久々にシバイサー博士を訪ねることにした。・・・のだが、村から博士の研究所へ向かう一本道の途中にユクレー屋がある。今年は暖冬であったが、この頃は2月らしい気候が続いて、今日もちょっと寒い。ユクレー屋があって、ちょっと寒い。ということで、私の足は向きを変えた。日本酒の一杯でもひっかけて、体を温めるつもり。
店に入ろうとしたちょうどその時に、マナがドアを開け、鉢合わせした。
「あら、早いね、今日は。」
「うん、ちょっと寒いからさ、温まろうと思って。」
「確かにちょっと寒いけど、今日も良い天気だねぇ。ジラースーに聞いたけど、オキナワはずっと天気悪かったんだってよ。不思議だね。」と窓を開けて、マナが言う。
「オメェ、知らないのか?シバイサー博士がこの島の天気を操っているんだ。」と、マナのうしろ、カウンターに座っていたケダマンが応える。
「あー、そうなんだ。だから都合の良い時だけ雨が降るんだね。」
「マナ、どうでもいいけど、中に入れてくれ。」
「あっ、ゴメンね、どーぞどーぞ。」
カウンターのケダマンの隣に座る。今日はとりあえずのビールは要らない。日本酒の温かいのを私の体は望んでいる。それを注文しようとしたら、
「熱いお茶でもいれようか?」とマナが訊く。キョトンとする私に代わって、
「酒飲みの心が解らない奴だ。ゑんちゅに暖かいお茶なんて無用だぜ。」とケダ。
「まだ外は明るいよ。夕暮れまでまだ2時間はあるよ。」
「酒は暗いから飲むんじゃない。寒いという理由でも飲む。」とケダが応え、
「そうです。花を見ては飲み、雨のしとしとを聞いては飲み、悲しいといっては飲み、愉快だといっては飲む。静かに飲み、騒いでも飲む。」と私が続ける。
「はいはいはい、酒飲みの理屈だね。何にする?」と、呆れ顔でマナは訊く。
「今日みたいな寒い日は日本酒だよ。暖かいのをちょーだい。寒い季節もやがて終わろうとしているじゃないか。終わる前に今宵は日本酒で身も心も温まろうよ。」と私は答える。ケダが短い諸手を挙げて賛成する。呆れ顔のマナだったが、我々に付き合った。
ほどなくして、いつもの週末と同じように、ガジ丸、ジラースー、勝さん、新さん、太郎さんたちがやってきた。ガジ丸はマジムン(魔物)なので、寒さをそう感じていないようだが、他の4人は人間だ。暖かい日本酒は彼らにもご馳走となった。
一通りの会議が終わった後、ガジ丸は我々のいるカウンターに席を移す。ジラースーは勝さんたちのいるテーブルから離れない。マナを目の前にするカウンターには座りたくないみたいだ。冷やかされるのが嫌なのだろう。まあ、ジラースーも六十過ぎたオヤジだ。私達も「こっちへ来いよ」などと無理強いはしない。放っておく。
「ところでよ、」とケダマンがガジ丸に話しかける。「お前の作った唄な、前の『かばのかばん屋』もなかなか面白かったが、このあいだの『さいのさいころ』はすごく良かったぜ。最近、よく唄を作っているが、音楽家にでもなるつもりか?」
「なるつもりか、じゃ無ぇよ。俺は既に音楽家であり、また、絵描きでもある。他の誰もが認めなくたって俺がそう認めている。だから、それは間違い無い。・・・あー、そういえばそうだ、つい最近できたばっかりの曲があるぞ。」とガジ丸は言って、ピアノの傍に行き、新年会の日からそこに置きっ放しになているギターを取り、そして、歌った。
歌い終わってカウンターに戻ってきたガジ丸に、
「何ていう唄なんだ。ちょっと悲劇の匂いがするけど。」と私が訊く。
「題は『あのよふーん』。去年流った『千の風になって』は、大人が死んで、その大人が残された者達へ語り掛けるって唄だっただろ?それにヒントを得て、子供が死んで、その子供が残された母親へ語り掛けるって唄だ。」
「何だそりゃ、ほとんど二番煎じじゃ無ぇか?」(ケダ)
「二番煎じと言えばそうだが、別に世間に出そうとしているわけじゃない。この島だけで流行ってくれりゃそれでいいのさ。ここには子を亡くした親が多くいるからな。」
「そのさ、あのよふーんってどういう意味なの?」(マナ)
「あのねって意味だ。子供が語りかける時に使うだろ?」(ガジ)
「そうなんだ。沖縄ではそう言うんだ。」(ガジ)
「マナもさ、ピアノが弾けるんだから、唄を作ってみれば?」(私)
「前から作ろうとしているんだが、なかなかできないみたいだぜ。」(ケダ)
「これまでの人生で経験したことを歌えばいいと思うけど。」と訊くと、
「私はそんなに人生の経験が無いよ。」とマナは答える。すると、ケダマンがきっぱり言う。暖かい日本酒で身も心も温まった宴も、それでお開きとなった。
「経験が無いんじゃなくて、経験を言葉にする才能が無いだけだ。」
記:ゑんちゅ小僧 2008.2.29 →音楽『あのよふーん』