり、タバコの値上げがあり、新幹線、特急の全面禁煙のニュースがあった。「援助は軍へ行き、制裁は民へ行く、なんてことだけは避けてね」と思い、「王さん元気になってね」と思い、「俺は止めねぇぞ」と思ったりしたが、なにしろ「暑い!」のである。セミも煩いのである。
 昨夜、35度の空気を吸いながらビールを飲んだ。ビールは即座に汗となって、体中の汗腺からどっと吹き出る。それでも、これからが夏本番なのである。例年7月中旬から気温はぐっと上がる。今年は猛暑であった04年を超えそうな厳しい夏となりそうだ。二歩下がりつつ三歩進むみたいな調子で、少しずつ、だけど着実に気温は上がっていくのであろう。地球温暖化は止まらないというわけだ。タバコを吸う吸わないよりも遥かに重大な問題が、人類の目の前にあると思いつつ、暑さに頭がボーっとするガジ丸であった。
          

 記:2006.7.7 ガジ丸