ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

頂いた命への感謝

2016年02月26日 | 通信-社会・生活

 私は宗教を学問として捉える限りであれば宗教に興味を持っているが、宗教そのものについては興味がない。何かの宗教の信者になろうとはちっとも思わない。学問として捉える限りであれば興味を持っている宗教なので、宗教関係者に話しかけられたら、その時暇であれば話を聞く。そういった機会はこれまでに何度もあった。その経験から私は宗教を嫌っている。それは、宗教の性質である価値観の統一に対する嫌悪感である。
 「私達が正しいと信じていることを貴方にも伝えたい」までは聞く。「貴方にも目覚めて欲しい、貴方を救いたい」などと来たら、「急いでいるから、じゃあ」と言ってサヨナラする。口では優しく断っているが、心の中では「煩ぇ奴らだ」と思っている。
 中国共産党じゃあるまいし、北の太っちょじゃあるまいし、自分の価値観を押し付けるなんてのは人の感性(命と言い換えてもいい)を軽んじる傲慢だと思う。

 そんな私が、日曜日(21日)、あるキリスト教の教会で行われた講演会へ出かけた。講演のタイトルは「創造された技術/恐竜のなぞ」、語られた時の順序はその逆で「恐竜のなぞ」が先。私が聴いて、私なりに理解した範囲で、その内容を大雑把に言えば、
 恐竜は6500万年前に絶滅したと言われているが、それ以後もいた、遺跡に恐竜の絵があり、恐竜の血管が化石と共に見つかったり、そして、聖書に恐竜の記載がある。
 現在の技術には自然の技術を真似たものが多くある。自然の技術は神の創造による。
 進化論は、それを証明する確かな証拠が無く推測に過ぎない。
 などといったことで、つまりは、進化論の否定、聖書の肯定を言いたいようであった。聖書にあるように、天地創造があって、アダムとエバが創造されて・・・といったこと。ちなみに、アダムとイブのイブは英語読みで、ラテン語読みだとエバと言うらしい。

 進化論は元より「これが絶対正しい」というものでは無く、相対性理論と同じように科学的論考による1説に過ぎない。「証拠が無く推測に過ぎないから正しくない」というのは当らない。そういうのであれば、「神や天国の存在の証拠は何がある?」と私は思うのだが、「自然は人間の真似のできない不思議が多くある。それらは自然にできたものではなく、誰かの手によって創造されたとしか考えられない」ということらしい。
 神が一人でこの世に存在する生物の全てをデザインし組み立てたと考えるより、ある種の生命が変異を繰り返しつつ多様化したと考える方が、私は自然だと思う。
          

 私は、神が人間を造ったのではなく、人間が神を造ったと考えている。人間が生きる上で神という存在が必要であったと思っている。何故必要だったのかについて私は少々興味がある。神がいなければ争いが絶えない、神がいなければ自らの欲望の爆発を抑えきれない、神がいなければ闇や死の恐怖に耐えきれない、などといったことを考えている。
 たとえ、講演会の講和にあった通り、神がいて、天国や地獄があったとしても、それらは今私が生きていることとは関係ない。それらは死んでから考えれば良いこと。生きている間は生かされていることに感謝し、できるだけ楽しく生きればよい。楽しく生きる、それが頂いた命に対する私の感謝の形だ。せっかく才色兼備のH女が誘ってくれた講演会であったが、申し訳ないのだが、私は退屈であった。途中から瞑想していた。
          

 記:2016.2.26 島乃ガジ丸


抜かりないオジサン

2016年02月26日 | 通信-社会・生活

 2月16日、私の畑に初訪問の客が来た。その前に電話があって、「久しぶり、Hです・・・」と名を名乗った後、大まかな要件を語って、「詳しく話したいのでそちらへ伺います」と言い、畑の場所を聞いて、その30分後くらいにやってきた。
 H女は友人Mの女房。何度か会っているし、何度もユンタク(おしゃべり)しているのだが、会うのは10年ぶりか、もっと長い。15年ぶり以上かもしれない。それほど長い期間会っていなくてもその顔を忘れることはない。美人なのである。
 美人でも、歳は取っているので、若い頃の色気はそれなりになっているが、それでも、彼女には品がある。私の知っている女性の中ではトップクラスの品性を持っている。その品性は歳取ったからといって衰えることはない、むしろ、さらに輝きを増している。

 さて、その美人が突然、貧乏農夫の畑にやってきた要件とは、ある講演会へのお誘い。彼女はクリスチャンである。ある教会に帰依している。その教会で日曜日(21日)、倭国から講師がやってきて講演するという。「面白い話です、自然農法をやっている貴方にとって興味のわく話だと思います」などと勧め、H女は2時間近く畑にいた。
 熱心なH女に説得されたからというわけではなく、私はその講演会を聴きに行くことをすぐにOKした。私は宗教を学問として捉える限りで言えば、宗教に興味を持っている。宗教はキリスト教に限らないのだが、私の周りにある宗教はキリスト教と仏教(その他の新興宗教については、私は宗教と見做していない)なので、多くの宗教を学んでいるわけではないし、キリスト教も仏教も深く学問したことはない。そこまでの興味は無い。
 そんな私なので、キリスト教の講演を楽しめるか、幸せな時間を過ごせるかということについて少々不安があった。時間とガソリン代の浪費になるかもしれないと。しかし、その点で私は抜かりがない。講演会の時間が退屈であっても他の楽しみを得るよう、読谷までのガソリン代が無駄にならぬよう、教会から近場にある公園名所を散策した。
 講演会は午後3時からだったが、私は午前10時半頃には読谷にいた。座喜味城址を散策した。ジュズダマを久々に見る。その後、長浜ダム公園を散策した。カワセミの飛ぶ姿を数回見た。カワセミも久々。その後「やちむん(焼物)の里」も見学できた。
          

 H女の容姿と品格の美しさに敬意を表して、教会と講演会の内容も少し語っておこう。
 3時少し前、教会に着く。教会の駐車場にいた案内人は若い男性、挨拶する時の彼の笑顔に爽やかな風を感じた。教会は想像以上に立派な建物。庭も可愛く手入れされている。建物の中は、いかにも善良な人々の気に充ちているようで、清々しい。
 私は最後尾の端っこの席に座った。退屈なら帰ろうという魂胆だ。が、H女に見つかって、前後左右ともにほぼ中央の席に座らされた。H女から教会の主宰である女性牧師も紹介された。彼女もまた美人で上品。舞台でパフォーマンスを見せてくれた信者の女性にも上品そうな顔立ちの人が数人いた。「心清らかだと上品になるのか」と感心する。
 ただ、舞台のパフォーマンスは私向きではなかった。激しいリズムと大音量、「走れ!戦え!勝て!」と言っているみたいな音楽。讃美歌でいいのにと私は思った。その時間は私にとって退屈な時間となった。目を閉じ、腹式呼吸し、難を逃れる。講演もその概ねの時間は退屈であった。「他の場所の散策をしておいて正解だった」と思った。
          

 記:2016.2.26 島乃ガジ丸


うーじ畑

2016年02月26日 | 沖縄01自然風景季節

 ウージはキビ(黍)のウチナーグチ(沖縄語)。沖縄でキビといえばサトウキビを差すので、うーじ畑はサトウキビ畑ということになる。少なくとも中年以上の、特に農業に携わっている人はサトウキビとは言わず、ウージと言う。

 ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
 ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ

 と始まる『さとうきび畑の唄』では、さとうきびと表現されているが、「しまうたよ風に乗り・・・」の『島唄』という歌では「うーじ」と表現されている。どちらの表現でも構わないが、とにかく、うーじ畑のある風景は沖縄であると倭国の作詞家たちは思い、うーじ畑のある風景は沖縄であるとウチナーンチュの多くも認識しているはず。

 私の育った那覇にうーじ畑は無かったが、母の実家のある南風原町には多く見られ、その景色は私も子供の頃から馴染み深い。高校生の頃、級友たちとサイクリングに出かけることが何度かあった。ヤンバル(沖縄島北部の通称)へのサイクリング、那覇を出て1号線(現国道58号線)を北上し、帰りは太平洋側へ回り329号線を南下することがあった。北上する西海岸沿い、浦添市、宜野湾市、北谷町、嘉手納町となるが、浦添市辺りから基地が目立ってくる。北谷町、嘉手納町になるとほとんど基地だ。次の読谷村まで基地はあるが、読谷からは畑も少し見えてくる。それでも西海岸は、1号線という幹線道路沿いを走っている限りでは、恩納村、名護市まで畑は少ない。
 東海岸へ渡ると畑は目立ってくる。うーじ畑も多くある。自転車を漕ぎ続けて数時間経ってくると喉も乾いてくる。悪ガキ達の中(私も入っていた)にはうーじ畑へ入って行って、うーじを少々かっぱらう者もいた。歯でうーじの皮を剥き、汁を啜った。

 私の畑ナッピバルの北隣はうーじ畑となっている。主はSさんという人。私がナッピバルを始めてからしばらくしてキビ刈があった。その時、Sさんと声を交わした。
 「子供の頃、ウージの皮を歯でむしり取って汁を啜ったのを思い出しますよ。」
 「私もよくやった。だけど、今は難しいよ。」
 「ん?何でですか?農薬がかかっているからということですか?」
 「いや、そうじゃなくて、今のキビと昔のキビは品種が違う。今のキビは害虫に強く丈夫なんだが、皮が硬く、歯で齧り取るのが難しいんだ。」とSさんは言って、笑う。
 Sさんは前歯が欠けている。私の視線に気付いて、
 「この歯はウージを齧ったせいではないよ。」と言って、さらに笑った。

 Sさんの畑はナッピバルと同じ約300坪。Sさんとその仲間達数人でやっている。Sさんの話では、「うーじは必ず買ってくれる。補助金によってまあまあの値段。仲間達と分けても小遣程度にはなる。」とのこと。「TPPになったら補助金も削減されるだろうから、やってられなくなるよ。」とも言っていた。補助金があっても家族を養う程の収入には足らず、補助金がなければ営利農業には全くならないようだ。
 うーじ畑、上記した通りいかにも沖縄の風景、それが消えてしまうのは淋しい。TPPになったとしても、大規模栽培にして何とかならないかと願う。
     
     
     
     
     
     
     
     
     

 サトウキビ(砂糖黍):農業作物
 イネ科の多年生草本。原産はインド、ニューギニア。方言名:ウージ
 甘蔗(かんしょ、かんしゃ)、または荻(おぎ)とも言う。方言名のウージはこの荻からきているのではないかとある。茎の高さ2~3m、径2~4cm。茎に10~20%の蔗糖を含み、砂糖の原料となる。沖縄にとっては大切な基幹作物。
 沖縄には13~14世紀頃に中国の福建省からもたらされたのではないかと考えられている。製糖の始まりは文献が残っているらしく、1623年、儀間真常(芋の普及にも大きな貢献をした人)が製糖法を学ばせるため福建省へ人をやったとのこと。
 たくさんの品種がある。沖縄で栽培されている8割方は同じ種類とのこと。昔は穂が開く前に収穫したと聞いたことがある。8割を占める現在の種とは違っていたのだろう。

 記:2016.9.9 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


テーゲー主義者の楽

2016年02月19日 | 通信-その他・雑感

 「OCNブログ人サービスは2014年11月30日をもちまして終了いたします」というメールがOCNから同年6月始めにあった。私はその「OCNブログ人サービス」を使って、他人から見りゃどうでもいいような文章をアップしていた。他人から見ればどうでもいいことでも、自身は気に入っている。この先も続けたいと思った。
 知らせがあって4ヶ月経った10月、のんびり者の私もやっとブログ引っ越しに関わる作業を始めた。どうすれば楽に正確に引っ越せるかを調べてからと思ったが、ぐずぐずしている内に期日が迫って、その調べが十分でない内に「えいっ」と引っ越した。
 引っ越しそのものはすぐに終わったが、引っ越し元と引っ越し先のデータ処理及び管理などの方法が少々異なっていたらしく、ブログはそっくりそのまま引っ越し完了とはならなかった。写真や記事の体裁に不備があり、目次や写真のリンクに不備があった。ガジ丸ブログの記事や写真の量は膨大な数なので、その修正には時間がかかる。引越し作業を始めて1年と3ヶ月が過ぎた今年1月になっても、修正作業はまだ山のようにあった。

 沖縄は年末から雨が多く、年が明けるとさらに雨の日が多くなり、雨の日は畑に入れないので畑仕事が遅れている。雨のせいで畑仕事は遅れているが、雨が多いことで進んでいる作業もある。まだ山のようにあったブログ修正作業だ。雨の日はたいてい、ネットの出来る環境である従姉の夫の事務所へ行き、ネットを使わせて貰ってブログ修正作業をやっった。1月の1ヶ月間でだいぶ進んだ。そして、やっと先が見えてきた。
 実は、1月の上旬で「ふー、やっと終わるぜ」という段階に来ていた。私はけして完璧主義者では無い。むしろ、どちらかと言うと「いい加減主義者」である。ウチナーンチュの伝統的性質テーゲー(大概)気分を正しく受け継いでいる。そんな私に「やっと終わるぜ」と思ったすぐ後に、ふと魔が差した。修正作業の進んだ自分のブログページを見ながら「これをこうすればもっと見やすくなるな」と思ってしまった。
          

 私はけしてせっかちでは無い。どちらか・・・と迷うことなく、私は南の島人(シマンチュ)らしくのんびり屋である。そんな私がふと魔が差して、思ってしまったことをすぐに実行に移してしまった。実行に移した作業とはブログ記事に載せてある写真のサイズを大きくするという作業、その作業を1年分終えてから「しまった、こりゃあだいぶ時間かかるぜ、あと11年分あるぜ、週一の作業だと3ヶ月分の仕事量だぜ」と気付いた。
 私はけしてしつこい性格では無い。「付きあってくれませんか?」と申し出て、「嫌です」と応えられたら大人しく引き下がる。引き下がってしばらく泣いて忘れている。そんな私なので、「これは時間がかかり過ぎる。中途半端でもいい、止めよう」と、途中で何度も挫けかけた。でも続けた。2月に入っても雨の日が多かったことで続けられた。
 そして、先週金曜日(2016年2月12日)、2014年10月から始めたブログ移動、及び修正作業はやっと終了。終了と言っても、完璧が100とすると、80くらいの出来。修正作業で過去の記事を見ると、「あれはあーした方が、これはこーした方が」と思うところが他にも出てきたが、それらは無視する。これまでの全ての記事を見たが、誤字脱字に気付いたら直したくなるので読むことはしない。テーゲー主義者の私にとって80%は身に余る上出来であり、満足。で、思った。「テーゲー主義者は楽だぜ」と。
          

 記:2016.2.19 島乃ガジ丸


イチジクヒトリモドキ

2016年02月19日 | 動物:昆虫-鱗翅目(チョウ・ガ)

 1人だけど独りじゃない

 私は1人でいることが多い。例えば今月2月、昨日(11日)までの11日間で、私が会って話をした人とその回数は、近所の先輩農夫Nさんと2回、同じく先輩農夫Sさんと1回、友人Oの店へ行って彼と1回だけ。その4回を足して2時間も無い。電話もほとんど無い。従姉Kと1回、甥Tと1回、その2回で1分も話していない。
 あんまりしゃべらないとその内言葉を忘れ、声帯が退化して、しゃべり方も忘れてしまうのではないかと思わぬでもないが、ラジオをよく聞いているし、文章もよく書いているので言葉を忘れるってことはなかろう。だがしかし、発生の仕方を、あるいはしゃべり方を忘れ、すぐに声が出ないということになる可能性はあるかもしれない。
 家では100%に近く1人、畑でもほぼ1人で、その内しゃべり方を忘れてしまうかもしれない私は、ブログ記事の中でしばしば「私は独りである」といった内容のことを書いていた。が、しかし、今回気付いた。よーく考えると私は1人かもしれないが、独りではないことに。・・・これについては別途述べることにして、ここは蛾の紹介。

 ヒトリモドキガ科という蛾の1群がいる。ガジ丸HPでもこれまでにキイロヒトリモドキ、シロスジヒトリモドキを紹介している。今回紹介するイチジクヒトリモドキも含め、私が彼らを見つけた時、彼らは1人(匹)であった。ということで、ヒトリという文字から、生活のほとんどを1人でいる私は「独り」を連想し、ヒトリガも孤独な蛾なのかとつい思ってしまった。が、ヒトリモドキのヒトリは独りでは無く、灯という意味。
 ちなみに、彼らが孤独なのかどうかは文献にも説明がなく、不明。私が孤独なのかどうかについては、一人であっても、けして独りでは無いと、重ねて言っておこう。

 イチジクヒトリモドキ(無花果灯擬き):鱗翅目の昆虫
 ヒトリモドキガ科 沖縄島、石垣島、南大東島、台湾、インドに分布 方言名:ハベル
 名前の由来、資料が無く正確には不明だが、ヒトリモドキはヒトリガ科に見た目が似ているからで、灯擬き、イチジクは本種の食草がイチジク属の植物であることからだと思われる。ちなみに、ヒトリは独りでは無く灯、灯火に集まるからきている。
 時に多く見られ、時に見えないこともあり、「土着か渡り昆虫なのかまだ不明である」とのこと。私が見たのは2008年8月の午後、宜野湾市にある嘉数高台公園で。その時以来お目にかかっていない。大きめの蛾なので見逃すことはないと思う。
 前翅長26ミリ内外。『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「灯火にも飛来する」とあり、「にも」が意味するところを考えれば、昼間も活動しているものと思われる。食草は前述した通りイチジク属の植物、ガジュマル、イヌビワなどその属の植物は沖縄に多くある。
 
 成虫
 
 成虫上から
 
 記:ガジ丸 2016.2.12 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行